Sightsong

自縄自縛日記

『沖縄戦 全記録』

2015-06-14 22:37:14 | 沖縄

「NHKスペシャル」として、『沖縄戦 全記録』が放送された(2015/6/14)。

沖縄戦は、大戦における(ほぼ)唯一の地上戦である。当時の沖縄の人口は60万人近く。戦死者は約20万人、うち沖縄県民は少なく見積もっても12万人以上。一家全滅という例も少なくなかったため、全数を把握できない。ざっくり言えば、4人に1人が亡くなった。

沖縄では、公的に「戦没者調査記録」という悉皆的な調査がなされている。この番組では、そのうち徴兵された軍人と、民間人でも亡くなった日時がわからない方々を除いた82,074人を対象に、犠牲となった日時の経年的な分析を行っている。(つまり、タイトルの全記録とは、1時間の番組を大きく見せるためではなく、そのような記録を用いたという意味であろう。)

それによれば、アメリカ軍の「沖縄本土」上陸(1945/4/1)以降、犠牲者の数は次のようになっている。
4月   13,800人
5月   21,600人
6月以降 46,042人

すなわち、第32軍の司令部が置かれた首里が陥落し(1945/5/31)、事実上の決着がついて以降、6割もの方が亡くなったということになる。これには、司令官の牛島中将により、住民を含め最後まで闘えとする方針が出されたことも大きかった。またもとより、皇民化教育により、「鬼畜米英」の手に落ちることは恥であり、それよりは死を選ぶべきだというマインドコントロールがなされていた。そのため、いわゆる「集団自決」が数多く行われた。

5月以降の犠牲者のなかには、「防衛招集」により無理やり軍の一部に組み込まれた民間人が多かったという(22,000人以上)。最終的には、14歳以上の男子までもが対象となった(鉄血勤皇隊)。かれらも、女性たちも、手榴弾などを持って突撃する「斬り込み」を含め、もっとも危ないことを行わさせられた。

民間人の命を手段として使った(軍官民共生共死ノ一体化:「県民指導要綱」)のは、それだけではない。アメリカ軍が押収し、翻訳して戦略のために用いた日本軍の「戦闘実施要項」には、敵の目を欺くため、住民の着物を着用するようにと書かれていた。アメリカ軍の狂気もエスカレートし、民間人を目視できても撃ち殺した。そして、火炎放射器の利用、壕への手榴弾の投げ込みなど、無差別虐殺を行うに至った。

戦争の実態はこのようなものだ。それは外交や戦争の形態によって変わるものではない。4人に1人が犠牲となった沖縄を、戦後アメリカの基地として供し、さらに新基地を作ろうとしていることは、いかにもっともらしい言辞を弄しようとも間違いである。

●参照
米国撮影のフィルム『粟国島侵攻』、『海兵隊の作戦行動』
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
感性が先 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』
沖縄の渡口万年筆店
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回
沖縄「集団自決」問題(7) 今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
今井正『ひめゆりの塔』
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位
沖縄戦に関するNHKの2つの番組と首相発言
『世界』 「沖縄戦」とは何だったのか


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2

2015-06-14 08:03:23 | アート・映画

先週(丸木美術館・岡村幸宣さんと壷井明さんの対談)に続き、Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」での対談。今回は、大來尚順さん(浄土真宗本願寺派僧侶)が登場した。大來さんは、英語で平易に仏教を説いた『英語でブッダ』という著書も出したユニークな方である。山口市(旧・徳地町)のお寺のご出身。

今回の大來さんの発言は、たとえば以下のようなもの。なお対談のなかには、震災後の福島におけるナマの具体的な情報がとても多く、それらは、ここには書かない。

○現地の実態は、オモテに出てきている話よりも遥かに過酷である。
○震災を「前世の報い」だと言った住職がいたが、そうではない。仏教は「過去の業」を気にしないものであり、「カルマ」(業)とは、現在生きる私たちの行動にのみ結びついている。被災者たちに、罰を受ける因果があったのではない。私たち皆が起こした結果である。無関係に思える人たちも、それと知らずに因果関係に入っており、そのことを勉強せずに無自覚の状態に甘んじている(縁起思想)。それでは現在・これから何をするのか、ということが重要となる。そうしなければ同じ過ちをおかしてしまう。
○東京などではそうではないが、地方では、何かあったときに宗教家が頼りにされることが少なくない(「駆け込み寺」的)。教育にも、サマースクールや法話などの形で関わっている。そのときには、特定の教えを布教せずに仏教の考えを伝えるようにしている。
○全日本仏教会は、震災後、脱原発の宣言文を出した。宗教・宗派を超えて宗教家同士が寄り添う動きもある。また、「宗教臨床師」という資格も整備されている。
○仏教では、ブッダによる『法句経』(ダンマパダ)がすべてのオリジンである。
○(壷井さんたちの取材)震災により生まれ育った場所を離れざるを得なかった人たちが、何人も自殺している。このことを取材していたはずのNHK・ETV特集『住民帰還~福島・楢葉町 模索の日々』でも、触れられていなかった。また、東京新聞が特集した「震災関連死」でも、十分には捉えられていない。

特定の宗教を心に持たないわたしではあるが、現在の仏教のあり方や、宗派を超えて連携する宗教家というあり方には新鮮な驚きを覚えた。カルマや縁起思想は、「天罰」論への明快なひとつの反論になっている(高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』と同様に)。

「真実」と大上段に構えないとしても、実態の話に触れるためにも、ぜひこの場に足を運んでほしい。対談やイベントは今後も予定されている。また、その他の日でも、Nuisance Galerieはなんと夜の24時まで開いており、壷井明さんの作品をじっくりと観ることができる。

●6月20日 ライヴ『唄・息・人間』: 3C123(即興前衛楽団)、壷井明(録音データ使用)、安田哲
●6月27日 島明美『現地から見たFukushima ー現在(いま)ー』
●7月4日 栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパパーン』(8ミリ映画)上映
いずれも18:30から
https://www.facebook.com/events/1636706993211991/

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
三枝充悳『インド仏教思想史』
室謙二『非アメリカを生きる』
末木文美士『日本仏教の可能性』
仏になりたがる理由