Sightsong

自縄自縛日記

鈴木道彦『異郷の季節』

2013-11-10 00:05:56 | ヨーロッパ

鈴木道彦『異郷の季節』(みすず書房、原著1986年)を読む。

ここには、著者の思想的背景をなす体験がつづられている。

なかでも、アルジェリア戦争(1954-62年)、そして、フランス五月革命(1968年)。かつてナチスドイツに市民レベルで抵抗し、それが国家のアイデンティティに刷り込まれている筈のフランスが、自ら植民地支配をなしたアルジェリア独立を暴力的に抑圧していた。また、やはりかつて支配していたベトナムでの帝国主義の残滓たるベトナム戦争に、市民は、あらためて異議申し立てを行った。

著者は、そのような場に居合わせただけでなく、抵抗者たちと交流し、行動をともにしている。そのことが、日本を振り返ってみたとき、在日コリアンの問題を捉えた駆動力となった。フランスにおいても、金嬉老事件(1968年)について発信している。

そのような問題をわがものとして考え、動くものは、「自分だけではないが、それでもなおかつ絶対的な少数者であった」という。それだけに、次の著者の言葉は深い意味を持ち、かつ、現在にも通じる。

「一つの集団が集団として他者を踏みにじりながら、恬として恥じないばかりか、そのことに気づきさえしないときに、その流れに抵抗する者は、少なくとも初めは完全な少数派になることを覚悟せねばならない」

「今は小泉純一郎や安倍晋三のような首相を生み出した戦後日本の無反省史観が大手を振ってまかり通っている時代だが、そのような時代だからこそ逆に戦後史は繰り返して検討の対象にすべきだろう。戦前の植民地帝国日本の歴史が残したものにどう向き合うのかということは、戦後日本の果たすべき最重要な課題である。私は六〇年代から、そこに日本の「戦後責任」があると主張してきたのだが、日本はどこまでそれを果たしたのだろうか。在日は依然としてそういう問題を日本人に付きつけているのではないだろうか。」(2007年の新装版刊行時のあとがきより)

●参照
鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』


石井寛治『日本の産業革命』

2013-11-09 10:52:13 | 政治

バンコクにいる間に、石井寛治『日本の産業革命 日清・日露戦争から考える』(講談社学術文庫、原著1997年)を読了。

明治国家が立ちあげられたあと、内戦(西南戦争)があり、国家間の戦争(日清戦争、日露戦争、2度の大戦)があった。外からの経済の大波もあった。本書は、そのようななかで、産業がいかに育ち、戦争と関与し、変貌していったかを追うものだ。

よく言われているように、国家によって集中的に栄養補給され、あるいはそれを背景に民間が伸ばしていった産業がある。それは繊維であり、鉄道であり、鉄鋼であり、機械であった。日清戦争において広島に大本営が置かれ、臨時首都となったことも、鉄道が広島まで整備されていたことに起因する(>> リンク)。

そして、オカネを使ってうまくそれを後押しするために、三菱・三井などの政商や銀行が必要とされた。近代社会は経済のフローを不可欠とし、その血液がオカネであるからだ。

かたや、ストックという面で非常に印象的なのは、朝鮮、台湾、中国への軍事侵略にともない外地で増やしていったストックが、日本を次第に後戻りできない足枷と化していったこと。そしてその逆に、日本は、日本への外資の流入を極力拒絶し続け、そのことはフローにも悪影響を及ぼし続けた。その代わりに、フローへの栄養補給は外債によって、であった。さらに、フローの行き先として、軍事が無理やり増えていった。

本書には、このようにアンバランス極まる経済発展と産業育成を続け、それと並行して、日本自身が対象となっていたはずの「黄禍」的な視線が、日本から他のアジア国に向けられていくプロセスが詳述されている。勿論、私たちはこの歴史の先っぽに立っている。


2013年10月、マンダレーの北

2013-11-09 00:38:20 | 東南アジア

ひと月半ぶりのミャンマー。

バンコクを経由し、マンダレーまで飛ぶ。目的地は、さらにそこから自動車で6時間以上かかる山中の町。2回目の訪問である。

もう、朝晩は結構寒くなっていた。宿のシャワーからは、前回は茶色く冷たい水しか出なかったが、今回は透明で温かい湯が出てくれた。


朝の雲海


朝の木


朝の畑と雲海


奇妙な岩


照葉樹林帯


小屋と犬



日の出前


御来光



帰りに土砂崩れに遭遇


バンコクとジャカルタを経由して帰国

※写真はすべてPentax LX、K18mmF3.5、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、マンダレーの北
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ
2013年9月、チャウタッジー・パゴダ
2013年9月、ヤンゴンの湖畔
2013年9月、ネピドー


多木浩二『天皇の肖像』

2013-11-07 00:40:37 | 政治

週末、バンコクとジャカルタにいる間に、多木浩二『天皇の肖像』(岩波現代文庫、原著1988年)を読んでしまう。

もともとは岩波新書の新赤版として出されていた。高校生のとき、たまたま手にとり、夢中になって読んだ記憶がある。そんなわけで、25年ぶりの再読である。

江戸末期まで、天皇は政治システムの上位に位置づけられこそすれ、国家統治の機能としては希薄な「消極的権威」に過ぎなかった。国民からの距離も、決して近い存在ではなかった。

ところが、明治の近代国家を構築するにあたり、大久保利通は、天皇という神話の構築を図る。まずは、明治天皇による全国の大巡幸というイベントである。この繰り返しは、錦絵というメディアを通じて権力の刷り込みを生む。そして、やがて、御真影という最強のメディアが登場するに至る。新メディア・写真である。

たかが写真ではない。それは神格化され、流通を厳しく制限され、礼拝の場所や方法など、常に厳格な儀式を伴うよう強制された。このヴァーチャルかつ絶対的なコードは、権力のかたちに絶大なる力を持つことになった。上位からの支配だけではない。

著者は、「天皇制国家のミクロコスモスの階層秩序として社会が編成され、かくして大小無数の天皇によって、生活秩序そのものが、天皇制化されることになってゆく」という、藤田省三の言葉を引用している。極めて曖昧であり、かつ、同時に絶対的であるという相互に矛盾する特性が、無数の「天皇」的な権力関係を創出したわけである。民衆が下からも中からも天皇なる存在を抱き、自ら支配し、支配される関係を創りだした。権力の内部化というべきか。

先日の山本議員事件において、この魔術がいまだ生きていることがあらわになった。曖昧かつ絶対的であり、視る・視られる関係が交錯する政治空間。それは直視されず、ましてや批判の対象となることはない。そして、この恐るべき政治空間に儀式によらず立ち入ったというだけで、その者は不敬とされてしまうのである。


バンコクの●野屋

2013-11-06 00:43:41 | 東南アジア

百聞は一見に如かず。実は前から行きたかった。カラーリングも内装もクリソツ。味もクリソツではあるものの、若干こちらの方が肉が厚い。

並が140バーツだから420円くらい。日本より高い。

ついでに、夜は大阪に本店がある居酒屋で日本シリーズ第6戦。マー君に土をつけた。