寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

夏目金之助と熊本

2008年04月15日 | 

夏目金之助は1896(明治29)年4月、第五高等学校に講師として赴任。同年7月に教授に昇格。1900(明治33)年9月、横浜港からプロイセン号に乗り文部省の第一回給費留学生としてイギリスへ出発。1903(明治36)年1月に帰国した後、五高の職を辞して一高に赴任。

黒髪北キャンパスには夏目漱石先生の銅像がある。ここではラフカディオ・ハーンと並んで別格扱いと言える。椅子に腰掛けてポーズを決める先生は小難しい表情だ。

夏目漱石先生の句碑

学生が庭にビニルシートを敷いて花見の準備をせわしく行っていた。句碑や第五高等中学校の化学実験場を眺めてから赤門を出て道路を渡った。

第五高等中学校の化学実験場

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五高記念館

2008年04月15日 | 

かつての第五高等中学校の本館が五高記念館となり、国民は無料で見学できる。以前は土日しか受付していなかったと思うが、今では平日でも入場できる。休館日は毎週火曜日、祝日、年末年始。

1886(明治19)年公布の中学校令により我が国に5つの高等中学校が設置されることが決まった。第一(東京)、第二(仙台)、第三(京都)、第四(金沢)、第五(熊本)はナンバースクールと呼ばれた。同年東京大学が帝国大学(大日本帝国唯一の大学という意味)と改称している。

守衛さんに挨拶し記帳を済ませる。スリッパに履き替えて展示を見て回った。昔の机がひどく小さいのには驚いた。机の右上には窪みがあり、そこにインク壺を置いていたと説明書きがあった。席次の高い者が最後列で黒板に近づくほど席次が下がったという話は本当である。

夏目金之助が1897(明治30)年10月10日の開校10周年記念式で教員総代として読んだ祝辞が残っているとは知らなかった。染みだらけであるがきれいに装丁され、達筆を拝むことができた。

戦後の学制改革によって1949(昭和24)年に新制熊本大学が誕生。五高は最後の卒業生を送り出し1950(昭和25)年3月をもって廃校となった。

出入口庇と外壁

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