Sightsong

自縄自縛日記

新藤健一・編著『沖縄「辺野古の海」は、いま』

2015-06-18 07:08:02 | 沖縄

新藤健一・編著『沖縄「辺野古の海」は、いま 新しい巨大米軍基地ができる』(七つ森書館、2015年)を読む。

前半は、辺野古を中心とした写真群。高江、白保、泡瀬干潟の写真も収められている。見たことのある写真も初めての写真もある。

辺野古の海には、少し潜ると、アオサンゴの群生など非常に多くの貴重な自然が多い。ジュゴンだけではないのである。もちろんこの論理には、美しく貴重な自然環境・生物でなければ破壊してもよいのかという陥穽が含まれているのだが、素晴らしいものは素晴らしい。吃驚し、魅入らされるばかりだ。

ところが、沖縄防衛局は埋め立てを強行しつつあり、こともあろうに、対象地域外で巨大なコンクリートブロックを沈め、サンゴを破壊している。また、海上保安庁は反対する市民をむきだしの暴力で排除している。写真を視ることで、その暴力性が迫ってくる。

そして素晴らしいやんばるの森。この多くは、米軍のジャングル戦闘訓練センターが占めており、ベトナム戦争時代から密林でのサバイバル訓練がなされている。すなわち、沖縄が米軍に基地を提供させられ、海外で数多くの市民が殺され、それを不可視化することで、日本が存続してきた。非常に歪んだ構造であり、可視化すれば、その構造はその都度揺らいでくる。

そして後半の解説にあるように、仮に一万歩譲って米軍の軍事行動を前提条件としても(譲るのは誰か?)、米軍基地を沖縄に置く意味は、軍事戦略としても、経済的にも、実に稀薄なものとなっている。しかし、辺野古の新基地(移設という言葉を使うこと自体が欺瞞である)は、米軍により50年前からずっと狙われてきたものであり、ジャングル戦闘訓練センターも含め、東西冷戦時代の日米合作がいまや亡霊のようになって沖縄を徘徊し続けているものだと言うことができる。

●参照
二度目の辺野古(2010年)
2010年8月、高江
泡瀬干潟(2010年)
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘(2007年)
高江・辺野古訪問記(1) 高江(2007年)


アンディ・シェパード『Surrounded by Sea』

2015-06-17 07:21:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンディ・シェパード『Surrounded by Sea』(ECM、2014年)を聴く。

Andy Sheppard (ts, ss)
Eivind Aarset (g)
Michel Benita (b)
Sebastian Rochford (ds)

前作『Trio Libero』ではベース、ドラムスとのトリオ、その前の『Movements in Color』はギター2本、ベース、タブラのグループだった。今作ではまたギターを入れたカルテットとしているわけだが、このように行きつ戻りつしながら完成度を高めている・・・というか、この人の音楽はもう高いところにあってすでに完成されている。

ここでは、前作と同様に、チャーリー・ヘイデンの影響を受けて残響音を活かしたプレイをするミシェル・ベニータのベースと、さらにロングトーンのアイヴィン・オールセットのギターとが、まるで弾力性のあるミディアムのように、下からシェパードを持ち上げている。シェパードはと言えば、自身のサックスのエアで華麗に自由飛行している。音色のひとつひとつが機微に触れてきて、ため息とつきたくなる良さがある。

最後の曲は意外にも「Looking for Ornette」。シェパードはそれらしきフレーズを吹くものの、まるでオーネット・コールマンと共通する要素がないように思える。何かオーネットへの思いなどあったのだろうか。

●参照
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』(2012年)
キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』、シェパード『Trio Libero』(1990年、2012年)
ケティル・ビヨルンスタ『La notte』(2010年)(シェパード参加)
アンディ・シェパード『Movements in Color』、『In Co-Motion』(2009年、1991年)
アンディ・シェパード、2010年2月、パリ


高橋哲哉『デリダ』

2015-06-16 22:53:13 | 思想・文学

高橋哲哉『デリダ 脱構築と正義』(講談社学術文庫、原著1998年)を読む。

互いに対になるような概念や存在を設定する、形而上学的な世界認識、汎用的な論理。抽象。繰り返し可能なもの。法。何ものかの対象や自己に名前を付けること。これらは根源的に暴力をはらんでいるものであり、正義ではない。「脱構築」とは、不断のそのような問い直しに付けられた考えであるだろう。

ここで、他者というものに目が向けられる。他者は、上の考えからしても、世界における位置が事前に認識され、いつどのように自己に関与するか予測可能な存在ではありえない。そうではなく、「まったき他者」に自己を委ねること。ここで、確かにジャック・デリダにとっての正義が、エマニュエル・レヴィナスの苛烈な倫理思想と重なってくることがわかる。レヴィナスは、完全に予測不可能な他者に対し、もっとも無防備な自己の顔を晒すことがすなわち倫理だと説いた(デリダは、『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』を書いている)。

そして、何かを志向する活動に(正義に、倫理に)限界があること。アブラハムは、神に、息子のイサクを生贄として捧げよと告げられ、ひとり苦しみながら自分の手で息子を殺そうとする。デリダが『死を与える』において思想している『旧約聖書』のエピソードであり、あまりにも理不尽な「まったき他者」としての神である。しかし、アブラハムの行動がどうあれ、神の意志がどのようなものであれ、必然的に、他の「まったき他者」は、アブラハムの行動と無縁ではありえない。これこそが限界であり、絶えずその無限の縁を問い直さなければならない。

「私は他の者を犠牲にすることなく、もう一方の者(あるいは<一者>)すなわち他者に応えることはできない。私が一方の者(すなわち他者)の前で責任を取るためには、他のすべての他者たち、倫理や政治の普遍性の前での責任をおろそかにしなければならない。そして私はこの犠牲をけっして正当化することはできず、そのことについてつねに沈黙していなければならないだろう。」
「あなたが何年ものあいだ毎日のように養っている一匹の猫のために世界のすべての猫たちを犠牲にすることをいったいどのように正当化できるだろう。あらゆる瞬間に他の猫たちが、そして他の人間たちが飢え死にしているというのに。」
(『死を与える』)

ところで、思想家の概説書にはいろいろなものがあるが、概して、読んだあと時間が経つと何が書かれていたか忘れてしまう。まとめてポイントをつかむようなプロセスが、意味のある思想とは正反対に位置するからである。いかに難解で晦渋なテキストであろうと、それに直接取り組まなければ脳内に沈殿することはあるまい。それはわたしのような素人にとっても同じことだ。

本書は、その中で思想し、簡単にはポイントを示してくれない。驚くほど明快でもあるのだが、果たしてこちらがもやもやと抱くデリダの思想のイメージが、身勝手で偏ったものなのか、少しでも正鵠を射たものなのかについては確信できない。逆説的だが、それゆえに良書である。

●参照
ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(2006年)
ジャック・デリダ『言葉にのって』(1999年)
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』(1997年)
ジャック・デリダ『死を与える』(1992年)
ガヤトリ・C・スピヴァク『デリダ論』(1974年)
エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(1984年)
エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』(1982年)
エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』(1974年)
合田正人『レヴィナスを読む』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
高橋哲哉『記憶のエチカ』
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ(2013年)(高橋氏発言)
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(2012年)(高橋氏発言)


イーヴォ・ペレルマン+カール・ベルガー『Reverie』

2015-06-16 00:25:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

イーヴォ・ペレルマン+カール・ベルガー『Reverie』(Leo Records、2014年)を聴く。

Ivo Perelman (ts)
Karl Berger (p)

何しろペレルマンの吹き込みはやたら多くて付き合っていられないのだが、カール・ベルガーとのデュオとなれば珍しいのではないか(未確認)。

そんなわけで、久しぶりに新譜を聴く(と言っている間に別のさらに新しいものが出たようだが)。やはりペレルマンのテナーはいいものだ。ねっとりと暗闇がからみつくようでもあり、かすかな低音や外れる高音の息遣いが迫りくるようだ。どうしても、ベルガーがさほど尖っていないこともあって、ペレルマンの情念のような音に鼓膜が貼りついてしまう。

最後のスローブルース「Reverie」の哀しさは驚くほど。

●参照
イーヴォ・ペレルマン『Blue Monk Variations』
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(カール・ベルガー出演)
『Marzette Watts』(カール・ベルガー参加)


『沖縄戦 全記録』

2015-06-14 22:37:14 | 沖縄

「NHKスペシャル」として、『沖縄戦 全記録』が放送された(2015/6/14)。

沖縄戦は、大戦における(ほぼ)唯一の地上戦である。当時の沖縄の人口は60万人近く。戦死者は約20万人、うち沖縄県民は少なく見積もっても12万人以上。一家全滅という例も少なくなかったため、全数を把握できない。ざっくり言えば、4人に1人が亡くなった。

沖縄では、公的に「戦没者調査記録」という悉皆的な調査がなされている。この番組では、そのうち徴兵された軍人と、民間人でも亡くなった日時がわからない方々を除いた82,074人を対象に、犠牲となった日時の経年的な分析を行っている。(つまり、タイトルの全記録とは、1時間の番組を大きく見せるためではなく、そのような記録を用いたという意味であろう。)

それによれば、アメリカ軍の「沖縄本土」上陸(1945/4/1)以降、犠牲者の数は次のようになっている。
4月   13,800人
5月   21,600人
6月以降 46,042人

すなわち、第32軍の司令部が置かれた首里が陥落し(1945/5/31)、事実上の決着がついて以降、6割もの方が亡くなったということになる。これには、司令官の牛島中将により、住民を含め最後まで闘えとする方針が出されたことも大きかった。またもとより、皇民化教育により、「鬼畜米英」の手に落ちることは恥であり、それよりは死を選ぶべきだというマインドコントロールがなされていた。そのため、いわゆる「集団自決」が数多く行われた。

5月以降の犠牲者のなかには、「防衛招集」により無理やり軍の一部に組み込まれた民間人が多かったという(22,000人以上)。最終的には、14歳以上の男子までもが対象となった(鉄血勤皇隊)。かれらも、女性たちも、手榴弾などを持って突撃する「斬り込み」を含め、もっとも危ないことを行わさせられた。

民間人の命を手段として使った(軍官民共生共死ノ一体化:「県民指導要綱」)のは、それだけではない。アメリカ軍が押収し、翻訳して戦略のために用いた日本軍の「戦闘実施要項」には、敵の目を欺くため、住民の着物を着用するようにと書かれていた。アメリカ軍の狂気もエスカレートし、民間人を目視できても撃ち殺した。そして、火炎放射器の利用、壕への手榴弾の投げ込みなど、無差別虐殺を行うに至った。

戦争の実態はこのようなものだ。それは外交や戦争の形態によって変わるものではない。4人に1人が犠牲となった沖縄を、戦後アメリカの基地として供し、さらに新基地を作ろうとしていることは、いかにもっともらしい言辞を弄しようとも間違いである。

●参照
米国撮影のフィルム『粟国島侵攻』、『海兵隊の作戦行動』
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
感性が先 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
具志堅隆松『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』
沖縄の渡口万年筆店
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回
沖縄「集団自決」問題(7) 今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
今井正『ひめゆりの塔』
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位
沖縄戦に関するNHKの2つの番組と首相発言
『世界』 「沖縄戦」とは何だったのか


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2

2015-06-14 08:03:23 | アート・映画

先週(丸木美術館・岡村幸宣さんと壷井明さんの対談)に続き、Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」での対談。今回は、大來尚順さん(浄土真宗本願寺派僧侶)が登場した。大來さんは、英語で平易に仏教を説いた『英語でブッダ』という著書も出したユニークな方である。山口市(旧・徳地町)のお寺のご出身。

今回の大來さんの発言は、たとえば以下のようなもの。なお対談のなかには、震災後の福島におけるナマの具体的な情報がとても多く、それらは、ここには書かない。

○現地の実態は、オモテに出てきている話よりも遥かに過酷である。
○震災を「前世の報い」だと言った住職がいたが、そうではない。仏教は「過去の業」を気にしないものであり、「カルマ」(業)とは、現在生きる私たちの行動にのみ結びついている。被災者たちに、罰を受ける因果があったのではない。私たち皆が起こした結果である。無関係に思える人たちも、それと知らずに因果関係に入っており、そのことを勉強せずに無自覚の状態に甘んじている(縁起思想)。それでは現在・これから何をするのか、ということが重要となる。そうしなければ同じ過ちをおかしてしまう。
○東京などではそうではないが、地方では、何かあったときに宗教家が頼りにされることが少なくない(「駆け込み寺」的)。教育にも、サマースクールや法話などの形で関わっている。そのときには、特定の教えを布教せずに仏教の考えを伝えるようにしている。
○全日本仏教会は、震災後、脱原発の宣言文を出した。宗教・宗派を超えて宗教家同士が寄り添う動きもある。また、「宗教臨床師」という資格も整備されている。
○仏教では、ブッダによる『法句経』(ダンマパダ)がすべてのオリジンである。
○(壷井さんたちの取材)震災により生まれ育った場所を離れざるを得なかった人たちが、何人も自殺している。このことを取材していたはずのNHK・ETV特集『住民帰還~福島・楢葉町 模索の日々』でも、触れられていなかった。また、東京新聞が特集した「震災関連死」でも、十分には捉えられていない。

特定の宗教を心に持たないわたしではあるが、現在の仏教のあり方や、宗派を超えて連携する宗教家というあり方には新鮮な驚きを覚えた。カルマや縁起思想は、「天罰」論への明快なひとつの反論になっている(高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』と同様に)。

「真実」と大上段に構えないとしても、実態の話に触れるためにも、ぜひこの場に足を運んでほしい。対談やイベントは今後も予定されている。また、その他の日でも、Nuisance Galerieはなんと夜の24時まで開いており、壷井明さんの作品をじっくりと観ることができる。

●6月20日 ライヴ『唄・息・人間』: 3C123(即興前衛楽団)、壷井明(録音データ使用)、安田哲
●6月27日 島明美『現地から見たFukushima ー現在(いま)ー』
●7月4日 栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパパーン』(8ミリ映画)上映
いずれも18:30から
https://www.facebook.com/events/1636706993211991/

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
三枝充悳『インド仏教思想史』
室謙二『非アメリカを生きる』
末木文美士『日本仏教の可能性』
仏になりたがる理由


原一男『さようならCP』

2015-06-13 11:51:43 | アート・映画

原一男『さようならCP』(1972年)を観る。


パンフレット(疾走プロダクションが引っ越したあとの住所判が押されている)、販価400円。

CPとは脳性麻痺を患う者のことを指す。当時、健常者からの認識の外に追いやろうとする意図に抗し、「青い芝の会」が作られたばかりだった。すなわち、健常者がバウンダリーを引き囲い込もうとする社会に対し、強烈なほどに存在証明を突きつけること。本作はその活動を記録したドキュメンタリーであり、原監督のデビュー作でもあるようだ。

『ゆきゆきて神軍』や『全身小説家』など、露悪的とみえるほどの爆弾をこれでもかと社会にぶつけてきた原監督のことでもあり、「客観的」なドキュメンタリーにはとどまっていない。患者たちの動き、喋り、表情を、ひたすらに画面に焼き付ける。それは観る者への挑発でもあって、距離を置いて落ち着いて映画の意図を探ることを許さない。むしろ、この強烈な映像から抜け出そうとする者は(わたしを含め)、自らの歪んだ姿に気付かざるを得ない。

映画の前半に、カンパを呼びかける患者と支援者におカネを渡す者たちへのインタビューが収録されている。健常者が上に立つことを前提としたパターナリズムなどと見てしまうかもしれず、もちろんそのような側面だってあるのだろうが、実のところ、これが観る者に渡された鏡であることに気付いてしまうのだった。


J.R.モンテローズ『Live in Albany 1979』

2015-06-13 07:32:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

J.R.モンテローズ『Live in Albany 1979』(Uptown、1979年)を聴く。

J.R. Monterose (ts)
Hod O'Brien (p)
Teddy Kotick (b)
Eddie Robinson (ds)

さほど熱心に聴いてきたわけでもないのだが、モンテローズのテナーが好きである。エッジが丸くもこもこしていて、内にこもるような音で、鈍器のようで、ノスタルジックな色もあり、しかし熱い。デューイ・レッドマンにも共通する印象を持つのだがどうか。

ここでは、「The Shadow of Your Smile」、「Ruby, My Dear」、「Just Friends」、「I Should Care」と、もう聴く前からこんな感じだろうなと雰囲気を想像できてしまうような曲を演奏していて、事実その印象は裏切られず嬉しい限り。

一方、驚きはこれまで未発表だった「Giant Steps」。やはり、コルトレーンのように絶えず転調を繰り返し演奏技術の限界に挑戦する、といったものでは、まったくなかった。それっぽく頑張っているのはピアノのオブライエンとベースのコティックくらいで、ソロもかなりかれらに任せている(笑)。モンテローズといえば確かに「それ」を吹いているが、結局はノホホン節。もちろんこれでいいのだ。


セシル・テイラー『Michigan State University, April 15th 1976』

2015-06-11 07:13:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラー『Michigan State University, April 15th 1976』(Hi Hat、1976年)を聴く。

Cecil Taylor (p)
Jimmy Lyons (as)
David S. Ware (ts)
Rache Malik (tp)
Marc Edwards (ds)

名盤『Dark to Themselves』の2か月前の記録であり、メンバーも同一。

いま聴くと、デイヴィッド・S・ウェアのテナーサックスが意外なほどスムーズに耳に入ってくるが、これは嬉しい発見かもしれない(実は割と避けて通ってきていた)。

それはともかく、エドワーズがどすどすとボディーを叩きまくる中、ウェア、ライオンズ、マリクが白髪一雄的な泥水と血の奔流を現出させ続ける。それはやはり圧倒的なのであって、ジッとして聴いていると、下流のどこかにあっという間に流されてしまいそうだ。そしてセシル・テイラーは幻の空中楼閣を、絶えず奔流の上に構築しては、その腕で自ら叩き壊す。聴く者の血は泡立つばかりなのである。

●参照
セシル・テイラー+田中泯@草月ホール(2013年)
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラー+ビル・ディクソン+トニー・オクスレー(2002年)
セシル・テイラーの映像『Burning Poles』(1991年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979~1986年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』(1976年)、『Aの第2幕』(1969年)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968年)
セシル・テイラー初期作品群(1950年代後半~60年代初頭)


ガヤトリ・C・スピヴァク『デリダ論』

2015-06-11 00:35:19 | 思想・文学

ガヤトリ・C・スピヴァク『デリダ論』(平凡社ライブラリー、原著1974年)を読む。

ニーチェのいう力への意志が、その都度、何らかの語られるものと語られるものとのリンクによって絶えず生成するならば、ここで論じられるジャック・デリダは、語るものも語られるものも互いに権力関係を持たず、都度消えて、形而上学的な関係付けを許さない。それは権威の徹底的な否定であり、遊戯である。

「あれでもなく/これでもないということは、同時にあれでもこれでもあるということであり、あるいは、あれあるいはこれであるということです。」(ジャック・デリダ『ポジシオン』からの引用)

だからどうしたというのか。スピヴァクのテキスト自体はあまり魅力的なものではない。

●参照
ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』(2010年)
ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(2006年)
ジャック・デリダ『言葉にのって』(1999年)
ジャック・デリダ『死を与える』(1999年)
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』(1997年)
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)(本書で引用)


喜多川進『環境政策史論』

2015-06-07 22:10:31 | 環境・自然

喜多川進『環境政策史論 ドイツ容器包装廃棄物政策の展開』(勁草書房、2015年)を読む。(喜多川様、ありがとうございました。)

著者によると、環境政策の形成プロセスを一次資料・二次資料によって確認・検証していく「環境政策史」は、まだ研究が十分には進んでいない分野であるという。確かに、わたしが関わっている「気候変動」や「排出権」の分野のことを考えても、そのことは納得できる。政策についてその時点での断面を詳述したものはあっても、それを時系列的に追ったものは少ないうえに、その形成プロセスとなると当事者の記憶と資料の山の中にしかないのかもしれない(政府機関、シンクタンク、業界団体、さらには明示されない協議内容)。たとえば、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』がその例として紹介されているが、読んでみるとそれは研究というよりは「生々しい」ドキュメンタリーである上に、環境保護に対する思いが強く反映されたものである。研究対象としては避けられる分野なのかもしれない。

本書においては、その事例としてドイツにおける容器包装廃棄物に関する政策を対象としている。ここで著者が丹念に追っている政策形成プロセスを読んでいくと、単に環境保護が重視された結果の政策導入ではなく、政治家、政府機関、業界団体、地域といったステークホルダー間の押し引きの結果として政策があるのだということがよくわかる。著者は、環境保護だけではなく経済合理性を考えて環境保護を進める立場を「環境リアリズム」と呼ぶ。

もちろん、環境保護というファクターはあった。増え続ける廃棄物を受け入れる処分場は十分ではなく、さらに、飲料容器が、リターナブル容器からワンウェイ容器へとシフトしつつあるという懸念、そして、1990年のドイツ統合により、それまで廃棄物を受け入れていた東ドイツが消滅するという懸念が、政策導入の駆動力であったことは確かなようである。

しかし、だからといってそのための適切な環境政策がすぐに導入されるわけではない。まずは、リターナブル容器を使う地域を基盤とする政治家の働きかけがあった(従来の地元への利益誘導型)。容器包装をデポジットの対象とすることに対する業界の強い反発もあった。そして、結果的な解として浮上する「デュアル・システム」(従来の廃棄物を自治体が、容器包装廃棄物を民間が処理する)に対する、民間のリサイクル・ビジネスへの期待もあった。

振り返ってみると、「環境政策」というカードを重視しすぎた政策導入プロセスは失敗し、むしろ「経済要因」と「政治要因」のプラスアルファとして「環境政策」を付加したプロセスにおいて、政策という果実が得られたのだという。これは日本においても共通することかもしれないと思う。

なお、著者によれば、「デュアル・システム」導入は、いろいろな面で拙速であった面があるという。民間が大きく期待したリサイクル・ビジネスがどのような結果を見たのか、日本との比較で知りたいところである。

●参照
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』(喜多川さんの論文所収)
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』(喜多川さんの論文所収)


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie

2015-06-07 09:36:18 | アート・映画

九段下(水道橋?神保町?)のギャラリーNuisance Galerieに足を運び、「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」展とギャラリートーク。このギャラリーにははじめて行ったのだが、実は、ライヴハウス「視聴室」の真上である。

壷井明さんは、近所の材木店で調達するという長方形の木の板を3枚セットにして、「3・11」後の福島を描いている。

ささくれたような太目の線、荒涼たる茶色。あえて人物の個性を消したような描き方によって、却って、事態を大きな物語で糊塗しようとする意図を強く否定しているようだ。仮設住宅も除染後の廃棄物も、否定しようもなく「そこにある」。たたずむ人の影は地面に長くのび、存在を消すことはできない。そのような強いメッセージ性を持つ作品群である。

もともとこの展覧会のことを、編集者のHさんのご案内で知ったのだが、その後、ライヴ会場で隣に座っておられた安田哲さん(ご本人は強く謙遜するが映像作家)が企画を行っているというのだった。その安田さんは、壷井さんが銀座や渋谷など目立つ場所にこれらの絵を突然並べるという活動を映像に残している。このあとのトークショーで明らかになるのだが、それは、アートに社会との関わりを持たせ、コミュニケーションを生み出すものでもあった。

トークショーには、丸木美術館の学芸員である岡村幸宣さんが登場。東京新聞での連載をまとめた『非核芸術案内』(岩波ブックレット)という著作もある方である。

トークショーは、壷井さんが岡村さんに質問する形ですすめられた。(文責は当方にあります)

丸木夫妻(丸木位里、丸木俊)による「原爆の図」(丸木美術館所蔵)は15部から成る。
○敗戦後、GHQにより、原爆の人的な被害を示すような印刷物は強く検閲された。それゆえに、丸木夫妻は、検閲の対象外である絵の形で、公民館や学校や駅といった場所で展示し、原爆の実態を伝える方法を選んだ。1作品につき8本の掛け軸でできているが、それには、持ち運びに便利なように、また何かあったときにすぐに持ち去ることができるようにという目的があった。
○丸木夫妻は、原爆投下のあとで位里さんの母親・スマさんのいる広島に入り、1948年夏に、その絵を描こうと決め、1950年、第一作が完成。これには、スマさんの証言が少なからず反映されている。なお、当時原爆をテーマに絵を描いた人もいたが、その多くは「当たり障りのない風景」のようなものだった。
○東京都美術館での「日本アンデパンダン展」に展示したところ、絵の前には人だかりができて大変な反響を呼んだ。そしてその1か月後に個展。絵は検閲対象外ゆえ、当局からの圧力はなかった(そのあたりはきっちりとしていた)。
○(※原爆の情報が出てこない中でその真実性についてどう受け止められたのか、とわたしが質問したところ)確かに「大げさではないのか」という反応もあった。しかし、広島を体験した人も少なからずいて、実態がまったく知られていないわけではなかった。
○美術館から社会へ、街の中へ出ていくべきだとの声があり、多くの画廊で展示されるようになっていった。デパートも人の目に触れる場所として重要だった。三越は日本橋の本店が展示に踏み切れず、銀座店を使った。1951年には、京大主催の「総合原爆展」でも展示された。
○1952年、再独立。原爆の情報が「ブーム」のように流出した。新藤兼人『原爆の子』も同年の映画である。
○核兵器廃止を求める運動「ストックホルム・アピール」(1950-)のための署名が、日本でも多く集められた。そこには、「原爆の図」の貢献があった。それにより、丸木夫妻は世界平和評議会より国際平和賞ゴールド・メダルを受ける。その授賞式出席にあわせて、丸木俊は「原爆の図」を持参。本人の帰国後も、作品は欧州を巡回した。
○さて「3・11」後、目黒区美術館において「原爆を視る1945-1970」展が中止となった。この自主規制は、戦後GHQの検閲が終わっても行われた日本の特質のようなものではないか。(ギャラリー古藤での「表現の不自由」展にも言及)
○オバマ政権が誕生し、これで「原爆の図」をアメリカで展示できる追い風になるのではないかと考え、ずっとそれを進めている人がいる。しかし、大きな美術館からはことごとく断られた(※会場からその理由を問う質問があり、それに対しては、スケジュール、予算、やる気の問題だろうとのこと)。アメリカでは、原爆がアートとして成立しうるのかという見方が根強くある。ところが、2013年にオリバー・ストーンとともにピーター・カズニックが来日し、それをきっかけに、カズニック氏が教授を務めるアメリカン大学での展示が決まった(2015年6月13日~)。アメリカでは数か所巡回する予定(ブルックリンの「Pioneer Works」を含む)。
○(※ブルックリンのMOMA PS1の「ゼロ・トレランス」展において、Chim↑Pomが「3・11」後の福島で撮った作品を観たが、アメリカにおける今のこうした作品の受容を訊いたところ)Chim↑Pomは丸木夫妻を先駆者として捉えている。Chim↑Pomが企画したワタリウムでの展覧会でも、丸木夫妻が作品を持ち歩くために使った箱を展示した。
○すなわち、「プロテストからコミュニケーションへ」。壷井さんは、自身の作品を繁華街や目立つ場所に持っていき、突然展示した。摩擦を引き起こす可能性もあったが、実は、対話というコミュニケーションも成立した。このことは、日本における「自主規制」へのアンチテーゼとして捉えることができるのではないか。
○近代アートは自我や内面を提示する傾向があるが、一方、壷井さんのアートは社会とのつながりを重視しており、また、登場人物も誰という特定をしていない。1950年代を知らないアーティストにして実に珍しい。逆に言えば、一般的ではないため広くウケない。
○運動の持続は難しいものだろう。「3・11」後、まだ5年も経っていないのに、社会からすでに「3・11」は過去のこととして忘れされそうになっている。しかし、「原爆の図」の第一作の完成は、投下から5年後であった。
○(※壷井さん曰く)自分の作品のなかに、福島で大きなテレビを視ながら風船を手放す人と、手放さず自分の子にはマスクをさせている人とを登場させた。自身でどのように判断するのか、どちら側の人になるのか。
○(※表現の方法はどのように選んだのかという会場からの質問に対して、壷井さん曰く)近所に材木店があって、1枚500円と安かったから板を選んだに過ぎない。運送料も安い。洪成潭(ホン・ソンダム)さんは、光州事件(1980年)をテーマとした版画を作るため、逃亡生活のなかでスプーンさえ使った。要は、何を使ってもいいのだ。

●参照
『魯迅』、丸木位里・丸木俊二人展
丸木美術館の宮良瑛子展
過剰が嬉しい 『けとばし山のおてんば画家 大道あや展』
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
『民衆/美術―版画と社会運動』@福岡アジア美術館
金城実彫刻展『なまぬるい奴は鬼でも喰わない』(丸木美術館にも巡回)
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』(丸木美術館にも巡回)
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」(丸木美術館にも巡回)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(トークの中でも言及)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク


渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン

2015-06-07 00:24:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットイン昼の部で、渋谷毅エッセンシャル・エリントンを観る(2015/6/6)。

グループの活動開始が1999年だから、もう15年以上が経っていることになる。わたしも久しぶり。松風さんにはずっとサックスを教わっていたので、こうして会うと、旅の話ばかり。

渋谷毅 (p)
峰厚介 (ts)
松風紘一 (as, bs, cl, fl)
関島岳郎 (tuba)
外山明 (ds)
清水秀子 (vo)

最初は渋谷・峰・松風・関島のカルテット編成だったが、そのオリジナルメンバーに、外山明さんと、ゲストとして清水秀子さんが加わった形となっている。結成当時、デューク・エリントンの曲ばかりを楽器の生音を生かして演奏するというコンセプトは画期的だったはずで、新宿ピットインでも、マイクとアンプを使わずにハコの真ん中にステージを設える工夫がなされていた。いまは前のふつうのステージだが、それでも、生音にかなり近いことは確かである(松風さん曰く)。そんなわけで、渋谷さん得意の過激なキーボードは、このグループでは、ピアノの上に置かれてはいない。

今回の曲は、「East St. Louis Toodle-0」、「Black Beauty」、「Just a Settin' and A-Rockin'」、「Mighty Like the Blues」、「Passion Flower」、さらに清水さんの歌が入って「Prelude to a Kiss」、「It Don't Mean a Thing」、「Caravan」、「Take the "A" Train」といったところ。そして渋谷毅オーケストラと同様に、締めにピアノソロの「Lotus Blossom」。

それにしても、皆の個性が滋味とともに展開されて本当に素晴らしい。峰さんのテナーのくっさい味。マルチインストルメンタリスト・松風さんのアルトは艶やかで(ヤナギサワの新しいモデルを買ったそうで、従来のささくれた松風サウンドではなく、ご本人曰く「可愛い音」)、バリトンもクラもフルートもいつもの良い音。外山さんの奇怪なるリズムにも磨きがかかっている。

また、エリントンの曲のヘンな感覚。渋谷さんは、エリントンの片腕であったビリー・ストレイホーンのことを紹介して、音楽活動がすべてエリントンと一緒だった、そんな人生もありかな、と語っていたが、日本ジャズの至宝と言っても過言ではない渋谷さんも、エリントンにからめとられ、同時に渋谷毅世界を形作っている。最後の循環する「Lotus Blossom」は聴いていても思い出してもドキドキする。

●参照
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
渋谷毅+津上研太@ディスクユニオン(2011年)
渋谷毅+川端民生『蝶々在中』
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
渋谷毅のソロピアノ2枚
見上げてごらん夜の星を
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
松風鉱一『Good Nature』
峰厚介『Plays Standards』
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』 
反対側の新宿ピットイン
くにおんジャズ、鳥飼否宇『密林』
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』、『Sketches of Probability』
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
宮澤昭『野百合』
『RAdIO』
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』
デューク・エリントン『Live at the Whitney』
デューク・エリントン『Hi-Fi Ellington Uptown』
デューク・エリントンとテリ・リン・キャリントンの『Money Jungle』


チック・コリア+ジョン・マクラフリン「Five Peace Band」の映像『"It's About That Time!"』

2015-06-06 08:03:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

チック・コリア+ジョン・マクラフリン「Five Peace Band」のDVD『"It's About That Time!"』(2008-09年)を観る。

Chick Corea (p, key)
John McLaughlin (g)
Kenny Garrett (as)
Christian McBride (b)
Vinny Colaiuta (ds)
Brian Blade (ds)

・・・なんだこれは。明らかに観客席から揺れるカメラで撮っている。こんなものパッケージにして売るんじゃない。

メンバーはこの通り豪華なのだが、コリアとマクラフリンがにこにこしながらデュオで「Someday My Prince Will Come」を演奏していたりして、新しいものを展開しようとする緊張感が皆無。東京でのインストアライヴはちゃんと撮ったものを使っているようだが、これもデュオで手慣らしのような演奏。もはやどうでもいい感じである。観ながら眠ってしまった。誰か欲しければ差し上げます。

「彼の演奏はいつも好きだった。少なくともクロスオーバーの方向に踏み出して、電子音楽に手を染めるまでは。電子音楽はわたしの趣味に合わないので、結局、その気持ちに正直に、名ピアニストが空虚なフュージョンに転向してしまったのを嘆くことにした。チックのファンの怒りを買わないのはわかっている。彼のファンは、誰も『ブルーノート』など読まないのだから。しかし、せめてジャズの現状をひとくさり批判することができるだろう。」ビル・ムーディ『脅迫者のブルース』

見どころは、ブライアン・ブレイドやヴィニー・カリウタのドラムスか。わたしにとっては、ケニー・ギャレットもかつて真剣勝負からスムースな音楽に移っていった人であり、いま「レジェンド」扱いされることもピンとこないのだが、これは偏見だろうね。

●参照
チック・コリア、ジョン・パティトゥッチ、ヴィニー・カリウタ
映像『Woodstock Jazz Festival '81』


バリー・アルトシュル『The 3Dom Factor』

2015-06-05 07:19:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

バリー・アルトシュル『The 3Dom Factor』(TUM Records、2012年)を聴く。

Barry Altschul (ds)
Jon Irabagon (ts)
Joe Fonda (b)

アルトシュル健在なんだな。シンバルやコミカルな音のパーカッションも多用して、実に繊細でトータルなドラムス・サウンドを展開している。聴いていて嬉しくなるとはこのことだ。

ジョン・イラバゴンのテナーは精力的で柔軟。きっとアルトシュルの音を愉しみながら反応したに違いない。来日時には、ひたすらに目を閉じて自らの音を放出し続けたイラバゴンだが(終わった後、目が充血していた)、このときはどうだったのだろう。センサーを耳だけに集中させたのだろうか、それともアルトシュルとフォンダの動きを観察しながら吹いたのだろうか。

ずっとエキサイティングなのだが、特に後半が白眉。カーラ・ブレイの「Ictus」からラグタイム風の「Natal Chart」に突入し、「A Drummer's Song」ではチャーミングなドラムスの音で締めくくる。

●参照
デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(アルトシュル参加)
ジョン・イラバゴン@スーパーデラックス(2015年)
MOPDtK『Blue』
MOPDtK『Forty Fort』
MOPDtK『The Coimbra Concert』
直に聴きたいサックス・ソロ その2 ジョン・イラバゴン、柳川芳命