これほど不確かでいい加減なものはないことを皆さんはご存知だろう。色々な人の文章を読んで「この人は本当に調べた上で物を書いているのか」と疑うことがある。必見、必読、必聴といったフレーズに私はある種「気持ち悪さ」を感じるのである。
自分はこう思う→だからお前もそう思え、というような「圧しつけ」がイヤなのだ。トロの好きな客に「寿司はまず白身からいけ」と講釈を垂れるのと同じで、余計なお世話である(笑)
圧しつけ好きな人達には偏った思想、思考が見て取れる。一個人の感想を「多くの人もそう思っている」ともっていくのはあまりにも無理がある。
情報が正しいかどうか、見極めるのは最終的に読み手の責任である。「騙しやがったな、この野郎」と怒る前にまず自分の眼力の無さを恥じるべきである。「あぁ、また嘘書いとるな」と笑い読みできる余裕を持ちたいものだ。
自分はこう思う→だからお前もそう思え、というような「圧しつけ」がイヤなのだ。トロの好きな客に「寿司はまず白身からいけ」と講釈を垂れるのと同じで、余計なお世話である(笑)
圧しつけ好きな人達には偏った思想、思考が見て取れる。一個人の感想を「多くの人もそう思っている」ともっていくのはあまりにも無理がある。
情報が正しいかどうか、見極めるのは最終的に読み手の責任である。「騙しやがったな、この野郎」と怒る前にまず自分の眼力の無さを恥じるべきである。「あぁ、また嘘書いとるな」と笑い読みできる余裕を持ちたいものだ。