岩波ホールで、黄銘正『湾生回家』(2015年)を観る。
「湾生」とは、台湾を故郷として生まれ育った日本人を指す。言うまでもなく、下関条約(1895年)から日本の敗戦(1945年)までの50年間、台湾は日本の植民地支配下にあった(「言うまでもない」ことではないかもしれない。新宿の台湾料理店で、背後のご婦人が、無邪気に「台湾ってどっかの植民地だったんだっけ」と大声で訊いていたことがあった。それほど歴史意識は低くなっている)。従って「湾生」は多く、強制送還された日本人は20万人にも及んだという。中には結婚するなどして台湾に残った人もいた。
このドキュメンタリーに登場する人たちの世代や事情はさまざまだ。ただ、台湾という故郷、また祖先の日本での出生など、自らのルーツを確かめようとする想いに衝き動かされていることは共通している。映画においては、植民地支配という負の歴史は横に置かれ、国境や民族を超えた人と人とのつながりが主に描かれている。
この人たちが、負の歴史を意識していないわけではない。ある人は関連する多数の歴史書を読み、ある人は霧社事件(ウェイ・ダーション『セデック・バレ』で描かれた)のことに言及している。また、ある人は、負の歴史とともに、インフラ整備や秩序の導入という正の歴史も評価すべきだと発言している(もちろん、この種の言説は韓国や東南アジアの支配を糊塗するために使われてきたのではあるが)。この誠実さには、確かに心が動かされる。シニカルに視るべきものではない。
むしろ気になることは、これが受けとめられていく過程において、「語りの留保」がどこかに消え去ってしまっているのではないかということだ。映画が終わったとき、客席からは拍手が起きた。これが、台湾といえばすぐに「親日」だと言いたがる心の有り様と共通しているような気がしてならない。
●参照
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
ウェイ・ダーション『セデック・バレ』
侯孝賢『非情城市』
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-