加藤政洋『敗戦と赤線~国策売春の時代~』(光文社新書、2009年)を読む。
本書は、集団売春街がどのように形成されたのかを追っている。それは主に前借金にもとづく管理売春であり、狭義の「赤線」に限るものではなかった。また、戦前の遊郭や私娼街が存続した場所ばかりではなかった。色々なタイプがあった。
驚くべきことは、こういった施設は政府や警察の強い意向で作られたことである。敗戦後すぐの1945年8月18日、内務省から警察宛てに、外国人向けの「性的慰安施設」を充実させるよう命令があった(国務大臣は近衛文麿)。すなわち、占領軍から日本人を護るために日本人を差し出すという人柱政策、「性の防波堤」に他ならなかった。
明らかになるのはこれにとどまらない。施設は急に拵えられたのではなく、戦中の軍人や軍需工場の「産業戦士」に向けられた慰安所から地続きであった。また、GHQが公式に制度を解体させてもなお別の形で存続させた。
本書では東京の主な地域の他、岐阜、京都、沖縄についてもその経緯を検証している。ここでも驚く指摘がある。那覇の栄町は、戦後の発展の中心として企図されながら、たまたま別の遊興の場所になってしまったのではなかった。戦前の大遊郭・辻に取って替わる歓楽街として、なかば意図的に囲い込まれたというのである。
占領軍の意図を超えて、非占領側が自国民を差し出す構図。「占領軍」を別の形に読み替えてもよい。これは現在の構図でもあるだろう。
●参照
藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』
木村聡『消えた赤線放浪記』
マイク・モラスキー『呑めば、都』
滝田ゆう『下駄の向くまま』
滝田ゆう展@弥生美術館
川島雄三『洲崎パラダイス赤信号』