「NHKスペシャル」として、『沖縄戦 全記録』が放送された(2015/6/14)。
沖縄戦は、大戦における(ほぼ)唯一の地上戦である。当時の沖縄の人口は60万人近く。戦死者は約20万人、うち沖縄県民は少なく見積もっても12万人以上。一家全滅という例も少なくなかったため、全数を把握できない。ざっくり言えば、4人に1人が亡くなった。
沖縄では、公的に「戦没者調査記録」という悉皆的な調査がなされている。この番組では、そのうち徴兵された軍人と、民間人でも亡くなった日時がわからない方々を除いた82,074人を対象に、犠牲となった日時の経年的な分析を行っている。(つまり、タイトルの全記録とは、1時間の番組を大きく見せるためではなく、そのような記録を用いたという意味であろう。)
それによれば、アメリカ軍の「沖縄本土」上陸(1945/4/1)以降、犠牲者の数は次のようになっている。
4月 13,800人
5月 21,600人
6月以降 46,042人
すなわち、第32軍の司令部が置かれた首里が陥落し(1945/5/31)、事実上の決着がついて以降、6割もの方が亡くなったということになる。これには、司令官の牛島中将により、住民を含め最後まで闘えとする方針が出されたことも大きかった。またもとより、皇民化教育により、「鬼畜米英」の手に落ちることは恥であり、それよりは死を選ぶべきだというマインドコントロールがなされていた。そのため、いわゆる「集団自決」が数多く行われた。
5月以降の犠牲者のなかには、「防衛招集」により無理やり軍の一部に組み込まれた民間人が多かったという(22,000人以上)。最終的には、14歳以上の男子までもが対象となった(鉄血勤皇隊)。かれらも、女性たちも、手榴弾などを持って突撃する「斬り込み」を含め、もっとも危ないことを行わさせられた。
民間人の命を手段として使った(軍官民共生共死ノ一体化:「県民指導要綱」)のは、それだけではない。アメリカ軍が押収し、翻訳して戦略のために用いた日本軍の「戦闘実施要項」には、敵の目を欺くため、住民の着物を着用するようにと書かれていた。アメリカ軍の狂気もエスカレートし、民間人を目視できても撃ち殺した。そして、火炎放射器の利用、壕への手榴弾の投げ込みなど、無差別虐殺を行うに至った。
戦争の実態はこのようなものだ。それは外交や戦争の形態によって変わるものではない。4人に1人が犠牲となった沖縄を、戦後アメリカの基地として供し、さらに新基地を作ろうとしていることは、いかにもっともらしい言辞を弄しようとも間違いである。
●参照
米国撮影のフィルム『粟国島侵攻』、『海兵隊の作戦行動』
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
感性が先 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』
沖縄の渡口万年筆店
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回
沖縄「集団自決」問題(7) 今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
今井正『ひめゆりの塔』
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位
沖縄戦に関するNHKの2つの番組と首相発言
『世界』 「沖縄戦」とは何だったのか