Sightsong

自縄自縛日記

小林裕児個展『ドローイングとスケッチブック』@檜画廊

2017-06-15 23:37:34 | アート・映画

仕事で疲れて夕食を取ろうと思い、ついふらふらと神保町のすずらん通りまで歩いていった。キッチン南海が目的地である。檜画廊の前を通りがかると、なんと、小林裕児さんの個展。幸運だ。

小林さんの絵は、齋藤徹さんのCDのジャケットなどで知っている。ただ、テツさんの演奏とともに繰り広げるライヴ・ペインティングには、残念ながら行く機会がなかった。印刷ではなく本物の作品を観るのもはじめてである。

絵は当然ながらCDよりも大きく、見ごたえがある。ファンタジックでありながら、時間が止まった空間のような奇妙な静けさもあり、人の運命をただただ受け容れる怖さもある。生き物が生き物であることの不思議さもある。疲れていたこともあって沁みるような気持ちになり、画廊を3周してしまった。地底世界に湖があったり、少女が鳥を抱きかかえて歩いていたり。

真ん中のテーブルには、ミクストメディアの小さな絵がぎっしりと描きこまれたモレスキンなどのノートが何冊も。時間がなかったので3冊ほどぱらぱらと観たくらいだが、日常とこの不思議世界とをつなげてくれるようで嬉しくなってしまう。

2015年に多摩美術大学で開かれた個展のカタログを、千円で買って帰った。紐解いてみると、「浸水の森」なんてデルヴォーのようでありつつも、それよりも親しみがある。頭から落ちていく人たちも、顔がふたつある人たちも、動物も、好きになる。

巻末には齋藤徹さんらとのコラボレーションの写真が掲載されている。あっ、アメリカではハナ・ジョン・テイラーと共演している!!マラカイ・フェイヴァース最晩年の作品『Live at Last』でテナーを吹いていた、シカゴの人である。

●小林裕児
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)


メリディアン・トリオ『Triangulum』

2017-06-14 07:38:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

メリディアン・トリオ『Triangulum』(clean feed、2016年)を聴く。

Meridian Trio:
Nick Mazzarella (as)
Matt Ulery (b)
Jeremy Cunningham (ds)

なるほど、JOEさんが書いているように、ケニー・ギャレット『Triology』に重なって聴こえるところがある。例えば冒頭曲の「Rhododendron」においてアルトソロから入りトリオへと移る盛り上げ方は、『Triology』冒頭の「Delfeayo's Dilemma」を想起させる(もう手元にないので記憶だけだが)。

ニック・マッツァレラのアルトにはある種の強度も多彩さもあって魅力的だが、もう一癖あるものが聴きたいところ。


マット・マネリ+エヴァン・パーカー+ルシアン・バン『Sounding Tears』

2017-06-13 23:50:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

マット・マネリ+エヴァン・パーカー+ルシアン・バン『Sounding Tears』(clean feed、2014年)を聴く。

Mat Maneli (viola)
Evan Parker (sax)
Lucian Ban (p)

不思議なトリオを組んだものである。特にルーマニア出身のルシアン・バンは、『Songs From Afar』では地元の美しい旋律を弾いていたこともあり、このようなインプロとはちょっと世界が違う人なのかと決めてかかっていた。とは言え、同盤でもマット・マネリと共演していたのだった。

演奏は、三者が意図的に同じ強度に並んだような雰囲気である。その結果、抑制的で、室内楽のようでもある。驚いたことは、ヴィオラとサックスとに類似性があったということだ。マット・マネリはやはりこのように連続的に音を紡いでゆく人だと思う。かれのヴィオラは、エヴァン・パーカーのサックスと絡み、ほとんど官能的と言ってもよいサウンドを響かせ続ける。息を潜めてエロチックな世界を創り出すふたりに、バンのピアノが密やかに色を付ける。

かれらの別の世界を見せられたようである。快感。

●マット・マネリ
トニー・マラビー+マット・マネリ+ダニエル・レヴィン『New Artifacts』(2015年)
チェス・スミス『The Bell』(2015年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、12年)

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー@稲毛Candy(2016年)
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)

Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
シルヴィー・クルボアジェ+マーク・フェルドマン+エヴァン・パーカー+イクエ・モリ『Miller's Tale』、エヴァン・パーカー+シルヴィー・クルボアジェ『Either Or End』(2015年)

エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
エヴァン・パーカー『残像』(1982年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●ルシアン・バン
ルシアン・バン『Songs From Afar』(2014年)


ザック・クラーク『Random Acts of Order』

2017-06-13 22:47:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

ザック・クラーク『Random Acts of Order』(clean feed、-2016年)を聴く。

Zack Clarke (p, electronics)
Henry Fraser (b)
Dre Hocevar (ds)

ジョー・モリスが書いたライナーノーツによれば、かれら3人は皆20代らしい(ドレ・ホチェヴァーはもっと上かと思っていた)。「・・・だが成熟している」とモリスが言う通り、とても完成度が高いピアノトリオである。

エレクトロニクスの雲からはじまり、やがて清冽なピアノに移行する。インプロは、かつてのフリージャズとは別次元にあって、どの地点でも、形態も長さも強度も異なる相互作用のクラスターを形成し、ためらいなく解体する。ホチェヴァーのシンバルなど何の論理体系に依拠しているのかという有様だ。それに、消えては現れるヘンリー・フレイザーのベース。

じっと聴いているとため息が出る。面白味がどうのとか隙間がどうのとかつまらぬことは言わない。

●ザック・クラーク
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)

●ヘンリー・フレイザー
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)

●ドレ・ホチェヴァー
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)


ジュリアン・バーンズ『人生の段階』

2017-06-12 22:31:34 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズ『人生の段階』(新潮クレスト・ブックス、原著2013年)を読む。

19世紀、気球に乗って旅をしようとする人たち。写真家のナダールも女優のサラ・ベルナールもいる。かれらはやはりどこかブチ切れていて、文字通り、地に足が着いていない。人間が跳躍できる以上の動きを体験してしまい、感覚もふわふわする。恋愛もふわふわしている。

それはそれとして、突然、バーンズ自身の物語へと話が移る。長年一緒に暮らした妻が急死してしまった。準備もなにもあったものではない。感覚も行動様式も、気球に乗ってしまった人間と同様であり、それまでの経験など何にもならない。周囲の言動に戸惑い、怒りを覚え、適応ができない。それを納得するための行動や努力自体が目的を失い、無意味なものになる。

バーンズの独白とも自己分析とも言えるような語りは怖ろしい。悲しみとは何なのか。報酬を求めての心の動きか、虚栄か。もうやめてくれと言いたくなるような言葉が次々に提示される。

「わたしはあなたより高くから落ちた。内臓の飛び散り具合を見てごらんなさい」

もちろんこれは皮肉やアフォリズムを集めたものではない。あらゆる罠と共存しながら絞り出した作家の言葉である。

解説によれば、『Pulse』『終わりの感覚』も、この体験の最中に書かれたものであった。それゆえの迫力だったのか。

●参照
ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(2011年)
ジュリアン・バーンズ『Pulse』(2011年)
ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(1984年)


ミシェル・ドネダ+エルヴィン・ジョーンズ

2017-06-12 21:42:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシェル・ドネダとエルヴィン・ジョーンズとはいちど共演していて、それが、『Vol Pour Sidney (Aller)』(Nato、1991-92年)というアルバムに1曲収録されている。

Elvin Jones (ds)
Michel Doneda (ss)

シドニー・ベシェに捧げられたアルバムであり、他にも、チャーリー・ワッツ、ロル・コクスヒル、エヴァン・パーカーの共演だとか、スティーヴ・ベレスフォードとハン・ベニンクとのデュオだとか面白いものはいろいろあるのだが、わたしにとってはとにかくこの1曲「Egyptian Fantasy」である。

ここで、ドネダは、ベシェへの敬意のためか、あるいは「ジャズ」そのものであるエルヴィン・ジョーンズへの敬意のためか、朗々とヴィブラートを効かせてソプラノで哀愁溢れる旋律を吹く。しかしときどき横に逸れて、ドネダらしく、息が身体と化して、痙攣と濁りとを聴かせてくれるのが嬉しい。一方のエルヴィン・ジョーンズはいつも通りの悠然たるタイコである。噛み合っているのかどうかよくわからない。

齋藤徹さんによれば、エルヴィン・ジョーンズはこのセッションでドネダを尊敬していたとのことである。エルヴィン亡き今想像してもどうしようもないことだが、共演をもっと積み重ねてくれていたらどうなっていただろう。

●ミシェル・ドネダ
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(2011年)
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)

●エルヴィン・ジョーンズ
エルヴィン・ジョーンズ(1)
エルヴィン・ジョーンズ(2)
チコ・フリーマン『Elvin』(2011年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)
ソニー・シャーロック『Ask the Ages』(1991年)
エルヴィン・ジョーンズ+田中武久『When I was at Aso-Mountain』(1990年)
エルヴィン・ジョーンズ『Live at the Village Vanguard』(1968年)、ジョージ・コールマン『Amsterdam After Dark』『My Horns of Plenty』(1978、1991年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』(1978、1983年)
高橋知己『Another Soil』(1980年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
フィニアス・ニューボーンJr.『Back Home』(1969年)
藤岡靖洋『コルトレーン』、ジョン・コルトレーン『Ascension』(1965年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、1995年)
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(1964、1972、1990、1991年)
『Stan Getz & Bill Evans』(1964年)
ソニー・シモンズ(1963、1966、1994、2005年)


喜多直毅クアルテット@求道会館

2017-06-11 09:06:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

本郷の求道会館に足を運び、喜多直毅クアルテット(2017/6/10)。

17歳のときに受験のために宿泊した旅館はこのあたりだったが、さてお隣の古い宿か別のところか、記憶にない。本当はもっとコンサート前に久しぶりに界隈を散歩したかったのだが、結局はぎりぎりに到着してしまった。

喜多直毅クアルテット: 
Naoki Kita 喜多直毅 (vln, music) 
Satoshi Kitamura 北村聡 (bandoneon) 
Shintaro Mieda 三枝伸太郎 (p) 
Kazuhiro Tanabe 田辺和弘 (b)

このグループは、途中のMCなし、拍手なし、複数の曲をメドレーで一気呵成に1時間演奏するスタイルである。

最初の「鉄条網のテーマ」は、これから起きることを恐れ暗示するかのように静かに始まった。ピアノがテンポを刻み、やがて、ヴァイオリン、そしてバンドネオン。まるで咽び泣く人間のようである。

「燃える村」。哀しさのヴァイオリン、バンドネオンが入り、コントラバス、ピアノとともに、それぞれの想いが音の波となって層を成してゆく。この繰り返しによって、走馬灯のような記憶を幻視した。哀しみのなかの悦もあった。

「疾走歌」。ピアノが入ってくる瞬間にぞくりとするものを感じる。疾走するヴァイオリン、ゆったりとしたバンドネオンとピアノとが入れ代わり立ち代わり物語を諄々と語るようでもあった。コントラバスの刻みが、不可逆な時間を体現していた。ドラマはスパイラルを描き苛烈な運命の方へと向かっていった。

「峻嶺」。かすかな低音が続き、不安を煽られる。その中でピアノが小さな存在の人間のように動きを示し、そしてまたヴァイオリンによる物語。それは諦念のようにも感じられた。

「夏の星座」。大きなものを前にして悟ったような旋律、そのもとで各人が静かに音を重ねてゆく素晴らしさがある。コントラバスの弓弾きがとても優しい。最後に、ヴァイオリンにより流れ星があらわれた。

アンコール、「残された空」。ファーストアルバム『Winter in a Vision』で最後を締めくくる曲であり、またこれまでのコンサートでも最後に演奏されることが多かった。懐かしいバンドネオンの旋律に、ピアノが光を置いてゆく。声をふりしぼるように震えて歌うヴァイオリン。やはりぐっときて、少し涙腺がゆるんでしまった。

会場の求道会館は、浄土真宗の古い建物であり、東京都の指定有形文化財らしい。演奏者の動きと聴く者の動きがそのたびにかすかな軋みの音を発し、それがまた全体の響きとともに音楽を形成した。

●喜多直毅
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)


マリア・シュナイダー・オーケストラ@ブルーノート東京

2017-06-10 23:56:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブルーノート東京にて、マリア・シュナイダー・オーケストラ(2017/6/10, 1st)。妙に若い人が多いが何でだろう。

Maria Schneider (comp, cond)
Steve Wilson (as, cl, fl)
Dave Pietro (as, fl)
Rich Perry (ts)
Donny McCaslin (ts, ss, fl)
Scott Robinson (bs, ts, ss)
Greg Gisbert (tp)
Jonathan Heim (tp)
Nadje Noordhuis (tp)
Mike Rodrigues (tp)
Keith O'Quinn (tb)
Ryan Keberle (tb)
Tim Albright (tb)
George Flynn (tb)
Gary Versace (accordion)
Frank Kimbrough (p)
Ben Monder (g)
Jay Anderson (b)
Clarence Penn(ds)

見るからに愉し気なアウラを身にまとったマリア・シュナイダーが出てきたあとは、もう魔術。マリアさんは事前に決めた通りに振る舞うのではなく、明らかに、その場の判断で柔軟な指揮をしていた。指示もゆるやかな感じである。しかし一方で、アンサンブルには緻密な感もある。何をしているのだろう。またソロイストが張り切っている間は、端に座って愉快そうにその演奏を眺めている。

最初はベン・モンダーがサウンドに柔らかさを与えたあと、トランペットのマイク・ロドリゲスとグレッグ・ギスバートの対決。ロドリゲスの力強い金属音に対しギスバートのこもった音が対照的。2曲目は『Concert in the Garden』の曲、ロドリゲスのトランペットとスティーヴ・ウィルソンのソプラノとの「dance」、ウィルソンの音が良い。3曲目はギスバートのトランペットに続き、ライアン・ケベールのまろやかなトロンボーン、ウィルソンのアルト、ゲイリー・ヴェルサーチのアコーディオン。

4曲目と5曲目は『The Thompson Fields』の収録曲である。前者ではリッチ・ペリーがサウンドと一体化するようなソフトなテナーを吹いた。後者ではスコット・ロビンソンがそれまでのバリトンからテナーに持ち替え、まるで虫の羽音が聴こえるような見事な音を発した。

6曲目は「sailing」がテーマの曲。ここでフィーチャーされたのはフランク・キンブロウとダニー・マッキャスリンである。キンブロウももちろん良いのだが、驚きはマッキャスリン。それまで敢えて大人しくしていたかのように、鎖をほどかれた野獣は、実にレンジが広くリズムも自在なテナーソロを繰り広げた。おそらくオーディエンスの多くが歓喜に眼を見開いてマッキャスリンのソロを凝視していたであろう。さすがである。これに対しマリアさんは、やはり歓喜と、そして猛獣使いの眼をもって、マッキャスリンを逃がすまいと見つめながらかれににじりより、また檻に入れんとして愉しそうにバンドメンバーを操った。そして最後は、デイヴ・ピエトロをフィーチャーした短い曲で締めくくった。

なるほどね、これでは音楽の化身のように言いたくなるのも不思議はない。

●マリア・シュナイダー
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)
マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』(2000、2001-04年)

●ベン・モンダー
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)

●ダニー・マッキャスリン
ダニー・マッキャスリン『Beyond Now』(2016年)
デイヴィッド・ボウイ『★』(2015年)
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)
マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』(2000、2001-04年)

●ライアン・ケベール
ライアン・ケベール&カタルシス『Into the Zone』(2014年)


趙暁君『Chinese Folk Songs』

2017-06-10 12:56:17 | 中国・台湾

趙暁君『Chinese Folk Songs』(AKUPHONE/原盤FOUR SEAS RECORDS、1968年)を聴く。

それにしてもこのようなレコードを復刻するなんてフランス恐るべし。このAKUPHONEは、その後、江利チエミだとかスリランカ音楽のコンピレーションだとかを出していて、奇特なレーベルである。わたしはアナログLPを入手した。歌詞が英訳されていて仕事が丁寧。

趙暁君(Zuao Xiao Jun)は1948年生まれ。ライナーノーツによればたいへんに苦労した人生を送った歌手のようだ。19歳のときに家族の問題で大学に通うことを諦め、台北のキャバレーで歌い始めた。流行歌は外省人の持ち込む中国や香港のものが多かったが、50年代には台湾自身の歌が増えてきたという。その後シンガポールに移り、そこでも人気を博した。それゆえ1962年からスタートした台湾でのテレビ放送でも声がかかりヒットするが、人間関係に苦しめられた。そのためか、笑わない「氷の女王」とも呼ばれた。25歳で結婚するが母親からの金の無心に悩まされアメリカに逃げるも、夫の交通事故もあり破局。また台湾で母親の借金を返済する日々。2回目の結婚は相手の女道楽が過ぎて失敗。家を売ろうとしたが失敗して借金。声を失いもした。18年間の暗闇を経て、キリスト教への帰依で自身を取り戻した、とある。

歌は底抜けに明るいようなものではないが、そこまでの闇を感じさせるものではない。もちろん中国風の声を高く上げるような歌唱がありつつ、微妙に弱く、微妙にヴィブラートがかかった歌声はとても良い。サウンドも面白くて、台湾のフォークソング「Mountain Girl」では台湾内でのオリエンタリズム的な野蛮な声が挿入されたり、モンゴルのフォークソング「Little Cowherd」もまた偏ったイメージを出してくる。今となっては奇抜でサイケデリックで愉しいものだ。ジュディ・オング「たそがれの赤い月」のカヴァーもあり、それはジュディよりも声の力が押し出されている感じ。

>> AKUPHONEのサイト(「たそがれの赤い月」の動画がある)


マリア・シュナイダー『Allegresse』、『Concert in the Garden』

2017-06-10 10:21:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

さて今日はじめてマリア・シュナイダー・オーケストラを観に行く前に、気持ちを盛り上げようと2枚ほど聴く。

『Allegresse』(Artist Share、2000年)

Maria Schneider (conductor)
Tim Ries (ss, cl, fl, alto fl)
Charles Pillow (as, ss, cl, fl, piccolo, oboe, English horn)
Rich Perry (ts, fl)
Rick Margitza (ts, ss, fl)
Scott Robinson (bs, bass sax, cl, bcl, fl, alto fl)
Tony Kadleck (tp, piccoro tp, flh)
Greg Gisbert (tp, flh)
Laurie Frink (tp, flh)
Ingrid Jensen (tp, flh)
Dave Ballou (tp, flh)
Keith O'Quinn (tb)
Rock Ciccarone (tb)
Larry Farrell (tb)
George Flynn (bass-tb)
Ben Monder (g)
Frank Kimbrough (p)
Tony Scherr (b)
Tim Horner (ds)
Jeff Ballard (perc)

細やかなアレンジで次々に楽器の音が重ね合わされてゆく。それなのにまったくヘヴィではない不思議さだ。油絵のように塗りこめていく感覚ではなく、透過性のある絵の具で色がどんどん複雑になりセンサーが悦ぶ感覚。ギターのベン・モンダーの音が効果的に使われているからこその柔らかさでもあるのかな。

ソロイストはグレッグ・ギルバート、リック・マーギッツァ、フランク・キンブロウ、イングリッド・ジェンセン、リッチ・ペリー、ティム・リース、チャールス・ピロウ、ベン・モンダー、スコット・ロビンソン。確かにジェンセンのトランペットなんてパワーで攻めず実に柔らかいし、ここにいることがしっくりくる。またソロイストとして書かれていないが、ジェフ・バラードのパーカッションも気持ちが良い。

『Concert in the Garden』(Artist Share、2001-04年)

Maria Schneider (conductor)
Charles Pillow (as, ss, cl, fl, alto fl, oboe, English horn)
Tim Ries (as, ss, cl, fl, alto fl, bass fl)
Rich Perry (ts, fl)
Donny McCaslin (ts, ss, cl, fl)
Scott Robinson (bs, fl, cl, bcl, contrabass cl)
Tony Kadleck (tp, flh)
Greg Gisbert (tp, flh)
Laurie Frink (tp, flh)
Ingrid Jensen (tp, flh)
Keith O'Quinn (tb)
Rock Ciccarone (tb)
Larry Farrell (tb)
George Flynn (bass tb, contrabass tb)
Ben Monder (g)
Frank Kimbrough (p)
Jay Anderson (b)
Clarence Penn (ds)
Jeff Ballard (cajón, quinto cajón)
Gonzalo Grau (cajón)
Gary Versace (accordion)
Luciana Souza (voice, pandeiro)
Pete McGuinness (tb)
Andy Middleton (ts)

これはまた随分と雰囲気が異なる。タイトル通り、まるで緑に囲まれた中庭で音楽を聴くようなオープンで爽やかな感覚がある。

ここには、ゲイリー・ヴェルサーチのアコーディオンやルシアーナ・ソウザの囁くようなヴォイスが貢献している。また、全般にベン・モンダーのギターがサウンドを柔らかくし、フランク・キンブロウのピアノが多数埋め込まれたスワロフスキーのように光を取り込み屈折反射させている。

ソロイストは、ベン・モンダー、フランク・キンブロウ、ゲイリー・ヴェルサーチ、リッチ・ペリー、イングリッド・ジェンセン、チャールス・ピロウ、ラリー・ファレル、ダニー・マッキャスリン、グレッグ・ギルバート。マッキャスリンはハードに攻めるかと思いきや、丹念に音を選んでいてこれもまた良い感じ。

●マリア・シュナイダー
マリア・シュナイダー『The Thompson Fields』(2014年)


ヨナス・カルハマー+エスペン・アールベルグ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Basement Sessions Vol.1』

2017-06-10 08:55:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヨナス・カルハマー+エスペン・アールベルグ+トルビョルン・ゼッターバーグ『Basement Sessions Vol.1』(clean feed、-2012年)を聴く。

Jonas Kullhammar (ts, bs)
Torbjörn Zetterberg (b)
Espen Aalberg (ds)

カルハマー目当てなのではあったが、トリオとしても本当に良い。重さを保持したまま高速でインプロを繰り広げるサックストリオ、バリトンのソロからドラムスとベースとが入って爆走を始めるさまは、まるで、ジョン・サーマン、バール・フィリップス、ステュ・マーティンの『The Trio』である。

カルハマーのテナーもバリトンも同じテイストで、何気筒を積んでいるのか、鉄の塊を自在に操るドライヴァーのようだ。2012年ということは、カルハマー、ゼッターバーグ、アールベルグの3人とも30代半ばということか。いやこれはナマで観たい。

ライナーノーツには、clean feedレーベルのペドロ・コスタ氏が、このようにメインストリームのジャズと視られかねない作品を出したことに際して「authenticとは何か?」と熱く書いていて面白い。

●ヨナス・カルハマー
ピーター・ヤンソン+ヨナス・カルハマー+ポール・ニルセン・ラヴ『Live at Glenn Miller Cafe vol.1』
(2001年)


チャーネット・モフェット『Music from Our Soul』

2017-06-10 00:01:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

チャーネット・モフェット『Music from Our Soul』(Motema Music、2014-15年)を聴く。

Charnett Moffett (b)
Pharoah Sanders (ts)
Stanley Jordan (g)
Cyrus Chestnut (p, key)
Jeff "Tain" Watts (ds)
Victor Lewis (ds)
Mike Clark (ds)

何を隠そうチャーネット・モフェットが好きである。90年代に、ケニー・ギャレットらとのバンド「G.M.Project」を旧ブルーノート東京で観たときにそのテクニシャンぶりにビビって以来、好きである。

本盤でも、そのベース巧者ぶりをいかんなく発揮している。巧いのでどや顔を見せる必要すらない。

ところが、メンバーも、肝心のサウンドも、90年代のまんまである。スタンリー・ジョーダン、サイラス・チェスナット、ジェフ・テイン・ワッツ、そしてスーパーレジェンドのファラオ・サンダース。みんな昔のまんまである。いやそれでもいいのだが、なんら刺激的なところがないのだ。時代遅れは悪いことでもなんでもないが、やはりこれは時代遅れである。

●チャーネット・モフェット
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(-2015年)
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く


ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』

2017-06-08 22:33:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』(TROST、2016年)を聴く。

Heather Leigh (pedal steel g)
Peter Brotzmann (ts, as, tarogato, B-flat cl)

ペーター・ブロッツマンの作品は、つまり最初から最後までいつもの通り吹くだけなのかというものが多いわけだが、これもまたそうである。もちろん貶しているわけでも褒めているわけでもない。だからブロッツマンなのだということだ。

とは言え、本盤は相手がヘザー・リーとあって、デュオとしてのサウンドはちょっと新鮮である。彼女のペダル・スティール・ギターは時空間を延々と飽くことなく歪ませ続ける。まるでのこぎりをくねくねと曲げて、それに写ったブロッツマンと自分の顔を冷ややかに眺めて内心愉しんでいるようだ。

ただでさえ我が道しかないブロッツマンのブロウが、歪んだコードとのピッチのずれによって、さらに魅力的なものになっている。これをライヴで体感したら、目の前がくらくらして倒れてしまうのではないのか。

●ペーター・ブロッツマン
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』(1997年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(1991年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年) 


ピーター・ヴァン・ハフェル+ソフィー・タシニョン『Hufflignon』

2017-06-08 21:27:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

ピーター・ヴァン・ハフェル+ソフィー・タシニョン『Hufflignon』(clean feed、2008年)を聴く。

Peter Van Huffel (as, ss)
Sophie Tassignon (voice)
Samuel Blaser (tb)
Michael Bates (b)

タイトルからしてヘンである。たぶんハフェルとタシニョンのふたりの名前を合わせてハフリニョン。

サウンドはもっと変わっている。奇妙なアンサンブルのもと、サックスとヴォイスとのユニゾンがぞわぞわするほど気持ち良い。さらにトロンボーンとベースとがまた明後日の方向を向いて踊っており、意識があっちとこっちとに連れまわされる。

ゴリラ・マスク『Iron Lung』を聴いたときには、ハフェルについて、摩擦係数が高く細かなヴィブラートも聴かせる面白いサックスだなと思ったのだが、ここでは、めかぶのようにへばりつくものの、また別の塩っ辛いサックスを吹いている。

●ピーター・ヴァン・ハフェル
ゴリラ・マスク『Iron Lung』(2016年)


中村としまる+沼田順『The First Album』

2017-06-07 23:48:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

中村としまる+沼田順『The First Album』(doubtmusic、2017年)を聴く。

Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Jun Numata 沼田順 (g, oscilator, radio)

ちょうどこれが録音されたライヴを観ていた(内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室)。そのときふたりの動きを視ながら音を脳内処理して感じたふたりのキャラの違いが、あらためて聴くと、ハイコントラストとなって露わになってくる。それゆえの面白さもある。

すなわち、静と動。抽象と具象。鉱物の物語と人間の物語。策謀と策動。下の重心と上の重心。パラノとスキゾ(いやそれはちょっと違うか)。うう、眠くてどろどろしていたのに眼が醒める。

沼田社長はツイートに「うちのヨメは「としまるさんの音は建築物であんたの音はその建築物の前で動いている人間だ」と評してましたが、」と書いておられて、それにも妙にツボを突かれてしまったのだった。

●中村としまる
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)

●沼田順
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)