貧乏な下宿生の最大の娯楽はプロ野球観戦であった。香川出身の“黒帯”は大の巨人ファンで『広島戦観に行かんか』と頻繁に私を誘った。それで6回ほど前売りを買ったが、半分は雨天中止となり、雨男はどっちか、という話で口喧嘩をしたこともある。
残りの3回は三塁側内野席に陣取った。柄の悪い赤ヘル応援団がガンを飛ばしてくるのを無視して球の行方を目で追った。私達が観た試合はすべて巨人が負けた。広島市民が大喜びで帰る中にむすっとした表情の若者がいた。
“黒帯”は平和大通りの小汚い屋台に入り、私にひどく不味いラーメンを食わせた。そして『ほんまけったクソ悪いの。また行こうや。次は勝つから』と説得にかかるのであった。
無銭観戦をしたことも2度あった。同期が球場でビールの売り子のバイトをしており、試合開始から30分を経過したあたりで裏からこっそり入れてくれるのだ。外野の最低席であったが、異様な熱気は十分楽しめた。そのお礼に試験の山を教えた。私の読みはよく当たっており、悪友の間では信用があった(笑)
悪事をはたらいた同期Mはカンニングペーパーを作って試験を受ける常習犯だった。細胞生物学の試験でヘマをやり、退場させられるのを後から見て『とうとうバチが当たったわ。悪いことはもうできんな~』と思った。
それから市民球場に潜り込むことは止めた。Mは不可評価となり、最悪の留年は免れたかように見えた。しかし、専門に上がる段階で単位が揃わず、広島残留組となってしまったのである。この時ばかりは冷ややかな私も同情した。