会資会社安原倉庫の少し東に建つ「史蹟女流歌人安原玉樹生家」の石碑。玉島文化協会と玉島観光文化振興会が平成二十四年(2012)一月八日に建立した。

安原玉樹は玉島東綿屋(中原家)の娘(久子)のことで十八の時に角清水屋(醤油業を営む安原家)に嫁いだ。角清水屋は現在の総社市総社2丁目(旧松山街道沿い)に存在した豪商。

石碑の背後に見える家(玉島中央町1丁目15-6)は一部がなまこ壁で江戸期の建造物である。屋号は若屋で新町筋では最古と言われる。

若屋
江戸時代中期(一、八〇〇年頃)の建物で穀物等を扱う問屋の店舗として使用されていた。
新町では最古の建物で当時の佇がよく保存されている
平成四年八月 新町ルネッサンス振興会
新町通りには歴史的建造の前(跡地にも)に石碑・説明板を多数し設置観光客が玉島発展の歴史に感心を抱くような配慮がなされている。広大な干拓地(新田開発着手から完成まで)や高瀬通し(運河)の絵図を含む初心者向け観光ガイドマップの作成が今後の課題であろう。我が故郷・福山市にも同じことが言える。

安原玉樹は玉島東綿屋(中原家)の娘(久子)のことで十八の時に角清水屋(醤油業を営む安原家)に嫁いだ。角清水屋は現在の総社市総社2丁目(旧松山街道沿い)に存在した豪商。

石碑の背後に見える家(玉島中央町1丁目15-6)は一部がなまこ壁で江戸期の建造物である。屋号は若屋で新町筋では最古と言われる。

若屋
江戸時代中期(一、八〇〇年頃)の建物で穀物等を扱う問屋の店舗として使用されていた。
新町では最古の建物で当時の佇がよく保存されている
平成四年八月 新町ルネッサンス振興会
新町通りには歴史的建造の前(跡地にも)に石碑・説明板を多数し設置観光客が玉島発展の歴史に感心を抱くような配慮がなされている。広大な干拓地(新田開発着手から完成まで)や高瀬通し(運河)の絵図を含む初心者向け観光ガイドマップの作成が今後の課題であろう。我が故郷・福山市にも同じことが言える。
