喜多川進『環境政策史論 ドイツ容器包装廃棄物政策の展開』(勁草書房、2015年)を読む。(喜多川様、ありがとうございました。)
著者によると、環境政策の形成プロセスを一次資料・二次資料によって確認・検証していく「環境政策史」は、まだ研究が十分には進んでいない分野であるという。確かに、わたしが関わっている「気候変動」や「排出権」の分野のことを考えても、そのことは納得できる。政策についてその時点での断面を詳述したものはあっても、それを時系列的に追ったものは少ないうえに、その形成プロセスとなると当事者の記憶と資料の山の中にしかないのかもしれない(政府機関、シンクタンク、業界団体、さらには明示されない協議内容)。たとえば、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』がその例として紹介されているが、読んでみるとそれは研究というよりは「生々しい」ドキュメンタリーである上に、環境保護に対する思いが強く反映されたものである。研究対象としては避けられる分野なのかもしれない。
本書においては、その事例としてドイツにおける容器包装廃棄物に関する政策を対象としている。ここで著者が丹念に追っている政策形成プロセスを読んでいくと、単に環境保護が重視された結果の政策導入ではなく、政治家、政府機関、業界団体、地域といったステークホルダー間の押し引きの結果として政策があるのだということがよくわかる。著者は、環境保護だけではなく経済合理性を考えて環境保護を進める立場を「環境リアリズム」と呼ぶ。
もちろん、環境保護というファクターはあった。増え続ける廃棄物を受け入れる処分場は十分ではなく、さらに、飲料容器が、リターナブル容器からワンウェイ容器へとシフトしつつあるという懸念、そして、1990年のドイツ統合により、それまで廃棄物を受け入れていた東ドイツが消滅するという懸念が、政策導入の駆動力であったことは確かなようである。
しかし、だからといってそのための適切な環境政策がすぐに導入されるわけではない。まずは、リターナブル容器を使う地域を基盤とする政治家の働きかけがあった(従来の地元への利益誘導型)。容器包装をデポジットの対象とすることに対する業界の強い反発もあった。そして、結果的な解として浮上する「デュアル・システム」(従来の廃棄物を自治体が、容器包装廃棄物を民間が処理する)に対する、民間のリサイクル・ビジネスへの期待もあった。
振り返ってみると、「環境政策」というカードを重視しすぎた政策導入プロセスは失敗し、むしろ「経済要因」と「政治要因」のプラスアルファとして「環境政策」を付加したプロセスにおいて、政策という果実が得られたのだという。これは日本においても共通することかもしれないと思う。
なお、著者によれば、「デュアル・システム」導入は、いろいろな面で拙速であった面があるという。民間が大きく期待したリサイクル・ビジネスがどのような結果を見たのか、日本との比較で知りたいところである。
●参照
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』(喜多川さんの論文所収)
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』(喜多川さんの論文所収)