朝からよく降った。湿度の高さで汗が滲み出る。雨の日に私は高橋真梨子さんのCDを聴くことにしている。ジャズのスタンダードのような感じで耳を傾ける。
このCDは台北の夜市で購入した。いかにも作りが海賊っぽいが、BGM用だから全然気にしていない。
女性ボーカルでは彼女が一番好きかな。声に艶気があるのがいい。歌唱力についてあれやこれや小理屈を並べるのがいかに無粋なことかと思えるほど、感情豊かに歌い上げる人だ。
声域の無さをファルセットの多用で誤魔化そうとする最近の歌い手に彼女の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ(笑)
「五番街のマリーへ」の世界に引き込まれる私。どんなアルコールよりも高い癒し効果がある。音を純粋に楽しむとはそういうことなんじゃないかと思う。


やわらかくなった椎茸を昆布だし、もどし汁、日本酒、砂糖で煮て、薄口醤油を数回足し味を含ませる。賞味期限がとっくの昔に切れた高野豆腐を一緒に炊いた。
中国産のどんこは「それなりの味」だったが、高野豆腐は油がまわったような異臭があり「どうしようもない、酷い味」で苦笑した。
昔(30年以上も前のこと)の幕の内弁当の隅には必ず高野豆腐の煮物が入っていた。『どうしてこんなに不味いものをいれるのだろう』と私は不思議だった。
他の食材が甘辛い味なのでだしを多く吸った豆腐で舌を洗うという一説もある。あの当時、お茶や水をお金を出して買うことはほとんどなかったと思う。
モサモサしたほんのり甘いスポンジに今では懐かしさをおぼえる。「芋棒」と同じようにすっかり「忘れられた料理」の一つだ。
人間の嗜好の変化は致し方ないとしても「食材を無駄にせず、保存性をも高めた」昔の人の精神と知恵には敬意を表したい。
食糧危機に陥った際、思考能力がすこぶる低下した現代人はどう対応できるのだろうか。慌てふためく愚民を救う手段は古人の残した「文化」にあると私は密かに考えている。

これほど不確かでいい加減なものはないことを皆さんはご存知だろう。色々な人の文章を読んで「この人は本当に調べた上で物を書いているのか」と疑うことがある。必見、必読、必聴といったフレーズに私はある種「気持ち悪さ」を感じるのである。
自分はこう思う→だからお前もそう思え、というような「圧しつけ」がイヤなのだ。トロの好きな客に「寿司はまず白身からいけ」と講釈を垂れるのと同じで、余計なお世話である(笑)
圧しつけ好きな人達には偏った思想、思考が見て取れる。一個人の感想を「多くの人もそう思っている」ともっていくのはあまりにも無理がある。
情報が正しいかどうか、見極めるのは最終的に読み手の責任である。「騙しやがったな、この野郎」と怒る前にまず自分の眼力の無さを恥じるべきである。「あぁ、また嘘書いとるな」と笑い読みできる余裕を持ちたいものだ。
自分はこう思う→だからお前もそう思え、というような「圧しつけ」がイヤなのだ。トロの好きな客に「寿司はまず白身からいけ」と講釈を垂れるのと同じで、余計なお世話である(笑)
圧しつけ好きな人達には偏った思想、思考が見て取れる。一個人の感想を「多くの人もそう思っている」ともっていくのはあまりにも無理がある。
情報が正しいかどうか、見極めるのは最終的に読み手の責任である。「騙しやがったな、この野郎」と怒る前にまず自分の眼力の無さを恥じるべきである。「あぁ、また嘘書いとるな」と笑い読みできる余裕を持ちたいものだ。

「類は友を呼ぶ」の略。出来の悪い連中が群れて、慰め合う。気色悪い光景だ。満たされない心の救いを「似非宗教」に求め出すともっとタチが悪い。優しい言葉に捻くれ者は非常に弱いのだ。
抜け作の教祖を「神」と崇め、いつしか上納金集めに奔走するようになる。自分の信じる道が絶対に正しいと思い込み、他人の家にまで上がり込んで『どうしてこの良さがわからないんだ。貴方はおかしい!』と言い出す始末。
イカれ具合が更に進行して日本国内でテロを決行した例は記憶に新しい。極刑の言い渡しを待つだけの犯罪者のルーツは‥‥‥ぞっとする(笑)。反体制を未だにウリにして飯を食っている時代遅れの年寄りにも共通点がある。
「恨みの文化」からは高等なものは生まれない。「捏造という行為」は「薄汚い精神」のなせるわざである。そのことに純な日本人は漸く気付き始めた(笑)
抜け作の教祖を「神」と崇め、いつしか上納金集めに奔走するようになる。自分の信じる道が絶対に正しいと思い込み、他人の家にまで上がり込んで『どうしてこの良さがわからないんだ。貴方はおかしい!』と言い出す始末。
イカれ具合が更に進行して日本国内でテロを決行した例は記憶に新しい。極刑の言い渡しを待つだけの犯罪者のルーツは‥‥‥ぞっとする(笑)。反体制を未だにウリにして飯を食っている時代遅れの年寄りにも共通点がある。
「恨みの文化」からは高等なものは生まれない。「捏造という行為」は「薄汚い精神」のなせるわざである。そのことに純な日本人は漸く気付き始めた(笑)

1980年の欧州ツアーからチューリッヒのコンサートを収めた海賊盤。ブートの音質が悪いのは当たり前という概念をぶち壊したCDでもある。
音質以上に衝撃を受けたのは、アルバム「Ⅱ」を作り出したギタリストの輝きが消え失せているという事実だった。音楽評論家が大嘘つきで、クソであることも同時にわかった(笑)
全盛期の華麗なフィンガリングは見る影もなく、拙いソロが目立つ。“ALL MY LOVE”は特に酷い、ジョージ・ハリソンが笑うほどに。オフィシャルリリースはまず無理な出来映えである。
枯葉がすっかり落ちた冬の街路樹という表現を通り越して根腐れを起こした老木を連想してしまう。
燻って急降下する鉛の飛行船は肉体派ドラマーの急逝によって大爆発した。ここからジミー・ペイジの過酷な漂流が始まるのである(苦笑)

