Sightsong

自縄自縛日記

宮本常一『私の日本地図・沖縄』

2012-05-16 00:43:30 | 沖縄

宮本常一『私の日本地図・沖縄』(未来社、原著1970年)を読む。

全国津々浦々を歩き回った宮本常一だが、沖縄には、三度だけ、しかもごく短い時間しか訪れていない(1969年、1975年、1976年)。本書は最初の訪問時の記録であり、1972年の施政権返還を直前に控えた時期であった。そのとき、沖縄本島、久米島、津堅島、浜比嘉島、伊江島をまわっている。

短い観察日記とでもいった雰囲気の記録である。だが、たとえば経済について、建設ではなく破壊を目的とする米軍基地が何も生み出さないことや、オカネが結局は「本土」に還流することを見抜いている。現在にまで続くがらんどう経済の構造である。観察眼の鋭さはさすがだ。

その一方で、日本への精神的な近さを何度も強調していることには、正直言って、違和感を覚えざるを得ない。源為朝が琉球に漂着し、王家に入っていったとする伝説についても、正統を位置づけるための物語や日琉同祖論という欲望という文脈ではなく、沖縄から見た日本への内的な距離という文脈でのみ片付けている。これが宮本常一の潜在的な欲望でもあったとするのは穿ちすぎだろうか。

また、沖縄人の立場にたって、離島の開発を希求することも特徴的だ。そこでは、金武町の石油備蓄基地も、大規模ダムも、開発のために必要なものとして位置づけられている。そのことの限界は置いておいても、たんなる守旧的な視線ばかりではなかったということである。

ところで、宮本常一の使っていたカメラはオリンパスペンの何かであったと記憶しているが、これが吃驚するくらい下手クソである。宮本にとって、写真は作品ではなかった、のだろう。

●参照
柳田國男『海南小記』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』
『海と山の恵み』 備瀬のサンゴ礁、奥間のヤードゥイ
小熊英二『単一民族神話の起源』


『世界』の「沖縄「復帰」とは何だったのか」特集

2012-05-15 07:55:18 | 沖縄

『世界』2012年6月号(岩波書店)が、「沖縄「復帰」とは何だったのか」と題した特集を組んでいる。

1972年5月15日の沖縄の施政権返還からちょうど40年。もっとも、「施政権返還」という言葉を使ってみたところで、「復帰」というダイレクトな用語をオブラートでくるんでみた程度のことでしかない。「復帰」という言葉が孕んでいる前提は、「本土」という言葉と同じであるからだ。何に復帰したのか、何が本土なのか。

■ 新川明「みずからつくり出した矛盾に向き合う」

なぜカッコ付きの「復帰」と称するのか。新川氏は、「復帰」という言葉が他ならぬ沖縄人自らがつくりだしたものであることを指摘しつつ、所詮は1879年から1945年までの百年に満たない期間支配下にあった国家への帰属への再「復帰」に過ぎなかった、それに抵抗感や違和感があるのは当然だと喝破する。なぜなら、植民地支配という構造が、皮膚感覚として沖縄人に感知されているから、である。

氏は、教科書をめぐる問い直しの盛り上がりにも関わらず、壕での「慰安婦」や「住民虐殺」という説明板を容易に撤去してみせた沖縄県庁の対応を不安視する。その先には米軍基地や自衛隊の受容がある。

■ 澤地久枝「「フロントライン」沖縄が逆照射する日本」

ここでは、「密約」問題から、平和憲法や米軍支配へと話を展開している。オバマ大統領の登場や原発震災にも関わらず、「日本は変わるチャンスを逃し続けている」との指摘がある。しかしそれは上からの政治レベル、マスメディアのレベルでの視線であり、実は個人の横へのつながりが出てきている、とも。

■ 西山太吉「日米軍事力の一体化を見つめる沖縄」

自身の体験に基づく日米安保の構造から、現在の米国の国防戦略にただ追随する日本のあり方を批判する。突破口として指摘されているのは、対中国を含めた共存と交流の多極化、それから米戦略における拠点分散(沖縄、グアム、オーストラリア、ハワイなど)である。

■ 山田文比古「沖縄「問題」の深淵」

沖縄振興策や抑止論の限界を説きつつ、氏は、日本の安全保障のためには日本全体で負担すべきだとする。

■ 西谷修「接合と?離の40年」

「復帰」40年は、沖縄によって日本のあり方が問われる40年でもあった、とする。なぜならいつまで経っても、いや時が経つにつれて、原発と同様に、「留めたはずの接合部がいつまでも軋みを立て、そのつど社会的な違和が表面化してくる」からである。如何にそれを糊塗しようとしても、その限界が次第に顕在化してくる、ということである。

シンプルながら重要な指摘がある。

「どうみても日本列島はアジアの弧として位置しているのに、この国は敗戦以来、まるで太平洋を内海としてアリューシャン列島からオーストラリアまでをつなぐ大国アメリカの眷属であるかのように振る舞おうとする。そのために「近隣諸国」をあらかじめ「敵視」し、そこに新しい関係を編みなおすという発想がもてない。それはグローバル化が進み、かつ世界の200年にわたる西洋的統治構造に寿命がきたと見えるこれからの世界のなかで、致命的な宿痾にもなりかねない。」

■ 仲里効「交差する迷彩色の10日間と「復帰」40年」

映画『誰も知らない基地のこと』と、北朝鮮による「衛星」発射に備えた巧妙な軍備推進とを重ねあわせつつ、仲里氏は、沖縄への相反するふたつの視線について指摘する。「9・11」以降、「もっとも危険な地域」とみなされ、そして「3・11」以降、「もっとも安全な地域」とみなされた沖縄。そのねじれた視線には、それぞれの場所で住民として日常を生きるという観点がすっぽり欠落している、という。すなわち、「北朝鮮」スペクタクルも、「避難」も、擬制である、というわけである。そして、この擬制の植民地支配構造を新たな構造に転位するには、抵抗のなかから身体化された言語が必須なものである、とする。

■ 前泊博盛「40年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」

もはや基地経済神話は崩れ去っている。むしろ基地を通じた支配のために、自立経済の創出の芽がつぶされてきた、という指摘である。米軍基地の跡利用のひとつの可能性として、嘉手納基地が、民間航空会社に賃貸され、あるいは格安航空会社がハブ空港として利用するとしたら、その経済効果は莫大なものとなるだろう、と示唆している。

■ 新城和博「郊外化と植民地化の狭間で」

「おもろまち」に典型的に見られるように、過去の記憶を刻んだ土地がまったく姿を変えている。新城氏はこれを<郊外化>というキーワードで視ている。道や街は効率化され、それぞれの足許の豊饒な街は消え、機能は<郊外>へと移転する。米軍基地さえも、陸から海へと<郊外化>する。もとよりこれは、日本から視えない・視ない沖縄での振る舞いという現象だったはずであり、それが沖縄の内部で進行している、ということか。

■ 加治康男「グアム移転見直しで浮上する米軍のフィリピン回帰」

本論は特集とは異なるが、沖縄の米軍基地を位置づけるうえで示唆的である。米国の軍事戦略において、フィリピンのスービック基地が重要化してきている。下地幹郎衆議院議員がワシントンの仲介人として動き、そして、鳩山首相(当時)の脳裏にも、決して口外できないスービックの名が浮かんでいたはずだ、という。鳩山の「腹案」とは、スービックだったのか?

●参照
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
森口豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』
森口豁『アメリカ世の記憶』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
森口カフェ 沖縄の十八歳
テレビドラマ『運命の人』
澤地久枝『密約』と千野皓司『密約』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
久江雅彦『日本の国防』
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
終戦の日に、『基地815』
『基地はいらない、どこにも』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
押しつけられた常識を覆す
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』

●『世界』
「巨大な隣人・中国とともに生きる」特集(2010年9月)
「普天間移設問題の真実」特集(2010年2月)
「韓国併合100年」特集(2010年1月)
臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』(2007年12月)
「「沖縄戦」とは何だったのか」特集(2007年7月)


市川崑(4) 『ビルマの竪琴』リメイク版

2012-05-14 00:21:00 | 東南アジア

神保町シアターの横を通りがかったら、市川崑『ビルマの竪琴』(1985年)が、タイミングよく間もなくはじまる。しかもフィルム上映。懐かしさもあって、つい吸い込まれてしまった。

同じ監督によるリメイク版である。自分が中学生のとき、学校にポスターが貼られてあった(文部省推薦映画ででもあったのだろうか)。

戦争末期、ビルマ。英国軍・インド軍の反攻に遭い、日本軍「井上隊」は敗走を続ける。隊長が音楽家でもあり、合唱で自らを元気づけていた隊でもあった。水島上等兵は、つねに、竪琴で伴奏をしていた。井上隊は、何とか、交戦状態にはないタイに逃げ込もうとするが、その直前に、日本の敗戦を知り、捕虜となる。それでも戦闘をやめようとしない部隊を説得するため、隊長は、英国軍の了解を得て、水島を派遣する。しかし説得に失敗、水島は僧侶に化けてひとり捕虜収容所を目指す。その道中で、日本軍の腐りかけた無数の死体を目の当たりにし、水島は、目を背けるようにして収容所に辿りつく。しかしそこで、彼は同胞たちの死体をきちんと葬ることを決意し、やってきた道を引き返す。

ここに登場する軍人たちは、良心的かつ人間的であり、運命に翻弄される被害者的にさえ描かれる。そこでは、アジアに侵攻した軍隊という歴史的文脈は健忘症的に回避されている。また、逃げ込もうとしたタイ側で、ビルマに通じる泰緬鉄道の建設を日本軍が強行し、多くの犠牲者を出したことなど触れられてもいない。そのような位置付けの映画である。

―――というようなことはすぐに気付くものの、日本軍と英国・インド軍が「埴生の宿」をお互いに合唱する場面や、水島が独りで同胞の亡骸を埋めようとしていたところ、遠巻きに視ていたビルマ人たちが協力しはじめる場面などでは、不覚にも、涙腺が破れたのではないかというほど泣いてしまった。やはり市川崑と和田夏十、ヒューマニズムの描き方が上手い。

物語だから言っても詮無いことだが、ビルマに残った水島は、人間として葬り、祈りを向けるべき存在は、同胞だけでなく、犠牲になったビルマの人びとや敵国の兵士でもある、と気がついたのではないか。少なくとも、市川崑はそのように観る者に想いを発したのではないか。そのように思ってしまう。

ところで、ミャンマーという国名を、再びビルマに戻そうという意思はないのだろうか。

●参照
市川崑(1) 新旧の『犬神家の一族』
市川崑(2) 市川崑の『こころ』と新藤兼人の『心』
市川崑(3) 『野火』、『トッポ・ジージョのボタン戦争』
泰緬鉄道
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』


ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』

2012-05-13 23:25:53 | 思想・文学

ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』(河出文庫、原著1996年)を読む。

ドゥルーズの体感は音楽を聴くように読むことで得られる。そんなふうに勝手に思っていたところ、本書の訳者あとがきにおいても、「読み飛ばしていくのが望ましい」と書かれていて、共感してしまった。ドゥルーズは、手を変え品を変え、饒舌に、同じことを喋り続ける。テキストをニュートリノのように脳内を通過させて、カミオカンデよろしく時折反応させるというイメージである。

本書は章や節ごとに語り手を変える対話形式、ただ、相手のパルネもドゥルーズ化している。その意味では変奏にもなっていない。

重要なのは構造を持った樹木や森ではなく、つねに中間にある草である。一本の線において重要なことはつねに中間である。草原、草、ノマドはつねに中間にいる。草は速度である。

二元論と戦い、吃りを、自己の言語のなかにマイナー言語を見出すこと。樹木に対する、リゾーム、草。画一化に抗する複雑な多様体。歴史に対する地理学。点に抗する線。階層秩序と命令からなる樹枝状のシステムから、絶えず逃走線を描きつづけること。草は自らの逃走線をもっている。

ホワイト・ウォール―ブラック・ホールのシステム。つねに私たちは意味作用の壁の上にピンで止められ、黒い主観性の穴の中に埋め込まれている。顔の発明は権力である。どのように、ブラック・ホールから脱出できるのか。

作動配列(アジャンスマン)。変化するすべてのものはこの作動配列を通過する。あらゆる欲望は、構造的な作動配列に貼りつく。フロイトの精神分析は、権力としての硬直した作動配列に過ぎない。そして、国家権力は作動配列を超コード化する。革命幻想ですら、構造化した作動配列への回帰に憧れている。それは反革命的である。私たちがなすべきことは、また新たな作動配列を生み出すことだ。

―――そんなところだ。確かに、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』での饒舌が、ここにも展開されている。しかし、同じことを別のやり方で、あるいは別の作動配列で、喋るのを体感し、時にはドゥルーズになりかわって喋ってみるのも悪くない。哲学は反権力である。

ふと、ドゥルーズが、グレッグ・イーガン『ディアスポラ』を読んでいたなら、ネットワーク上で常に姿を変え続ける世界に何らかの共振をしていたのではないか、などと思ってしまった。

●参照
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(下)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(上)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』


安部公房『密会』再読

2012-05-12 10:38:31 | 思想・文学

安部公房『密会』(新潮社、1977年)を読む。

ブックオフに「純文学書き下ろし特別作品」シリーズの函入りハードカバー版があったので(105円!)、大学時代に文庫で読んで以来、久しぶりに再読してみた。

ある日、妻が救急車で連れ去られる。探しに行った病院で男が踏み込んだ世界は、あらゆる場所が盗聴され、医者、事務員、患者が暗黙の了解のもと創りあげている性の世界だった。男は盗聴側にまわり、患者の少女を連れだし、病室を覗き、やがて、地獄から逃れることができないことに気付く。

はじめて読んだときにはあまりにも飛躍したSF世界ゆえ切迫感を持たなかったが、あらためて、このエログロに呆然とする。とても一気に読み続けることができない強度なのだ。安部公房の想像力は途轍もないものだ。そして、<性>が地獄と一体の関係にあることも、吐きそうなほどに迫ってくる。ああ怖ろしい。

●参照
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』
勅使河原宏『燃えつきた地図』
勅使河原宏『おとし穴』


ピョートル・カムラー『クロノポリス』、リホ・ウント+ハルディ・ヴォルメル『戦争』

2012-05-10 23:55:20 | ヨーロッパ

ちょっと興味が湧いて、ヨーロッパアニメのDVDを入手した。ジャケットでは判らなかったが、2本入っていた。

■ ピョートル・カムラー『クロノポリス』(1982年)

カムラーはポーランド出身の映画作家。時間都市とでもいうのか、時間を超越し時間を創りだすファラオのような者たち。まるでアッシリアの古代遺跡が彼岸に存在するようなイメージだ。台詞なし、リュック・フェラーリの奇妙な音楽が支配する世界において、形象や特異点が生成しては変貌していく。そのような中で、帝国の壁を登り続ける人間の男は、そこから離脱して自由人と化し、白い球を恋人とし、友人とする。

1時間弱の驚きのヴィジョンである。黙って観ていると、脳がやはり彼岸へとトリップする。と言えば恰好が良いが、要はいつの間にか眼球がぐるっと回って意識を失っている。

■ リホ・ウント+ハルディ・ヴォルメル『戦争』(1987年)

ウントとヴォルメルはエストニア出身のアニメ作家。とある水車小屋に、蝙蝠が一羽で棲んでいる。何かの衝撃で屋根に穴が開き、そこから烏たちが侵入してきて暴力的に居ついてしまう。それだけでなく、床穴からは鼠たちが版図を拡げようと烏に攻撃を仕掛け、烏は空中戦でそれに応じ、全面戦争となる。翻弄する蝙蝠、しかし、水車がぎりぎりと動きはじめるや、烏も鼠も器械に巻き込まれて多くが死に、残る者たちは小屋から逃げ出す。ふたたび蝙蝠は以前の生活を取り戻すが、小屋の外では人間世界の戦争が繰り広げられていた。

リアル、凄惨でもあり、蝙蝠の可愛さを含めユーモラスでもあり。


A.R.ペンクのアートによるフランク・ライト『Run with the Cowboys』

2012-05-06 21:46:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

1997年に世田谷美術館で開かれたA.R.ペンクの個展会場では、ペンクが叩くドラムスの音がBGMとして流されていた。それ以降、絵描きとしてのペンクよりも、音楽家としてのペンクに興味があったのだが、なかなか実際の音を聴くことはなかった。(なお、ペンクは1980年に東ドイツから西ドイツに亡命しており、奈良美智の師匠でもある。)

フランク・ライト『Run with the Cowboys』(1983年頃)は最近入手したLPで、おそらくは、直接的にか、限られたギャラリーにおいてのみ頒布されたものである。勿論ジャケットは裏表共にペンクの手によるもので、本人はピアノやフルートで参加している。

Frank Wright (sax, vo)
Peter Kowald (b)
Frank Wollny (g)
Coen Aalberts (ds)
A.R. Penck (p, fl, vo)

そんなわけで聴いてみると、良い意味でも悪い意味でも予想を裏切らない。ライトは、ぶぎゃー、のうぇー、ひゃー、とサックスを吹きまくり、ときに興奮してか意味不明な言葉を叫ぶ。ペーター・コヴァルトのベースはいつもながら素晴らしく、指でも弓でもその音色は絹のようだ。時に皆を押しのけてギターが全体を支配する奇妙さは愛嬌。

そしてペンクである。よくわからないキーボードと、よくわからない笛と、(ライトに比べると)か細い叫び。おっさんおっさん、何のつもりだ。評価不能である。

結論、ペンクはアートワークで十分。

ところで、YoutubeにこのLPのA面がアップされていた。おそるべし。(>> リンク

●参照
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ペンクの絵の前でライトやブロッツマンが吹く映像、コヴァルトのインタビュー)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(コヴァルトのヘタウマな絵)
2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展(ペンクの絵)
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(ゲオルグ・バゼリッツがペンクについて語る)


勅使河原宏『燃えつきた地図』

2012-05-06 09:48:26 | 関東

勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968年)を観る。安部公房と組んだ映画としては、『おとし穴』(1962年)、『砂の女』(1963年)、『他人の顔』(1966年)に続くもので、最後の作品である(唯一の大映作品でもある)。

この映画はしばらくの間、ほとんど「幻の作品」だった。1997年か98年頃に、安部公房についての連続シンポジウムが調布で開かれ、何度か足を運んだのだが、そのときのこと。パネラーとして壇上にいた勅使河原宏に、客席から質問があった。「わたしは勅使河原さんの映画をほとんど観ていますが、『燃えつきた地図』ばかりはどうやっても機会がないのです。」「いやあ、ぼくももう一度観たいと思っているんだけどね、どうやったら観られるんだろうね」 ・・・障壁は大映だったのか、それとも勝プロだったのか。

その後、勅使河原宏のDVDボックスにも収録され、上映もぽつぽつとされるようになった。しかしボックスは高く、機会は依然ない。そして最近、海外上映版『The Man without a Map』の廉価DVDを発見した。

探偵(勝新太郎)は、失踪した夫を探してほしいとの依頼を受ける。誰もが非協力的でよそよそしく、依頼人(市原悦子)でさえも、本当に夫の行方を知りたいのか判然としない。依頼人の弟はヤクザであり、事件に巻き込まれて殺される。失踪者の同僚(渥美清)は、失踪者の性癖を明かしたうえで探偵をヌードスタジオに誘いこむが、なぜか絶望し、逃げ出すように電話ボックスのなかで公開自殺してしまう。失踪者と関係があったかもしれない喫茶店の主人(内藤陳かと思ったら信欣三だった)は、嗅ぎまわる探偵を大勢で殴り倒す。探偵は依頼人のもとに戻る。そして都会の迷宮に彷徨う探偵は、ビルとビルの間に身を潜め、自らが失踪者と化すのだった。

すべてが予兆的で謎めいており、他の勅使河原=安部作品にはない雰囲気を作りあげている。とは言っても、前面に人の肩や壁や暖簾を配した、都会での覗き見のような雰囲気のカメラワークが、少々やり過ぎだ。都会のビル群をバックにした砂漠シーンも大袈裟だ(多摩ニュータウンでの撮影こそが荒涼として良い)。それから、何しろ、勝新太郎、渥美清、市原悦子という怪優たちが強すぎるのである(勿論、これは嬉しい側面でもある)。

前述のシンポジウムでのこと。勅使河原宏は、「勝新太郎という人は、こちらが如何に演出をしようとも、必ず自分のキメのシーンを作ろうとする人でね」と話していたが、確かに勝手が違ったのだろう。実は勝新はこの映画出演から、多くのものを得ていた。

勅使河原宏「あの人は、見得を切ったところで拍手をして、それで成り立つものしかやってこなかった。だから不安だったんだけど、ぼくの揺れ動きながらやっていく手法で、映画ができるということを知って、それから『座頭市』でみずから監督をやるようになったんです。彼にとっては、あの映画が大きな転換になったと思いますね。」(勅使河原宏+四方田犬彦『前衛調書』)

四方田犬彦「・・・あのフィルムも不思議ですね。『寅さん』と『座頭市』という二大プログラム・ピクチャーからすらすらと主役を借りてきて、全く違う人間像を生み出したんですから。」(勅使河原宏+四方田犬彦『前衛調書』)

安部公房自身はこの映画のことをあまり好ましく思っていなかったようだ。わたしも原作を読んだのは高校生の頃だから、「・・・・・・」の多い冗長な小説だなと思った以上の印象が実はない。暴動が起きる野外で、屋台のラーメン屋の親爺が、作りながら股間にやたらと手をやるので、探偵が食欲を一瞬失う、という下りは妙に覚えていて、映画ではどうなのだろうと注目していたところ、割り箸で頭だか首だかを掻いてすぐにテーブルの箸立てに戻すというシーンに変っていた。(いずれにしても汚いね。)

決して傑作と呼べるようなまとまった映画でもないし、もちろん駄作ではありえない。奇妙な吸引力を持った映画だった。長年の願望が果たされたわけだし、まずは、めでたしめでたし。

●参照
勅使河原宏『おとし穴』(1962年)
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』


CIMPレーベルのフランク・ロウ

2012-05-05 18:47:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

愛すべきテナーマン、フランク・ロウの発掘盤がESPレーベルから出ていて、それを早く聴きたいところなのだが、とりあえずは気持ちを鎮めるために、棚にあったCIMPレーベルの2枚を聴く。両方、サックス、ベース、ドラムスのトリオである。

■ 『Bodies & Soul』(CIMP、1995年)

Frank Lowe (ts)
Charles Moffett (ds)
Tim Flood (b)

何といってもチャールズ・モフェットの参加である。オーネット・コールマンとの共演で鳴らしたこのドラマーは、『"At The "Golden Circle", Stockholm』と変わらぬ勢いで、シンバルをばしゃんばしゃんばしゃんばしゃんと、バスドラムをど、どんどんどどんと叩きまくる。ひたすらに格好良いのだ。

もう敢えて聴く人も少ないかもしれないが、日本制作によるグループ「G. M. Project」(「General Music」の意味だったと記憶している)のドラマーでもあって、それも期待して、1997年2月、ブルーノート東京に聴きに行った。ところが急の来日中止、代役のドラマーが誰だったかは覚えていない。ケニー・ギャレット、息子のチャーネット・モフェット、それからピアノが・・・名前が出てこない、エルヴィン・ジョーンズとも来日していた男(誰か思い出してください)。

モフェットはその公演期間中に亡くなった。なお、トニー・ウィリアムスもそのすぐ後に亡くなり、世界は相次いでふたりの偉大なドラマーを失ったのだった。

なお、この盤では、オーネット・コールマンの「Happy House」、ジョン・コルトレーンの「Impressions」、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの「For Lourie」、ドン・チェリーの「Art Deco」を演奏しており、彼らに相応しい感がある。もちろん、「んっ」という感じでタメを作り、ノリも音色も独特なフランク・ロウのソロはとても良い。締めくくりに、ロウが無伴奏で「Body & Soul」を吹く。これが枯れていてまた嬉しい。

■ 『Vision Blue』(CIMP、1997年)

Frank Lowe (ts)
Steve Neil (b, Guinea harp)
Anders Griffen (ds)

録音は1997年2月19-20日、6日前の14日にモフェットが亡くなっている(ライナーノートには、もともとその日にジョー・マクフィーとの録音を予定していたとあるが、それでは前述の東京公演中止はどういうことだろう)。そんなわけで、ジャケットも録音も、モフェットのスピリットに捧げたものとなっている。

とは言え、モフェット色が演奏に反映されるわけはない。演奏はすべて短めであり、他のふたりの個性が薄いためか、ロウの変態サックスの独壇場と化している。

CIMPレーベルから他のフランク・ロウ作品はないのかと調べてみると、このサックストリオによる2枚の他、ジョー・マクフィー(ここではトランペットを演奏)とのカルテット、そしてさらに、2002年に、バーン・ニックスのギターを入れたカルテットを吹きこんでいる(>> リンク)。オーネット・コールマンのプライムタイムにおけるギタリストである。これもプライムタイム味なのか?

●参照
ラシッド・アリ+フランク・ロウ『Duo Exchange』


勅使河原宏『おとし穴』

2012-05-05 09:17:54 | 九州

勅使河原宏『おとし穴』(1962年)を観る。久しぶりの再見。

北九州の炭鉱。坑夫(井川比佐志)は、息子を連れ、炭鉱を夜逃げ(ケツを割る)しては転々と流れる男で、「結局、行きつく先は炭鉱なんだろうな」との諦念を抱きつつも、「生まれ変わったら組合のあるところで働きたい」との夢をも語っている。彼は突然罠にはまり、廃鉱跡で白い男(田中邦衛)に不条理に殺されてしまう。白い男は、目撃していた駄菓子屋の女を脅し、偽証させる。実は坑夫はある炭鉱の第2組合長そっくりで、殺したのは対立する第1組合長だ、とするのだった。疑心に駆られた第2組合長は、偽証した女から話を聞きだそうと第1組合長を呼び出すが、既に、女は白い男に殺されていた。そしてふたりの組合長は殺し合いをはじめる。すべてを視ていた坑夫の息子は、泣きながら、誰もいない廃鉱の町を走り続ける。

ちょうど三井三池争議(1959-60年)が起きたばかりの時代であり、戦前から続く過酷な労働、炭鉱の衰退、先鋭化する組合運動といった側面がフィルムにも取り込まれている。

リアルであると同時に不条理劇でもあり(結局、白い男は資本側が組合を突き崩すために雇った存在なのかどうかさえ判らない)、幽霊を登場させるなど安部公房好みの寓話にも仕上がっている。何度観てもすぐれた映画である。

どうやら、もとは1960年に九州朝日放送で放送された安部公房のテレビドラマ『煉獄』であったらしい(観たい)。その安部公房は、この映画では脚本をつとめており、次のように勅使河原宏を評している。彼には造形と反造形の感覚がある。『砂の女』『他人の顔』となると造形的な側面が出てくるが、『おとし穴』は反造形の側面がきわだって出ている、と。(『勅使河原宏カタログ』、草月出版)。

四方田犬彦と勅使河原宏との対談(『前衛調書』、學藝書林)では、四方田犬彦が、ラストに登場する野犬のシーンを挙げ、実は警官(犬)を含め、フィルムに犬の主題が見え隠れしている、などと指摘しているが、正直言ってムリがある。(なお、この対談集は参考になるものの、非常に粗雑な仕事であり、安部公房『他人の顔』をろくに読まずに質問しているような有様である。)


『アートシアター ATG映画の全貌』(夏書館、1986年)より

●参照
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』

●参照(ATG)
淺井愼平『キッドナップ・ブルース』
大島渚『夏の妹』
大島渚『少年』
大森一樹『風の歌を聴け』
唐十郎『任侠外伝・玄界灘』
黒木和雄『原子力戦争』
黒木和雄『日本の悪霊』
実相寺昭雄『無常』
新藤兼人『心』
羽仁進『初恋・地獄篇』
森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』
若松孝二『天使の恍惚』
アラン・レネ『去年マリエンバートで』
グラウベル・ローシャ『アントニオ・ダス・モルテス』


前田哲男『フクシマと沖縄』

2012-05-04 19:49:23 | 環境・自然

前田哲男『フクシマと沖縄 「国策の被害者」生み出す構造を問う』(高文研、2012年)を読む。前田氏は、『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書)という良書も書いたジャーナリストである。

既に、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)という本があるように、原発も米軍基地も共通の構造を持つことが露わになっている。この構造=システムに不可欠な要素を持つ場(福島、沖縄)のことを、高橋氏は「犠牲」と呼び、前田氏は「国策の生贄」と呼ぶ。もちろん、それぞれの場は人びとが生活する地域社会であり、そのようなテキストで括られることの良し悪しはあるだろう。しかし、確かに、そこに見られるのは、権力による意図的な「犠牲」「生贄」なのである。

著者は、長崎放送に入社し、長崎と佐世保での記者生活を送り、佐世保では、1964年からの米軍原子力潜水艦の寄港を取材している。佐藤政権の日本政府は、その安全性確保に関してまったく無力であった。そしてフリーになり、沖縄とミクロネシアを取材対象に選んでいる。

ミクロネシアは、西側のパラオ諸島(ペリリュー島など)、中央のマリアナ諸島(グアム島、サイパン島、テニアン島など)、東側のマーシャル諸島(ビキニ、ロンゲラップなど)からなる多数の島嶼地域である。戦後、ここで国連信託統治という支配方式を得た米国は、たびかさなる水爆実験を行う。1954年に被爆した第五福竜丸も、その被害者だ。しかし、その言説は、日本側の被害者のみを問題とする、非対称な視線によるものでもあった。

著者はビキニやロンゲラップなどマーシャル諸島に何度も通い、住民たちの被爆状況をつぶさに観察する。そこは、外からの視線が届かぬ、米国による人体実験場とでもいったところだった。あるところでは水爆実験だからといって島ごと移住させ、またあるところでは実験すら通知しない。しばらく経ち、除染したからもう安心だと言って島民を帰すが、怖ろしいほどの健康影響が出て前言撤回する。そしてその間、米国は欠かさずに人体のデータを取り続けている。おそろしいことだ。

重要なことだが、爆心地ビキニから500km離れた島でも、多少時期が遅れただけで、島民は同じ症状に苦しみ、亡くなっている。そのウトラック島民が浴びた放射線は、76時間に140ミリシーベルト。もちろん実験の回数にもより、蓄積量が問題となるのだが、著者はここで、低線量被爆の閾値は低いと考えるべきだとのメッセージを発している。ここで、かつての米国の残虐行為と、現在の日本の政策とが重なってくる。

著者がこのあたりで地図を買うと、日本は下半分しか載っていないようなものだったという。そして、むしろ、ミクロネシアと沖縄を一体として捉える見方があるのだという。沖縄も、サンフランシスコ講和条約により、「米国を唯一の施政権者とする信託統治制度」の下におかれた。ミクロネシアと同じ政治形態であった。

日本もまた、ミクロネシアに差別的な扱いを仕掛けている。1980年代初頭、低レベル放射性廃棄物をこの海域に投棄しようとして反対に遭い頓挫(これが六ヶ所村に向かった)。さらに同時期、高レベル放射性廃棄物を、水爆実験の跡地に陸地処分する案を公表している。これはそのまま鳴りをひそめているが、著者によれば、いつかまた再浮上しないという保証はない、という(最近のモンゴルのように)。

東日本大震災のとき、横須賀港に寄港していた原子力空母ジョージ・ワシントンは、大変な衝撃を受け、横転などにより最悪の事態もありえたのだという。このときジョージ・ワシントンは東京湾から逃げ出し事なきを得たが、これがまたないとは限らないのだと主張する。確かにそうだ、日本にある原発は54基だけではない、のである。これは意識外だった。

本書によると、ジョージ・ワシントンに装備された原子炉2基はそれぞれ40万kW相当、ほぼ福島一号炉と同じ。さらに原潜も横須賀に停泊している可能性が高い(2009年には延べ324日)から、東京湾に福島一号炉並みの原発が3基浮かんでいる状態が珍しくもないことになる、のだという。さて、これを誰が直視するか。

●参照(原子力)
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


孫崎享『日本の国境問題』

2012-05-04 09:09:28 | 政治

孫崎享『日本の国境問題 ― 尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書、2011年)を読む。(何しろインフルエンザで、寝っ転がってもそうそう眠れないのだ)

尖閣諸島、竹島、北方領土は、ずっと昔から日本の喉に刺さった小骨(大骨か)であり、緊張や交渉のたびに絶えず浮上してくる問題である。最近では2010年9月の尖閣諸島における中国漁船船長の逮捕、石原都知事の尖閣諸島購入計画、それから前原議員のロシア訪問。そのたびに、日本のメディアはまるで聖戦のごとく煽りたて、私たちは国民感情とやらを刺激されてしまう。

しかし、本書を読んで痛感することは、それが如何に一面的な見方であり、また、国民感情という名のナショナリズムが厄介な代物であるということだ。まるで隣国(中国、韓国、ロシア)を仮想敵国のように見立て、本当に衝突となったらどうなるかということなどには思いも馳せず、狭い家の中で目を吊り上げて似非マッチョな言辞を弄することなど愚の極みである。そうではなく、それぞれの係争地についてどのような歴史的背景があるかを知り、世界的文脈で如何にとらえるべきかを考えるべきだろう。本書はそれにうってつけの本である。わたしの目からも鱗が何枚も落ちた。

■ 尖閣諸島

日本側が主張することとは異なり、中国領であったとの証拠もある(井上清『「尖閣」列島』という研究があり、編集者のSさんが紹介している >> リンク)。「沖縄の領土」だとしても、少なくとも1879年の琉球国滅亡までは日中両属であったのであり、太古の昔から日本領ということでは決してない。もちろん両論あり、それぞれのネイションとしては簡単に引き下がれないところであるから、周恩来鄧小平ともに前向きな「棚上げ」をしてきた。

日中漁業協定」では、この海域において、「自国の漁船だけを取り締まる」こととなっており、これが抑止力となっていた(中国も取り締まってきている)。しかし2010年の衝突において日本が見せた対応は、明らかに日中漁業協定の違反であった。それを無視して「国内法で対応」とすることは、中国側にもそれを許すことになる。

なお、日米安保条約では、この地も発動の対象となる。しかし、本当に米国が動くかどうかは極めて疑問であるし、仮に中国が支配したら対象からはずれてしまう。それどころか、この摩擦を煽っているのは米国に他ならない(北方領土と同じ手法)。

■ 竹島

戦後処理において、竹島は日本の領土となった。しかし韓国の絶えざる働きかけにより、米国の竹島についての扱いは揺れ動き、現在では、米国における認識は「韓国領」となっている。2008年、町村官房長官(当時)による外交の怠慢が原因であった。そのため、原理的に、日米安保条約の対象とはならない。

■ 北方領土

ポツダム宣言において、日本は千島を放棄した。このとき国後・択捉・歯舞・色丹が南千島に含まれるかどうかは曖昧なままであって(どちらかというと無理がある論理)、むしろ、日本とソ連との接近を防ぎ続けるため、米英が意図的に曖昧にした経緯がある。1956年、日ソ国交回復のとき、歯舞・色丹の二島返還で妥結寸前までいったが、米国の圧力により、ハードルを高くさせられた(四島返還)。やはり、日ソ接近をおそれたのであった。

何とこのとき、ダレス国務長官は、重光外相に対し、「サンフランシスコ講和条約でも決まっていない国後・択捉のソ連帰属を認めるなら、米国も同様に、沖縄の併合を主張する」と脅したのだという。

なお、北方領土は日本の施政権下にはないため、やはり日米安保条約の対象とはならない。


知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』

2012-05-04 00:36:55 | 沖縄

インフルエンザB型でひどい状態。タミフルをはじめて呑んだ。

知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(未来社、2012年)を読む。『未来』誌において連載されている「沖縄からの報告」を、2年分まとめたものである。

著者リレー式でのエッセイゆえ、各者各様だ。一篇ごとが短いとは言え、軽く読みとばすことはできない。

以下に、示唆的だと感じたこと。(敬称略、まとめは当方の解釈)

○沖縄が現状に対して批判的に対峙するときの立場は、①主権国家の中で調和的に発言権を獲得しようとする立場(「沖縄イニシアティヴ」など)、②近代国家の枠組みでの自決権をもとうとする立場、③主権国家とは別の理念に開こうとする立場(反復帰論など)(>> 参照:川満信一『沖縄発―復帰運動から40年』)、の3つに分けられる。特に③に関連して、名護市が1973年に掲げた「名護市総合計画・基本構想」(>> 参照:宮城康博『沖縄ラプソディ』)は、今なお注目に値する。(與儀)
普天間問題から見えてくるのは②の限界であり、それを直視しなければならない。(與儀)
○台湾、済州島、沖縄は、大きなものに回収できない記憶や文化的要素をもち、相互に反響しあうように広がっている。危機的であると同時に新たな視座を生み出す可能性を持つ場であり、このことは、これまでにも「ヤポネシア」「群島」「エッジ」などの言葉で語られてきた。(與儀)
○1898年に沖縄で徴兵令が施行されたが(それでも、抵抗が続いたために見送られての実施)、徴兵忌避者が続出し、何人かは清国に亡命、ハワイや南米への渡航をしたという。このことが日本政府でも問題となり、1910年には軍による視察がなされ、検査場での暴行と抵抗という「本部事件」が起きた。これは単なる徴兵忌避ではなく、日本政治の忌避であった。(後田多)
○2011年、沖縄県立図書館に「山之口貘文庫」ができた。ここは、初代館長・伊波普猷、三代目館長・島袋全発など、沖縄にとっては重要な意味を持つ場である。図書館がある与儀公園には、山之口貘の詩碑(>> リンク)がある。(後田多)(そういえば、以前に詩碑を探しに足を運んだ時、腹痛を覚えて図書館に駆け込んだ記憶が・・・)
○かつて岡本恵徳は、「集団自決」について、幻想的に共生を求める共同体の力が働いたのではないかと指摘した。東日本大震災の後の「がんばろう日本」には同じ側面がある。救済されなければならないのは国家ではなく被災者である。(與儀)
○1972年の沖縄の施政権返還は、基地の全面撤去という民意を利用しながら、軍事構造の維持と日米共同管理を再確認するためのセレモニーであった。したがって、沖縄が「日本復帰」を主体的に選択したとは言えない。(與儀)
ジャック・ランシエールは、「多様な言説が生産される高度情報社会の時代に発動するような、巧みな合意調達に基づく社会形態」を<ポスト民主主義>と名付けた。震災後、国家と軍隊への視線は巧みに固定され、同時に沖縄も視えない遠隔地に固定されてしまうのではないか。<ポスト民主主義>下の統治とは、テクストへの隷従を意味し、そこでは公式化されたテクスト(「3・11」のような)が、権力構造を形成してしまう。(桃原)

「あとがき」に、本書のタイトルについて知念ウシ氏が悩んだ顛末がある。『闘争する境界』と言われ、当初、氏は『逃走する境界』かと思ったという。考えてみるとこれは単なるギャグではない。本書において桃原一彦氏の指摘する、テキストによる囲い込み、権力構造の構築が常に沖縄になされ続ける策動なのだとすれば、ドゥルーズ的にそこからの絶えざる逃走を図ること、それを暗に意味しているのではないかと思ったのである。


ACT SEIGEI-THEATERのカサヴェテス映画祭

2012-05-01 07:44:39 | 北米

1993年頃、当時池袋にあったACT SEIGEI-THEATERで「カサヴェテス映画祭」というジョン・カサヴェテス特集上映があった。他の映画のパンフレットに挟まっていた。このとき、『ラヴ・ストリームス』(1984年)に、すっかりやられてしまった。その後もカサヴェテス作品の上映はいろいろあったが、『ラヴ・ストリームス』ばかりはほとんど上映されなかったと記憶している。海外版VHSも入手したが、何しろ字幕がないため、観るにはエネルギーを必要とする。

今月、「ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティヴ」(>> リンク)において、久しぶりの上映。どれも好きな映画だが、やはり『ラヴ・ストリームス』。

●参照
ジョン・カサヴェテス『グロリア』


本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』

2012-05-01 00:14:57 | 九州

連休も仕事、こんな日は怪獣映画で癒されるに限る。そんなわけで、本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(1956年)を観る。

幼少期、テレビでは頻繁にゴジラ映画を放送していたが(勿論、1984年に復活した橋本幸治『ゴジラ』以前である)、なぜかこの『ラドン』は記憶になかった。はじめて観たのは、大学1年生のとき、三鷹にあった名画座「三鷹オスカー」においてだった。『ゴジラ』(1954年)、『ラドン』(1956年)、『モスラ』(1961年)の本多猪四郎作品豪華三本立て、一巡し再度、愛する『ゴジラ』を観ておしまいにした記憶がある。(大学に入って何をかなしんで怪獣映画を観ているのか。)

「三鷹オスカー」は小屋そのものの汚い映画館で、トイレに入ると外の騒音が盛大に聞こえた。まさか後年、伝説のように語られるようになろうとは夢にも思わなかった。奥泉光『鳥類学者のファンタジア』というジャズ小説でも、この映画館を懐かしそうに振り返っていて笑ってしまったことがある。

『ラドン』は、本多猪四郎(監督)、円谷英二(特撮)、伊福部昭(音楽)、さらに学者役の平田昭彦と、『ゴジラ』に重なるキャストとスタッフである。映画としての出来でみれば、迫力、時代的必然性、切実さのどれをとっても『ゴジラ』の水準にはまったく達していないのだが、それでも面白い。ラドンが襲うのは、阿蘇(存在しない炭鉱が設定されている)、佐世保、福岡。北京から20分でマニラを通過し、米軍占領下の沖縄も経由する。福岡の市街は古すぎて、これが遠賀川なんだろうな、といった程度しかわからないが、瓦屋根がラドンの風圧で吹き飛ぶところなど、手作りの特撮が見事。今の目で観ると、本当に新鮮なのだ。