寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市西深津町4丁目の蔀山稲荷神社(その3)

2013年02月22日 | 郷土史
福山藩土地造成図は寛永以降城の東部に干拓地(農地)が広がっていく様子を示したもの。深津嶋山(深津高地)周辺では正保年間(17世紀の半ば)に盛んに干拓が行われたことがわかる。ちなみに千間土手の北側に現在の国道2号線が整備されている。

国道沿い(東深津町~明神町)には田んぼが僅かに残るだけで商業施設が建ち並ぶ。旧城下町で快適な生活を送ることができるのはもとを辿れば干拓事業に従事した人達の苦労のお陰なのだ。

『深津小学校百二十周年記念史(平成七年)』には「宝龍山の地形と謂われる深津高地…福山駅の東方に位置する所に、深津の町並を眼下に見下ろす小高い山がある。その昔この山には、竜が住み、天地自然を駆けめぐり、万物を支配し、民達の願いをことごとく聞き入れた。民達はその竜を、「お宝の竜神さま」と崇め、宝竜と呼び、竜の住むその山を宝竜山と名付けた」との記述がある。

また「…頭部は王子山と謂れ左手は字、才ノ尾…左足は字亀の甲。右手は字古地。右足は字松山(しとみ山)…」という伝承をもとに現在の地図を眺めると注目を浴びない土地に一層興味がわいて来るのだ。

蔀山稲荷神社のお狐さん

さて話を蔀山稲荷神社(土地造成地図の青丸の位置)に戻そう。朱の鳥居をくぐってすぐ左側の常夜燈には慶應二年の文字が刻まれている。

蔀山稲荷神社の常夜燈(慶應二年の銘)

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大根葉の混ぜ込みご飯(菜飯)

2013年02月22日 | 家飯
江戸時代の文献を読むと当時の人々が結構美味しいものを食べていたことがわかる。素材の有効利用だけでなく持ち味を活かしきるという意味でも菜飯は傑作である。

菜飯を作る時には抜きたての大根を使用する。葉っぱとか軸は時間の経過と共に味が急速に落ちるからだ。大根葉を茹でて細かく刻み軽く塩を塗し炊き上がった飯に混ぜ込む。

少し蒸らして茶碗によそう。大根葉は実に甘く鮮やかな緑がきれいである。手をかけない料理でこれほど味がよいのは珍しい。 

大根葉の美味しさが前面に出た菜飯

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