Sightsong

自縄自縛日記

喜多川進『環境政策史論』

2015-06-07 22:10:31 | 環境・自然

喜多川進『環境政策史論 ドイツ容器包装廃棄物政策の展開』(勁草書房、2015年)を読む。(喜多川様、ありがとうございました。)

著者によると、環境政策の形成プロセスを一次資料・二次資料によって確認・検証していく「環境政策史」は、まだ研究が十分には進んでいない分野であるという。確かに、わたしが関わっている「気候変動」や「排出権」の分野のことを考えても、そのことは納得できる。政策についてその時点での断面を詳述したものはあっても、それを時系列的に追ったものは少ないうえに、その形成プロセスとなると当事者の記憶と資料の山の中にしかないのかもしれない(政府機関、シンクタンク、業界団体、さらには明示されない協議内容)。たとえば、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』がその例として紹介されているが、読んでみるとそれは研究というよりは「生々しい」ドキュメンタリーである上に、環境保護に対する思いが強く反映されたものである。研究対象としては避けられる分野なのかもしれない。

本書においては、その事例としてドイツにおける容器包装廃棄物に関する政策を対象としている。ここで著者が丹念に追っている政策形成プロセスを読んでいくと、単に環境保護が重視された結果の政策導入ではなく、政治家、政府機関、業界団体、地域といったステークホルダー間の押し引きの結果として政策があるのだということがよくわかる。著者は、環境保護だけではなく経済合理性を考えて環境保護を進める立場を「環境リアリズム」と呼ぶ。

もちろん、環境保護というファクターはあった。増え続ける廃棄物を受け入れる処分場は十分ではなく、さらに、飲料容器が、リターナブル容器からワンウェイ容器へとシフトしつつあるという懸念、そして、1990年のドイツ統合により、それまで廃棄物を受け入れていた東ドイツが消滅するという懸念が、政策導入の駆動力であったことは確かなようである。

しかし、だからといってそのための適切な環境政策がすぐに導入されるわけではない。まずは、リターナブル容器を使う地域を基盤とする政治家の働きかけがあった(従来の地元への利益誘導型)。容器包装をデポジットの対象とすることに対する業界の強い反発もあった。そして、結果的な解として浮上する「デュアル・システム」(従来の廃棄物を自治体が、容器包装廃棄物を民間が処理する)に対する、民間のリサイクル・ビジネスへの期待もあった。

振り返ってみると、「環境政策」というカードを重視しすぎた政策導入プロセスは失敗し、むしろ「経済要因」と「政治要因」のプラスアルファとして「環境政策」を付加したプロセスにおいて、政策という果実が得られたのだという。これは日本においても共通することかもしれないと思う。

なお、著者によれば、「デュアル・システム」導入は、いろいろな面で拙速であった面があるという。民間が大きく期待したリサイクル・ビジネスがどのような結果を見たのか、日本との比較で知りたいところである。

●参照
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』(喜多川さんの論文所収)
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』(喜多川さんの論文所収)


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie

2015-06-07 09:36:18 | アート・映画

九段下(水道橋?神保町?)のギャラリーNuisance Galerieに足を運び、「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」展とギャラリートーク。このギャラリーにははじめて行ったのだが、実は、ライヴハウス「視聴室」の真上である。

壷井明さんは、近所の材木店で調達するという長方形の木の板を3枚セットにして、「3・11」後の福島を描いている。

ささくれたような太目の線、荒涼たる茶色。あえて人物の個性を消したような描き方によって、却って、事態を大きな物語で糊塗しようとする意図を強く否定しているようだ。仮設住宅も除染後の廃棄物も、否定しようもなく「そこにある」。たたずむ人の影は地面に長くのび、存在を消すことはできない。そのような強いメッセージ性を持つ作品群である。

もともとこの展覧会のことを、編集者のHさんのご案内で知ったのだが、その後、ライヴ会場で隣に座っておられた安田哲さん(ご本人は強く謙遜するが映像作家)が企画を行っているというのだった。その安田さんは、壷井さんが銀座や渋谷など目立つ場所にこれらの絵を突然並べるという活動を映像に残している。このあとのトークショーで明らかになるのだが、それは、アートに社会との関わりを持たせ、コミュニケーションを生み出すものでもあった。

トークショーには、丸木美術館の学芸員である岡村幸宣さんが登場。東京新聞での連載をまとめた『非核芸術案内』(岩波ブックレット)という著作もある方である。

トークショーは、壷井さんが岡村さんに質問する形ですすめられた。(文責は当方にあります)

丸木夫妻(丸木位里、丸木俊)による「原爆の図」(丸木美術館所蔵)は15部から成る。
○敗戦後、GHQにより、原爆の人的な被害を示すような印刷物は強く検閲された。それゆえに、丸木夫妻は、検閲の対象外である絵の形で、公民館や学校や駅といった場所で展示し、原爆の実態を伝える方法を選んだ。1作品につき8本の掛け軸でできているが、それには、持ち運びに便利なように、また何かあったときにすぐに持ち去ることができるようにという目的があった。
○丸木夫妻は、原爆投下のあとで位里さんの母親・スマさんのいる広島に入り、1948年夏に、その絵を描こうと決め、1950年、第一作が完成。これには、スマさんの証言が少なからず反映されている。なお、当時原爆をテーマに絵を描いた人もいたが、その多くは「当たり障りのない風景」のようなものだった。
○東京都美術館での「日本アンデパンダン展」に展示したところ、絵の前には人だかりができて大変な反響を呼んだ。そしてその1か月後に個展。絵は検閲対象外ゆえ、当局からの圧力はなかった(そのあたりはきっちりとしていた)。
○(※原爆の情報が出てこない中でその真実性についてどう受け止められたのか、とわたしが質問したところ)確かに「大げさではないのか」という反応もあった。しかし、広島を体験した人も少なからずいて、実態がまったく知られていないわけではなかった。
○美術館から社会へ、街の中へ出ていくべきだとの声があり、多くの画廊で展示されるようになっていった。デパートも人の目に触れる場所として重要だった。三越は日本橋の本店が展示に踏み切れず、銀座店を使った。1951年には、京大主催の「総合原爆展」でも展示された。
○1952年、再独立。原爆の情報が「ブーム」のように流出した。新藤兼人『原爆の子』も同年の映画である。
○核兵器廃止を求める運動「ストックホルム・アピール」(1950-)のための署名が、日本でも多く集められた。そこには、「原爆の図」の貢献があった。それにより、丸木夫妻は世界平和評議会より国際平和賞ゴールド・メダルを受ける。その授賞式出席にあわせて、丸木俊は「原爆の図」を持参。本人の帰国後も、作品は欧州を巡回した。
○さて「3・11」後、目黒区美術館において「原爆を視る1945-1970」展が中止となった。この自主規制は、戦後GHQの検閲が終わっても行われた日本の特質のようなものではないか。(ギャラリー古藤での「表現の不自由」展にも言及)
○オバマ政権が誕生し、これで「原爆の図」をアメリカで展示できる追い風になるのではないかと考え、ずっとそれを進めている人がいる。しかし、大きな美術館からはことごとく断られた(※会場からその理由を問う質問があり、それに対しては、スケジュール、予算、やる気の問題だろうとのこと)。アメリカでは、原爆がアートとして成立しうるのかという見方が根強くある。ところが、2013年にオリバー・ストーンとともにピーター・カズニックが来日し、それをきっかけに、カズニック氏が教授を務めるアメリカン大学での展示が決まった(2015年6月13日~)。アメリカでは数か所巡回する予定(ブルックリンの「Pioneer Works」を含む)。
○(※ブルックリンのMOMA PS1の「ゼロ・トレランス」展において、Chim↑Pomが「3・11」後の福島で撮った作品を観たが、アメリカにおける今のこうした作品の受容を訊いたところ)Chim↑Pomは丸木夫妻を先駆者として捉えている。Chim↑Pomが企画したワタリウムでの展覧会でも、丸木夫妻が作品を持ち歩くために使った箱を展示した。
○すなわち、「プロテストからコミュニケーションへ」。壷井さんは、自身の作品を繁華街や目立つ場所に持っていき、突然展示した。摩擦を引き起こす可能性もあったが、実は、対話というコミュニケーションも成立した。このことは、日本における「自主規制」へのアンチテーゼとして捉えることができるのではないか。
○近代アートは自我や内面を提示する傾向があるが、一方、壷井さんのアートは社会とのつながりを重視しており、また、登場人物も誰という特定をしていない。1950年代を知らないアーティストにして実に珍しい。逆に言えば、一般的ではないため広くウケない。
○運動の持続は難しいものだろう。「3・11」後、まだ5年も経っていないのに、社会からすでに「3・11」は過去のこととして忘れされそうになっている。しかし、「原爆の図」の第一作の完成は、投下から5年後であった。
○(※壷井さん曰く)自分の作品のなかに、福島で大きなテレビを視ながら風船を手放す人と、手放さず自分の子にはマスクをさせている人とを登場させた。自身でどのように判断するのか、どちら側の人になるのか。
○(※表現の方法はどのように選んだのかという会場からの質問に対して、壷井さん曰く)近所に材木店があって、1枚500円と安かったから板を選んだに過ぎない。運送料も安い。洪成潭(ホン・ソンダム)さんは、光州事件(1980年)をテーマとした版画を作るため、逃亡生活のなかでスプーンさえ使った。要は、何を使ってもいいのだ。

●参照
『魯迅』、丸木位里・丸木俊二人展
丸木美術館の宮良瑛子展
過剰が嬉しい 『けとばし山のおてんば画家 大道あや展』
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
『民衆/美術―版画と社会運動』@福岡アジア美術館
金城実彫刻展『なまぬるい奴は鬼でも喰わない』(丸木美術館にも巡回)
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』(丸木美術館にも巡回)
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」(丸木美術館にも巡回)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(トークの中でも言及)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク


渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン

2015-06-07 00:24:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットイン昼の部で、渋谷毅エッセンシャル・エリントンを観る(2015/6/6)。

グループの活動開始が1999年だから、もう15年以上が経っていることになる。わたしも久しぶり。松風さんにはずっとサックスを教わっていたので、こうして会うと、旅の話ばかり。

渋谷毅 (p)
峰厚介 (ts)
松風紘一 (as, bs, cl, fl)
関島岳郎 (tuba)
外山明 (ds)
清水秀子 (vo)

最初は渋谷・峰・松風・関島のカルテット編成だったが、そのオリジナルメンバーに、外山明さんと、ゲストとして清水秀子さんが加わった形となっている。結成当時、デューク・エリントンの曲ばかりを楽器の生音を生かして演奏するというコンセプトは画期的だったはずで、新宿ピットインでも、マイクとアンプを使わずにハコの真ん中にステージを設える工夫がなされていた。いまは前のふつうのステージだが、それでも、生音にかなり近いことは確かである(松風さん曰く)。そんなわけで、渋谷さん得意の過激なキーボードは、このグループでは、ピアノの上に置かれてはいない。

今回の曲は、「East St. Louis Toodle-0」、「Black Beauty」、「Just a Settin' and A-Rockin'」、「Mighty Like the Blues」、「Passion Flower」、さらに清水さんの歌が入って「Prelude to a Kiss」、「It Don't Mean a Thing」、「Caravan」、「Take the "A" Train」といったところ。そして渋谷毅オーケストラと同様に、締めにピアノソロの「Lotus Blossom」。

それにしても、皆の個性が滋味とともに展開されて本当に素晴らしい。峰さんのテナーのくっさい味。マルチインストルメンタリスト・松風さんのアルトは艶やかで(ヤナギサワの新しいモデルを買ったそうで、従来のささくれた松風サウンドではなく、ご本人曰く「可愛い音」)、バリトンもクラもフルートもいつもの良い音。外山さんの奇怪なるリズムにも磨きがかかっている。

また、エリントンの曲のヘンな感覚。渋谷さんは、エリントンの片腕であったビリー・ストレイホーンのことを紹介して、音楽活動がすべてエリントンと一緒だった、そんな人生もありかな、と語っていたが、日本ジャズの至宝と言っても過言ではない渋谷さんも、エリントンにからめとられ、同時に渋谷毅世界を形作っている。最後の循環する「Lotus Blossom」は聴いていても思い出してもドキドキする。

●参照
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
渋谷毅+津上研太@ディスクユニオン(2011年)
渋谷毅+川端民生『蝶々在中』
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
渋谷毅のソロピアノ2枚
見上げてごらん夜の星を
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
松風鉱一『Good Nature』
峰厚介『Plays Standards』
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』 
反対側の新宿ピットイン
くにおんジャズ、鳥飼否宇『密林』
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』、『Sketches of Probability』
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
宮澤昭『野百合』
『RAdIO』
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』
デューク・エリントン『Live at the Whitney』
デューク・エリントン『Hi-Fi Ellington Uptown』
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』