Sightsong

自縄自縛日記

鶴見俊輔『北米体験再考』

2017-10-09 21:58:33 | 北米

鶴見俊輔『北米体験再考』(岩波新書、1971年)を読む。

鶴見は、「かりものの観念による絶対化を排する」という。また、「体験はいつも、完結しないということを特長としてもっている」という。体験の「不完結性・不完全性の自覚をてばなさない」ことが、たとえば、ベトナム戦争に向けられた鶴見の視線を形作っている。

かれは1930年代にアメリカに留学し、無政府主義者と疑われてFBIに拘束されている。そして日米の両国で生活した者として日本の敗戦を迎えている。それらは、変に抽象的・観念的でなく、またシニカルでもなく、現実の断片をもって思考する鶴見の出発点であったにちがいない。

本書には、たとえば、黒人の公民権運動のことが書かれており、実に生々しい。これを通常の通史ととらえるのは間違いなのであり、人間の頭はそれほど自由にできてはいない。鶴見は書いている。北米留学生の中には軍国主義を批判し続けた者もいたが、黒人、先住民、南米諸国民から北米をみる目は育たなかった、と。

また、ゲイリー・スナイダーについても、ある種の驚きをもって、しかし淡々と書き連ねている。なんとこの時代にあって、ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグの『麻薬書簡』を引用してもいるのだ。なんという幅の広さだろう。確かに最初の邦訳は本書刊行に先立つ1966年に出されているようなのだが、『ヤヘ書簡』と訳していることからも、おそらくアメリカで1963年に出されたものを読んで思索のための断片としたのだろう。

鳥瞰図的に構造や立ち位置が解ることを意識した思索ではない。この態度にはあらためて驚かされる。

●鶴見俊輔
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』(1991年)
鶴見俊輔『身ぶりとしての抵抗』(1960-2006年)


ネイト・ウーリー『Battle Pieces 2』

2017-10-09 21:03:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ネイト・ウーリー『Battle Pieces 2』(Relative Pitch Records、2016年)を聴く。

Nate Wooley (tp)
Ingrid Laubrock (sax)
Matt Moran (vib)
Sylvie Courvoisier (p)

『Battle Pieces』(2014年)の続編であり、メンバーも同じ。しかしサウンドから受ける雰囲気はちょっと違う。

前作はまるで暗い小劇場の中で、それぞれのメンバーの音が浮かび上がっていた。本盤にも浮遊感があるのだが、静的なものから動的なものへと進化したような印象を持った。立脚するもののない空中において、メンバー同士が相互に脚を支えあい、まるで特殊な分子構造のような形をとってくるくると回り続けるようである。各人の発する音は近傍に来ると聴こえ、また向こう側へと去ってゆく。しかしときに、マット・モランのヴァイブの響きが全体を覆ったりして。

●ネイト・ウーリー
ハリス・アイゼンスタット『On Parade In Parede』(2016年)
コルサーノ+クルボアジェ+ウーリー『Salt Talk』(2015年)
ネイト・ウーリー+ケン・ヴァンダーマーク『East by Northwest』、『All Directions Home』(2013、15年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
ハリス・アイゼンスタット『Canada Day IV』(2015年)
アイスピック『Amaranth』(2014年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Sit in) The Throne of Friendship』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)


上原ひろみ+エドマール・カスタネーダ『Live in Montreal』

2017-10-09 17:06:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

上原ひろみ+エドマール・カスタネーダ『Live in Montreal』(Telarc、2017年)を聴く。

Hiromi Uehara 上原ひろみ (p)
Edmar Castaneda (harp)

本当は、次にどんな音を出そうかなと試行錯誤するところが見えるような音楽が好きなのだけれど、ここまでスーパーなふたりにそんな好みをあてがうのは筋違いというものである。それに上原ひろみも(生で観たことはないが)、エドマール・カスタネーダも、訓練された腕をもって、実に愉し気に音の数々を繰り出してくる。

したがってどれを聴いても愉快に圧倒されるばかり。個人的な白眉は、ピアソラの「Libertango」か。超有名曲であるだけに、それぞれのアプローチがより人間的に感じられるのだ。

11月に日本公演か。行けるかな。

●エドマール・カスタネーダ
アリ・ホーニグ@Smalls(2015年)
エドマール・カスタネーダ『Live at the Jazz Standard』(2015年)


セロニアス・モンク『The Centennial Edition / Paris 1954』

2017-10-09 13:51:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

セロニアス・モンク『The Centennial Edition / Paris 1954』(Vogue、1954年)を聴く。

Thelonious Monk (p)
Jean-Marie Ingrand (b) (11-16)
Jean-Louis Viale (ds) (11-15)
Probably Gerald "Dave" Pochonet (ds) (16)

かつてVogueから出されていたピアノソロ盤であり、わたしもCDを持っている。そんなわけでああ再発かとスルーしかけたところ、実は、オリジナルの10曲(最初のアナウンスを含む)に加え、ボーナス・トラックが入っている(11-16)。これは放っておくわけにはいかない。

オリジナルのピアノソロが1954年6月4日に演奏されたものであり、今回追加された録音は、パリの別の場所において、現地のベーシスト、ドラマーと一緒に6月1日と3日に演奏されたものである。つまりオルタナティヴ・テイクスではない。モンクの別の名盤『Thelonious Himself』において、「'Round Midnight」の模索過程が追加されたこととは違うのであり、ちょっとがっかりした。

しかしモンクのこの時代の演奏が悪いわけはないのだ。「Well, You Needn't」なんて、オリジナルのほうにはなかった最初の声(曲名を告げる)が入っており、録音も前のCDより良いように聴こえる。またトリオでは展開を模索しているようで、これもまた良い。またオリジナルでは「Hackensack」のみで終わるところが、トリオではそのまま短い「Epistrophy」につながり、訥々と探っているようだ。そして6月3日の1曲だけの「'Round Midnight」は「(incomplete)」と付されているが、やはりこれも模索段階のようであり、長さが2倍の翌日のソロ演奏がスマートで完成されたものに、なおさら聴こえてくる。

●セロニアス・モンク
村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
中平穂積、セロニアス・モンク、渋谷
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
スティーヴ・レイシー『School Days』
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの3枚組
纐纈雅代トリオ@新宿ピットイン
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』
『失望』の新作
「3人のボス」のバド・パウエル
『Interpretations of Monk』
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』、ジミー・ハルペリンとの『Monk Dreams』
ジョン・チカイ『In Monk's Mood』


クレイグ・ペデルセン+中村としまる@Ftarri

2017-10-09 11:12:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにおいて、クレイグ・ペデルセンと中村としまるとのデュオ(2017/10/8)。

Craig Pedersen (tp)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)

クレイグさんのトランペット表現は実に幅広い。ミュートを使い多彩な音を試すとともに、そのミュートをトランペットに当てて金属音を発する。心臓の鼓動と同調するような音もある。

中村としまるさんがサウンドの上位に立つとピークを目指す音も、突如として止まることも、ひとつひとつが事件となる。そのような中で、クレイグさんはマウスピースを外して息だけを管で増幅させ、ピストンを分解してトランペットを金属管に過ぎないものに変貌させたりもした。そしてガス欠のように演奏が終了。

セカンドセット。クレイグさんは口笛のようにトランペットを吹き(!)、中村さんのドラマチックにも感じるドローンとシンクロした。またしてもサウンドを急停止させる「事件」の数々、隣で朗々としたトランペット。悪夢のようでもある。かれらの音は自律し自走をはじめ、止めようもないグルーヴを形成した。クレイグさんはタオルでマウスピースを擦る音を増幅させ、中村さんは電子を泡立たせた。音は自律と暴走との狭間にあって、冷や冷やする瞬間が多かった。これを愉しめばスリルである。

クレイグさんの相方のエリザベス・ミラーさんとも、OTOOTOのおふたりともおしゃべりができて愉しかった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●クレイグ・ペデルセン
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラーの3枚(2016-17年)

●中村としまる
広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri(2017年)
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)


翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F

2017-10-09 09:34:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

大泉学園のin Fに足を運んだ(2017/10/8)。ずいぶん久しぶり、菊地雅章のソロピアノを観て以来ではなかろうか。そして翠川敬基の演奏に接するのもここで故・井上敬三さんとのデュオを観て以来。

Keiki Midorikawa 翠川敬基 (cello)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

名前一瞥で仰天の弦トリオ。MCは喜多さんが担当した。齋藤徹さんも順調に恢復されている様子で何よりである。去年の今頃はテツさんもわたしも入院前で、それを思い出すと感無量。

ファーストセット。「Tres」(翠川)、弓弾きを慎重に重ねてゆく。テツさんの指弾き、喜多さんの速い繰り返しを経て、また重ね合わさるときには常にはじまりだという感覚がある。「Gumbo Soup」(翠川)ではテツさんの奇妙なイントロからはじまる。前の曲とは異なり、静の重なりではなく動の重なりのようだ。「Haze」(富樫雅彦)、擦れから盛り上がりまでの振幅が大きい。弓により共鳴しきる響きが三者三様のアーチを描き、空中で見事に交差した。「Wishing」(富樫)では3人の重層的な音、その中でも富樫雅彦らしい美しいメロディを翠川さんが弾き、テツさんが指で並走し、喜多さんが震えを表現した。翠川さんはオーネット・コールマンの「Lonely Woman」を引用した。大きな羽根がやはり空中で交差し合い、ユニゾンでは哀しみが創出された。

セカンドセット。「Invitation」(齋藤)では、コントラバスの官能がチェロとヴァイオリンにも波及し、この共振ぶりといったらない。「Valencia」(富樫)では喜多さんが震えながら旋律を奏で、そして3者が重なり合うと無防備な感情の昂りを覚える。演奏は軌道に乗り、喜多さんによる流れ星の音とテツさんのアルコが中心の翠川さんのもとに吸い込まれていくように思えた。「Bisque」(翠川)。テンポも音域も3つに分かれる、これを耳で追従することの快感がある。喜多さんが指でチロリと付けたアクセントが印象的だった。「あの日」(翠川)。さまざまな音がやはり中心に座る翠川さんのほうに収斂してゆく。テツさんの滑らかな弓弾きがドラマチックだ。最後は3人ともに地を震わせた。

来てよかった。 

Fuji X-E2、XF60mmF2.4 

●翠川敬基
1999年、井上敬三(1999年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)

●齋藤徹
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●喜多直毅
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(2016年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)