Sightsong

自縄自縛日記

『Number』のカープ対ファイターズ特集

2016-11-09 15:58:09 | スポーツ

ちょっと前には予想もできなかった、カープとファイターズとの日本シリーズ。

25年前にカープが優勝したときはライオンズと日本一を争った。カープの主軸はいまひとつ迫力不足で、4番は西田だったりアレンだったりしたが、そのアレンも4番なのに代打を出されたりした。佐々岡がいいところまでノーヒットピッチングを見せた。川口が大活躍したが、この「ひとりの調子が良い投手を使いまくる」伝統は、その後のスワローズの川崎や岡林にも見られた。北別府は結局日本シリーズでは勝てなかった。懐かしいな。

それにしても、広島にとっては、オバマ大統領が来たりカープが優勝したりと大変な年だったわけである。できれば、カープに勝って欲しかった。

今回ちょうど入院していて、第3戦から4試合をテレビでフル観戦できたのだが、全部ファイターズが勝ってしまった。すべて面白いゲームだった。中でも白眉は黒田博樹が先発した第3戦。黒田の経験値や凄みも、大谷が化け物であることを証明したサヨナラ打もきっと忘れないだろうね。いや~、野球っていいものですね。

そんなわけで、毎年恒例の『Number』日本シリーズ特集号を買ってきて、それぞれのゲームを反芻するように読んでいる(最初にこの雑誌を読んだのは、1989年にジャイアンツがバファローズを破って日本一になったときの特集号だった。表紙は駒田だった)。概ね、カープの采配も選手の動きも、最初の2試合に勝ってしまったために、守りに入ってしまい、その後はカープらしさを見せることができなかったのだとする論調であり、まあそうなのだろうなと思う。ただ黒田がさすがの存在感を見せつけた第3戦で、カープが勝っていたとしたら、またその後の展開は違ったものになったに違いないのだ。結果ありきの言説の限界である。

●参照
『Number』のイーグルス特集(2013年)
『Number』のホームラン特集(2013年)
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集(2013年)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(2012年)
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集(2011年)
『Number』の「決選秘話。」特集(2011年)
『完本 桑田真澄』(2010年)
WBCの不在に気付く来年の春(2009年)
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』(2009年)
『Number』の野茂特集(2008年)


ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』

2016-11-09 07:02:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)を観る。

もちろんジャズ映画の大傑作であり、わたしも繰り返し観てはいるのだが、出演している多くのジャズメンが鬼籍に入り、ますますこの映画は光を増しているようだ。これがDVDで簡単に鑑賞できるなんて幸せ以外のなにものでもないのだ。

映画は、バド・パウエルと、フランス人イラストレイターのフランシス・ポードラとの間の物語をもとにしている。アメリカではバドらの活動がうまくゆかず、パリに演奏の場を移す。そこでは、かれらは伝説的な音楽家として尊敬された。ニューヨークよりもパリだ、というわけなのだった。パリにおいて、バドのファンだったポードラに世話になり、やがてニューヨークに戻るのだが、ほどなく亡くなった。映画はまた、バドに加え、パリからの帰国中に倒れて亡くなったレスター・ヤングにも捧げられている。

映画においてバド的な音楽家を演じているのがデクスター・ゴードンであり、この貫禄や味わいといったら、本職の役者ハダシである。悔いはあるかと訊かれ、ちょっと思案して、「カウント・ベイシーと共演できなかったことだ」と答えるくだりは、デックス本人の発案によるものだったという。

デックスのテナーの演奏も素晴らしい(ソプラノも吹いている)。悠然として、誰にも似ていないほどのレイドバックを見せて、揺るがない音を出している。以前はデックスはイモだと思い嫌っていたのだが、それは実はかれの独特極まりない魅力なのだった。

共演する人たちも凄い。ハービー・ハンコック、ピエール・ミシェロ(デックスがバドらと吹き込んだ『Our Man in Paris』のベーシストでもあった)、ボビー・ハッチャーソン、ジョン・マクラフリン、ビリー・ヒギンズ、フレディ・ハバード、トニー・ウィリアムス、ロン・カーター、シダー・ウォルトン、ウェイン・ショーター。

ところで、Stopforbud』(1962年)は、デンマークを徘徊するバド・パウエルを捉えたドキュメンタリーフィルムだが(『Jazz in Denmark』所収)、そこでは、デックスがナレーションの声を吹き込んでいる。デックスは、「40年頃にクーティ・ウィリアムスのビッグバンドで弾いていたときから、バド・パウエルを見ていたよ。それから、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクらと一緒にビバップをやって・・・イノヴェーターだったよ。マイクに向かって、ジョージ・シアリングは1週間に3000ドルもらえるのに、私は黒人だから最低額なんだ、と呟いていたんだよ。」と思い出を語っている。

そのデックスも、映画では、パリにおいてイノヴェーターと正当に評価されるが、生き残るために必死にならず、クスリもやらず、皆に愛される「調和」のもとでも酒におぼれ、結局はニューヨークに帰ってゆく。バドとデックス、虚と実とが重なり絡み合い、業のようなものを感じさせられてしまう。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド
「3人のボス」のバド・パウエル
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』