週末に青山椒の醤油煮を使ってちりめん山椒を作った。この料理の最大のポイントはちりめんじゃこの塩分を適度に抜くことである。じゃこは水洗いして湯でこぼす(塩分調整と臭みを取るのが目的)
湯切りしたじゃこを鍋に移し酒を加えて煮る。私はグラニュー糖と味醂で軽く甘みを足しているが、甘くないのが好みという方は味醂少量で十分だ。味付けは薄口醤油で行う(実山椒にも塩分があるのでくれぐれも控えめに)
ちりめん山椒はご飯との相性が抜群にいい。じゃこの旨みを引き立てる山椒のピリリとした辛み。清清しい香りで本当に食が進む。今回はかたくなった木の芽を刻んで混ぜたが、暑さが増す7月からは大葉(青じそ)の千切りを合わせると一層美味しくなるはずだ。
湯切りしたじゃこを鍋に移し酒を加えて煮る。私はグラニュー糖と味醂で軽く甘みを足しているが、甘くないのが好みという方は味醂少量で十分だ。味付けは薄口醤油で行う(実山椒にも塩分があるのでくれぐれも控えめに)
ちりめん山椒はご飯との相性が抜群にいい。じゃこの旨みを引き立てる山椒のピリリとした辛み。清清しい香りで本当に食が進む。今回はかたくなった木の芽を刻んで混ぜたが、暑さが増す7月からは大葉(青じそ)の千切りを合わせると一層美味しくなるはずだ。

どこへ行っても他人の悪口を言って笑う人間を見ると気の毒に思う。同じ系統の人と付き合ってばかりいると次第に自分の醜さに気付かなくなるのであろう。自分よりも優秀で育ちのいい人間を敵視したところで徳を落とすだけである。
彼らに最も欠如しているのは謙虚さだが、仏教哲学への関心の無さも致命的と言える。「我欲(気に食わない人間の頭の上に足をのせようとする卑しさ)は不幸のもと」と認識しているだけも人生は大きく変わってくる。
まことに残念なのは政に関与している人間が「後世の評価」を大いに気にしていることである。目先の計算では成果が小さくなるのは当然だ。「永続するものなど何もない」ことを素直に悟るのがまず先だろう(笑)
彼らに最も欠如しているのは謙虚さだが、仏教哲学への関心の無さも致命的と言える。「我欲(気に食わない人間の頭の上に足をのせようとする卑しさ)は不幸のもと」と認識しているだけも人生は大きく変わってくる。
まことに残念なのは政に関与している人間が「後世の評価」を大いに気にしていることである。目先の計算では成果が小さくなるのは当然だ。「永続するものなど何もない」ことを素直に悟るのがまず先だろう(笑)

高校生の時に読んだ小説がきっかけとなり小鍋立てに興味を持ち始めた。実際に自分で作るようになったのはそれから10年ほど経った頃である。お手本となる料理はジャンジャン横丁の大興寿司(大阪市浪速区)で見つけた。
長方形の皿に寿司ネタが3貫というスタイルにまずカルチャーショックを受け、寿司屋で小鍋立てを出していることに更に驚いたのである。手頃な価格で酒呑みのニーズに応える姿勢から学ぶ点は多かった。
さてジメジメした天気が続く初夏向けの鍋の話に移ろう。スタミナをつけようと私は餃子の鍋を試作してみた。通常よりも濃い目の出汁に餃子と野菜を放り込み胡麻油を追加。香りの強いニラを入れるのでニンニクは不使用。胡麻の香りが食欲をそそり出汁には独特のコクが生まれ初回にしては上出来だった。鍋の楽しいところは餃子のように具材に何を使ってもいいことである。メインを肉にするか魚にするか決めあとは冷蔵庫にある野菜や豆腐を入れるだけでそれなりの味が完成する。
長方形の皿に寿司ネタが3貫というスタイルにまずカルチャーショックを受け、寿司屋で小鍋立てを出していることに更に驚いたのである。手頃な価格で酒呑みのニーズに応える姿勢から学ぶ点は多かった。
さてジメジメした天気が続く初夏向けの鍋の話に移ろう。スタミナをつけようと私は餃子の鍋を試作してみた。通常よりも濃い目の出汁に餃子と野菜を放り込み胡麻油を追加。香りの強いニラを入れるのでニンニクは不使用。胡麻の香りが食欲をそそり出汁には独特のコクが生まれ初回にしては上出来だった。鍋の楽しいところは餃子のように具材に何を使ってもいいことである。メインを肉にするか魚にするか決めあとは冷蔵庫にある野菜や豆腐を入れるだけでそれなりの味が完成する。
