JOYふなまち入口付近に父石家神田の屋台が出ており幼子に餅の付き方を指導していた。私は元町のトライアングル広場移動した。
こちらでは境港の紅ズワイガニが1杯900円で売られていた。ポカポカ日和の中焼きガニを楽しむ親子が多数。酒のマエダの出張販売スペースもあり神辺町の地酒・天寶一(90ml)、黒木酒造の麦焼酎・中々湯わり、酒粕造りあま酒がそれぞれ200円のお手頃価格だった。
最後に延広町の福山牡蠣祭りの会場へ寄る。元町の居酒屋魚々家むてきが牡蠣焼きそば(400円)をせっせと作っていた。香ばしいにおいにつられてかなりの人が集まり焼牡蠣(3個300円)などもよく売れていた。岡山県浅口市寄島産牡蠣の美味しさを伝えるよいイベントだったと思う。
こちらでは境港の紅ズワイガニが1杯900円で売られていた。ポカポカ日和の中焼きガニを楽しむ親子が多数。酒のマエダの出張販売スペースもあり神辺町の地酒・天寶一(90ml)、黒木酒造の麦焼酎・中々湯わり、酒粕造りあま酒がそれぞれ200円のお手頃価格だった。
最後に延広町の福山牡蠣祭りの会場へ寄る。元町の居酒屋魚々家むてきが牡蠣焼きそば(400円)をせっせと作っていた。香ばしいにおいにつられてかなりの人が集まり焼牡蠣(3個300円)などもよく売れていた。岡山県浅口市寄島産牡蠣の美味しさを伝えるよいイベントだったと思う。
本日正午過ぎから船町のアーケード商店街・居酒屋肴蔵の前で本マグロの解体ショーが始まった。長い包丁を握っているのはスーパー・エブリイの関係者である。包丁さばきを見つめる子どもの顔つきは真剣そのもの。おっさんやおばはんも興奮気味で動画を撮っている者が数名いた(You Tubeにアップしてくれよ!)
マグロは手際よくサク取りされてパック詰めした形で一般に販売された。また居酒屋店内でマグロ丼が1000円で食べられるとあってかなりの人間がなだれ込んでいた。福山でもマグロの人気は高いということだ。
カラオケボックスMGの前では笠岡市神島(こうのしま)の養殖牡蠣の販売が行われていた。業社のおっちゃんは「養殖場からは日本鋼管(※現JFEスチール)がよう見えます。電話をもらえれば地方発送しますよ」と話してくれた。
スーパーボールを見ていたらふな家の横から野良猫がノソノソと歩いて来た。やはり魚のにおいには敏感である。これには私も子どもも大笑いした。
マグロは手際よくサク取りされてパック詰めした形で一般に販売された。また居酒屋店内でマグロ丼が1000円で食べられるとあってかなりの人間がなだれ込んでいた。福山でもマグロの人気は高いということだ。
カラオケボックスMGの前では笠岡市神島(こうのしま)の養殖牡蠣の販売が行われていた。業社のおっちゃんは「養殖場からは日本鋼管(※現JFEスチール)がよう見えます。電話をもらえれば地方発送しますよ」と話してくれた。
スーパーボールを見ていたらふな家の横から野良猫がノソノソと歩いて来た。やはり魚のにおいには敏感である。これには私も子どもも大笑いした。
先週末、福山市船町2‐19に「ホルモンみつばや」という一人焼肉OKの店が出来ていることを知りちょっと驚いた。以前ここは鰻屋だったのである。
昨年の7月にはテナント募集の看板が出ていたが、11月に居抜きの手法でホルモン焼き専門店が開業したらしい。福山から一度も外に出たことのない人間に蒸した鰻の美味しさを伝えるのは困難だったのだろう(残念!)。
福山に根付かなかった文化は他にもある。立ち飲みスタイル、関東の(胡麻油で揚げる)天ぷらと日本そば(昼酒)などだ。ダラダラ飲食をしない、また店主が客に能書きを垂れないのは向こうの粋な文化だと私は思う。人情という言葉を逃げ道にして精進を怠るのが田舎者である。特にラーメン関係はその手の類が多い。だから私は食わないのだ(笑)
昨年の7月にはテナント募集の看板が出ていたが、11月に居抜きの手法でホルモン焼き専門店が開業したらしい。福山から一度も外に出たことのない人間に蒸した鰻の美味しさを伝えるのは困難だったのだろう(残念!)。
福山に根付かなかった文化は他にもある。立ち飲みスタイル、関東の(胡麻油で揚げる)天ぷらと日本そば(昼酒)などだ。ダラダラ飲食をしない、また店主が客に能書きを垂れないのは向こうの粋な文化だと私は思う。人情という言葉を逃げ道にして精進を怠るのが田舎者である。特にラーメン関係はその手の類が多い。だから私は食わないのだ(笑)
農道の突き当り(三叉路)に大きな文字の標識が建っている。私は迷わずに「岡本」「大通寺」と書かれた矢印の方向に進んだ。
矢掛宿の商店の人から「ちょっと離れてはいますが、大通寺も名所の一つですよ」と教えられ、待ち時間を有効利用しようと小林方面まで足を延ばしたのである。細い道には「林道岡本谷線」という名称がついていた。
標識を頼りにしばらく歩くと軍人の墓と六地蔵があった。私はそこで漸く初老の男性を見つけ話をすることができた。矢掛駅からテクテクやって来たと告げると彼はひどく驚いた様子で「本当に歩いて来たんですか…遠かったでしょう。あそこが寺ですよ。ゆっくり見て行きなさい」と言った。寺は約100m先にあった。
矢掛宿の商店の人から「ちょっと離れてはいますが、大通寺も名所の一つですよ」と教えられ、待ち時間を有効利用しようと小林方面まで足を延ばしたのである。細い道には「林道岡本谷線」という名称がついていた。
標識を頼りにしばらく歩くと軍人の墓と六地蔵があった。私はそこで漸く初老の男性を見つけ話をすることができた。矢掛駅からテクテクやって来たと告げると彼はひどく驚いた様子で「本当に歩いて来たんですか…遠かったでしょう。あそこが寺ですよ。ゆっくり見て行きなさい」と言った。寺は約100m先にあった。
市役所で入手した産業観光バスツアーのちらし。観光コースは8つ設置されており旅行代金は3000円~4500円と割安である。私が参加したいと思ったコースは2つある。
Bコース(高瀬舟がむすぶ絆、みなと玉島と城下町高梁めぐり)とGコース(最強製鉄所見学と水島コンビナート「夜景」クルーズ)だが、1つ選ぶなら後者だろう。倉敷市の発展を支える主要な産業を見て回るのがとても魅力的だ。私は昨年新日鐵住金の製鉄工場を見学(株主優待)して日本の技術力の高さ(均一の厚みの鉄ロールを製造する)に感動を覚えたのであった。低価格ではなく品質で勝負できる企業はやはり強い。過去の歴史を辿ることも確かに面白いが、現在の成長分野に目を向けることはより重要である。福山市の観光で足りない部分はそこだろう。
Bコース(高瀬舟がむすぶ絆、みなと玉島と城下町高梁めぐり)とGコース(最強製鉄所見学と水島コンビナート「夜景」クルーズ)だが、1つ選ぶなら後者だろう。倉敷市の発展を支える主要な産業を見て回るのがとても魅力的だ。私は昨年新日鐵住金の製鉄工場を見学(株主優待)して日本の技術力の高さ(均一の厚みの鉄ロールを製造する)に感動を覚えたのであった。低価格ではなく品質で勝負できる企業はやはり強い。過去の歴史を辿ることも確かに面白いが、現在の成長分野に目を向けることはより重要である。福山市の観光で足りない部分はそこだろう。
私は岡山県道35号倉敷成羽線から外れて左の道に入った。神子ヶ峠(みこがたわ)花壇の背後を美山川が流れている。私が歩いて来た道をどうやら神子ヶ峠というようである。峠は「たお」あるいは「とうげ」と読むが、はるか昔は「たわ」と発音した。「たお越え」が変化して「とうげ」になったと考えらえる。備後国・福山にも城下と神辺宿を結ぶ(江戸時代の)主要な街道に「奈良津大峠(ならづおおたお)」「薮路大峠(やぶろおおたお)」があった。
美山川に架かる望橋(のぞみばし)は昭和六十一年(1986)に出来た。橋を渡り北へ向かうと鵜飼と書かれた道路標識が目に入る。
かつては美山川に鵜が飛んで来ていたのだろうか。鵜飼集落には広大な畑が広がっている。時おり軽トラがゆっくり走る農道沿いは極めて静かだった。
美山川に架かる望橋(のぞみばし)は昭和六十一年(1986)に出来た。橋を渡り北へ向かうと鵜飼と書かれた道路標識が目に入る。
かつては美山川に鵜が飛んで来ていたのだろうか。鵜飼集落には広大な畑が広がっている。時おり軽トラがゆっくり走る農道沿いは極めて静かだった。
ついに安倍政権下で実現することになったのは喜ばしい。一色正春氏の刺した仕掛け針(問題の映像をsengoku38のハンドルネームでYou Tubeに投稿)はじわじわと効き眠巣に政権担当能力が皆無(シナのイヌ)であることを並の知能を有する国民に広く知らしめた。当時一色氏に重い罰を与えようとした垢の長官が今はタダのおっさんだ(笑)。この男の面をテレビで見ると本当に気が重くなり飯が不味くなったことを思い出す。無能ほど顎を上げるとはよく言ったものでイボやフランケン・オカラも同様である。不都合な事実を隠蔽したがるのは左巻きに特有の病状だ。
岡山県道35号倉敷成羽線との合流地点(山裾)に5つの石造物が並ぶ。右から2番目のスコップ型には石鎚山と刻まれていた。県道(峠)を北西へ進む。
古城釣具店(小林425)を過ぎて下りに入ると(小林?)バス停があるが、その向かい辺りに短い石柱が顔を出している。擦れた文字に目を近づけると「万人講(※まんにんこう)」と読み取れた。
万人講とは普段托鉢などで庶民の世話になっている僧が年に2度彼らを寺に招いて食事を振る舞うことを言う。私が暮らす地域(備後)でそのような風習は聞いたことがない。
石柱の程近くには木製の標識が立てられおり、釣具屋の背後の山が神子山城跡だと分かった。中世の城は自然(山と川)を巧みに利用して造った砦状のものが多い。「谷四国」と書いてあったのは内田の八十八ヶ所霊場を指すらしい。私は大きな絵図と睨めっこをして「さてどっちに行こうかな」と思案した。
古城釣具店(小林425)を過ぎて下りに入ると(小林?)バス停があるが、その向かい辺りに短い石柱が顔を出している。擦れた文字に目を近づけると「万人講(※まんにんこう)」と読み取れた。
万人講とは普段托鉢などで庶民の世話になっている僧が年に2度彼らを寺に招いて食事を振る舞うことを言う。私が暮らす地域(備後)でそのような風習は聞いたことがない。
石柱の程近くには木製の標識が立てられおり、釣具屋の背後の山が神子山城跡だと分かった。中世の城は自然(山と川)を巧みに利用して造った砦状のものが多い。「谷四国」と書いてあったのは内田の八十八ヶ所霊場を指すらしい。私は大きな絵図と睨めっこをして「さてどっちに行こうかな」と思案した。