若い頃はひたすら肉を焼き、ビールを飲んでいた。水キムチやナムルの美味しさを知ったのは30代半ばだった。肉と同時に野菜を摂ることの重要性を考え出したのは自分の健康を心配してからのことである。
日本料理屋で食事をしてずっと気になっていたのは野菜がほとんど出てこないことだった。造り、焼き魚、煮魚に添えられる野菜は大根、大葉、生姜、筍といった程度で明らかにバランスが悪いし、量も甚だ少ない。美食の先に待っているのは糖尿病だ。
こういう食べ方は古代中国の「医食同源」からは大きくズレている。体に悪いと分かっていて食べてしまうのが、意志の弱さであるが、歳をとってくると体に無理がきかなくなってきて、ついに考えを改めたのである。
家庭の食事が肉中心から野菜メインに変わってきたのはそんな理由がある。味気ない食材をどう美味しく調理するかが難しいところで、だしに工夫を凝らすとか、盛り付けや彩りにも気を配ったりして、単調さを消している。
自分で考えることは最初は「苦痛」であるかもしれない。しかし、潜在能力を引き出せるかどうかは結局自分次第である。また「物を考えて作る楽しさ」を子どもに教えるのも親の務めであろう。
日本料理屋で食事をしてずっと気になっていたのは野菜がほとんど出てこないことだった。造り、焼き魚、煮魚に添えられる野菜は大根、大葉、生姜、筍といった程度で明らかにバランスが悪いし、量も甚だ少ない。美食の先に待っているのは糖尿病だ。
こういう食べ方は古代中国の「医食同源」からは大きくズレている。体に悪いと分かっていて食べてしまうのが、意志の弱さであるが、歳をとってくると体に無理がきかなくなってきて、ついに考えを改めたのである。
家庭の食事が肉中心から野菜メインに変わってきたのはそんな理由がある。味気ない食材をどう美味しく調理するかが難しいところで、だしに工夫を凝らすとか、盛り付けや彩りにも気を配ったりして、単調さを消している。
自分で考えることは最初は「苦痛」であるかもしれない。しかし、潜在能力を引き出せるかどうかは結局自分次第である。また「物を考えて作る楽しさ」を子どもに教えるのも親の務めであろう。
