Sightsong

自縄自縛日記

ロジャー・ターナー+今井和雄@Bar Isshee

2017-10-12 07:42:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeに足を運び、ロジャー・ターナー~今井和雄デュオ(2017/10/11)。さすがにかなりの人が集まった。予約していなかったが入ることができてよかった。

Roger Turner (ds)
Kazuo Imai 今井和雄 (g)

ロジャー・ターナーは、ファーストセットでは細い金属棒を多用して細密に尖った音の数々を発した。またセカンドセットでは主に通常のスティックを使い、より太くタフな音にシフトした。ドラムの上には小さなシンバルや金属板やタオルがあり、シンバルの上にはまた小さなシンバルがあり全体が樹脂の筒で覆われもした。と書くと、工夫を多くしたことによる多彩なサウンドのようだが、コアは、氏が瞬時に衝突や摩擦を選択するシンプルな結果なのだった。繊細な響きのなかにさらなるグラデーションが出来ていった。

今井さんも多様にしてシンプル。棒でギターの本体や弦を擦ったり、鎖を使ったりもしたものの、常に音楽の原理のようなものとの往還をみせた。

ふたりの音や行動は追従や意図的なシンクロなどではもちろんなく、素晴らしい呼応だった。

●ロジャー・ターナー
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
フィル・ミントン+ロジャー・ターナー『drainage』(1998、2002年)

●今井和雄
広瀬淳二+今井和雄@なってるハウス(2017年)

ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸(2017年)
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
”今井和雄/the seasons ill” 発売記念 アルバム未使用音源を大音量で聴くイベント・ライブ&トーク@両国RRR(2017年)
第三回天下一Buzz音会 -披露”演”- @大久保ひかりのうま(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
今井和雄『the seasons ill』(2016年)
Sound Live Tokyo 2016 マージナル・コンソート(JazzTokyo)(2016年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
坂田明+今井和雄+瀬尾高志@Bar Isshee(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
今井和雄 デレク・ベイリーを語る@sound cafe dzumi(2015年)
今井和雄、2009年5月、入谷(2009年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス(2012年)(今井和雄とのデュオ盤、1999年)


鶴見俊輔『北米体験再考』

2017-10-09 21:58:33 | 北米

鶴見俊輔『北米体験再考』(岩波新書、1971年)を読む。

鶴見は、「かりものの観念による絶対化を排する」という。また、「体験はいつも、完結しないということを特長としてもっている」という。体験の「不完結性・不完全性の自覚をてばなさない」ことが、たとえば、ベトナム戦争に向けられた鶴見の視線を形作っている。

かれは1930年代にアメリカに留学し、無政府主義者と疑われてFBIに拘束されている。そして日米の両国で生活した者として日本の敗戦を迎えている。それらは、変に抽象的・観念的でなく、またシニカルでもなく、現実の断片をもって思考する鶴見の出発点であったにちがいない。

本書には、たとえば、黒人の公民権運動のことが書かれており、実に生々しい。これを通常の通史ととらえるのは間違いなのであり、人間の頭はそれほど自由にできてはいない。鶴見は書いている。北米留学生の中には軍国主義を批判し続けた者もいたが、黒人、先住民、南米諸国民から北米をみる目は育たなかった、と。

また、ゲイリー・スナイダーについても、ある種の驚きをもって、しかし淡々と書き連ねている。なんとこの時代にあって、ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグの『麻薬書簡』を引用してもいるのだ。なんという幅の広さだろう。確かに最初の邦訳は本書刊行に先立つ1966年に出されているようなのだが、『ヤヘ書簡』と訳していることからも、おそらくアメリカで1963年に出されたものを読んで思索のための断片としたのだろう。

鳥瞰図的に構造や立ち位置が解ることを意識した思索ではない。この態度にはあらためて驚かされる。

●鶴見俊輔
鶴見俊輔『アメノウズメ伝』(1991年)
鶴見俊輔『身ぶりとしての抵抗』(1960-2006年)


ネイト・ウーリー『Battle Pieces 2』

2017-10-09 21:03:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ネイト・ウーリー『Battle Pieces 2』(Relative Pitch Records、2016年)を聴く。

Nate Wooley (tp)
Ingrid Laubrock (sax)
Matt Moran (vib)
Sylvie Courvoisier (p)

『Battle Pieces』(2014年)の続編であり、メンバーも同じ。しかしサウンドから受ける雰囲気はちょっと違う。

前作はまるで暗い小劇場の中で、それぞれのメンバーの音が浮かび上がっていた。本盤にも浮遊感があるのだが、静的なものから動的なものへと進化したような印象を持った。立脚するもののない空中において、メンバー同士が相互に脚を支えあい、まるで特殊な分子構造のような形をとってくるくると回り続けるようである。各人の発する音は近傍に来ると聴こえ、また向こう側へと去ってゆく。しかしときに、マット・モランのヴァイブの響きが全体を覆ったりして。

●ネイト・ウーリー
ハリス・アイゼンスタット『On Parade In Parede』(2016年)
コルサーノ+クルボアジェ+ウーリー『Salt Talk』(2015年)
ネイト・ウーリー+ケン・ヴァンダーマーク『East by Northwest』、『All Directions Home』(2013、15年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
ハリス・アイゼンスタット『Canada Day IV』(2015年)
アイスピック『Amaranth』(2014年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Sit in) The Throne of Friendship』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)


上原ひろみ+エドマール・カスタネーダ『Live in Montreal』

2017-10-09 17:06:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

上原ひろみ+エドマール・カスタネーダ『Live in Montreal』(Telarc、2017年)を聴く。

Hiromi Uehara 上原ひろみ (p)
Edmar Castaneda (harp)

本当は、次にどんな音を出そうかなと試行錯誤するところが見えるような音楽が好きなのだけれど、ここまでスーパーなふたりにそんな好みをあてがうのは筋違いというものである。それに上原ひろみも(生で観たことはないが)、エドマール・カスタネーダも、訓練された腕をもって、実に愉し気に音の数々を繰り出してくる。

したがってどれを聴いても愉快に圧倒されるばかり。個人的な白眉は、ピアソラの「Libertango」か。超有名曲であるだけに、それぞれのアプローチがより人間的に感じられるのだ。

11月に日本公演か。行けるかな。

●エドマール・カスタネーダ
アリ・ホーニグ@Smalls(2015年)
エドマール・カスタネーダ『Live at the Jazz Standard』(2015年)


セロニアス・モンク『The Centennial Edition / Paris 1954』

2017-10-09 13:51:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

セロニアス・モンク『The Centennial Edition / Paris 1954』(Vogue、1954年)を聴く。

Thelonious Monk (p)
Jean-Marie Ingrand (b) (11-16)
Jean-Louis Viale (ds) (11-15)
Probably Gerald "Dave" Pochonet (ds) (16)

かつてVogueから出されていたピアノソロ盤であり、わたしもCDを持っている。そんなわけでああ再発かとスルーしかけたところ、実は、オリジナルの10曲(最初のアナウンスを含む)に加え、ボーナス・トラックが入っている(11-16)。これは放っておくわけにはいかない。

オリジナルのピアノソロが1954年6月4日に演奏されたものであり、今回追加された録音は、パリの別の場所において、現地のベーシスト、ドラマーと一緒に6月1日と3日に演奏されたものである。つまりオルタナティヴ・テイクスではない。モンクの別の名盤『Thelonious Himself』において、「'Round Midnight」の模索過程が追加されたこととは違うのであり、ちょっとがっかりした。

しかしモンクのこの時代の演奏が悪いわけはないのだ。「Well, You Needn't」なんて、オリジナルのほうにはなかった最初の声(曲名を告げる)が入っており、録音も前のCDより良いように聴こえる。またトリオでは展開を模索しているようで、これもまた良い。またオリジナルでは「Hackensack」のみで終わるところが、トリオではそのまま短い「Epistrophy」につながり、訥々と探っているようだ。そして6月3日の1曲だけの「'Round Midnight」は「(incomplete)」と付されているが、やはりこれも模索段階のようであり、長さが2倍の翌日のソロ演奏がスマートで完成されたものに、なおさら聴こえてくる。

●セロニアス・モンク
村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
中平穂積、セロニアス・モンク、渋谷
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
スティーヴ・レイシー『School Days』
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの3枚組
纐纈雅代トリオ@新宿ピットイン
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』
『失望』の新作
「3人のボス」のバド・パウエル
『Interpretations of Monk』
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』、ジミー・ハルペリンとの『Monk Dreams』
ジョン・チカイ『In Monk's Mood』


クレイグ・ペデルセン+中村としまる@Ftarri

2017-10-09 11:12:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにおいて、クレイグ・ペデルセンと中村としまるとのデュオ(2017/10/8)。

Craig Pedersen (tp)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)

クレイグさんのトランペット表現は実に幅広い。ミュートを使い多彩な音を試すとともに、そのミュートをトランペットに当てて金属音を発する。心臓の鼓動と同調するような音もある。

中村としまるさんがサウンドの上位に立つとピークを目指す音も、突如として止まることも、ひとつひとつが事件となる。そのような中で、クレイグさんはマウスピースを外して息だけを管で増幅させ、ピストンを分解してトランペットを金属管に過ぎないものに変貌させたりもした。そしてガス欠のように演奏が終了。

セカンドセット。クレイグさんは口笛のようにトランペットを吹き(!)、中村さんのドラマチックにも感じるドローンとシンクロした。またしてもサウンドを急停止させる「事件」の数々、隣で朗々としたトランペット。悪夢のようでもある。かれらの音は自律し自走をはじめ、止めようもないグルーヴを形成した。クレイグさんはタオルでマウスピースを擦る音を増幅させ、中村さんは電子を泡立たせた。音は自律と暴走との狭間にあって、冷や冷やする瞬間が多かった。これを愉しめばスリルである。

クレイグさんの相方のエリザベス・ミラーさんとも、OTOOTOのおふたりともおしゃべりができて愉しかった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●クレイグ・ペデルセン
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
クレイグ・ペデルセン、エリザベス・ミラーの3枚(2016-17年)

●中村としまる
広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri(2017年)
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)


翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F

2017-10-09 09:34:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

大泉学園のin Fに足を運んだ(2017/10/8)。ずいぶん久しぶり、菊地雅章のソロピアノを観て以来ではなかろうか。そして翠川敬基の演奏に接するのもここで故・井上敬三さんとのデュオを観て以来。

Keiki Midorikawa 翠川敬基 (cello)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

名前一瞥で仰天の弦トリオ。MCは喜多さんが担当した。齋藤徹さんも順調に恢復されている様子で何よりである。去年の今頃はテツさんもわたしも入院前で、それを思い出すと感無量。

ファーストセット。「Tres」(翠川)、弓弾きを慎重に重ねてゆく。テツさんの指弾き、喜多さんの速い繰り返しを経て、また重ね合わさるときには常にはじまりだという感覚がある。「Gumbo Soup」(翠川)ではテツさんの奇妙なイントロからはじまる。前の曲とは異なり、静の重なりではなく動の重なりのようだ。「Haze」(富樫雅彦)、擦れから盛り上がりまでの振幅が大きい。弓により共鳴しきる響きが三者三様のアーチを描き、空中で見事に交差した。「Wishing」(富樫)では3人の重層的な音、その中でも富樫雅彦らしい美しいメロディを翠川さんが弾き、テツさんが指で並走し、喜多さんが震えを表現した。翠川さんはオーネット・コールマンの「Lonely Woman」を引用した。大きな羽根がやはり空中で交差し合い、ユニゾンでは哀しみが創出された。

セカンドセット。「Invitation」(齋藤)では、コントラバスの官能がチェロとヴァイオリンにも波及し、この共振ぶりといったらない。「Valencia」(富樫)では喜多さんが震えながら旋律を奏で、そして3者が重なり合うと無防備な感情の昂りを覚える。演奏は軌道に乗り、喜多さんによる流れ星の音とテツさんのアルコが中心の翠川さんのもとに吸い込まれていくように思えた。「Bisque」(翠川)。テンポも音域も3つに分かれる、これを耳で追従することの快感がある。喜多さんが指でチロリと付けたアクセントが印象的だった。「あの日」(翠川)。さまざまな音がやはり中心に座る翠川さんのほうに収斂してゆく。テツさんの滑らかな弓弾きがドラマチックだ。最後は3人ともに地を震わせた。

来てよかった。 

Fuji X-E2、XF60mmF2.4 

●翠川敬基
1999年、井上敬三(1999年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)

●齋藤徹
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●喜多直毅
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(2016年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)

 


大工哲弘一人唄会@浅草木馬亭

2017-10-08 10:38:30 | 沖縄

浅草木馬亭において、大工哲弘一人唄会(2017/10/7)。

第一部は八重山のうた。まずはめでたく「赤馬節」、続いて「ざんざぶろう」。大工さんのお父さんは「大工ぜんざぶろう」さんだったそうであり、しっかり唄えと言ってくれた、と。三線を置いて横笛で、子守唄の「あがろーざ」。カニを使って為政者の批判にもした「やぐじゃーま節」。「前ぬ渡節」から「波照間の砂」。そして楽器をもたずにワークソングとして発達したのだとして、さまざまなユンタ。木綿の花を唄った「夏花」、ここで気持ちはアメリカ南部のNovember Cotton Flowerへと飛ぶ。もちろんアメリカでもそれは過酷な労働であった。できた反物は官吏により検閲される、唄うのは「さこだあっぱー」。

第二部は向島ゆり子(ヴァイオリン)を迎えた。まずは、佐世保市立成徳高等女学校の校歌であったワルツ「美しき天然」。山之口貘の詩に高田渡が曲を付けた「鮪と鰯」、この日は核兵器禁止条約に日本が署名していないことへの批判が込められていた。向島ゆり子の飛び跳ねるようなヴァイオリンもいい。『蓬莱行』でも取り上げられた台湾の唄。添田さつきの「ノンキ節」に、メチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ~と「東京節」。前月(2017/9/23)の「唖蝉坊と沖縄」よりもこなれていた。

アンコールはふたたび山之口貘・高田渡による「生活の柄」。

鼻にかかって伸びる倍音。時代も地域も八重山から飛び出て手をつなぐ、これが大工哲弘。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●大工哲弘
唖蝉坊と沖縄@韓国YMCA(2017年)
大工哲弘@みやら製麺(2017年)
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
大工哲弘『八重山民謡集』(1970年代?)


代島治彦『三里塚のイカロス』

2017-10-08 09:38:55 | 関東

代島治彦『三里塚のイカロス』(2017年)を、イメージフォーラムで2回続けて観た。

 

このドキュメンタリーでは、空港予定地が三里塚に突然決められ、農民が震えるほどの怒りを覚え、反対に立ち上がるところから追ってはいる。それを思い出し、生生しく語る農民運動家も、映画の主な登場人物のひとりである。しかし、それ以外に焦点が当てられる人々は、外部から反対運動に身を投じ、三里塚にやってきた者ばかりだ。

かれらは主に新左翼であった。ブントのML派の女性たちは、大学を中退して、三里塚の農民の息子と結婚する。第四インターの者たちは、第一次強制代執行(1971年)に地下の要塞を掘ったときのことを語る。「この穴はベトナムに通じている」と呟きながら作業をしていたということであり、それはベトナム戦争の戦略に倣ったというだけではなく、大義に共鳴していたことを如実に示すものだった。第四インターはまた、プロレタリア青年同盟など他のセクトとともに成田空港の管制塔に突入し破壊する(1978年)。

すべては大義ゆえなのだった。かれらは通常の社会生活を投げ棄て現場に駆けつける。しかしそれは運動の組織的な指令による動きではなく、個人の考えや感情があってのことだった。したがって、かれらは、自分自身の人生を振り返り、なぜこのような運動や行動をしたのか、それがどのような意味を持ち、いまどう評価されるべきなのかを、驚くほど明快にすがすがしく語る。

一方、空港公団の担当者として、農民への立ち退き工作を進めてきた者が登場する。個々の農民の実態について語ることはできず、ただ可哀想だったと口にする程度である。しかし、かれの家が中核派によって爆破され、火傷を負った愛犬が死んだときのことを想い出すときに、かれは突然嗚咽する。農民や運動家とは対照的に、組織の決定によって動き、大義など一顧もできなかったに違いない。そのかれが人間らしい感情を溢れ出させるのは、大きな権力に蹂躙された多くの人に対してではなく、愛犬に対してであった。この映画が、組織というものの性質をとらえたおそろしい瞬間であった。 

戸村一作反対同盟委員長が亡くなり(1979年)、その後、空港の条件付き容認かどうかなどを巡り、反対同盟は熱田派と北原派とに分裂する(1983年)。権力と組織による弾圧の結果は、社会の破壊と人間関係の分断に他ならなかった。そして、あまりにもおぞましい内ゲバの時代がやってくる。理想がいつの間にか抽象へと化けてしまい、幅広い理想を共有していたはずの仲間を殺害するに至る、これはあさま山荘事件(1972年)で既に見えていた現象ではなかったか。公団職員宅破壊事件や内ゲバには中核派が関わっていた。その中核派で三里塚の責任者を25年間も務めた者は、運動の個人史についてはやはり明快に語るものの、組織としての責任を問われると一転して曖昧になる。驚いたことに、代島監督は、最後に、それは組織の失敗だけでなく責任者の失敗でもあると詰めるのだ。氏の姿の映像もぶれる。

この映画は、組織・権力と個人との関係を垣間見せるだけでなく、運動と理念の抽象化・先鋭化が個人の存在を揺るがしてしまってきたことを露わに示しているものだ。見事である。小川プロの三里塚シリーズを観るならば、この映画もあわせて観なければならないだろう。

写真は北井一夫さんによる(『過激派』)。機動隊の車の金属板を手で剥がそうとしている写真など、まさに個人と大きなものとの不幸な接点のようにみえる。そして山崎比呂志さんのドラミングもまた素晴らしい。 

クラウドファンディングにも参加したので、エンドロールに名前が入っていた。

●三里塚
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
福田克彦『映画作りとむらへの道』(1973年)
小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


カマシ・ワシントン『Harmony of Difference』

2017-10-06 07:23:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

カマシ・ワシントン『Harmony of Difference』(Young Turks、-2017年)を聴く。

Kamasi Washington (ts)
Ryan Porter (tb)
Dontae Winslow (tp)
Cameron Graves (p)
Brandon Coleman (key)
Miles Mosely (b)
Ronald Bruner Jr. (ds)
Tony Austin (ds, perc)

Truth:
Rickey Washington (fl)
Terrace Martin (as)
Thundercat (b)
Matt Haze (g)
Nick Mancini (vib)
Paul Cartwright, Chris Woods, Jen Simone, Tylana Renga (vln)
Molly Rogers, Andrea Whitt (viola)
Peter Jacobson, Artyom Manukyan (cello)
Thalma De Freitas, Taylor Graves, Doctor Dawn Norfleet, Patrice Quinn, Jimetta Rose Smith, Dexter Story, Dustin Warren, Steven Wayne, Mashica Winslow (choir)

本盤はミニアルバムゆえ千円程度と廉価だが、充実している。曲と曲の間はうまく橋渡しがなされ、また最後に「Truth」という大編成の曲をもってきて、通して聴くとドラマチックだ。アンサンブルは凝っているし、ロナルド・ブルーナー・ジュニアのフィルインやブランドン・コールマンの彩豊かなキーボードなどなかなかカッチョいい。

それではカマシ・ワシントンのテナーはというと、塩っ辛く、ソウルフルで、悪くない。・・・のだが、すべては「」付きである。「塩っ辛い」はしょっぱい、「ソウルフル」はソウルフルなふるまい。アンサンブルも同じであり、これならばその時代に自律的に出てきたアーチー・シェップを聴くほうが百倍マシである。あるいは先人の影響を受けながらも自分自身の音を放つヨニ・クレッツマーのほうが百倍まっとうである。

つまり前作『The Epic』と同じく、悪くないけどどこかで聴いたような音楽。サンダーキャットがさあ、とか固有名詞の羅列はどうでもよい。


メルツバウ、テンテンコ、カルメン・ヴィラン@小岩bushbash

2017-10-05 23:04:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

小岩のbushbashに足を運んだ(2017/10/4)。

■ メルツバウ

Merzbow (many equipments and instruments)

多数のエレクトロニクス。ギターのような形の楽器には弦のかわりにコイルが張ってある。これらを淡々と使い、爆音が発せられる。

それらの層は明らかに分かたれており、上層にある音はときに泣き叫び、驚いてしまう。至福の時間。爆音ではあっても鼓膜を直撃するものではなく、不思議に身体全体に攻めてくる。しかし終わってから耳鳴りがしていた。

■ テンテンコ

ガジェット的なノイズ、ヴォイスも漫画的というのか、そのミックスにはなんの障壁もないようだった。

■ カルメン・ヴィラン

Carmen Villain (key, g, vo, laptop)

ロック的でもフォーク的でもあるサイケデリックなサウンド。さらにラップトップから、オリエンタル感のある映像が本人と後ろの壁に投射される。ヴィランは感性の赴くままにギターやシンセを弾き、囁き呟くように唄った。これは別世界だ。

もとスーパーモデルだというヴィランはやはり素敵で、終わったあとにbushbashの前で煙草を吸っていた彼女に、最近聴いていたCD『Infinite Avenue』にサインをもらってしまった。なぜジャケットがジーナ・ローランズなのかと訊くと、「Because I love her very much」と。


ジム・ジャームッシュ『パターソン』

2017-10-04 08:26:21 | 北米

有楽町のヒューマントラストシネマで、ジム・ジャームッシュ『パターソン』(2016年)を観る。

かれはバスの運転手であり、自分だけのための詩人でもある。6時過ぎに起きて、シリアルを食べて、仕事に行き、帰宅して傾いた郵便受をもとに戻し、妻とおしゃべりし、犬を散歩させるついでにバーでビールを飲み、帰って寝る。妻は家の内装や自分のファッションやカップケーキ作りやギターの練習に熱中し、かれをとても大事にする。

映画はかれらの1週間を追う。日常はつまらぬ日々ではない。かれにとってはことばをノートに書きつけることが一期一会である。運転している間も、バスの乗客が、ボクサーや女の空自慢やアナーキズムについて、毎日ちがう話をする。バーでも毎日妙なことが起きる。それらがたまらなくおかしい。

「平凡な日常こそが素晴らしい」などということではない。毎日のなんということもない出来事が、縁となって別の縁につながっていく。バス停で知り合った小さな詩人のことばが、自宅に架けられた絵とシンクロしたり。ノートが失われた直後に、別の詩人がノートをもってあらわれたり。それは実は本当の世界にほかならない。

●ジム・ジャームッシュ
ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』(2009年)


ピーター・マーティン・トリオ@Cotton Club

2017-10-03 01:04:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のCotton Clubで、ピーター・マーティン・トリオを観る(2017/10/3、2nd)。

Peter Martin (p)
Reuben Rogers (b)
Gregory Hutchinson (ds)

新鮮に思えるほどオトナのピアノトリオである。いやー、堪能した。ピーター・マーティンのオリジナルも、デューク・エリントンの「In A Mellow Tone」やマイルス・デイヴィス/ビル・エヴァンスの「Flamenco Sketches」という有名曲も工夫してあった。

ピーター・マーティンのピアノは押しがまったく強くない。しかし存在感が希薄なわけではなく、小さい音でも成熟感が伝わってくる。リューベン・ロジャースのベースはまろやかで空中に浮いているがごときであり、口に入れると溶けるエアロのチョコのようだ。

そして白眉はグレゴリー・ハッチンソン。音のエッジはまったくぎざぎざしておらず、静かな中でこそ際立つ名人だった。ブラッシュワークも見事。2年半前にNYのSmallsで長蛇の行列にあきらめたことがあったのだが、頑張って次のセットまで待てばよかった。

●グレゴリー・ハッチンソン
ジョー・ヘンダーソン『Lush Life』、「A列車で行こう」、クラウド・ナイン(1991年)

●リューベン・ロジャース
チャールス・ロイド@ブルーノート東京(2017年)
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』(2013年)


網守将平+岡田拓郎、角銅真実+滝沢朋恵、大城真+川口貴大@Ftarri

2017-10-02 23:54:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2017/10/1)。

■ 網守将平+岡田拓郎

接触不良の音と接触の音。地鳴りのノイズとホワイトノイズ。それらが次第に自律化し一人歩きし、鼓動にも不整脈にもなってゆく。突然ギターから弦の音が発せられた途端の不制御の落差に驚く。

■ 角銅真実+滝沢朋恵

暗闇の中での囁き、瓶に吹き込まれる息の共鳴。やがて和声の組み合わせへと変わってゆく。内奥ではなく目の前だけで成立する音世界か。ショウということを否定するかのような笑い。生命の細い糸。すなわち「私はライフスタイルそのものです」。

■ 大城真+川口貴大

テーブルに置かれた、音を発する数々の奇怪なものたち。それらの自律性とは正反対に、ぼてりとしてフィジカルな力を与えられなければどうしようもない、怠惰なチューブやホーン。金属片がときどき壁に乱暴に投げつけられ、そのたびに、小賢しい構成が自ら破壊される。

●大城真
大城真『Cycles』(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri(2017年)


クリス・ピッツィオコス+吉田達也+広瀬淳二+JOJO広重+スガダイロー@秋葉原GOODMAN

2017-10-01 23:42:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・ピッツィオコス日本ツアーの最後は、秋葉原GOODMANでの怪獣との共演(2017/9/30)。

Chris Pitsiokos (as)
Tatsuya Yoshida 吉田達也 (ds)
Junji Hirose 広瀬淳二 (ts)
JOJO Hiroshige JOJO広重 (g)
Dairo Suga スガダイロー (p)

いやー、なんだこの人たちは。リハーサルのときからただならぬ雰囲気を発散していたが、本番は当然ながら剛球の投げ合いであり予断を許さない。組み合わせは直前に協議して決めていた。期待で胸がふくらみまくる。

結果として、以下の組み合わせとなった。ただ決めても、クリスはステージ上で「Who's Next?」と待ちきれないように言う。

ファーストセット
1. Chris 広瀬
2. 吉田 スガ JOJO
3. Chris スガ 広瀬
4. Chris JOJO 吉田
5. Chris 吉田

セカンドセット
6. Chris
7. Chris スガ
8. 日本人全員
9. Chris JOJO
10. Chris 吉田 広瀬

アンコール 全員

それぞれに面白さと刺激があった。

この爆音の面々の前でスガダイローのピアノが消えないだろうかと懸念したのだが、いやとんでもない、高低を絶えず往還しての攻撃を行い、ときに怪獣軍団のサウンドを鮮やかに主導したりもして、驚くほどの存在感を示した。

広瀬淳二はクリスと同等以上に伍して、ヘンな音を出しまくっていた。パワープレイでの競奏時にもそうだった。またテナーの横に貼りつけた発砲スチロールを擦ったりもした。クリスはその様子を横で視て、嬉しさを隠そうともしなかった。

JOJO広重。始まる前には、このメンバーの中で音が埋もれないかとも思えたのだが、スガさんと同じく、そんなことはないのだった。9曲目のクリスとのデュオではサウンドを持ち上げたままで着地させず、クリスはそれに対して高音のロングトーンで応じた。朦朧とした。 

この傾奇ながらの抜きつ抜かれつの爆走。なるべく奇怪な貌を見せんとするメンバーに対して、クリスは多彩な技で呼応した。微分音破裂音、唾をミストとしてスパーク。バップ的ブルース的なフレーズ。間合い、ストップ・アンド・ゴー。息遣いの増幅。マウスピースを外しての口笛。倍音のらせん、循環呼吸。痙攣。5曲目のデュオでは持ち込んだ楽譜をもとにクラスター的な「曲」もやった。このキメラ性がかれの持ち味か。 

終わってからクリスはテンションが高いまま上機嫌、来年も自分のバンドで来たいと口にした。 

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●クリス・ピッツィオコス
クリス・ピッツィオコス+ヒカシュー+沖至@JAZZ ARTせんがわ(JazzTokyo)(2017年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』(2014年)
クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(2014年)
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』(2013年) 

●吉田達也
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
デレク・ベイリー+ルインズ『Saisoro』(1994年)

●広瀬淳二
広瀬淳二+今井和雄@なってるハウス(2017年)
広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)

●スガダイロー
纐纈雅代『Band of Eden』(2015年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『秘宝感』2010年)