Sightsong

自縄自縛日記

パット・マルティーノのウェス・モンゴメリー集

2009-03-14 13:44:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

いまのところ、パット・マルティーノの最新作というと、ウェス・モンゴメリーへのトリビュート作である『remember』(BLUE NOTE、2006年)だ。そういえば聴きのがしていたと思い出し、最近取り寄せた。

まったくタイプの異なるギタリストであり、サプライズ企画の感もある。共通点は楽器と、ウルトラテクニックを持っていることくらいではないか。ジャケットでは、ウェスっぽく白いワイシャツに細いネクタイで決めているが、ぜんぜん体格が違う。

聴いてみると、夢中になって何度も繰り返してしまうほどの出来だ。ウェスが得意にした、隣のオクターブの同じ音をユニゾンで弾くオクターブ奏法なんかも使っていたりして、真剣にウェスに捧げている雰囲気がある。これまでに何度聴いたかわからない『Full House』(RIVERSIDE、1962年)のタイトル曲では、ジョニー・グリフィンに相当するサックスは入っていないが、それに迫るほどのカッコいい演奏。ほかにも「Four on Six」や「West Coast Blues」などウェスの定番が並ぶ。

ただ、マルティーノほどの個性的なギタリストであるから、いつの間にか変態的に空間を埋め尽くす演奏になっているのが笑える。このうねうねした演奏を聴くたびに、神々がびっしりと壁面を埋める「空間恐怖」とでも言うべきヒンドゥー寺院が頭に浮かぶ。マルティーノの東洋趣味のことも影響しているのかもしれないが。それに、ウェスの方は「名人の太い筆による書道」のようであり、同じ曲を聴き比べるとなおさら個性の違いが際立ってくる。


コロンボのヒンドゥー寺院(1997年) Pentax ME Super、FA 28mmF2.8、Provia 100、ダイレクトプリント


コロンボのヒンドゥー寺院(1997年) Pentax ME Super、FA 28mmF2.8、Provia 100、ダイレクトプリント

マルティーノのオリエンタリズム・ジャケットといえば、『East!』(Prestige、1968年)がある。なかでも、コルトレーンの曲「Lazy Bird」が彼の演奏のなかで私の一番のお気に入りなのだ。90年代後半、何年だったかに、ブルーノート東京にマルティーノの演奏を聴きにいった。張り切って真ん前のかぶりつきで、ギターを弾く指をずっと凝視していた。どうしてもサインがほしくて、共演のエリック・アレキサンダーをつかまえて楽屋に入れてもらったという、アレキサンダーのファンが聞いたら怒りそうな話。


ロバータ・フラックとヴォン・フリーマンの「The First Time Ever I Saw Your Face」

2009-03-10 14:55:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロバータ・フラックが初アルバム『FIRST TAKE』(Atlantic、1969年)の中で歌い、ピアノを弾いている「The First Time Ever I Saw Your Face」は良い曲だ。メロディはさほど劇的に変化するわけでなく、ロバータも抑えた感じに歌っているが、それがまた効果的なのだ。歌詞はというと、「月や星ぼしは貴方のくれたキスだった」だの「太陽が貴方の眼から昇るように思った」だの、でろでろに甘くてまともに聴いていられないものだが、これはまあどうでもいいことである。ロン・カーターのベースは存在感があるような仕立てで、ジョン・ピザレリのギターが寄り添うのも良い雰囲気だ。

この曲、実は映画『PLAY MISTY FOR ME(恐怖のメロディ)』(クリント・イーストウッド、1971年)の中で使われ、その後にシングル・カットされて全米1位のヒットになったものだ。ついジャズ好きは「Misty」ばかりに気を取られてしまう。何しろクリント・イーストウッドのファンだったので当然観たが、あまりにも怖くてもう二度と観たくない作品である。

『SONG TO SOUL』というBS-iの番組(>> リンク)では、毎回ある曲をとりあげてそれにまつわるエピソードなんかを紹介している。ロバータの「Killing Me Softly(やさしく歌って)」を特集した回では、この「The First Time Ever I Saw Your Face」についても話題にのぼっていた。ロバータがクインシー・ジョーンズと組んだコンサートでアンコールが連発し、もう歌う曲がなくなった。「The First Time・・・」をもういちどやろうか、と提案したところ、クインシーは「何か別のものをやろう」と答えた。それで、ロバータがカバーしようと心に練っていた「Killing Me Softly」を歌いはじめたのだ、ということである。もともとこの曲を歌っていたシンガーソングライターのロリ・リーバーマンは、その後、カーラジオでロバータが歌うのを聴き、仰天し喜んだという。著作権などが大らかな時代ならでの話だろうか。

ところで、「The First Time・・・」の邦題は「愛は面影の中に」であり、まるで昔何本かあった映画のタイトルのようだ。「貴方の顔をはじめて見たとき」のほうが直球勝負(WBC開催中なのでついそのような表現になる)で良いじゃないか。「やさしく歌って」だって「やさしく殺して」の方がコントラストあるタイトルになるし、『恐怖のメロディ』も『私のためにミスティを』(ラジオDJへのリクエスト)の方が独自性があると思うのだがどうか。

ジャズ方面では、シカゴの大物テナーサックス奏者ヴォン・フリーマンが、1972年にこの曲をカバーしている(『DOIN' IT RIGHT NOW』、Atlantic、1972年)。ロバータの演奏とは随分違って、ジョン・ヤングのピアノは跳ね回るし、サム・ジョーンズ(ベース)とジミー・コブ(ドラムス)はもう堂々とフォービートを押し出してくる。何より、独特のアクのあるヴォンの音色と、どこに連れて行くのだろうという勢いがたまらなく良いのだ。

アルバムは、何とあのラサーン・ローランド・カークが尽力し、プロデュースしている。ヴォン本人も、「ラサーンに捧ぐ」と書いている。こういった雰囲気ムンムンの演奏を聴くと、息子のチコ・フリーマンは演奏がいつまでも端正で親父の魅力には叶わないなと思うのだった(実は、チコのファンなのだが・・・)。カークが生きていたら、チコのアルバムを出そうと考えただろうか?

●参照
チコ・フリーマンの16年
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
最近のチコ・フリーマン


『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)

2009-03-08 11:04:42 | 環境・自然

「生活クラブ生協」会員向けの映画上映・講演に家族で行ってきた。ここは『本の花束』という機関紙で、骨太な本、良い本の共同購入や書評掲載をしている。わが家でも時々利用していて、最近では、ちあきなおみやスティービー・ワンダーのCDなんかも買った。

●映画『核分裂過程』

『核分裂過程 SPALTPROZESSE』(ベルトラム・フェアラーク/クラウス・シュトリーゲル、1987年)の上映があった。

ドイツ南部のバイエルン州・ヴァッカースドルフにおいて、1985年、使用済み核燃料再処理工場の建設が計画された。翌年のチェルノブイリ原発事故の影響はヨーロッパでも大問題になり、それも相まって、地元軽視の計画押し付けに対する反発が強まった。

当初は「暴徒」と政府やメディアに烙印を押された外部の人たちが運動の中心だったが、次第に、地元の一般の人たちが反抗に大きく加わっていく。映画では、プロパガンダ的な政治家の演説やニュースと、至極真っ当な怒りを示す人たちの発言や行動とを交互に写し、このあたりのコントラストをよく浮かび上がらせている。

映画本編が撮影されたあとの1989年、建設計画は中止となる。直接の理由は「経済的理由」と公表されたが、実際には、反対運動そのものや、その効果により放射能の基準が強化されたことが、計画の中止をもたらしたと評価されているようである。

現在の日本の状況に照らしてみれば、反抗する対象が明らかにされず、計画を隠蔽したり歪曲したりする方法が採られているという点が随分と異なっているのではないかと感じた。

○映画のHP >> リンク

●菊川慶子さんの講演

菊川さんは生まれ育った六ヶ所村に移住し、再処理工場に反対しながら、いまでは、再生可能エネルギーや農業を組み合わせた「花とハーブの里」を主宰している。

○いま、六ヶ所村に建設中の再処理工場は試運転が止まっており、ガラス固化ができない状況である。遠隔操作で修理を続けているが、処理対象の高レベル放射性廃棄物は廃液のまま置かれている。地震などで電源が止まることへの対策(予備電源等)はなされていない。ひたすら危険な状況だ。
○ガラスの溶融炉は寿命が5年だがもう2年が経過した。経済産業省は、改良型を2012年までに導入すると公表している。そこまでに計画が止まればよい。
○再処理後のウラン濃縮工場では、7つの遠心分離機のうち6つに問題があり止っている。
○そのような状況なので、処理対象の低レベル廃棄物は予定よりぐっと少ない量が入ってきている。
○六ヶ所村は農家が中心で、仕事が少なく、昔は電気のない生活をしていた。
○1969年、新全総に基づき、むつ小川原開発が公表された。土地の買占めだけが進んだ。勿論反対派あったが、オカネのない村はオカネで土地を売った。しかし企業は来ずに計画は破綻した。そこに1983年、核燃施設の計画が持ち込まれた。
○確かにオカネは入ってきて生活が楽になった。しかし、原子力特有の問題があるとは当時知らなかった。
○1986年にチェルノブイリ事故があり、それを機に、岐阜での田舎暮らしをやめ、家族ぐるみで六ヶ所村に帰った。家族みんなで反対の情報誌を作り、全戸配布したりした。子育て、両親の介護、自分の身体など大変だった。
○2008年、「花とハーブの里」の合同会社を立ち上げた。チューリップ祭り、ルバーブ(蕗のようなハーブ)のジャム作りなどをしている。これを地場産業として育て、理想論としてではなく、核燃に頼らなくても生きていけるようにしたい。オカネを六ヶ所村に呼び込む仕組をつくらなければならない。
○鎌仲ひとみさんの映画のおかげで、今まで以上に多くのひとに六ヶ所村の問題を気付いてもらえた。
○これは子どもたちが生き残れない環境・社会になるという問題。
○映画『核分裂過程』では、反対する地元住民が、「暴徒」のことを「普通の人たちじゃないと思っていた」と言うシーンがある。同じような状況が六ヶ所村にもあった。

●鎌田慧さんの講演

直に話を聴いてみたかった鎌田さんは、予想通り、思いと情報が湧き出るようなひとだった。

○一般の六ヶ所村の人々は、危機感を感じないように、考えないようにしているようにおもわれる。菊川さんがここまで粘るとはおもわなかった。他にも、全戸移転した集落にひとりだけ残る小泉金吾さんなど、根性の座った人たちによって運動が支えられている。
○この事業は、一旦決めたらやるという国策事業というだけである。戦艦大和の玉砕主義と同根のものであり、生活や人のいのちのことは考えていない。
○六ヶ所村だけでなく、下北半島が原子力半島になっていく。このように集中していいのか。
○再処理工場、低レベル廃棄物の保存施設、ウラン濃縮工場が「3点セット」となり、受け入れればオカネが入るという構造だった。実際には高レベル廃棄物やMOX燃料などに関連するものもぞろぞろ付いてくるのであり、3点セットではなくなる。
○日本の別の原子力発電で話をすると、「廃棄物は六ヶ所村に持って行くので大丈夫です」などと言われる。そのたびに、「自分も青森の出身ですが」と答えるようにしている。そのように、六ヶ所村が自分たちの社会の外にあるかのような意識がある。
○菊川さんの話では、むつ小川原開発計画がその後核燃計画になったような形だ。しかし実際には、1968年のマスタープラン(県の委託事業)において、もともと核燃計画が書かれていた。このことは、著書『六ヶ所村の記録』にも書いた。NHKの番組では、知事が計画を隠したのだということを示した。しかし、なぜか問題とならない。
○はじめは確かに開発=地域の発展、と捉えられ、村民は期待していた。だから原子力のことは隠されたし、そもそも当時原子力に対する反対もさほどなかった。
○下北半島、六ヶ所村の北にある東通村では、東京電力と東北電力が原発20基分の用地買収をしている。いまは1基しかない。あと19基分を何に使うのか。
○さらに北のむつ市では、西松建設が用地買収をしており、すでにアクセス道路などの準備工事を進めている。つまり、認可を受けるという確たる見通しがあるからだ。ここの中間貯蔵施設は、イメージを良くするために「リサイクル施設」などと称している。
○さらに北、下北半島の先端にある大間町の大間原発(電源開発)でも準備工事が始まっている。ここでは、海を汚したくないという思いからひとりだけ土地を売らなかった母親から受け継ぎ、小笠原厚子さんがログハウスで生活している。炉心予定地であったから、設計変更がなされた。辿りつく道だけが保証されていて、まわりは金網。
○計画当初は、六ヶ所村が30万都市になるという前提での、高層ビル、新幹線、ヘリなどが描かれたイラストもあった。その幻想をもとに、村会議員が不動産屋の手代・子分になり土地を売って歩き、それを次の選挙の資金にした。オカネが人心を落とさせる落とし穴となって、生活のところが虚妄な夢に奪われていった。
○当時、米の品種改良が進んでおらず、<やませ>が吹く土地ゆえ水田がなかなか成立しなかった。また70年代からの減反政策も相まって、農業に希望が持てなくなった。これが、土地を売った原因のひとつだった。誰も再処理に賛成して土地を売ったのではない。
○このように、計画自体や危険性に蓋をするやり方は民主主義の対極にあるものだ。
○日本の他の原発予定地・立地場所でも同じような状況がある。愛媛の伊方では、町長が、将来のことは将来のひとが考えると発言した。また、自分の碑をつくってほしいと働きかけた。次の選挙に勝てばよいという考えだった。
○また山口の上関では、予定地の神社の神主が土地買収に反対していたが、地元の氏子たちがオカネほしさに神主をクビにしてしまった。このひとは裁判の途中に亡くなった。まさに原発に殺されたといってよい。
○六ヶ所村の寺下村長は、反対して一期だけしか選ばれなかった。当時、原発に関して「一票3万円」などといわれていた。選挙に負けるのは当然だ。
<30万都市>に煽られてオカネをもらった<生活>のイメージは何かということだ。その後事業に成功したひとも、失敗したひともいる。

●鎌仲ひとみさんの講演

鎌仲さんは、『六ヶ所村ラプソディー』を撮った映像作家。いまは、上関を舞台にした『ミツバチの羽音と地球の回転』を制作している。

○『六ヶ所村ラプソディー』を完成させて丸3年になる。そのために2年間六ヶ所村に通った。菊川さんの協力なしには完成しなかった。
○六ヶ所村が多くのひとに注目されたのはいいが、アポなしで大勢が詰めかけて混乱した。いまは、その波が上関の祝島に押し寄せて困っている。行く際には連絡してほしい。
○原子力に関して、メディアが、クリーンエネルギーだとか、この生活に必須なものだとかいう宣伝を、莫大なオカネをかけて行った。
○六ヶ所村の再処理工場では、ガラス固化ができない状況のため、高レベル廃液が小学校のプール一杯ある。冷やさないと爆発するものでもあり、実はいま極めて危険な状況にある。また、直下に活断層がある。
○六ヶ所村に集まった核廃棄物は日本中の原発55基から集められたものだ。その意味で、「六ヶ所村問題」ではなく、自分たちが当事者の「日本問題」だ。
○祝島近辺は、「海底から雨が降る」と言われるような、淡水が海底から噴出し、その条件で育つ稀少な海草が黄色い花を咲かせている。また、スナメリという小型の鯨や、カンムリウミスズメなど貴重な動物もいる。しかし、事業主自らが行う環境アセスメントでは、「いない」ことにされている。
○上関では、漁業権放棄に伴い漁業組合が得た62億円のうち5億円が、勝手に、祝島の漁業組合に振り込まれた。これは組合長が送り返した。このように利害関係の対立を地元で生み出してしまっている。対立している当事者間に対話はない。
○映画は10万人も観ていない。テレビならもっと多くのひとが見るはずだが、利権などがあり、マスメディアが報道しない。
○私たちは六ヶ所村や祝島とのつながりを断ち切った上で、マスメディアから情報の断片をもらうのみだ。本当のところは、無関心によって断ち切られた部分をつなげる作業をしなければならない。

○『ミツバチの羽音と地球の回転』 >> リンク


『オーストラリア』と『OOTTHEROONGOO』

2009-03-07 00:21:52 | オーストラリア

今週ずっと中国に居た。北京行きの飛行機では、『オーストラリア』(バズ・ラーマン、2008年)を観ることができた。吊り広告なんかでは大画面で云々と謳ってあるが、その対極にある極小画面である(笑)。学生のころ14型のテレビで『アラビアのロレンス』を観て、劇場でなければ意味がなさそうだと思った記憶があるが、これもそんなところだ。しかし、感動もの大作で感動させられることほど悔しいことはないので、これでいいのだ。

ニコール・キッドマンはオーストラリア出身で、昔、子役として登場した『BMXアドベンチャー』(1983年)というオーストラリア映画を観たことがある(たしか『ネバーエンディング・ストーリー』との2本立てだったような気が・・・)。あれももういちど確かめてみたい。当たり前だが、何しろ当時、ニコール・キッドマンだと意識していなかったから。

商売映画であり飽きずに3時間弱を楽しんだが、映画の匂いのようなものはこれぽっちもない。ご都合主義のお話は馬鹿馬鹿しいの一言だ。それでも見所はある。日本軍によるダーウィン空爆、戦中頃もまだ居た牛追いの様子、それからアボリジニの抑圧政策である。

オーストラリア政府は、アボリジニや混血の子どもを親から強制的に引き離し、白人のもとで育てるという信じ難い政策を1970年頃まで行っていた。この映画でも、子どもの存在を嗅ぎつけた警察官が来るたびに、風力により汲み上げた水のタンクに慌てて隠れるという設定になっている。なお、現ラッド首相は、就任早々の2008年2月、その政策に対する謝罪(ソーリー・スピーチ)を行っている。

映画では、苦労して生きてきたことを物語として紡いでいき、家族や人と人との結びつきにしていくことの大事さを説いていた。そのメッセージはともかく、家族から引き離されることによる大きな歪みが、新たな物語を生んでいるのだろうなと思い出したのが、ジュリー・ドーリング『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』(PICAでの展示、2008年)だ。

1969年生まれのジュリーの祖母モリーは、12歳のとき、妹ドットとともに親から引き離され、孤児院に入れられてしまう。モリーの母メアリーは抗ったものの抑えつけられどうにもならなかった。モリーは、他の9人の混血児たちと、21歳まで孤児院の洗い場で働かされた。その間、孤児院はモリーの出生地のことを恥じるように仕向けた。本来の出生やルーツに関するイデオロギーを自覚したのは、家族のなかではジュリーがはじめてだったという。そして、祖母が生まれた土地に旅し、映像作品としたのが、この『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』ということになる。この3スクリーンへの映写作品の素晴らしさは、何度思い出しても増幅される一方だ。日本のどこかの美術館かギャラリーでも呼んでほしい。

●参照
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、それからジュリー・ドーリング(ジュリー・ドーリングのPICAでの展示)
キャンベラの散歩30年以上も座り込みを続けているアボリジニの「テント・エンバシー」


『地域福祉の国際比較』を読む

2009-03-01 11:56:27 | 政治

インターネット新聞JANJANに、井岡勉・埋橋孝文『地域福祉の国際比較』(現代図書、2009年)の感想を寄稿した。

>> 『地域福祉の国際比較』の感想

 本書は、韓国、日本、英国、スウェーデン、オランダにおける地域福祉の姿をそれぞれ詳述し、比較を試みたものだ。しかし、各国の枠組に関する経緯や事実を詰め込みすぎて、どれが実効的な政策なのか、どれが建前に過ぎない政策なのか、わかりにくいことは否定できない。研究者ではなく市民にとっては、ケーススタディから特徴をつかんでいく方法でなければ、自分たちの社会を改善するためのツールにはなりにくい。

 それでも、通読しておぼろげに把握できたことがある。福祉という言葉が持つ意味、そして地域レベルの声を政策として吸い上げることの枠組が、国により大きく異なることだ。それらの違いを意識しないで、今後の福祉政策について考える場合、気がつかない偏りをもたらしてしまう恐れがあるのではないか。

 福祉国家としてとりあげられることが多いスウェーデンだが、日本や韓国の状況と比べるとその特徴が明らかになるようだ。日韓においては、個人の自立や家族・地域の互助に福祉自体が依存した形となってしまい、住民負担の増大と相まって、特に都市域での孤立や貧困などの歪みをもたらしているとされる。これに対し、公的責任・負担に重きが置かれ続けるスウェーデンの姿が際立つわけだ。

 もちろん、税制の違いはあるだろう。しかし、1人当たり国民所得(2004年)が日本2.9万ドル、スウェーデン3.5万ドルであるのに対し、1人当たり家計最終消費支出(2002年)は日本が1.7万ドル、スウェーデンが1.3万ドルと大小が逆転し、その差は相当に大きくなる。格差、労働時間、住宅事情などを含め、生活基盤の違いを抜きにして、北欧モデルを幻影のように掲げ、高福祉化のために消費税が必要だとする議論には陥穽があるのだ、ということが実感できる例である。

 地域の声をどのように政策に反映していくのかについても、日本の微温的な姿が浮かび上がってくる。自治会(町内会)は任意団体であり、自治体の政策に連動した面には乏しいと言ってよいだろう。また、実現してもらいたいことがあれば、議員に依頼するということは半ば常識化している。これが、有権者として住民の意思を伝える場が発達せず、生活の延長としての政治参加意識が低くなる一因となっているようにも思える。

 一方、例えば英国には、自治会と同程度の規模のパリッシュという自治体が存在し、議会における住民の参加が可能となっている。そしてこれが、ボトムアップ型の政策決定の出発点となっているのであり、自治体合併により住民と政府との距離がさらに遠のいた感のある日本との様相の違いとなる。

 ただ、こういった彼我の違いをもとに、何々型の社会を目指すといった目標を掲げることのみでは不充分だろう。あくまで自分たちの社会を見据え、住民ひとりひとりの声を政策に反映するための方法を具体的に提案していくことが重要なのである。本書に散りばめられた他国の事例は、そのための「気付き」の材料として捉えられるべきものだ。

◇ ◇ ◇

増税や年金も含め、福祉対策が錦の御旗のようにされ、その実は歪んだ政策が進められていることへのハラダチが読んだ理由のひとつだ。それに加え、地域という面では、日本の自治会(町内会)の存在意義についても考えさせてくれる。私も以前は、作って欲しい道やコミュニティバスを実現してもらうために町内会でワーワー言っていたが、そんなことでもなければ、普段は何ということもない場になってしまっているから・・・。

●余談
ところで、地域自治が疎かにされている実例として、沖縄・辺野古の新基地建設を目的に地元にカネが撒かれた際に、地域のものでない公民館(区ではなく市のもの)が建設された話を思い出した。

>> 浦島悦子『島の未来へ』