多治米町(たじめちょう)2丁目8-1辺りに「多治米汐廻川」という表題の説明板がある。吉備国エリアで汐廻川とは干拓地内の用排水路を指す。元々は塩抜きの目的(田んぼの塩害対策)で造られたものである。
![多治米汐廻川の説明](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/4d/5d251d35359e91734921f37b0f15f58a.jpg)
川(水路)を含む左側が多治米町、道路の右側が川口町となり、説明板の向かい(東側)に川口小学校が建っている。水路に沿って北東に進むと左手に多治米ショッピングモールがある。
![多治米ショッピングモールの駐車場横](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/54/b357668ab6635626d11ed70a97d48266.jpg)
備後福山藩の干拓事業の痕跡は平成の世になってもしっかりと残っている。但し川幅は相当狭くなっているようだ。水路を更に辿っていくと松浜町3丁目1の四ツ樋に出る。かつては干潮時に樋門を開けて貯めておいた塩分濃度の高い水を一気に入江(港)に排出していたのである。
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川(水路)を含む左側が多治米町、道路の右側が川口町となり、説明板の向かい(東側)に川口小学校が建っている。水路に沿って北東に進むと左手に多治米ショッピングモールがある。
![多治米ショッピングモールの駐車場横](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/54/b357668ab6635626d11ed70a97d48266.jpg)
備後福山藩の干拓事業の痕跡は平成の世になってもしっかりと残っている。但し川幅は相当狭くなっているようだ。水路を更に辿っていくと松浜町3丁目1の四ツ樋に出る。かつては干潮時に樋門を開けて貯めておいた塩分濃度の高い水を一気に入江(港)に排出していたのである。
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