寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

児童虐待問題について

2010年05月07日 | 日記
児童虐待に関するニュースを見るたびに「忍耐力のない幼稚な大人」が増殖している現実を強く意識する。年寄りと一緒に生活していた私の幼い頃は「我慢することは当たり前」であった。例えばテレビ番組の選択権は子どもには無かった。唯一の例外は「マジンガーZ」だったが、これは単に祖父が気に入っていたからかもしれぬ(笑)

3月28日の産経新聞で加地伸行さんが「抑止力なき個人主義の害」というエッセイの中で「人間の屑」が発生する原因を分析しておられた。

 …戦後教育、わけても義務教育において、東北アジアにおける死生観の<私たちの生命は、祖先以来の生命の連続として存在する>という儒教的伝統をほとんど教えてこなかったことに根本的原因があると私は思っている。

 戦後教育においては、祖先という抑止力を教えてこなかったため、抑止力なき個人主義教育からは、ただ利己主義者を生み出すのみとなった。そういう利己主義者が頼るのは金銭だけである。祖先も、祖先以来の生命の連続の大切さ、厳粛さも分からない。ひたすら求めるのは日本国憲法の「婚姻は両性の合意のみに基づく」夫婦の幸せだけであり、子を虐待し<殺人>して恥じぬ人間の屑が生まれてきたのだ。

私が入学した屑高校では道徳教育に無関心な教員がすこぶる多く偏った思想を押し付けてきた。教員とは名ばかりの活動家の短絡思考にはただ呆れるばかりであった。愚か者は「自分たちの考え以外は×だ」と発言して生徒を洗脳しようと無駄な努力をしたが、私は「お前らの属する団体自体がそもそも×だろうが」と思って腹の中で笑っていた。

思い返せば、己の非を決して認めようとせず全て他人のせいにする人間は既に20年以上も前から増えていたのである。彼らの子どもがクローンだと考えれば加地さんの指摘は素直に頷ける。

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備後名物・手にぎりちくわ

2010年05月07日 | 食材

本来、ちくわ(竹輪)の中央には竹が入っている。備後の手にぎりちくわは白身魚(すり身)を主原料として作られるので、歯応えがあり自然な美味しさがウリとなっている。澱粉と旨味調味料を大量にぶち込んだ偽ちくわとは全然別物だ。

私は地元のことをあまり褒めない男だが、この食品はどこに出しても恥ずかしくない傑作だと思っている。製造業者の多くは架橋問題で揺れる港町にある。私が最高点をつけるのは「T本店」の製品。そしてお手ごろ価格のちくわで健闘しているのが「S商店」。地元民であればイニシャルが何を示しているか、すぐにピンとくるだろう(笑)

話し合いのために再び港町を訪れる予定の湯崎広島県知事には手にぎりちくわを鱈腹食べていただきたいものだ。

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