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自縄自縛日記

下嶋哲朗『平和は「退屈」ですか』

2015-06-20 20:36:57 | 沖縄

下嶋哲朗『平和は「退屈」ですか 元ひめゆり学徒と若者たちの五〇〇日』(岩波現代文庫、2006/15年)を読む。

1945年1月、沖縄県庁は、沖縄守備軍第32軍と折衝して、おそるべき決定をくだした。すなわち、米軍上陸に備えて、女学生に対して看護婦訓練を実施し、また動員に際して学徒の身分を軍属とすることを。すでに「本土」を護るための「捨て石」として扱われていたことを考えれば、これは国家による若者の犠牲の強制に他ならない。このことを、著者は、「青春の大量虐殺」と表現する。

こうして1月よりひめゆり学園を含む女学生に看護婦教育が行われ、3月、彼女たちは不帰の道と知らず看護要員として配属されていった。また、同様に男子については、通信教育(部隊間の伝令)が行われ、通信隊として動員された。以下を含め、男子1489名、女子414名、合計1903名が戦死したという。これは学徒動員に限った数である。

ひめゆり学園 222名中123名戦死
首里高女 61名中33名戦死
沖縄師範 386名中226名戦死
沖縄県立第一中 254名中171名戦死
沖縄県立第二中 140名中115名戦死
県立水産学校 48名中31名戦死
県立工業学校 97名中88名戦死

運よく生き残った「ひめゆり学徒」の一部の方々は、戦後、「語り部」として体験を語り伝えてこられた。しかし、次第に戦争は遠いものになり、戦争の実態を記憶する方々は少なくなってきている。それに伴って、平和学習を受ける若者たちから「リアル館」が稀薄なものになってきた(もちろん若者に限らない)。「戦争のリアリティ」「実体験のリアリティ」に対し少しでも想像力を働かせれば、心ない言動をすることはないはずだ、と考えるのは、おそらく理屈に過ぎないのだろう。

本書には、ではどのように語り継いでいけばよいのか、どのように「向戦派」に抗していけばよいのか、どのように「リアル」を再生すればよいのか、模索したプロセスと成果が書かれている。

「記憶」とは、「思い出す」だけではないこと。歴史とは、能動的に知ろうとしなければ理解し得ないこと。歴史への無関心が、日本の政治に対する無関心を生んでいること。辺野古も、沖縄戦と地続きであること。

●参照
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会(2011年)(上江田さんは元「ひめゆり学徒」)
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」(2011年)(上江田さんも参加)
沖縄「集団自決」問題(9) 教科書検定意見撤回を求める総決起集会(2007年)(上江田さんの講演)
今井正『ひめゆりの塔』
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位


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