小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)を観る。
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)の続編ではあるが、描かれた時期は重なっている。前作では、1971年9月16日に行われた第二次強制代執行からはじまり、時間が少し飛んで、1972年3月以降に、滑走路予定地において離着陸を阻止する鉄塔を建設する様子を描いていた。
代執行の日には3人の機動隊員が亡くなるという事件(東峰十字路事件)があった。また、事件直後の10月1日には、青年行動隊のひとりだった三ノ宮文男さんが、「空港をこの地にもってきたものをにくむ」と書き遺し、自死を選んだ。まさに大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)でもわかるように、他のメンバーにも大きく影響を与えることになった。
そのことが前作では言及されておらず不思議に思っていたのだが、本作において描かれていたのだった。
しかし、本作は、死亡事件やその後の捜査や弾圧・抵抗といった過程を、物語的に追ったものとは全く異なっている。すなわち、前作まで程度の差こそあれ、権力と抵抗との衝突が結果としてスペクタクルとなっていたわけだが、その要素は、本作ではほとんど皆無に近い。映画が直接的に与える印象としては地味かもしれないのだが、特徴としては異形とも言えるものだ。
たしかに、東峰十字路事件と三ノ宮さんの自死のあとからはじまる本作の中で、事件は起きている。青年行動隊員が多数逮捕され、傷害や傷害致死などで起訴され(結局東峰十字路事件の犯人は不明で実刑判決はなかった)、機動隊員がこともあろうに三ノ宮さんの家に乗り込み、逮捕された物たちが村に戻ってくる。しかし、映画が見つめるものはその直接の過程ではない。
最初に、三里塚の自然を愛するおじいさんが登場し、旧道の跡や、水の流れや、空港反対運動で起きた村八分のことや、その家の葬儀の様子(土葬が普通だったが遺体を運べないため、現地で火葬したという)なんかを詳しく語る。抵抗運動を「まるで子供のように」熱心に行っている女性が、「子安大名神」に捧げる男根状のものを、大根や芋ふたつで愉しそうに作っている。86歳のおばあさんが、村の昔のことや自分の苦労話を愉しそうに語る―――父親に刀で斬りつけられ、その父親は井戸に身を投げたが死にきれなかった、などという凄惨な話を、淡々と。
そして、映画の多くの時間は、村の集会で皆が思い思いに自分の考えをまとめて話す場面を捉えている。いかに、権力が、警官三人の死を手段として利用し、反対同盟の中に亀裂を入れようとしているか、また、それに抗するためにどうすればよいのか、ということを。驚いてしまうほど本質的な話し合いである。ずっと拘留されて戻ってきた青年行動隊の男は、安堵しながら、「俺ら弱いわけだっぺよ」と、そこを突かれるのだと話したりもしている。(なお、この男の隣で拘留されていた「やくざ」は、木更津の漁業権放棄によりオカネを得て、バクチで豪遊し、リンカーンコンチネンタルに乗っていたのだという。井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』に描かれたように、当時の千葉県にはそのようなこともあった。)
映画は、おばあさんたちが木魚や鐘を叩きながら延々と唱え続ける念仏講の場面で終わり、「このを壊しにくるか」との言葉で締めくくられる。明らかに、小川プロは、政治などの動きそのものよりも、より土着的な足許を見つめていた。ところで、この念仏講はパーカッション音楽としても見事なのだが、小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)を締めくくる、富樫雅彦の素晴らしいパーカッションソロにつながる地下水脈でもあったのかなと思いついたのだが、どうだろう。
●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)