Sightsong

自縄自縛日記

天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集

2009-06-13 13:22:21 | 環境・自然

いままで斜め読みしかしていなかった、天野礼子『ダムと日本』(岩波新書、2001年)をあらためて読んだ。ダムの歴史や問題を体系的に整理したものではなく、長良川などでの反対や欧米の脱ダムの動きなど、著者自身の活動に沿った書き方になっている。そして、これまで漁業組合をカネや圧力で取り込んできたこと、公共事業について妥当な判断ができなかったために社会党が凋落したことなどを読み取ることができる。

現在では、多くの場合、日本における新たなダム建設の目的とされてきた治水・利水のシナリオが現実と乖離していることや、それが政治や土建業界の利権と密着していることは、半ば常識として浸透している。しかし、実際には未だ、なかなか止まらない事業が存在している。千葉県の森田知事も、知事選の際には曖昧にしていた八ツ場ダムの推進を(やはりというべきか)表明している。「まとも」とは到底思えない根は深い。

本書の後半では、民主党の鳩山代表らを巡る動きが書かれている。そのなかで、「鳩山委員会」は、「緑のダム構想」として、森林での保水機能をダム代替として積極的に評価している。これは民主党のマニフェスト(2007年)(>> リンク)にも、「森林の公益的機能を守るための公共事業(みどりのダム事業)も積極的に進めます。」と残されている。今夏政権交代してからどのように懸案のダムが扱われていくのか注目したい。

ところで、最近は「工場萌え」のブームが「土木萌え」にまで拡がっている。萩原雅紀『ダム DAM』と『ダム2 DAMDAM』(メディアファクトリー)もそのひとつだ。それぞれ、何十ものダムの写真を並べ、審美眼的にのみ評価しているカタログ的な写真集である。

私も仕事上触れることが多いせいか、産業施設は好きであり興味もある。だからこれらの写真集も持っているし、顔がひとつひとつ異なるダムの姿に感心する。必要とされたダムがあることも知っている。しかし一方では、極めてアンバランスな無邪気さ、これにより犠牲になった動植物や海辺や川や人や社会について思いを馳せることは微塵もなさそうだ。

例えば岐阜県・木曽川にある丸山ダム。米国の資金と技術により完成した、日本最初の本格的な大規模ダムである。その米国では、「TVA思想」が破綻し、既に行き過ぎたダム開発を反省した政策を進めている。一方、『ダム2 DAMDAM』では、1983年の台風で下流が洪水を起こしたことを原因として、すぐ下流に新丸山ダムの建設が決定されたことを挙げ、「完成すれば丸山ダムは水没することになる。あまりに厳しいダム界の現実だ。」と述べている。必要性や受益・受苦のことには触れず、まったく別の世界にある鑑賞の対象としているわけだ。

また、アイヌ民族の聖地に強行建設された、北海道・沙流川の二風谷ダム。「激しい反対運動が起こるなどの経緯があったため、なるべく威圧感のないデザインを模索」とし、「その後アイヌの方々とは共存の道を歩み・・・」とまとめている。これは何だろうか。そういえば、最近の『生活と自治』(生活クラブ生協)には、もう土砂が溜まってしまった二風谷ダムの無惨な姿を紹介していた。

2つの視線は決して交錯することはない。


霞が関ビルの映像

2009-06-12 00:32:38 | 関東

汐留の建設産業図書館で、霞が関ビルのドキュメンタリーを2つ借りて観た。記録映画『超高層霞が関ビル』(1968年、企画・鹿島建設、製作・日本技術映画社)と、「ベタ」な『プロジェクトX 霞が関ビル・超高層への果てなき闘い』(2001年放送、NHK)である。

1968年完成、地上36階、高さ147m。いまの水準からみれば全くたいしたことがないし、実際に、これが日本における高層ビルのパイオニアだったとどこかで読むまでは、普通のビルくらいにしか思っていなかった。仕事で使ったことは何度かあるかもしれない。そういえば、ジョン・ゾーンの「マサダ」をここの1階で観たことがある。ただ、当時は、地震対策のことがあり、画期的なものであった。

『超高層霞が関ビル』では、これが如何に工夫を凝らして建設されたものか、誇らしげに語られる。竣工前の最後の資材などは、「第九」がその場で流され、クレーンで吊り上げられたという物々しさ。工期短縮のために分単位の綿密さで下からどんどん組み上げていったこと、工場でできるものはユニットとして予め組んでおいたこと、軽量化のために鉄骨にハニカムの孔を穿ったことなんかがミソのようだ。高いところの足場を鳶職人たちがひょいひょい歩くのは激しく怖ろしい(高所恐怖症なのだ)。

『プロジェクトX』では、ヴェテランの鳶職人がエリートを試すため、高い足場を歩いてくるよう呼びかけたというエピソードがある。もちろん、それによって一体感や信頼感が生まれた、という文脈なのだが、この体育会系のノリが「プロジェクトX」の果てしなく嫌なところだ。だから、これまでろくに観ていない。

しかし、人間ドラマをまじえて達成感を強く感じさせるよう取材されていて、どうだ凄いだろうという宣伝映画の『超高層霞が関ビル』よりも何倍も面白い。鉄骨を組み上げて行く途中、定期的に垂直を確保していることのチェックがなされるのだが、それが朝夕でずれていて、何度も修正している。そこで、陽のあたる面が膨張していた、ということに気がついたのだという。

ところで霞が関ビルは、『ウルトラマン』の第35話「怪獣墓場」にも登場する。地球に落ちてきた怪獣シーボーズが、宇宙に帰りたくて霞が関ビルによじ登るという話である。科学特捜隊のイデ隊員は、確かに、「畜生、日本にたった1つしかない超高層ビルだっていうのに!」と解説風に叫んでいる。

実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』(ちくま文庫、2006年)には撮影当時の話があり、「ぼくが『ウルトラマン』をやった当時、霞が関ビルが出来上がったばかりだった。」とある。この放送は1967年3月12日、霞が関ビルは建設中のはずであり、おそらくは実相寺昭雄の記憶違いだろう。撮影はミニチュアを使って行われている。あまり超高層ビルという印象はなく、『モスラ』で東京タワーに繭ができるほどのインパクトはない。


実相寺昭雄『ウルトラマン誕生』


ミッキー・スピレイン、ジョン・ゾーン

2009-06-10 23:52:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

脳を湿らせようと、ミッキー・スピレイン『縄張りをわたすな』(ハヤカワミステリ、原著1961年)を読む。探偵マイク・ハマーものではなく、ディープという「帰ってきた顔役」を主人公にしている。原題も『THE DEEP』。実際はそんなことはどうでもよくて、そのへんに転がっていた筈だと思って探し出しただけなのだ。

期待を裏切らないくだらなさだ。悪と暴力と義侠心と性、個性的な脇役、少年時代への郷愁、どれを取っても欠けているものはない。ただ、こちらがパルプ・マガジン的なものを読んでも、もはや夢中になることはありえない。何だかつまらないことだ。

まだ30代前半のジョン・ゾーンが「スピレイン的」なものを夢想して作り上げたアルバムが『スピレイン』(NONESUCH、1987年)である。あくまで勝手な想像だが、マフィアやチンピラとは別の位相にあるアンダーグラウンドのオタクであったジョン・ゾーンたちが妄想した成果がこれなのではないか。ただ、ゾーンは「怪物的なオタク」だった。このアルバムも傑作だ。

最初のパート「SPILLANE」は文字通りパルプ的なコラージュ。ゾーンのアルトサックスの小気味良さだけでなく、ビル・フリゼールのギター、アンソニー・コールマンのピアノ・オルガンなど聴き所が多い。そして、マイク・ハマーの台詞をアート・リンゼイが考え(笑)、ジョン・ルーリーが低い声でぼそぼそと呟く。もはや音盤上のコスプレに他ならない、爆笑ものなのだ。

次のパートはムンムンするブルースであり、ゾーンは演奏に加わらない。ギターが晩年のアルバート・コリンズ、オルガンがビッグ・ジョン・パットン、ドラムスがロナルド・シャノン・ジャクソンといった汗臭さ。たまりません。

そして最後のパートが「FORBIDDEN FRUIT」、石原裕次郎の『狂った果実』をネタに作られている。これにもゾーンは演奏参加せず、クロノス・カルテットにクリスチャン・マークレイのターンテーブルが加わり、さらに、あの太田裕美が、「何なんだ!」と突っ込みたくなるような倒錯的な詩を朗読する。最近また「木綿のハンカチーフ」ばかりが懐メロとしてテレビに登場しているが、こんなものも取り上げてみたら面白いだろう。新たな太田裕美ファンが激増することは間違いない。

彼が来る
彼はとても美しい
だから わたしは うまくやれる
待っているわ on the beach

この『スピレイン』にインスパイアされ、ラジオドラマ、さらには舞台劇の音楽として作られたものを集めた作品集が『ザ・ブライブ』(TZADIK、1986年録音、1998年発売)である。仮想的な音盤映画としての『スピレイン』とは異なり、こちらは「サントラ」だ。26曲もの怪しく不穏なイメージを喚起しまくる音楽であり、ターンテーブルのクリスチャン・マークレイの見せ場が多いことは嬉しい。だが、自分の足で立つ異色度という点では『スピレイン』が断然上に思われる。


ジョニー・トー(7) 『ザ・ミッション 非情の掟』

2009-06-09 20:58:11 | 香港

邦題は『ザ・ミッション 非情の掟』(1999年)と野暮ったいが、原題はスタイリッシュな『鎗火 THE MISSION』である。中国製のDVDを入手した(そのためPALフォーマットであり、日本のデッキの規格には合わない)。英語字幕があるので問題ないが、日本語であっても読めないくらい一瞬で字幕が消えることが多く閉口する。

マフィアのボスを護る5人の男の戦いと友情が描かれている。その5人とは、アンソニー・ウォンフランシス・ンラム・シュー、ロイ・チョン、ジャッキー・ロイ。彼らの取りまとめ役がサイモン・ヤム。5人はボスの護衛をこなしていくが、ジャッキー・ロイがボスの妻と関係を持ったことが発覚し、サイモン・ヤムはアンソニー・ウォンに始末を命じる。ミッションを通じて固くなった友情のため、5人はお互いに睨みあう。そしてまずは休戦、円卓を囲んで中華料理を全員で食べる。

こう見ると、大傑作『エグザイル/絆』(2006年)に通じるプロットが多い。やはり5人が友情で結ばれており、上に挙げた5人のうち最初の3人は共通している。サイモン・ヤムは煮ても焼いても食えないような雰囲気を漂わせ、憎憎しい。そして箸を鳴らして「最後の晩餐」が行われる。

腕を丸太のように固く突き伸ばして銃を撃ち続けるのはトー作品に共通する格好よさだ。5人がびしりと銃を構え、広角レンズで捉えた映像からは、それぞれの頂が輝く五芒星を強く喚起させる。気を抜く時間に、丸めた紙をサッカーボールのようにしてパスし合う場面も、『エグザイル/絆』の空き缶へとつながっていく。おそろしいほどの演出の余裕、既にプレ『エグザイル/絆』は提示されていた。

●ジョニー・トー作品
『エグザイル/絆』
『文雀』、『エレクション』
『ブレイキング・ニュース』
『フルタイム・キラー』
『僕は君のために蝶になる』、『スー・チー in ミスター・パーフェクト』
『ターンレフト・ターンライト』


ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後

2009-06-08 22:01:29 | 中東・アフリカ

●『一坪反戦通信』に寄稿した。

書評『コント「お笑い米軍基地」芸人の『お笑い沖縄ガイド』を読む』について、JanJanの5月の編集部長賞をいただいた(>> リンク)。

東京外国語大学主催の研究シンポジウム「30年の後:イラン革命、アフガニスタン侵攻、中東和平・・・・・・ 世界を揺るがした1979年の中東と世界を振り返る」が、6月6、7日の2日間開かれていた(秋葉原UDX)。「中東カフェ」で温暖化について話した縁もあって、折角なのでセッション4「ソ連のアフガニスタン侵攻」を聴きに出かけた。

シンポジウムの意義として、「9.11事件の背後にあるビン・ラディンの出現が、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する米国の政策の結果のひとつであることは、しばしば指摘されますし、現在に続く米国の湾岸政策の試行錯誤は、イラン革命に起源を発します。」とある。自分にとってこれらの出来事は後付けの知識でしかない。しかし1989年の天安門事件、ベルリンの壁崩壊、チャウシェスク処刑などは生々しく記憶にある。いまから20年前と30年前、たった10年の違いしかない。個人史などという些細なものに沿って考えるのでは駄目である。

以下、当日のメモから。

■金成浩(琉球大学) 「米ソ冷戦とアフガニスタン~歴史の教訓としての1979年~」

ソ連崩壊時、短期間ではあるが情報の流出が進み、研究が進んだ。

79年に暗殺されるタラキー革命評議会議長はブレジネフと関係が近かった。ただブレジネフは70年代半ばから重度の血行障害のためリーダーシップをとることができず、ソ連では、グロムイコ(当時外相)、アンドロポフ(当時KGB)、ウスチノフ(当時国防相)らによるアフガン委員会で重要事項を決定していた。ソ連は暗殺前からアミン副議長の不穏な動きを察知しており、KGBはアミン暗殺の準備までしていた。アンドロポフやグロムイコは、アミンが米国寄りの政策を取る可能性を危惧していた。そして12月12日、侵攻を決定する。ソ連側は、SALT2の軍縮路線が破綻することを織り込み済みだった。

一方米国は、79年7月の段階で、カーター政権がアフガン反政府勢力に援助することを決定していた。このことは、ゲーツ現・国防長官(当時CIA)、ブレジンスキー(当時大統領補佐官)の証言でわかっている。つまり、ソ連がアフガンに侵攻したから反政府勢力に支援を決めたわけではない。

アフガンという場で米ソ冷戦が行われた。米国には、ヴェトナムと同様の苦労をソ連に負わせ、あわよくばソ連崩壊に追い込みたいという意図もあった。そしてソ連崩壊後、米国はアフガンに対する関心を低下させ、のちに9.11事件が起きる。すなわち、大国が小国を巻き込んだパワーゲームを行った挙句に見捨てておくと、いずれツケが大国に戻ってくる、という歴史上の教訓として汲み取っていくべきである。

■田中浩一郎(日本エネルギー経済研究所) 「『パンドラの箱』を開けて訪れる『終わりの始まり』」

侵攻が災いの発端であった。今に到るまでアフガンの状況は好転しない。仮に侵攻がなければ、ソ連崩壊も、冷戦終結も、湾岸戦争も、9.11もなかった可能性さえある。「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。

ソ連時代、アフガンの少数民族の意識を意図的に高めた。これは将来の分割統治につなげるためだった。また伝統的な地方単位の統治システムが崩れてしまった。いまは国境管理が脆弱で、パキスタンによる介入などにも弱い。そのパキスタンも、「失敗国家」に向けて歩んでいる。隣接するインドにとっては悪夢だ。―――など、さまざまな国・地域がバランスを崩している。

■山根聡(大阪大学) 「対ソ連戦争直前のアフガニスタンにおけるイスラーム運動」

アフガンにおいて、「ジハード」と一口に言っても、「イスラム的でないもの」として敵対視する対象は共産主義・ソ連であったり、内戦であったり、米国であったりと多様である。もともと、伝統的社会においては宗教的なイデオロギーは入っていなかった。

イスラームの理念を掲げた国家建設を志向するイスラーム主義において、知識人を中心にしたエジプトの影響は大きく、親共産主義政権への批判が強まっていった。西側諸国は、それがジハードであっても、対共産主義であったから黙認した。ソ連が崩壊してその論理は崩れた。

70年代以降、サウジ、クウェート、カタール、カナダなどに多くのアラブ系NGOがつくられ、アフガンを支援している。これらが地道に根を張っていることには注目すべきだ。

―――など。あまり当方に予備知識がないので、これくらいしか記すことができない。金成浩・琉球大学教授の講演がとくに興味深く、著書『アフガン戦争の真実―米ソ冷戦下の小国の悲劇』(NHKブックス、2002年)で勉強しようと探してみたが、すでに品切れになっている。


ミシェル・フーコー『監獄の誕生』

2009-06-06 23:58:19 | 思想・文学

大著、ミシェル・フーコー『監獄の誕生―監視と処罰―』(新潮社、原著1975年)。最近ちびちびと読んでいたのだが、千歳への往復便の機内でようやく読み終えた。ロラン・バルト『表徴の帝国』に「皇居」というキーワードがあるのと同様に、「一望監視施設(パノプティコン)」という印象深いキーワードが独り歩きしているため、わかったつもりになっている古典の典型かもしれない。実際には、そのようなドグマ書ではない。近代の権力支配の変貌が描きだされた傑作である。

18世紀まで、犯罪に対する懲罰は、華々しく残忍な公開処刑、公開拷問であった。そこには、正しい拷問の方法などのコードまで存在していたのであって、専制君主の存在をそのたびに確固たるものにする方法でもあった。見世物としても、相当の人気を博していたという。

「近代の尋問の荒れ狂ったような拷問ではまったくないのであって、古典主義時代のそれは、なるほど残酷ではあるが野蛮ではない。きちんと規定された手続にしたがう規則正しい執行であって、たとえば、拷問の時期・時間、使用される道具類、綱の長さ、重りの重量、楔の数、尋問する司法官の介入の仕方など、こうしたすべては各種の慣行にもとづいて、細心の注意をはらって記号体系(コード)化してある。」

ところが、18世紀後半頃を境に、懲罰のあり方、ひいては監視・支配のあり方がドラスティックに変貌する。その背後にあったヴェクトルが、フーコーによりいくつも、しかも繰り返し仔細に提示される。

総合的な権力神話の創設から、微細かつ連続的な要素から構成される日常的な管理・懲罰への変貌。コード化は、公開懲罰のお作法ではなく、管理される行動・懲罰される行動へと移行するわけである。総合的な判断ではなく要素の組み合わせにより懲罰の程度が一意に定められるため、犯罪者/非犯罪者の二分法ではなく、その間のグラデーションたる<非行>というものが出現する。すなわち、誰もが<非行>なる要素を幾分かは抱え持ち、管理に連続的に組み込まれる。権力は<非行>を作り出す。逆に、従来容認されていた小さな慣行や黙認行為は拘束される。この要素分割は権力支配の形態だが、一方ではフーコーは「知のあり方」をも規定してきたと指摘する。

「行為は諸要素に分解され、身体の、手足の、関節の位置は規定され、一つ一つの動作には方向と広がりと所要時間が指示されて、それらの順序が定められる。時間が身体深くにしみわたるのである。それにともなって権力によるすべての綿密な取締りが。」

行動だけでなく、個人の内面への視線の移行。懲罰を定めるのは、<犯罪>ではなく、内奥の<犯罪性>である。これこそが、規律・訓練を分野横断的に支配的な考えに育てることとなった。犯罪の重さと懲罰の重さは比例せず、監獄ではどの程度社会機能として更正したかが重視される。

「身体ならびに時の流れにかんする政治的技術論のなかに要素として組込まれた鍛錬は、彼岸をめざして高まるのではない。それは完結が絶対におこらない服従強制を目標にしている。」

「完璧な理想社会の夢想をば、好んで思想史家たちは十八世紀の哲学者たちと法学者たちに帰しているが、他方さらに、現実には社会の軍事上の夢も存在したのである。それの関連枠(レファレンス)は自然状態にあったのではなく、一つの機械装置の入念に配属された歯車に存していたのであり、原始的な契約にではなく果てしない強制権に、基本的人権にではなく無限に発展的な訓育に、一般意志にではなく自動的な従順さに存していたのである。」

「一望監視施設(パノプティコン)」が象徴するもの。支配側からのみ一方向的に被支配側を監視することができ、被支配側は個々にお互いの視線に晒される。これが被支配側の相互監視と密告、自ら支配されやすい身体へと化していくことにつながっている。少数者による支配は、<見る>だけで充分なのだ。

既に私たちが得ている規格化(ノーマライゼイション)・監獄化の社会を描き出し、ひとつひとつの指摘や表現が読む者を鈍器で殴る。なぜ鈍器かといえば、次の指摘のように、監獄は社会全体なのであって、ピンポイントの発見ではないからだ。

「監獄が工場や学校や兵営や病院に似かよい、こうしたすべてが監獄に似かよっても何にも不思議ではないのである。」

本書が書かれたのは30年以上前だ。現在、仮に故・フーコーが本書に関して言及するとすれば、メディアという共通意思の醸成装置が、相互監視と自発的な被支配化にどのように働いているか、そして、(その作用の結果かもしれないのだが)公開処刑への逆行に見える現在の罰則について、だろうか。


伴野朗『上海遥かなり』 汪兆銘、天安門事件

2009-06-06 12:36:48 | 中国・台湾

もともと今週は中国に居る予定だった。1989年6月4日の第二次天安門事件から20年後の天安門広場にも足を運ぶことができるかなとも思っていた。ところが例のインフルエンザ騒動で延期にせざるを得ず、なぜか北海道や高松、丸亀に行ったりしている。

高松との往復では、伴野朗『上海遥かなり』(集英社文庫、1992年)を読んだ。面白いので昨晩帰宅してからも読み続けいてたら、疲れていたためソファーでそのまま朝まで寝てしまい、なんだか頭が痛い。

汪兆銘の死を巡るミステリーだ。汪は蒋介石と対立し、日本傀儡政権の南京政府を立ち上げ、敗戦前の1944年に名古屋で病没している。そのために、汪は、中国では「漢奸」とされている。

ここからが伴野の創作となる。実は汪は上海で没していたのではないか、という新説が中国の新聞にコラムとして掲載された。興味を持った日本の新聞記者の上海特派員が探ろうとすると、すべてが「上部」により揉み消され、圧力がかけられていく。背景には保守派と改革派の対立があり、民主化運動に共感を示した胡耀邦が没すると、時代の結節点となる第二次天安門事件に雪崩れ込むことになる。

『上海伝説』と同様、伴野朗の中国史に関する知識が散りばめられていて、とても面白い。話の展開に無理もあるが、これは欠点ではないだろう。天安門事件前後の近代化と公安など旧態との共存が、鄧小平、胡耀邦、趙紫陽らの名前とともに描かれる一方、旧日本軍、汪兆銘、蒋介石、周仏海、藍衣社、CC団などを巡る陰謀工作も同時に描かれている。

それから20年経って、いまだ闇の中にあるものは大きい。急にテレビで「当時の民主化運動がいまでも云々」と浅く短絡的な報道をしているのは、何だか苦々しい。

名古屋大学医学部付属病棟ですでに死を予感した汪兆銘は、妻の陳璧君に、大袈裟な葬式も墓も要らないが、広州の白雲山に梅の樹を植えて欲しいと伝えた。陳璧君は、病棟の横に三本の梅の樹を植えることによってその遺志に応えた。2本が枯れ、1本が残っているという。
(桶谷秀明『昭和精神史』、文春文庫、1993年)

●参照
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』
私の家は山の向こう(テレサ・テン)
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展


天安門(2004年頃), PENTAX ESPIO mini, シンビ200


讃岐の漆芸(3) 玉楮象谷と忘貝香合

2009-06-06 09:29:10 | 中国・四国

北海道に日帰り、1日置いて、四国に日帰り。わりとくたくたである。高松で1時間余裕ができたので、また高松市美術館に足を運んだ。目当ては常設の漆芸、あるに違いないと決め込んで。

200円の常設展は、「愛のかたち ピカソから村上隆まで」と「玉楮象谷と忘貝香合」。いままであまり目にできなかった、江戸時代後期の讃岐漆芸のパイオニア、玉楮象谷の作品がいくつも展示されていた。

特に、「狭貫彫堆黒 松ヶ浦香合」、通称「忘貝香合」について、象谷による3点とフォロアーたちによるものを比較することができ楽しかった。「狭貫」は讃岐、「堆黒」は塗り重ねた黒漆を彫る様式である(「堆朱」は同様に朱漆を彫る)。「恋忘貝」のうたと貝が蓋に彫ってある。貝のエッジやぬめり、蓋まわりの四角い文様の目立ち方など、象谷とほかの作品とで趣味が異なっている。

毎回、漆の質感に目を奪われる。爪を立てたくなる硬さの感覚とてかり、ぬめり。実際に手元に置いて触ってみたい。彫漆でも黒と朱ではずいぶん違う。細かい手の入り具合も凄い。タチアオイの花弁とがくをモチーフにした入れ物などは5年もかけて製作されたとある。

ぎろぎろと見ていると、美術館の方に、子ども向けのパンフをいただいた。「蒟醤」(きんま)、「彫漆」(ちょうしつ)、「存清」(ぞんせい)の技法についてわかりやすく図解してあった。


蒟醤」(きんま)


彫漆」(ちょうしつ)


存清」(ぞんせい)

今回もひとつ覚えで(他の店を探す余裕がない)、「源芳」と「かな泉」でうどんを食べた。東京にこんなうどん屋があったら嬉しいのに。「かな泉」のおみやげうどんを入手して帰った。


「かな泉」の海鮮かきあげうどん

●参照
讃岐の漆芸(1) 讃岐漆芸にみるモダン
讃岐の漆芸(2) 彫漆にみる写実と細密


菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』

2009-06-03 01:02:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉祥寺バウスシアターで「爆音映画祭」という特集をやっていて、何となくプレゼントに応募したら、ポスターをあげますというお知らせ。行かざるを得なくなった。しかし、このポスターどうするのか(笑)。

観たのは、西村潔『ヘアピン・サーカス』(1972年)。謳い文句には、「トヨタ2000GT vs. マツダサバンナRX-3 !!」とある。昔からほとんどクルマに興味がないが、トヨタ2000GTばかりは子どもの頃から格好良いと思っていた。それより格好良いのは、ずっと流れる菊地雅章クインテットの音楽で、70年代の匂いと勢いがたまらない。そういえば、同時代の菊地雅章『ススト』も嫌いではなかった。

メンバーは、菊地雅章(ピアノ、フェンダー・ピアノ)、菊地雅洋(オルガン)、峰厚介(サックス)、鈴木良雄(ベース)、日野元彦(ドラム)、中村よしゆき(ドラム)となっている。映画の中で、いかれた走り屋が入り浸る小屋での演奏シーンがあり、若い峰厚介がソプラノサックスを吹く姿も登場する。

それから、何故か笠井紀美子が、レース中に激突死する主人公のライバルの恋人として出てきて、ほんの一瞬ではあるが歌を唄う。恋人の死後、「お金持と結婚して歌手を辞めた」ことになっており、その後の本人の運命を先取りしたようだ。けだるさを漂わせるのは何とも「雰囲気」だ。

東京の高速や埠頭でのエンジン音がひとつの楽器になる。腹の底から唸るぶろろろろという音が凄まじい。これがクルマの魔力なのだと言われたらわからなくはない。


恐怖の研究→海馬→扁桃体

2009-06-02 02:13:37 | もろもろ

息子がどこかで広告を見つけて行きたいというので、お台場の日本科学未来館に、「恐怖の研究 お化け屋敷で科学する!」という企画展を観に行った。ゆりかもめは値段が高くて揺れて狭くて混むので、門前仲町から都営バスに乗った。

10時会館時に到着すると、長蛇の列ができている。何か別のイベントだろうと思ったら、これだった(笑)。お台場みたいな不便なところのハコモノに何で?フジテレビの宣伝?30分並んでようやく券を買い、15分並んで展示室に入る。ここで苛々したら負けである(何が?)。

展示はお化け屋敷があって、ところどころに脳の働きの解説があるという仕掛け。情報量は少ないが、遊園地ではないので、このくらいで充分である。何でも、外部情報を判断する脳の箇所が「海馬」、そこから情報が伝達され、「扁桃体」という部分が、恐怖を感じて血圧を上げたり脈拍を早くしたりするという。過去の経験や記憶によって、海馬が判断し、すぐに扁桃体にショートカットせず迂回すると、さほど扁桃体は過剰に反応しない。

まったくの門外漢なので新鮮で面白い。帰り道に、池谷裕二・糸井重里『海馬 脳は疲れない』(新潮文庫、2005年)の古本を見つけた。

脳の記憶にとって重要なのは「可塑性」であり、それを海馬がコントロールすること。扁桃体が「好き嫌い」や生理をつかさどるので、逆に扁桃体がうまく刺激されると(腹が減るとか、好きだとか)、海馬の働きが活性化されること。脳は歳をとっても衰えず、いくらでも「べき乗」的に良くなること。むしろ30代以降はアナロジイ的な関係性の構築が盛んであること。海馬の働きを良くするには朝鮮人参が効果的であること(!)。そんなことが書いてある。やればやるほど良いという法則か。

ところで、日本未来館の常設展示をはじめて覗いたが楽しい。子どもにとっては、原理云々よりも愉快というだけだろうが、別にそれで良い。

コントローラーで動く虫の機械にレンズの眼が付いている。隣の部屋がコックピットのようになっていて、中で3D眼鏡をかけて操作すると、自分が小さくなって機械虫の中にいるようだった。