原題:『Vivarium』
監督:ロルカン・フィネガン
脚本:ギャレット・シャンリー
撮影:マクレガー
出演:イモ―ジェン・プーツ/ジェシー・アイゼンバーグ/ジョナサン・アリス
2019年/ベルギー・デンマーク・アイルランド
托卵を映像化する意義について
本作の冒頭のシーンはカッコウの托卵である。托卵とは鳥が他種の鳥の巣に卵を産み、他の種類の鳥に自分の雛を育てさせる習性のことである。
この習性を本作の物語に即して考えてみるならば、主人公で便利屋のトムと彼のフィアンセで小学校の先生であるジェマが不動産屋のマーティンの案内で訪れたヨンダーの9番地の家に残されたまま出られなくなり、間もなくして「この子を育てたら解放される」というメモと共に赤ん坊が送られてくるのだが、つまりトムとジェマは「托卵」されたのである。
赤ん坊はあっという間に少年になり青年になるのだが、トムとジェマが解放される様子はなく、同時にストーリーそのものがそれ以上展開する様子もない。何故ならばトムとジェマをヨンダーに拉致し赤ん坊を育てさせている「黒幕」が現れないからである。ここまで仕組むのにかなりの費用がかかっているはずなのだが、そこまでする動機が全く不明なのである。確かにそもそも托卵をする理由もはっきりとは分かっていないようなのだが、「仮説」として何かを見せてもらわなければ本作を撮った意味が無いように思う。
ラストのオチを書いてしまうが、青年になった赤ん坊はトムとジェマの死体を9番地の家の庭に埋めた後に、マーティンが営む不動産屋へ訪れるとそこには老いて死にかけているマーティンが座っており、そのままマーティンが老衰で亡くなると青年がマーティンのネームタッグを胸に付けて来客を迎えるのである。つまり本作は托卵を人間に置き換えて映像化したのであるが、その映像の不気味さは評価できるもののストーリーに深みがないために面白みに欠けるのである。
しかしエンディングテーマにXTCの「コンプリケイテッド・ゲーム」を選んでいるセンスは買いたい。以下、和訳。
「Complicated Game」 XTC 日本語訳
僕は自分自身に問いかける
僕は左に指さすべきか
あるいは右に指さすべきか
僕がどっちに指さそうが大した問題ではない
他の誰かが同じように行動すれば
いつだって同じことになるのだから
これはほんの複雑なゲームだ
これは多少込み入ったゲームだ
少女が僕に訊ねてきた
「私は髪を左分けにするべきなの、
それとも右分けにするべきなの?」
「君が髪をどちらに分けようが大した問題ではない」と僕は言った
他の誰かが同じように行動すれば
いつだって同じことになるのだから
これはほんの複雑なゲームだ
これは多少込み入ったゲームだ
少年が僕に訊ねてきた
彼は左派に投票するべきなのか
それとも右派に投票するべきなのか
僕は君がどちらに投票しようが大した問題ではないと答える
だって他の誰かが同じように行動すれば
いつだって同じことになるのだから
これはほんの複雑なゲームだ
これは多少込み入ったゲームだ
着飾らせてショーに出演させるために
誰もが「トム」や「ジョー」を欲しがった
2人とも悪質な目的のための「鉄砲玉」だった
これは多少込み入ったゲームだ
神が僕に訊ねてきた
彼は世界を左に動かすべきなのか
それとも右に動かすべきなのか
僕はあなたが世界をどこへ動かそうと大した問題ではないと言った
他の誰かが同じように行動すれば
いつだって同じことになるのだから
これは多少込み入ったゲームだ
これはほんの複雑なゲームだ
これは多少込み入ったゲームだ
これはほんの複雑なゲームだ
これは多少込み入ったゲームだ
Vivarium XTC - Complicated Game
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