Sightsong

自縄自縛日記

伊藤志宏+瀬尾高志@稲毛Candy

2018-12-24 11:14:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

稲毛のCandy(2018/12/23)。

Shikou Ito 伊藤志宏 (p)
Takashi Seo 瀬尾高志 (b)

演奏の時間がはじまるとともに、どの方向に滑ってゆくのか想像できない伊藤志宏のピアノ。瀬尾高志のコントラバスは自由な鳥を執念で追跡するようでいて、聴いているうちに、かれの音にはパルスで叩き響かせるべき地面が必要なのかと思えてきた。すなわち重力を意に介さぬ飛翔と重力を前提にした跳躍。

2セットともに、異なるふたりの姿が同じ世界に収束してゆく時間があった。伊藤さんの執拗な繰り返しがあり、旋律への誘惑があり、それにより時空に描かれたアーチに、瀬尾さんがまた別のアーチを架けた。見事。

Fuji X-E2、7artisans 12mmF2.8、XF60mmF2.4


金成隆一『記者、ラストベルトに住む』

2018-12-23 12:11:41 | 北米

金成隆一『記者、ラストベルトに住む トランプ王国、冷めぬ熱狂』(朝日新聞出版、2018年)を読む。

金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』は、なぜ「理知的」に判断してもあり得ない結果であったはずのトランプ大統領誕生が起きたのか、その実態を示してくれる良書だった。本書はその続編である。著者は地殻変動が起きたラストベルトに住み、トランプを支持した住民たちのナマの声を拾い上げている。

ラストベルトの「ラスト」とは、「最後」ではなく「サビ」である。すなわち、石炭や鉄鋼や重工業に代表される産業が「サビついた」地域のことであり、主に五大湖周辺。共和党支持なら中南部だろうという見立ては、もはや過去のものになっている。「労働者は民主党」「富裕層は共和党」から、「棄てられた労働者は共和党」「富裕層は民主党」へとシフトしているのである。

かれらは仕事を失い、何とか働き口を見つけたとしてもたいへんな低賃金。その絶望が、都会の富裕な白人(ヒラリー・クリントンに象徴されるような)や、自分たちの仕事を奪う者としての移民に向けられてきた。また薬物依存に向かった。そして、マイノリティ尊重やポリティカル・コレクトネスや環境保護を「やり過ぎ」だと見なす風潮を生んだ。

本書を読んでわかるのは、「トランプ祭り」が終わっても、その空気はさほど変わってはいないということである。住民をとりまく状況はかんたんに変わりはしないのだから当然とも言える。一方ではトランプへの幻滅も出てきている。登場する人たちの声はリアルだ。

とは言え、本書が示唆している通り、これが続くわけではない。アメリカにおいては、2045年には非白人が人口の過半数を占めるようになる。しかしヒスパニック層を取り込もうとしたジェブ・ブッシュはレースから脱落した。共和党は見棄てられた白人層を取り込み、保守からカルトへと右に振れ切った。それに伴い、極端な排外主義の活動を行う団体もまた出てきている。中間選挙は微妙な結果となった。解はなかなか見えない。まさに同時代または近未来の日本である。

本書には、トランプ政権への抗議デモでよく使われたという、マヤ・アンジェロウの印象的な詩が紹介されている。

あなたの言葉で私を撃てばよい/
視線で私を切りつければよい/
憎しみで私を殺せばよい/
それでも私は立ち上がる、空気のように

You may shoot me with your words,/
You may cut me with your eyes,/
You may kill me with your hatefulness,/
But still, like air, I'll rise.

●参照
吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(2018年)
貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(2018年)
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(1987、2015年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)
上岡伸雄『ニューヨークを読む』(2004年)
亀井俊介『ニューヨーク』(2002年)


中村誠一+松井節子+小杉敏+村田憲一郎@行徳ホットハウス

2018-12-23 00:58:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

行徳のホットハウス(2018/12/22)。

Seiichi Nakamura 中村誠一 (ts)
Setsuko Matsui 松井節子 (p)
Satoshi Kosugi 小杉敏 (b)
Kenichiro Murata 村田憲一郎 (ds)

ハウスピアニストの松井節子さんが退院・復帰なさっていて、入ると、夫君の郷間和緒さん(故人)との共演のCDを聴いておられた。なお郷間さんは平岡正明が注目していたサックス奏者だった。観ておけばよかった。

この日のもうひとりの主役は大ヴェテランの中村誠一。実に良い音でテナーを鳴らし、場を支配する。聞いてみると、1937年製のセルマーだということであり、ネックに例のマークはない。一方の松井さんはこれ見よがしでないのに彩りがあって、しかも引き際が驚くほど潔い。さすがのカッコよさなのだった。

曲は、There Will Be Never Another You、My Little Suede Shoes、I Can't Get Started、Ricado Bossa Nova、Winter Wonderland、Desafinado、Golden Earings、Love for Sale、St. Thomas(セカンドセットの終わりに短くフカした)、Jumpy Blues、No Problem(リクエストで)、Speak Low(8ビート)、Goodbye。いやゴージャス。

中村さんに、『天使の恍惚』の7インチ盤(山下洋輔トリオで吹いている)にサインをいただいた。

Fuji X-E2、7artisans12mmF2.8、XF60mmF2.4

●参照
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』


ノア・ハワード『Migration』

2018-12-22 15:04:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

ノア・ハワード『Migration』(altsax、1988年)を聴く。

Noah Howard (ss, as, ts, vo)
Cesare (ds)
Tammy Hall (key, synth)
L.C. (b)
Marty Townsend (g)
Danny Dhont (perc)
Curt Hanson (b)
Jan Verheyen (g)
Walter Metz (ds)
Lode Gansen (tp)

言うまでもないことなのかそうでないのか自分にはわからないのだが、1960年代や70年代にESPやFMPに吹き込んだときの切迫感や何かを訴えようとするような力が、もはや皆無に近い。同じフレーズをちょっと切々と繰り返す人である。しかも時代のせいか、やたら電気を使っていて哀しいほどに薄っぺらい。しかも歌わなくていいのに歌っている。

しかしわたしはノア・ハワードを聴く。(って、いつも同じ感想だな)

●ノア・ハワード
ノア・ハワード『Live at Documenta IX』(1992年)
ノア・ハワード『Live at the Swing Club』
(1974年)


ユージン・チャドボーン『Pain Pen』

2018-12-21 01:15:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ユージン・チャドボーン『Pain Pen』(Avan、1999年)を聴く。

Eugene Chadbourne (g)
Joe Morris (g)
Mark Dresser (b)
Susie Ibarra (ds)

ユージン・チャドボーンがまともでないことはわかってはいるが、こんなのを聴くとますますその思いを強くする。へなへなの弦で、走っているのか、背中を丸めて個人作業にいそしんでいるのか。この超然ぶりを横にしては、ジョー・モリスさえ堅物のように感じられてくる。メアリー・ハルヴァーソンを思い出しても、彼女がまるでマジメな優等生みたいである。

マーク・ドレッサーもスージー・イバラも明らかにプレイを愉しんでいるのだが、何にしてもチャドボーンの独壇場。

●ユージン・チャドボーン
ハン・ベニンク+ユージン・チャドボーン『21 Years Later』(2000年)
ユージン・チャドボーン『The Lost Eddie Chatterbox Session』(1977年)


オンドジェイ・ストベラチェク『Live in Prague』

2018-12-20 23:34:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

オンドジェイ・ストベラチェク『Live in Prague』(Stvery Records、2017年)を聴く。

Ondřej Štveráček (ts)
Klaudius Kováč (p)
Tomáš Baroš (b)
Gene Jackson (ds)

前年の『Sketches』と同じメンバーでのライヴ盤。

自分としての目玉はやはりジーン・ジャクソンで、ヘヴィ級にして跳躍も加速急停止もするドラミングには、わかっていても痺れる。

しかしそれだけではない。ストベラチェクのテナーはもろにコルトレーンを追っているのだが、フォロワー特有の熱さがある。他のメンバーもこのサウンドを熱く突き進む。たとえばビリー・ハーパーやサン・シップを聴いているときのように、聴いているこちらでもヒーターのスイッチが入ってしまう。いやたまんないな。

●オンドジェイ・ストベラチェク
オンドジェイ・ストベラチェク『Sketches』(2016年)

●ジーン・ジャクソン
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
ジーン・ジャクソン・トリオ@Body & Soul(2018年)
ジーン・ジャクソン(Trio NuYorx)『Power of Love』(JazzTokyo)(2017年)
オンドジェイ・ストベラチェク『Sketches』(2016年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)
松本茜『Memories of You』(2015年)
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)


鳴らした場合、20 Guilders@高円寺円盤

2018-12-20 00:52:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

魅惑の魔窟的レコ屋、高円寺の円盤(2018/12/19)。

■ 鳴らした場合

Ippei Kato 加藤一平 (g)
Yuki Kaneko 金子由布樹 (electronics, tape, edit)
Naoya Murata 村田直哉 (turntable)

きっかり1時間の朦朧。記憶のエディットと、円盤という記憶からの生命と、時間の流れと無関係なようなギター。

「鳴らす」って何だ、時間とは何だ、記憶とは何だ、と、足許がぐらぐらする。まるでカイオウの北斗琉拳に惑わされているようである。ところで村田氏がトロンボーンを抽出したレコードは何だっただろう。

■ 20 Guilders

Tabata Mitsuru タバタミツル (g, vo)
Suzuki Junzo スズキジュンゾ (g, vo)

ギラっていたり、ブルージーでもあったり、響きに頭蓋を共振させられもしたり。かなり面白かった。そりゃまあさすがである。

ところで、2019/1/13には、タバタミツル&中村としまる、スズキジュンゾ&秋山徹次、という凄い組み合わせのギグがあるそうだ(>> リンク)。

Fuji X-E2、7artisans12mmF2.8

●加藤一平
波多江崇行+加藤一平@なってるハウス(2018年)
永武幹子+加藤一平+瀬尾高志+林ライガ@セロニアス(2018年)
竹内直+加藤一平@セロニアス(2017年)
鈴木勲セッション@新宿ピットイン(2014年)


ルイス・モホロ『Uplift the People』

2018-12-16 20:30:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイス・モホロ『Uplift the People』(Ogun Recording、2017年)を聴く。

Louis Moholo-Moholo (ds)
Alexander Hawkins (p)
John Edwards (b)
Jason Yarde (sax)
Shabaka Hutchings (sax)

※現在はモホロは「ルイス・モホロ・モホロ」と名乗っている

「Five Blokes」名義であり、これは、カルテットでの『4 Blokes』(Ogun Recording、2013年)のメンバーにシャバカ・ハッチングスを加えた形となっている。とは言えサウンドはかなり似ている。

もちろんロンドンのサックス奏者ふたり、ジェイソン・ヤードもハッチングスも活力を注入しており、それが増えた分、エネルギー・ミュージックとしてはその沸騰度を増している。ヤードはサウンドの内壁にへばりつくようなつるつると粘る感覚が良いし、ハッチングスの野性的な咆哮も良い。

しかし、やはりこれはルイス・モホロとジョン・エドワーズがあってこその音なのだ。モホロは短いリーチでスタミナ切れを知らずボディに重いパンチを打ち込んでいく感覚(2007年と10年の「KAIBUTSU Lives!」におけるモホロには魅せられた)。ジョン・エドワーズはあまりにも強靭な弦の響き。強いといえばアレキサンダー・ホーキンスの打ち込むピアノも印象的だ。

これがロンドンのCafe Otoでのライヴとは・・・。観たら酸欠必至だろうね。

Louis Moholo-Moholo (ds)
Alexander Hawkins (p)
John Edwards (b)
Jason Yarde (sax)

●ルイス・モホロ
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)
ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(2007年)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)(ルイス・モホロ参加)
ルイス・モホロ+ラリー・スタビンス+キース・ティペット『TERN』(1977年)

●ジョン・エドワーズ
ユリエ・ケア3、リーマ@スーパーデラックス(2017年)
オッキュン・リー『Cheol-Kkot-Sae [Steel Flower Bird]』(2016年)
シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(2016年)
ジョン・ブッチャー+ジョン・エドワーズ+マーク・サンダース『Last Dream of the Morning』(2016年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』
(2014年)
三上寛+ジョン・エドワーズ+アレックス・ニールソン『Live at Cafe Oto』(2013年)
ジョン・エドワーズ+オッキュン・リー『White Cable Black Wires』(2011年)
ロル・コクスヒル+ジョン・エドワーズ+スティーヴ・ノブル『The Early Years』(2004年)
パウル・ローフェンス+パウル・フブヴェーバー+ジョン・エドワーズ『PAPAJO』(2002年)

●アレキサンダー・ホーキンス
シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(2016年)
ザ・コンバージェンス・カルテット『Slow and Steady』(2011年)

●シャバカ・ハッチングス
マブタ『Welcome to This World』(2017年)
アーチー・シェップ『Tribute to John Coltrane』(2017年)


さがゆき+高田ひろ子@川崎ぴあにしも

2018-12-16 09:59:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

川崎ぴあにしも(2018/12/15)。

Yuki Saga さがゆき (vo)
Hiroko Takada 高田ひろ子 (p)

冒頭の「I've Never Been in Love Before」。「... this is wine」のところでのさがさんのタメがあって、ピアノも嬉しそうに鳴っている。続く「Second Time for Love」では逆に高田さんのピアノが敢えてもたつき、ヴォイスがはしゃぐ。スキャットからテーマへ、さがさんの丸く突き通る声が印象的。次の曲では、囁きが想いの深みに沈んでいくようだった。「So in Love」でピアノが力強くなり、「You're My Everything」においてふたりは顔を見合わせて愉しそうにしている。スキャットが子どものようだ。

セカンドセット。「You Must Believe in Spring」に続く「All the Things You Are」では、さがさんが立ちあがって歩き回り歌う。表面が梨地なのにクラスターのように放たれる声が実に不思議。そのヴォイスの魅力は「Child Is Born」の中で心の底を低音で撫でるように変わった。「I Wish I Knew」、ノリノリのピアノに伸びる声。「My Romance」では、少女のごとく語るヴォイスにあわせて、高田さんのピアノが止まったり進んだりする。

ブロッサム・ディアリーが歌った「Try Your Wings」。流れるイントロからさがさんの口笛。「If you've never been in love」なら、「If you're hungry for the sound」なら、「try your wings」なんて、たまらない歌詞。「A first love never comes twice...」にいたり、さがさんは感極まって泣いている。一転して「All of You」での高い声。そしてクリスマスの曲をふたつ。

さがさんがしばらく歌っていないという「All of Me」では童女を思わせる幻想的なインプロ、さすがである。「Every Time We Say Goodbye」、ピアノの伴奏に乗せてさがさんがしっとりと歌う。サビでの情感も、またにこりと笑ってバトンタッチしたあとの高田さんのソロもまた素晴らしかった。セカンドセットはアンコールを含めて12曲も。

どうみても親密なデュオなのだが、その親密さがパフォーマンスの間ずっと増していった。


メアリー・ハルヴァーソン『The Maid with the Flaxen Hair』

2018-12-15 09:56:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

メアリー・ハルヴァーソン『The Maid with the Flaxen Hair』(Tzadik、2018年)を聴く。

Mary Halvorson (g)
Bill Frisell (g)

メアリー・ハルヴァーソンとビル・フリゼールとのデュオによる、ジョニー・スミスへのトリビュート盤。

アメリカーナの懐かしさと、その視線が含み持つ時間を無化してやろうといわんばかりの歪み。確かに「Shenandoah」とか「Misty」とか「The Nearness of You」とか、聴き慣れた曲がその形を変えてぐにゃぐにゃになっていくのは愉しいのだけれど、あまり野心をもって突き進んでいない感じ。先輩との形を作りたかったというアルバムかな。

●メアリー・ハルヴァーソン
サムスクリュー『Ours』、『Theirs』(2017年)
トム・レイニー・トリオ@The Jazz Gallery(2017年)
メアリー・ハルヴァーソン『Paimon: Book Of Angels Volume 32』(2017年)
トマ・フジワラ『Triple Double』(2017年)
メアリー・ハルヴァーソン『Code Girl』(2016年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
『Illegal Crowns』(2014年)
トマ・フジワラ+ベン・ゴールドバーグ+メアリー・ハルヴァーソン『The Out Louds』(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(2014年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
PEOPLEの3枚(-2005、-07、-14年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)


貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』

2018-12-15 08:47:32 | 北米

貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(岩波新書、2018年)を読む。

大きな物語としての、ナショナル・ヒストリーとしての、「移民国家」。真実ではあるのだけれど、一方で、それが都合よく語りなおされた言説であることもよくわかる。

19世紀なかばまで、新大陸に移住した黒人はヨーロッパ人の4倍もいた。すなわち「奴隷国家」であった。奴隷制が廃止されても、有償の「奴隷制」が続いた。アメリカ南部の綿花栽培などはその典型であり、19世紀前半に拡がった。「自由労働者」であってもその実は奴隷とは、当然ながら、いまの日本にだってつながっているわけである。

目立つ移民は黒人、中国人、日本人へと変遷していく。そして何かがあるたびに排斥運動が起きた。ここで重要な点が指摘される。20世紀になり、日本人は、あるいは日本政府は、他のアジア諸国と異なる「一等国」の「名誉白人」として特別扱いされるよう願い、働きかけた。人種平等提案をするにしても、それはタテマエであり、自身は中国を侵略し、民族自決を願った朝鮮を武力で鎮圧した。

もちろん日本人を含め、マイノリティの抵抗運動とそれにより勝ち取った権利は高く評価されている。しかし問題は、それが、アメリカという国家を再生する物語に回収されてきたことなのだ、としている。そこにはさまざまな非対称があり、物語から排除された人たちが少なからずいた。

では日本という国の物語はどうか。本書には、岸信介による驚くべき発言が引用されている。日系人の下院議員ダニエル・イノウエが、日系人が米国大使になる可能性について示唆したところ、岸は言い放った。「あなたがた日系人は、貧しいことなどを理由に、日本を棄てた『出来損ない』ではないか。そんな人を駐日大使として、受けいれるわけにはいかない」と。このおぞましく醜い眼差しが、いまも脈々と受け継がれている。

●参照
吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(2018年)
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
四方田犬彦『ニューヨークより不思議』(1987、2015年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)
上岡伸雄『ニューヨークを読む』(2004年)
亀井俊介『ニューヨーク』(2002年)


ジョン・ヒックス+セシル・マクビー+エルヴィン・ジョーンズ『Power Trio』

2018-12-15 08:16:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・ヒックス+セシル・マクビー+エルヴィン・ジョーンズ『Power Trio』(BMG、1990年)を聴く。

John Hicks (p)
Cecil McBee (b)
Elvin Jones (ds)

大好きな3人であるからさぞ燃えるかと思ったのだが、最初から最後まで白けっぱなし。理由はペラペラな録音にある。これはひどい。

●ジョン・ヒックス
ソニー・シモンズ『Mixolydis』(2001年)
ソニー・フォーチュン『In the Spirit of John Coltrane』(1999年)
デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』(1986年)
ファラオ・サンダースの映像『Live in San Francisco』(1981-82年)
チコ・フリーマンの16年(1979、95年)
ソニー・シモンズ

●セシル・マクビー
エルヴィン・ジョーンズ+田中武久『When I was at Aso-Mountain』(1990年)
ボビー・マクファーリン『Nice 1982』(1982年)
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集(1980年)
チコ・フリーマンの16年(1979, 95年)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』(1977年)
ザ・360ディグリー・ミュージック・エクスペリエンス『In: Sanity』(1976年)
セシル・マクビー『Mutima』(1974年)
ハンプトン・ホーズ『Live at the Jazz Showcase in Chicago Vol. 2』(1973年)
ハンプトン・ホーズ『Live at the Jazz Showcase in Chicago Vol. 1』(1973年)
アリス・コルトレーン『Carnegie Hall '71』(1971年)

●エルヴィン・ジョーンズ
エルヴィン・ジョーンズ(1)
エルヴィン・ジョーンズ(2)
チコ・フリーマン『Elvin』(2011年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)
ミシェル・ドネダ+エルヴィン・ジョーンズ(1991-92年)
ソニー・シャーロック『Ask the Ages』(1991年)
エルヴィン・ジョーンズ+田中武久『When I was at Aso-Mountain』(1990年)
エルヴィン・ジョーンズ『Live at the Village Vanguard』(1968年)、ジョージ・コールマン『Amsterdam After Dark』『My Horns of Plenty』(1978、1991年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』(1978、1983年)
エルヴィン・ジョーンズ『At Onkel Pö's Carnegie Hall Hamburg 1981』(1981年)
高橋知己『Another Soil』(1980年)
1972年のエルヴィン・ジョーンズ
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
フィニアス・ニューボーンJr.『Back Home』(1969年)
藤岡靖洋『コルトレーン』、ジョン・コルトレーン『Ascension』(1965年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、1995年)
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(1964、1972、1990、1991年)
『Stan Getz & Bill Evans』(1964年)
ソニー・シモンズ(1963、1966、1994、2005年)
ジミー・フォレスト『All The Gin Is Gone』、『Black Forrest』(1959年)


魚返明未『はしごを抱きしめる』

2018-12-14 23:07:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

魚返明未『はしごを抱きしめる』(Apollo Sounds、2018年)を聴く。

Ami Ogaeri 魚返明未 (p)
Satsuki Kusui 楠井五月 (b)
Shun Ishiwaka 石若駿 (ds)

いかにも複雑で繊細な曲を軽々と弾きこなす魚返明未。それも驚きなのだが、石若駿のドラムスもまた驚きである。時間の進み方をすべて手に入れていて、自在に空中浮遊しているようだ。アメリカにジャスティン・ブラウンがいるなら日本には石若駿がいる。


森進一『影を慕いて』

2018-12-14 00:08:04 | ポップス

森進一『影を慕いて』(日本ビクター、1968年)を聴く。

先日、高円寺の円盤で500円で買ったLPレコード。森進一2枚目のアルバムであり、古賀政男のカバー集である。

解説には、「流れるように繊細な『古賀メロディ』」と、「荒く揺れる独特のバイブレーションを身上とする『モリブレーション』」との結合とある。モリブレーション!・・・なるほど。集団就職で、職をいくつも転々として、歌手として見出されてから数年後である。それでも20歳。おそるべし。


アンドリュー・シリル『Lebroba』

2018-12-13 22:20:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・シリル『Lebroba』(ECM、2017年)を聴く。

Andrew Cyrille (ds)
Wadada Leo Smith (tp)
Bill Frisell (g)

これは良いアルバムだ。三者の異なる個性が三者であることでそれぞれ引き立っている。

ワダダ・レオ・スミスのトランペットは常に大きな空間への拡がりを思わせる。吹くとその先にはまだ先の世界が霞とともに視えてくる感覚がある。それが結果としてアンビエントで連続的なサウンドになっているのだとすれば、ビル・フリゼールは逆に時間を止める。アメリカーナの空想的な懐かしさの姿を偽装しつつ、絶えず、時間のリセットを企んでいるようである。(だから作為的に思えて好みでないのかもしれない。)

そして、アンドリュー・シリルは時空間が拡がろうとぶつ切りにされようと関係なく、超然として、かまいたちのようなパルスを発し続ける。衰えない。これが吹き込まれたのは2017年7月で、その翌々月にシリルのプレイを観た。フリゼールと同様に浮遊的でありながらまったくタイプの違うベン・モンダーを向こうにまわし、やはり、達人なのだった。

●アンドリュー・シリル
ベン・モンダー・トリオ@Cornelia Street Cafe(2017年)
トリオ3@Village Vanguard(2015年)
アンドリュー・シリル『The Declaration of Musical Independence』(2014年)
アンドリュー・シリル+ビル・マッケンリー『Proximity』(2014年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
トリオ3+ジェイソン・モラン『Refraction - Breakin' Glass』(2012年)
アンドリュー・シリル『Duology』(2011年)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』(2005年)
アンソニー・ブラクストンとアンドリュー・シリルのデュオ(2002年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(1992年)
1987年のチャールズ・ブラッキーン(1987年)
『Andrew Cyrille Meets Brötzmann in Berlin』(1982年)
アンドリュー・シリル『Special People』(1980年)
アンドリュー・シリル+ミルフォード・グレイヴス『Dialogue of the Drums』(-1974年)
アンドリュー・シリル『What About?』(1969年)