最近、田原総一朗さんを見かけないなと思っていたら、何と看板番組が終わっていたとは…。私は水島総さんの文章を読んでその事実を知ったのである。
一九八九年四月に放送開始以来、二十一年間続いていたテレビ朝日のサンデープロジェクトが三月いっぱいで終了した。メインキャスターの田原総一朗(敬称略)に対する好き嫌いや明らかな左翼的偏向はともかく、報道系のテレビ番組としては数少ないオリジナリティーのある番組だった。
…テレビ番組は「結果」であり、視聴率によってスポンサーの付き具合が大きく左右される。サンプロの視聴率は、過去には一〇%越えもあったが、過去ニ十年間の平均で七・六%、最近は六・六%程度に落ちていた。スポンサーも、最近ではパチンコ屋や高利貸し(消費者金融)ばかりが増えていた。だから、テレビ局として、新番組を企画することもあり得るのである。
田原は自分に賛同する協力者は番組内で持ち上げ、非協力者は番組で叩きまくるといった「愛と脅し」という、まるで地上げ屋か総会屋がやるような手口の取材やインタビュー手法を駆使し、かなり面白い番組作りをした。
ジャーナリストとしての田原を批判しようとすればいくらでもできるだろうが、田原のようにありとあらゆる手段を使って日本の政治家や財界人の懐に飛び込み、彼以上に「マシ」な取材やインタビューをした人物はほとんどいない。
「サンプロ」を典型として、戦後日本のテレビメディアはそういう反権力的物語を報道番組として装い、報道として、この左翼リベラル物語を推進してきた。
戦後左翼の夢であり、中国、南北朝鮮の悲願でもあったこの物語は、ついに戦後六十四年にして民主党政権の誕生として、この日本において現実化し、実現してしまったのである。…
その結果として、田原がメインキャスターを務める番組は、民主党政権誕生によって実は「物語」を失い、「敵」を失い、中身そのものが空洞化してしまった。
更に興味深い指摘が続く。学習能力の低い(一部の)団塊の世代が最も目にしたくない「現実」を赤裸々に語っている点は秀逸だ(笑)
構造的に言って、田原やテレビ朝日は、民主党政権自体を敵にすることはできないが、このハッピーエンド物語をぶち壊す事態が起きた。鳩山や小沢という正義の主役のはずが、実は旧態依然の金権腐敗にまみれた「悪代官」と無能な「バカ殿様」だとばれてしまったのである。
それは、これまでの「物語」、すなわち、戦後日本が生みだした小泉劇場も民主党政権交代物語も全て幻想物語であり、空しき虚構そのものであったことが、日本国民に完膚なきまでにバレてしまったのである。
今、民主党政権の惨憺たる体たらくを通して日本社会に現出しているのは、戦後日本総体と、その象徴である日本国憲法が、偽善に満ちた美しい言葉だけの空虚な金権と、唯物主義を本質としていたことが暴露されている姿である。
…マスメディアの「寵児」となった田原総一朗の終焉は、この戦後日本の終焉と軌を一にしている。
同時に、テレビの報道番組がこれまで行ってきた偽善的な反戦平和の劇場型のエンタテインメントニュースショーの終焉をも意味しているのである。
新番組「サンデーフロントライン」は、民主党新政権そのものの姿のごとく、きれいごとのリベラル姿勢では、もはや新しい危機の時代に対応できない日本と日本のマスメディアの姿を曝した。
4月17日に「帰化人に関する発言」で物議をかもした石原都知事にはしたたかな計算があったものと思われる。白昼、城の堀にナトリウムを投げ込むような荒技には苦笑したが、この問題について真剣に考え出した国民も多いはずだ。愚民に知恵をつける年寄りの存在というものは決して馬鹿にできないのである。
昨年の8月6日、広島市内で「ヒロシマの平和を疑う!」という実にスパイシーな講演会があった。講師の田母神俊雄さんは、核武装や憲法改正に関する持論を展開する中で、新政権は一年持たないだろうと発言した。実際に、言論弾圧を推進する(平成の治安維持法制定などを企む)香ばしい輩の寄り集まりは急速に支持を失い、既に救いようのない領域に到達しつつある。WiLL最新号の総力特集「新聞ではわからない沖縄」と「蒟蒻問答 第49回」は一読の価値ありと付け加えておく。
