Sightsong

自縄自縛日記

角島

2011-04-09 01:41:55 | 中国・四国

山口県の北西部に角島がある。豊北町は少し前までは豊浦郡に属していたが、合併により下関市の一部となっている。2000年に島まで架けられた角島大橋は、沖縄県の古宇利大橋ができるまで離島への橋として日本一の長さだった。橋の途中に奇妙な形をした鳩島があり目を奪われる。聞いた話では、橋ができてから便利になったが、知らない人がうろうろするので家に鍵を掛けるようになったのだという。

角島の対岸、本州側には、1970年代後半に原子力発電所建設の計画があった。ところが現地住民たちの反対運動により、計画は撤回となっている。その結果、山口県の北西部から南東部に計画がシフトし、上関町に計画されるに至っている。下の写真も、手前の本州側はひょっとすると田畑でなく原発だったかもしれぬ。


角島大橋と角島を望む Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、何かのカラーネガ

響灘も日本海も碧くとても綺麗な海だ。角島西端に立つ古い角島灯台に登ると、海がよく見える。灯台の建設に使われた石は、瀬戸内海に面した周南市・大津島の花崗岩であるらしい。大津島には人間魚雷「回天」の基地跡があるというが、足を運んだことはない。

灯台の下ではイカを焼いて売っており、その脇では、イカをくるくると電気で回転させながら干している。おそらくは干す効率と虫よけのためなのだろう。はじめて目にする器械で、感心して笑ってしまった。海辺では、女性たちがヒジキを拾っていた。

>> 映像(回転イカ干し器)

●参照
○長島と祝島 >> リンク


石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』

2011-04-08 08:34:35 | 環境・自然

『科学』1997年10月号(岩波書店)に、石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』という論文が掲載されている(>> リンク)。地震の想定に関する誤りやそれによる原発事故について論じており、一読すべきものだ。13年以上前の発表である。

論文での指摘は以下の点である。

○日本海側に関しては、断層があろうとなかろうと、M7級の直下型地震がどこでも起こりうる。(その意味で、震災後にまた断層地図が週刊誌に出たりしているが、これは誤解を招くということになる。)
○M8級の東海地震が起きた場合、浜岡は1m程度隆起し、地盤は傾動・変形・破壊する。敷地の地盤高(海抜6m以上)を越える大津波もありうる。
○大地震の際には、平常時の事故と違って、無数の故障の可能性のいくつもが同時多発する。
○原発をめぐる社会的閉塞状況は、破局的敗戦に突き進むほかなかった昭和10年代と酷似している。

特に3番目の点について、次の下りには震撼させられる。

「原発にとって大地震が恐ろしいのは、強烈な地震動による個別的な損傷もさることながら、平常時の事故と違って、無数の故障のいくつもが同時多発することだろう。とくに、ある事故とそのバックアップ機能の事故の同時発生、たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない。したがって想定外の対処を迫られるが、運転員も大地震で身体的・精神的影響を受けているだろうから、対処しきれなくて一挙に大事故に発展する恐れが強い。」
「原子炉が自動停止するというが、制御棒を下から押しこむBWRでは大地震時に挿入できないかもしれず、もし蒸気圧が上がって冷却水の気泡がつぶれたりすれば、核暴走がおこる。そこは切り抜けても、冷却水が失われる多くの可能性があり(事故の実績は多い)、炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される。」

石橋克彦氏は今日発売の『世界』にも寄稿しているようで、これは読まなければなるまい。

●参照
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ) >> リンク
○『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源(2) >> リンク
○長島と祝島 >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク


栗原康『干潟は生きている』 震災で壊滅した蒲生干潟は・・・

2011-04-07 01:31:39 | 環境・自然

栗原康『干潟は生きている』(岩波新書、1980年)を読む。私にとっては、かつて感銘を受けた『有限の生態学』(1975年)の著者だ。

ここで取りあげている干潟とは、仙台の蒲生干潟である。いつか機会を見つけて足を運ぼうと思っていたが、どうやら今度の震災で壊滅したらしい。

>> 河北新報「野鳥の楽園、見る影なく 一帯に砂、復元不能か 蒲生干潟」(2011/4/1)

本書によると、蒲生干潟には日本全国で確認されているシギ、チドリの4分の3程度が毎年やってきて、面積あたりの種類数に関しては群を抜いていた。その要因としては、彼らの餌であるゴカイなどの底生動物が富み、後背地に田んぼや草地などが広がり、その前縁には砂浜、後縁にはアシ原が形成されているなど複雑な環境が挙げられた。

そして、それら要因間の相関関係を実験結果をもとに考察をすすめている。その結果、潟湖を形成する蒲生干潟の中でも、塩分濃度などのなだらかな変化が見られ、そのトーンこそが微妙な生態系のバランスを成立させているというのだった。ここで重要な点は、人間活動の介入を想定に入れているということ(そもそも蒲生干潟が七北田川の河道変更により形成されている)、そして他の世界に開かれた系として評価していることだ。人工干潟の構想を形作りながらも、「微妙なバランスの上に成り立っている生態系を積極的に改善しようとする”外科手術”がいかに困難であるか」とする指摘は、ずっと三番瀬においてなされてきた人工干潟導入の議論にも当てはまることだろう。

干潟は本書のタイトルにあるように生き物であり、消滅を含め、姿を変えていくことは宿命と言うことができよう。とは言え、急激な壊滅は残念極まりない。今後、干潟という微妙なバランス上に成り立つエコトーンが、どのような姿でどこに姿をあらわすのだろうか、それともそれはないのだろうか。本書では、次のように示唆している。

「生物の環境にとってさらに大切なことは、時たま大きな攪乱を受けることである。環境が長期間定常状態を維持すると、生物による条件付けのためにしばしば不適な環境に変ってくる。この場合、たまに起る攪乱は環境を蘇生させるのに非常に重要な働きをしている。干潟が時に異常高潮や洪水によって洗われることは、生物の条件付けによる環境劣化を防ぐのに必要な洗礼といえるであろう。」

それにしても、沖縄・泡瀬干潟の埋め立て予算が成立したとの報道にはがっかりさせられた。地震と津波による大きな変化ならば自然のサイクルだと考えもできるが、利権確保のための無意味な埋め立ては到底納得できるものではない。

>> 沖縄タイムス「県議会、当初予算が成立」(2011/3/30)

●東京湾の干潟(三番瀬、盤洲干潟・小櫃川河口、新浜湖干潟、江戸川放水路)
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
船橋の居酒屋「三番瀬」
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い
Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園
江戸川放水路の泥干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
谷津干潟

●沖縄の干潟・湿地・岩礁
泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
屋嘉田潟原 
漫湖干潟
辺野古
糸満のイノー、大度海岸
沖縄県東村・慶佐次のヒルギ

●その他
粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』(栗原康『有限の生態学』を多く引用)
加藤真『日本の渚』(良書!)
『海辺の環境学』 海辺の人為(人の手を加えることについて)
下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)


ケニー・バレル『A Night At The Vanguard』、『Concierto De Aranjuez』

2011-04-06 07:00:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

最近よく寝る前や起きぬけに聴くのが、ケニー・バレルのライヴ盤『A Night At The Vanguard』(Argo、1959年)である。バレルのギターはサックスやピアノとの相性も良いが、このようなギタートリオは素直に音を愉しむことができる。ベースは重厚なリチャード・デイヴィス、ドラムスは乾いた音が弾けるロイ・ヘインズ。バレルのギターについては、「洗練」であるとか「都会的」であるとか評されてきたが、それだけでは物足りない、バランスが絶妙でブルージー、本当に魅力がある。

どの曲も悪くないが、エラ・フィッツジェラルドやサッチモの歌声がすぐに想い出される「Cheek To Cheek」など、なぜLP時代にお蔵入りだったのかという演奏だ。若い日のバレルの記録、ライヴでこその緊張感と張りつめた愉しさがある。久しぶりに、パット・メセニーがデイヴ・ホランド、ロイ・ヘインズという(ドラムスの同じ)ギタートリオで演奏した『Question & Answer』と聴きくらべたくなっているが、もうそれは棚にない。「All The Things You Are」の演奏などかなりのものだったと記憶しているがどうか。

一度だけ、青山だか赤坂だかでバレルを観たことがある(1997年)。余裕たっぷりにギターを弾くバレル、フレージングが一聴して独特であることがわかるトム・ピアソンのピアノ(客席からは「Stop the piano!」なんてヘンな声も聞こえたが)、良い演奏だった。

その頃の録音、スタンリー・ギルバート(ベース)との共演盤『Concierto De Aranjuez』(Meldac、1995年)を改めて聴いてみたが、これがつまらない。相も変わらず連発された人気曲だらけの商売盤だからか、スタジオ盤だからか、年齢か、おそらく少なくとも最初の理由は当たっているだろう。こんな心地いいぬるま湯空間に漬かって、はまったような緊張感のない演奏をして、これじゃダメだろうと思う。バレルは最近でも新譜を出しているが、さてどうだろう。

●参照
エルヴィン・ジョーンズ+リチャード・デイヴィス『Heavy Sounds』


斎藤貴男『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』

2011-04-06 01:07:08 | 関東

斎藤貴男『東京を弄んだ男 「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫、原著2003年)を読む。

佐々木信夫『都知事 権力と都政』が(石原都知事の問題を認めつつも)、力のある大都市・東京が日本経済を牽引し、地方へのトリクルダウンが可能になるような新自由主義的な夢想を繰り広げていることとは、全く異なるタイプの書である。口が滑ったのではなく本性から出たとしか思えない数々の差別発言は、それにとどまらず、まさにその差別対象を抑圧する政策の反映であったことがわかる。

尖閣諸島、台湾、中国、朝鮮、女性、離島、社会的弱者への蔑視。自衛隊の称揚。原子力や築地移転に代表される特定経済の温存。

「あらゆる社会的弱者に対して、石原慎太郎という人は徹底して酷薄だ。」
「都の福祉改革は弱者切り捨て以外の何者でもなかった。」
「問題は、自分以外の人間の感情とか心、尊厳といったものなどが、これっぽっちも彼の視野に入っていないことだ。仮にも行政の長が、このような感性、発想で政治を動かしている現実をどう捉えたらよいのか、ということなのだ。」

尖閣問題によって狭隘なナショナリズムが拡がること、震災時に自衛隊が英雄となることと相まって、いま、マッチョ的な存在に再び票が流れることを、私は危惧している。必要なものは似非マッチョ・似非インテリの看板などではない。小さな声を汲み上げ、形にするリーダーシップである。自ら進んで騙される気持ちよさに酔ってはならない。

「・・・この島国に住むすべての人間に刷り込んだのは、”ナタのような”自衛隊の絶対的な実力だけではなかったか。末端の努力や工夫は、スペクタクルの前に、どうしても影が薄くなる。」
「ファシズムの時代には、政府の強権以上に、大衆の同調圧力が恐ろしい。そうはさせないためのチェック機能であるべきジャーナリズムも、また。」
「・・・このような存在を支持し、培養しているのは、まぎれもなく都民なのだ。」

江藤淳はかつて、次のように評していたという。慧眼というべきである。

「このような言動はすべて「実際家」石原氏のものであって、「肉体の無思想性」を信じる彼は、思想やイデオロギイにほとんど一顧の価値をもみとめていないのである。
 この点で、もし彼が明晰な自覚者であれば、彼はほとんど一個のファシストだといってよかろう。彼の内部にあるのはニヒリズムであり、彼の志向するのは権力である。」
「かつてのインテリゲンツィアは「思想」に対する信仰から実行におもむいた。石原氏は、「思想」に対する蔑視から政治におもむこうとしている。」

都知事選の前に、佐々木信夫『都知事』とあわせて一読を。

●参照
佐々木信夫『都知事』


山道と火葬場

2011-04-04 00:44:26 | 中国・四国

前回から十年以上経つだろうか、山口の生家の墓参りのため、山道を登った。どこから入るのか忘れていて、携帯で生家に電話しながら特定するなどかつてあり得なかった。歩き始めてみるとすべて思い出してくる。


山道 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100

生家の墓につながる急な上り坂には、コンクリブロックで石段が拵えてある。中学生のころ、これを造る手伝いをしたとばかり記憶していたが、親は、おまえは厭きっぽいからすぐに投げ出したんだよという始末。どうやら私は都合のいいように記憶を捏造していた。


石段 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100

墓の横の石には故人の名前が彫ってある。中には、戦時中に米軍に撃沈された輸送船に乗っていた者も、敗戦直後に旧満州で何者かに殺害された者もいる。7年ほど前、久しぶりに祖母の名が追加された。


墓の横には椿が咲いていた Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100

墓の手前には、昔の火葬場の跡がいまだに残っている。ふたつの石の上に棺を乗せ、下から薪で火を付ける方法である。私の生まれるほんの少し前、1969年に亡くなった曾祖母を荼毘に付したのが最後だったという。


火葬場 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100


柳田國男『海南小記』

2011-04-03 11:34:25 | 沖縄

柳田國男『海南小記』(旺文社文庫、原著1925年)を読む。1920-21年、柳田は九州を経て沖縄への旅に出た。本書はそれをもとにした記録である。

ここにはまだ、柳田が晩年に『海上の道』において主張する、琉球を日本の原型であるとする願望論はさほど姿を現していない。むしろ、さまざまに収集する琉球のフォークロアを愉しみ、ヤマトゥのそれとの比較に夢中になっているという印象である。憧れも隠すことができない。

「我々が大切に思う大和島根の今日の信仰から、中代の政治や文学の与えた感化と変動とを除き去って見たならば、こうもあったろうかと思う節々が、色々あの島には保存さられてあります。」

そのような中で、たとえば「阿遅摩佐の島」において、蒲葵=檳榔=コバ(クバ)の拡がりをもって、「畢竟はこの唯一つの点をもって、もと我々が南から来たということを、立証することができはしまいかと思うからであります。もちろん断定は致しませぬ。」といった踏み込みにとどまっている。あるいは、南の島は生活が厳しく、他の島が見えるため、堪えられずに移動を続けたのだという発想が貫かれている。

博学なフォークロア収集家の旅行記としては大変面白い。

源為朝伝説を、琉球にとってのニライ神来訪と重ね合わせている。
ヤードゥイ(原屋取=首里の困窮士族が拓いた地)の存在が、「争うて好い児を育て、家運を興そうとする努力が、附近にいる旧住民のためにも一つの刺激になってきた」と位置づけている。
○このころ、病院の見舞い品が刻み煙草から豆腐になってきたとしている。
○沖縄のことばによって本を書く運動は、標準化に乏しいため、「徒労に帰する」と予測している。むしろ、伊波普猷がヤマトゥのことばと沖縄のことばとを併用していることを好ましくみている。もちろん柳宗悦の方言論争を参照するまでもなく微妙な視線だ。
干瀬(サンゴ礁のリーフ、ピシ)を巡る話が豊富である。糸満では宝貝を刺網の錘に使っていたという。老いた父を干瀬に騙して取り残し、満潮により亡き者にしようとした息子が報復に逢う話がある。(千夜一夜物語のようだ。)
泡盛はかつて米でなく粟でつくられており、今のものよりもずっと辛く強かったという。
石敢当はかつて、この高さより身長が高くなっていたら人頭税を課しはじめるために作られたという説が、宮古島にあるという。
○石垣島の祭に残る来訪神・マユンガナシは、もともと「まやの神」と言われており、その名の通り(マヤー=猫、かなし=持ち上げることば)、牡猫雌猫の面を被って出てきたという。
○(沖縄とは関係ないが)ヤマトゥのあちこちに残る「炭焼小五郎」の話は、かつて鋳物職人が特殊技能を持つ漂泊者であり、ことばの類似から「イモ掘り」や、製鉄に使うことから石炭が、話の中に取り込まれたのだと分析している。

●参照
村井紀『南島イデオロギーの発生』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』
『海と山の恵み』 備瀬のサンゴ礁、奥間のヤードゥイ
戸邊秀明「「方言論争」再考」 琉球・沖縄研究所
『石垣島川平のマユンガナシ』


長谷川工作所

2011-04-03 09:30:05 | 写真

Pentax K2DMDのファインダーの具合がよくないため、稲荷町の長谷川工作所に足を運んだ。以前にオーバーホールしていただいたところだ。古い住宅や町工場の中にあり、なぜかカメラを持ち込むのが愉しい。

ついでに絞りが粘っているトプコールの55mmを持ちこんだところ、トプコンでKマウントなんてあったのかと珍しがっていた。K2DMDとともに短期入院、出来上がりが楽しみだ。さらに、しばらく使っていなかったPentax SP 500(ハネウェルペンタックス名義の輸出仕様)のシャッターとメーターの精度を計測してもらったところ、完璧だった。やはりここで10年前にオーバーホールした機体である。いつぞや長谷川さんは、オーバーホールとは少なくとも7年くらいは問題なく使えるようにする調整のことだと言っていたが、有言実行とはこのことだ。人形町のナオイカメラサービス(休業中?)や小石川のウメハラカメラサービスと同様に信頼できるところなのだ。


ペンタックスSPにフジカという「昭和セット」

しばらく訪れていない間に、近くにうどん屋「春仙」が店を開いていた。でかい字で「うどん」と書かれると弱い。矢も盾もたまらず突入し、釜玉うどんを食った。旨かった。


長島と祝島

2011-04-01 00:29:38 | 中国・四国

山口県上関町は瀬戸内海に突き出した室津半島の先にあり、さらに上関大橋によって長島とつながっている。山口で生まれ育ちながら、はじめて足を運んだ。上関大橋を渡るとすぐに、竜宮社という小さなお社があって、海に眼をやると、たしかに竜宮につながっているに違いない青さだ。


上関大橋 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP


上関海峡 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP

祝島は長島の先にある。船が出ないかと郵便局で訊ねてみると、もう朝の10時代に出てしまって、次は夕方だと気の毒そうに言われてしまう。鎌仲ひとみさんも、原発反対のために見に来る人が多くて困っていると言っていたし、仕方ないので祝島を眺望できる場所を探すことにした。海沿いの狭いくねくね道をちょっと進んで、煙草を吸っているふたりの男に訊ねてみた。

「・・・ああそれなら上盛山(かみさかりやま)の展望台がいい、ほら山の上に竹林があるだろう、あの辺で方向転換すると辿り着けるよ、中電も反対派も監視してるよ。」(山道しかないのに竹林を見つけられるものか。)

そんなわけで、ガードレールがなく細くて怖い山道を進み(私にはテクがない。運転は父である)、無人の御汗観音というところを拝観したあとで、なんとか着いた。

なるほど、確かによく見渡すことができる。長島の南西端の右側には祝島小祝島、その向こうにはうっすらと大分の国東半島。祝島は火山の噴出によってできた溶岩の島であり、そばの小祝島は休火山である。

原発の建設予定地は祝島ではなく長島の先端部である。ただ、長島の町はその近くではなく、祝島の真ん前にあるというわけである。確かにこの展望台からでも、原発の姿は見えにくいのかもしれない。しかし、この美しい風景を見れば、また、祝島の前にできる建屋の姿を幻視すれば、その是非についての答えは明らかだ。


長島と祝島、小祝島 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP


長島と祝島、小祝島 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP


原発予定地(パンフレット『上関原子力発電所建設計画の概要』より)


展望台にあった地図


上関海峡と上関大橋 Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP

また長島の町に戻り、原発の広報施設「海来館(みらいかん)」を覗いた。道沿いには原発反対の看板があった。近くで旨い魚のフライを食べながら窓の外を眺めると、そこからは愛媛の佐田岬がうっすらと見えた。伊方原発がある岬である。


反対看板 デジカメにて


海の向こうにうっすらと佐田岬 デジカメにて

「もしも、計画通りに完成するとすれば、対岸の佐田岬(愛媛県)には、「伊方原発」が建っているので、瀬戸内海を航海する船は、本州と四国との両岸の原発にはさまれた狭い航路を、まるで挟み撃ちにされるようにして通過することになる。いかにも剣呑である。」
「もしも対岸に原発が建設されたら、島の人たちは無気味な原発を押しこんだ、白いコンクリートの塊を朝夕眺めて暮らすことを強制される。3.5キロメートルの海上には、なんの遮断物もない。もしも、原発で事故が発生したとき、祝島は逃げ場のない、人体実験場になってしまう。」
(鎌田慧『原発列島を行く』、集英社新書、2001年)

●参照
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ) >> リンク