原一男『さようならCP』(1972年)を観る。
パンフレット(疾走プロダクションが引っ越したあとの住所判が押されている)、販価400円。
CPとは脳性麻痺を患う者のことを指す。当時、健常者からの認識の外に追いやろうとする意図に抗し、「青い芝の会」が作られたばかりだった。すなわち、健常者がバウンダリーを引き囲い込もうとする社会に対し、強烈なほどに存在証明を突きつけること。本作はその活動を記録したドキュメンタリーであり、原監督のデビュー作でもあるようだ。
『ゆきゆきて神軍』や『全身小説家』など、露悪的とみえるほどの爆弾をこれでもかと社会にぶつけてきた原監督のことでもあり、「客観的」なドキュメンタリーにはとどまっていない。患者たちの動き、喋り、表情を、ひたすらに画面に焼き付ける。それは観る者への挑発でもあって、距離を置いて落ち着いて映画の意図を探ることを許さない。むしろ、この強烈な映像から抜け出そうとする者は(わたしを含め)、自らの歪んだ姿に気付かざるを得ない。
映画の前半に、カンパを呼びかける患者と支援者におカネを渡す者たちへのインタビューが収録されている。健常者が上に立つことを前提としたパターナリズムなどと見てしまうかもしれず、もちろんそのような側面だってあるのだろうが、実のところ、これが観る者に渡された鏡であることに気付いてしまうのだった。