原題:『一秒鐘 One Second』
監督:チャン・イーモウ
脚本:チャン・イーモウ/ジォウ・ジンジ―
撮影:チャオ・シャオティン
出演:チャン・イー/リウ・ハオツン/ファン・ウェイ
2020年/中国
「秒」を追い続けた先にあった「別」について
文化大革命頃の1969年の中国。その頃村で上映されている映画は1964年制作の『英雄子女』というもので、村では人気作品のようである。
しかし主人公の逃亡者が見たかったのはその映画ではなく、その前に流れる「ニュース映画22号」である。別れた妻と一緒にいる娘が出演していると手紙で教えてもらったことで、わざわざ強制労働所から脱走してまで見に来たのであるが、その村では上映は終了してた。そこでフィルムを盗んだ逃走していく孤児の後を追い、奪い合いをしているうちに二人は隣村にたどり着いてしまう。孤児は実は娘で、フィルムで電灯の笠を作るつもりで盗んだのである。
運んでいる途中で、「ニュース映画22号」が入った缶の蓋が開いて飛び出したフィルムが引きずられてために土埃で汚れた上に傷もついてしまったのだが、村民たちの協力で洗浄して上映できるまでに修復する。
上映後に逃亡者はファン電影に頼んで自分の娘と思われるシーンをフィルムをループさせて見るのだが、ファン電影の密告により保安局の役人たちによって男は捕まるのである。
翌日、逃亡者は役人たちに連行されるのであるが、背後から、逃亡者の口利きでファン電影からもらったフィルムの笠を男に見せに娘が走ってくる。その時、男も密かにファン電影から娘が写っているフィルムをもらっていたのだが、役人に見つかり捨てられてしまう。それを見ていた娘は捨てられたものを拾うものの、それはフィルムではなく、フィルムを包んでいた新聞紙なのだが、娘は気がつかない。
二年後、自由の身になった男は、娘に会いに来る。丁度大学受験の結果が発表される日だったのだが、娘は男を見ると急いで家に戻り、二年前に拾っていたものを男に渡すのだが、それは男が欲しかったものではなかった。
二人はフィルムが捨てられた砂漠の周辺を探すのだが、当然のことながらフィルムは見つからない。しかしそもそもそのフィルムに写っていたのは本当に男の娘だったのか? 例えフィルムの娘が実の娘であったとしてもそれはあくまでもイメージでしかない。
ふと男が顔を上げるとそこには美しく優しく聡明な生身の「娘」がいるではないか! タイトルの「セカンド」には「秒」という意味の他に「第2の、別の」という意味がある。傑作としか例えようがないと思う。
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