ひところ「あやしい探検隊」シリーズとか、椎名誠の本にイカれた時期があったが、果たしていつだったか。もう10年以上前なのだろう。最近の活動状況は知らないが、相変わらず世界を駆け巡るスタイルがもてはやされているのだろうか。
外国人が日本を歩く本を読んだ勢いで今度は、日本人が外国を駆け抜ける本を読んでみた。とは言え雑誌社のヒモ付き(失礼)で旅行記みだがエッセイとも読めそうな、とっつき安い本である(内容が軽いと行ケナしているワケではない)。
もうふた昔前だが、オーストラリアを一ヶ月以上旅した。その時に通ったコースの一部が本書に出ていて懐かしかった。僕はタウンズビル→Mt.アイザ→アリススプリングス→アデレードとバスを乗り継いで抜けたのだが、シーナ氏はアデレードから北上し、アリススプリングスからさらに北へ、海沿いの町・ダーウィンまで突き抜けている。この本が書かれたのは1987年、僕が旅したのは1985年、ほぼ同じ時期と言える。だから尚更、親近感を覚えるのかもしれない。
2台のクルマで5人の旅だから、旅の孤独感や行動中の物思いといった記述は見当たらない。クルマで突っ走り、休憩ごとにビールをかっ喰らい、時に寄り道をしてゆく。この寄り道の部分が面白いのだが、逆にこれだけの紙数だとこの程度しかエピソード書けないのかと思わないこともない。
同行のカメラマンが撮った写真、贅沢にもヘリから撮った写真もふんだんに載せられている(しかもカラーだ)点は評価しなければならない。これらの写真から、読者は「熱風大陸」の片鱗をうかがい知ることが出来る…僕が行ったのは2月、現地の夏だったせいもあるが、本当に暑かった。向こうで日焼けをし、それが過ぎて痛みが引かず、駆け込んだクスリ屋で"Oh! Sunburn!!"と言われ新しい単語を覚えたことを思い出した。
この当時は廃線の処理をしていた鉄道だが、つい先年、アデレードからダーウィンまでが整備され、"The Ghan"という豪華列車が走り抜けるようになった。この本を呉れたカヤノフ氏と、いつか走破できる日がくれば良いなと思う。
2007年7月28日 自宅にて読了
外国人が日本を歩く本を読んだ勢いで今度は、日本人が外国を駆け抜ける本を読んでみた。とは言え雑誌社のヒモ付き(失礼)で旅行記みだがエッセイとも読めそうな、とっつき安い本である(内容が軽いと行ケナしているワケではない)。
もうふた昔前だが、オーストラリアを一ヶ月以上旅した。その時に通ったコースの一部が本書に出ていて懐かしかった。僕はタウンズビル→Mt.アイザ→アリススプリングス→アデレードとバスを乗り継いで抜けたのだが、シーナ氏はアデレードから北上し、アリススプリングスからさらに北へ、海沿いの町・ダーウィンまで突き抜けている。この本が書かれたのは1987年、僕が旅したのは1985年、ほぼ同じ時期と言える。だから尚更、親近感を覚えるのかもしれない。
2台のクルマで5人の旅だから、旅の孤独感や行動中の物思いといった記述は見当たらない。クルマで突っ走り、休憩ごとにビールをかっ喰らい、時に寄り道をしてゆく。この寄り道の部分が面白いのだが、逆にこれだけの紙数だとこの程度しかエピソード書けないのかと思わないこともない。
同行のカメラマンが撮った写真、贅沢にもヘリから撮った写真もふんだんに載せられている(しかもカラーだ)点は評価しなければならない。これらの写真から、読者は「熱風大陸」の片鱗をうかがい知ることが出来る…僕が行ったのは2月、現地の夏だったせいもあるが、本当に暑かった。向こうで日焼けをし、それが過ぎて痛みが引かず、駆け込んだクスリ屋で"Oh! Sunburn!!"と言われ新しい単語を覚えたことを思い出した。
この当時は廃線の処理をしていた鉄道だが、つい先年、アデレードからダーウィンまでが整備され、"The Ghan"という豪華列車が走り抜けるようになった。この本を呉れたカヤノフ氏と、いつか走破できる日がくれば良いなと思う。
2007年7月28日 自宅にて読了