寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

ひろしまの鉄道・パートⅡ-山陽本線と新幹線-(広島県立歴史博物館)

2013年08月25日 | 日記
広島県立歴史博物館の書体は故・竹下虎之助さんの手によるものだったとは…。夏の展示が9月1日で終わるので週末に出掛けた。

竹下虎ノ助書

常設展

通史展示室でペリーの似顔絵、そして夏の展示では特急平和のヘッドマークや0系新幹線の座席などを間近に見ることができた。鉄道ファンが大喜びするような貴重な白黒写真が多数飾ってあった。

平成25年度夏の展示

尾道鉄道と鞆鉄道は私が生まれた時には既に無く、住民の足が路線バスからマイカーへと転換していた。多発する光化学スモッグで目がチカチカした幼年期の記憶。昭和40年代後半福山市の中心部では田んぼや畑が潰され宅地となっていった。山陽新幹線の高架完成は街の姿を大きく変えたのである。

旧私鉄線(廃止路線)

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倉敷市玉島中央町1丁目15・新町の大国屋(川田甕江生家)

2013年08月25日 | 
玉島歴史民俗海洋史料館前の道路から一本南の新町通りへ移動する。東へ約150m行くと甕江先生旧宅と書かれた石碑が建っている。

甕江先生旧宅を示す石碑

大国屋 川田甕江生家

大きな屋敷の格子戸には案内板が紐で括り付けられており、大国屋という屋号の廻船問屋であったことが分かる。

大国屋 川田甕江生家
 江戸時代中期(一八〇〇年頃)の建物で綿廻船問屋の店舗として使用されていました、当家は川田甕江の生家であり氏は和歌を小野務に学び儒学を鎌田玄渓に学ぶ板倉勝静将軍徳川慶喜に従い江戸に至る
明治五年三島中州と共に「二松学舎」を起こした。
また玉島事変に熊田恰の自刃に際し玉島を戦火から守り部下の助命嘆願書を備前藩に提出する草案を作った。
 維新後、東宮待講、貴族院勅選となり東大教授宮中顧問官に任ぜられた。
平成四年八月 新町ルネッサンス振興会

川田甕江は幕末の漢学者で玄孫(やしゃご)に相良直美がいる。甕江(おおこう)とは玉島港の別名で港の形が水甕に似ていることに因む。甕江の生家は現在合資会社安原倉庫(玉島中央町1丁目15-11)の事務所として使用されている。

合資会社安原倉庫

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