寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

三原市の甲山通りを横断する

2013年03月24日 | 
卯建のある家から再び西国街道を西へ進む。広島県道25号の甲山通り交差点から南へ目を向けると高架の上を新幹線が通過していた。

西国街道と甲山通りが交わる地点

甲山通りから新幹線を望む

甲山通りを横断して西町に入る。三原城下西筋(現本町・西町)は福島正則公の時代に整備されたものだが、この西町にも古い建物はポツポツと残っている。

内海酒造

三原といえば東町の醉心山根本店が有名だが、こちらにも内海酒造があった。実は私が生まれる前の福山城下にもかなり酒蔵が存在した。そのうちの一つ・三吉酒造場の跡地は福山東警察署になっている。

岩本米穀付近

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JR福山駅南口が更に変わる

2013年03月24日 | 日記
福山駅南口のブロンズ像移転話(予定)を「お好みワイド(NHK広島)」が特集したのが昨年10月18日(木)のこと。先日駅構内にある商業施設の増改築計画が発表された。

さんすて

サントークから名称がさんすてに変わったことは記憶に新しい。さんすて内の土産物売り場は時々利用するが、釣人像の北西側(2番街)の方は極たまに(豚脂のプカプカ浮いていないw)ラーメンを食べに行くくらいだ。

JR福山駅南口の商業施設改装計画

 JR西日本岡山支社(岡山市北区駅前町)は21日、福山駅南口(福山市三之丸町)の商業施設の増改築計画を発表した。新築や増築によって約1150平方㍍拡張。新たなテナントを誘致し、集客力強化を図る。5月上旬に着工し、来年3月までの完成を目指す。

 駅のシンボルで、1975年の山陽新幹線開通と駅舎完成に合わせて市が設置した彫刻家平櫛田中(1872~1979年、福山市名誉市民)の代表作のブロンズ像「五浦釣人」は、現在地から約15㍍西側の市有地に移す予定。
 JR西日本岡山支社は「既存施設の老朽化への対応と駅周辺のにぎわい創出が狙い。拠点性と利便性を高め、福山の玄関口にふさわしい施設にしたい」としている。(久岡広和)

『平成25年3月22日(金)山陽新聞』

常夜燈や道標が道路の拡幅工事に伴って位置がずれるのと同じように五浦釣人像(いづらちょうじんぞう)も西へバックするようだ。福山駅の在来線ホームから三之丸町を撮影する楽しみがまた増えた。

JR福山駅南口の五浦釣人像

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福山市の港町公園(蛙岩前)でささやかな花見

2013年03月23日 | 日記
港町公園(福山市港町1丁目9)内にある蛙岩の近くで桜が咲いていた。細い幹から判断してまだ植樹から数年といったところだろうか。これからは毎年来ることにしよう。

港町公園の桜が咲いた

私は野暮用で五本松に向かう途中であった。予想した通り24日(日)で廃止される福山市営競馬を一目見ようという人が大勢集まっていた。

福山市営競馬は明日が最終レースとなる

福山市営競馬場

競馬場の取り壊し後には某大手スーパーの進出が噂されている。真偽は不明だが、周辺が様変わりすることだけは確かだ。競馬場歩道橋前に立っていた幼児が成人する頃には港町公園の桜も大きくなっていることだろう。

競馬場歩道橋前の親子連れ

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三原市本町1丁目7・卯建のある家

2013年03月23日 | 
三原警察署本町交番から東へ約25m移動した場所に卯建(うだつ)のある家が建っている。卯建とは本来火災の際の類焼を防ぐ目的で造られたものだったが、後に富の象徴としての装飾的な意味合いが強くなった。福山市内では似たような卯建が横尾町に1軒残っているが、建物の壮大さはこちらの方が上だ。

卯建

かつての西国街道がいかに人で溢れていたかを今に伝える建造物である。近所の人が「あそこは乾物屋さんだったんですよ。店先にはたくさん商品がありました」と全盛期の話をしてくれた。その人は無駄なことを全く口にしなかった。人の流れが国道2号線に移ったことを静かに受け入れている感じで凛とした美しさがあった。

私は三原という城下町が更に好きになった。無駄な広告を打たない点は自信の表れだ。「うちはええでええで」と宣伝してもらう所ほど実は大したことはない。インターネットの情報がゼニがすべての田舎町(鰻の寝床)の虚像を着実にあぶり出し一部メディアによって不当に低い評価をつけられた街が次第に見直されている。目の肥えた旅人は雑音を消すのが上手で自分の感性を大切にするから(笑)

三原市本町1丁目7・卯建のある家

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甘みの強いミル貝

2013年03月23日 | 食材
水管を出したミル貝の姿はとてもグロテスクだが、味はかなりいい。寿司ネタの貝の中(生食)でも赤貝に次ぐ位の人気はある。特筆すべきは身の甘さだ。さっと炙れば更に味が濃く感じられる。生が苦手な人にはバター焼きがおすすめ。火を入れると確かに安心感は増す。

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福山市伏見町の三菱東京UFJ銀行そばに建つ福山医学黎明の地碑

2013年03月22日 | 郷土史
三菱東京UFJ銀行福山支店横の植え込みに福山医学黎明の地碑がある。同仁館という藩立の医学校・病院があった場所は毎年公示地価の上位にランキングする。

福山医学黎明の地碑

 「同仁館」創設と運営…福山藩は明治二年九月城下の西町字築切の西側にあった藩士青木勘右衛門の邸宅を買入れ、藩立の医学校兼病院を設けた(現、福山市伏見町四-二八~三八付近)。これは洋方医学の教育機関であるとともに、広く一般庶民をも診療する近代的医療機関であった。
 「同仁館」と名づけられたこの施設の設立にもっとも尽力したのは、誠之館洋学世話取・教授寺地強平であり、これを助けたのが、寺地の弟子五十川基および小林義直の二人である。…
 医学校には、病院長寺地をはじめ八人の洋方医官が、教授・助教として医学生の教育にあたった。生徒数は、入校(寄宿)七人、通学二九人、合計三六人であった。…
 診療活動 病院は藩営であったため、診療代は無料、薬代は原価、貧窮者は施薬であった。しかも身分にかかわらぬ平等の治療であったから、福山地方の患者は、重症軽症を問わずここに集って治療を受け、病室の設備もあったから入院の患者があったという。また患家の需めに応じて往診も行われていた。

 かくして、福山地方の医療の中心として、病院は非常に隆盛となったが、廃藩置県で福山藩が福山県となり、さらに明治四年一一月、深津県が成立すると、翌一二月には、同仁館は廃止されて、書籍や器械は誠之館本校へ移され、医師は四散して開業医にもどった。

『誠之館百三十年史 上巻(昭和六十三年)』


13年県内公示地価 景気持ち直し下落幅縮小

 備後の商業地で最高価格となった福山市伏見町の「三菱東京UFJ銀行福山支店」付近

『平成25年3月22日(金)山陽新聞』

備後の商業地の公示地価1位が福山市伏見町4-38の56万9千円(-6.9)、2位が同市三之丸町7-21の22万円(-6.4)、3位が尾道市土堂1-8-20の20万7千円(-5.9)、4位が三原市城町1-8-2の19万4千円(-4.4)、5位が福山市笠岡町1-3の18万円(-4.8)、※枠内は変動率。

外野(売文乞食共)が何と書こうが地価が示すように福山市中心部は非常に住みやすい所なのだ。ここには変化する街を眺める楽しさがある。後ろ向きの発想は衰退する運命の町だけが持ち続ければいい。

福山市伏見町4-38の三菱東京UFJ銀行福山支店

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三原市本町3丁目14・虫籠窓を配した家

2013年03月22日 | 
宗光寺参道と西国街道が合流する所にヤッサ饅頭本舗本店がある。三原城下は空襲を受けていないので古い建物が数多く残る。

ヤッサ饅頭本舗本店

三原市本町の地図

ヤッサ饅頭本舗から街道を東へ少しへ戻ると可愛らしい造りの本町交番が見える。本町交番の斜向かいに位置する町家(本町3丁目14-29、14-30)には虫籠窓がある。堅格子の部分が取り除かれて現在に至っているようだ。

三原警察署本町交番
 
本町食堂隣の装飾テントに書かれた「㈲小川久商店」の文字、ここは昔猟銃を扱っていた店で観光客が足を止めて撮影していくと地元の人が語っていた。

本町交番斜向かいの虫籠窓の家(本町3丁目14-29・14-30)

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ふきのとうの酢味噌がけ

2013年03月21日 | 食材
ふきのとうの苦味成分はピロリジジンアルカロイドで大量に摂取すると毒になるが、アクを適度に抜いて少量食べる分には問題はない。

土の香りのするほろ苦い食材は味噌との相性がすこぶる良い。茹でて水に晒しアク抜きしたふきのとう(軽く絞る)を4つ割りにして酢味噌をかける。

味噌の甘味と旨味を足すことで茹でただけのふきのとうが奥深い味に変わる。舌にジワリジワリと広がる苦味を堪能できるのは今だけだ。

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三原市本町3丁目の宗光寺(その3)

2013年03月21日 | 
宗光寺の本堂は享保十二年(1727)に再建されている。大きな寺院は創建以降何度も火災の被害に遭っており桃山時代の木造建築で焼失を免れたのは山門のみである。

宗光寺の鐘楼

宗光寺の塔婆

境内には珍しい形の鐘楼があり、西側には高さ2.5メートルの七層石塔婆が建っている。説明板には永仁年間(1293~1299)・大工心阿(しんあ)の作と書いてあった。

宗光寺から城下を望む

石仏群の前からは三原城下が一望でき清清しい気分になる。三原は福山と同様に海側に広大な干拓地が広がっている。二つの城下町の共通点は意外に多いのだ。

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ふき味噌の焼きおにぎり

2013年03月21日 | 家飯
私は今年もふき(のとう)味噌を作ることにした。行平鍋に2種類の味噌・砂糖・酒を入れ予め溶きほぐしておく。弱火にかけて焦がさないように味噌を練り、アクを適度に抜き細かく刻んだふきのとうを投入する。

ふき味噌作り(最後にふきを投入)

味噌とふきのとうが混ざったら火を止める。自然冷却した後ビン(あるいはポリ容器)に入れて保存する。

完成したふき味噌

ふき味噌は熱々のご飯にのせて食べるのもいいが、私が最も好きなのは焼きおにぎりに塗ったものである。香ばしい味噌の香りとほろ苦いふきのとうが米のおいしさを引き立てる。春ならではの滋味である。

ふき味噌の焼きおにぎり

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福山港内港の埋立地に建設された福山市立大学

2013年03月20日 | 郷土史
備後国・福山藩主・水野勝成公には先見の明があった。神辺の山城を捨て未開の地である福山に平城を築き、城下町を整備すると共に干拓事業を推進し小作農を減らした。明治政府には散々冷や飯を食わされた福山が復活の兆しを見せ始めるのは陸軍の誘致に成功してからである。経済効果はてき面であったが、米軍の無差別爆撃によって市街地はほぼ壊滅、一からのスタートを余儀なくされた。

敗戦後入江がどんどん埋められ国道2号線などの太い道路も完成し福山はより暮らしやすい街として蘇った。日本鋼管(現JFEスチール)が来て団地が造成され、山陽新幹線の開通を境に農地が住宅地となり繁華街が次第に分散していった。今では駐車料金無料のスーパーや複合型ショッピングモールが車で来た客で溢れている(車社会確立前の商店街の賑わいを女々しく懐かしむのは老化の表れだ)。

福山市中心部(及び郊外)は「懐古主義者が巣くう鰻の寝床のような田舎町(水運の衰退によって没落した典型例=過去の栄光から抜け出せずに朽ち果てる悲しき運命)」など眼中になく時代の変化に対応して変貌を遂げてきた。それ故我々は広大な平地で文化的な生活を満喫できるのである。

福山港内港周辺の地図(昭和30年代)

多くの人たちの利便性を重視して市立大学が福山港内港の埋立地(港町2丁目)に建設され平成23年4月に開学したことはまことに喜ばしい(県内の山奥に建つ四年制単科大学が定員確保の危機感を持ったのは当然だろう)。優秀な学生の皆さんには「福山には新しい物と同じ位古い物がたくさん残っていること」に気付いて欲しい。城下から少し足を延ばせば史跡(国宝の明王院本堂・五重塔など)だらけなのだから。些細な事例(メディアが流す偏った情報)に縛られず歴史を自由にかつ丹念に調べて視野を広くすることが重要である。

広島県道260号松ヶ端交差点から福山市立大学を望む

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春の恵み・ふきのとうのアクを抜く

2013年03月20日 | 食材
ふきのとうを初収穫した。山菜は食べる前にアクを(適度)に抜く必要がある。水洗いして汚れを落としたら熱湯で2分程度茹で冷水に取る。

ふきのとうのアク抜き(水に30分晒す)

水に晒せば晒すほど苦みや渋みが少なくなるが、山菜の持ち味を消してしまったのでは意味はない。大人の味が好みならば30分も浸けておけば十分だ。水気を絞って下処理は完了。

アクを適度に抜いたふきのとう

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三原市本町3丁目の宗光寺(その2)

2013年03月19日 | 
国の重要文化財である宗光寺山門は三原観光の際にぜひ見ておきたい建築物の一つだ。西国街道から山門までの緩やかな傾斜の坂道を上って行くと時の権力者が威信をかけて建立した寺院であることがよく分かる。

小早川隆景公が本郷の新高山城に建てた匡真寺(きょうしんじ)を三原城築城の後にこの地に移したといわれ、曹洞宗に改宗したのは福島正則公の時代になってからである。

国重要文化財の宗光寺山門


国重要文化財
宗光寺山門 一宇
昭和二十八年十一月十四日指定

 宗光寺山門は小早川隆景の居城であった豊田郡本郷町の新高山城の城門で、隆景によって当寺に移築されたものと伝えられている。四足門の切妻造り、本瓦ぶきで、桃山文化の趣きを伝えるすぐれた蟇股の彫刻類、木割りの未確立のとき建てられているなど、桃山時代の特色をもつ建造物である。
 中世に沼田荘の運営にあたっていた小早川氏は、毛利元就の三男隆景を養子に迎え、瀬戸内海の水軍を手中に収め、毛利氏の一翼をになって中国統一に乗り出したが、本郷の地は海岸より離れているので、水陸交通の要にあたる三原の地に三原城を築城した。

三原市教育委員会

宗光寺参道の放水銃格納箱

参道脇には文化財を火災から守るための放水銃や消火ホース格納箱が設置されている。今年1月23日に住職立ち会いのもと三原市消防本部職員が消防設備類の点検を行う模様が新聞に載っていたのを私は目にしていた。日頃からの点検と訓練がいざという時(初期消火)に役立つことは言うまでもない。

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我々日本人の手によって叩き潰さなければならぬ物

2013年03月19日 | 暗黒の無政府時代
LivedoorNEWSに面白いのがあった。元ネタはJ-CASTニュースが3月7日に議員会館で行った自民党の平将明さんへのインタビュー。「今のままではマスコミは不要に」という記事を読んだ人たちのコメントが素晴らしい。

 言論の自由を保障しても、それに伴う責任を問うように法的に罰するようにすればマスゴミの駆逐は完了するだろう。放送法に国籍条項も明記しろ。

 ネットは虚実入り混じってるけどマスコミを通すと事実が隠されることが多すぎるからね。自分で判断できる分ネットの方がいいよ。

 中国籍不審船の体当たり事件リークもYouTubeだった。

 マスコミは信用できないという価値観は後世に引き継がれていく

 ネットやらない世代がこれからどんどん消えていくから、これからマスゴミは力を失っていくね

 昔「新聞を読まないとバカになる」今「新聞を読むとバカになる」

最後は痛烈な皮肉である。若い人の活字離れを読解力不足と分析するのは大間違い。もはや必要とされていないことを認めたくないのであろうが、何をやっても手遅れという感じ。糞眠巣を持ち上げていた連中(屑)に我々日本人が引導を渡す時が来たのである。

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三原市本町3丁目の宗光寺(その1)

2013年03月18日 | 
参道の途中にあった祠の前で手を合わせる。更に進むと宗光寺(そうこうじ)の巨大な注連柱が現れた。右の柱の側面に明治四十一年三月の文字が刻まれている。

宗光寺参道

三原が生んだ偉人・吉田石痴

宗光寺には三原の偉人・吉田石痴(多くの民に種痘を施した)の墓があるそうだ。説明板と並ぶ伝道掲示板に目を移した私は高らかに笑った。

宗光寺の伝道掲示板

頼みもしないのにしゃしゃり出てくる、暑苦しい田舎者に毎日読ませて反省を促したい文言である。流石に立派な寺はすることが一味違う。私は歴史を感じさせる山門に向かって軽く一礼した。

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