青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

凸型のサンクチュアリ

2018年02月23日 22時00分00秒 | 関西本線

(大宮のラストクロップ@富田駅)

DD511801のキャブ側面の左下、「27-5 大宮車」とあります。平成27年5月に大宮車両センターを全検出場した事の証拠なのですが、1801号機の出場を持って、これがDD51型式の最後の全般検査である事が同時に発表されました。旅客会社持ちのDD51は分かりませんが、少なくとも愛知機関区のDD51は、これで検切れの時点で廃車が決定した事になります。一説によると、平成30年度をメドに愛知機関区のDD51は運用を外れるのではないかと囁かれていますがどうなんでしょうね。いずれにしろ蒸気機関車を追い出し、戦後の非電化幹線を近代化した凸型の名機も、定期運用を失う時が刻一刻と近付いているのは間違いありません。




富田から名四国道を先回り、いつもの臨港線でセメント便を待ちます。港の倉庫街に遠くからDDのホイッスルが聞こえて来ると、やがて名四国道の昌栄町のガードをくぐってDD51が姿を現しました。操車さんが沿道の踏切のスイッチを入れながらゆっくりゆっくり近付いて来るのですが、うーん、やっぱりDD51はスノプロ機がいいよね。これがあるなしでは見た目が全く違う。フロントスポイラー的な見た目の効果で、足元がグッと締まって見えるのがいいんだよなあ。


末広橋梁へ向かうセメント便を後追いで。2月から稲沢~塩浜間で運用を開始したDF200ですが、この四日市の臨港線にはシテンでも入線したという話は聞きません。DDより約15トンも重く大きいDFですから、さすがに末広橋梁が渡れないんじゃないか、という意見が並んで撮っていた同業のあんちゃんとの一致した見解(笑)。そうなるとセメント便がDDの最後の仕事になりそうで、その中でも一番最後まで残るのがこの1801号機なのではないでしょうか。


いつもならすぐにスイッチャーが港のサイロから牽いて来た返空タキを持ってDDが末広橋梁を戻って来るのですが、この日の5362レはなんと単機。藤原工場からのセメント出荷があるのに、戻しのタキがないというのは変な感じですけど、生産調整中なのかな?いずれにしろ荷主の都合であったりなかったりが専貨のお約束なので、珍しいものを見たと言う事で良しとしましょう。

お散歩モードで鼻歌混じりに末広橋を戻る、身軽なスノプロ1801号機。
四日市臨港線は、DD最後の聖域となるのでしょうね。

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還暦と不惑のランデブー

2018年02月22日 22時46分15秒 | 関西本線

(宿場町風情たなびいて@富田駅界隈)

鉄道の東海道本線は名古屋から関ケ原を通って米原に抜けてしまいますけれども、古来から東海道と言うのは熱田の宮宿から七里を船に乗り、桑名宿から四日市宿を経て鈴鹿峠を越えて行くルート。その本来の東海道筋に当たる富田の街、いつもDD追い掛けてバタバタと通り過ぎているだけなんだけど、ちょっと立ち止まるだけでも何とも味わいある魅力的な雰囲気が残っています。今度時間作って撮り歩いてみたくなる、そんな街です。


さて、DFの到着した塩浜を後に、そそくさと機材を片付けて近鉄富田の駅へ戻ります。あんまコインパーキングに長くクルマ突っ込んでもカネが勿体ない。ちょうど時刻は三岐3712レからJR5363レへの富田駅での継走の時間、今日のセメント担当はスノプロ装備の1801号機。人待ち顔のDDの向こうから、ゆっくりと三岐のED重連が走って来ました。


「待たせたに~」と三重訛りが聞こえて来そうな三岐のおじいちゃん機関車。昭和29年生まれだから御年64歳。かたや富田から四日市港までの牽引を受け持つ1801号機も昭和53年生まれ、今年で不惑と決して若くはありません。元はと言えば成田空港へのジェット燃料輸送を目的に導入されたDD51の最終ロット。新製から平成9年までを佐倉で過ごした生粋の千葉っ子。


昼便で東藤原へ向かうフライアッシュ貨物と並んで、四日市への身支度を整える5363レ。三岐鉄道の旧富田駅ホームに繋がる跨線橋は、旅客扱いが無くなって30年以上が経っても未だに取り壊されることもなく現存しています。この跨線橋には「宇賀渓・藤原岳へは三岐鉄道で」みたいな、いかにも昭和的な観光客誘致のスローガンが書かれていたんだけど、なくなっちゃったのかな。あれ、結構いい味出してたと思うんだけど。
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塩浜に、DFがやって来た。

2018年02月20日 19時00分00秒 | 関西本線

(私の青空@近鉄富田駅)

日光川で8271レを抑えた後は、永和で撮影した5263レを追います。5263レは塩浜に着くまでに富田で25分、四日市で約30分の停車時間を持つので、8271レを撮影した後でも塩浜線内の追っ掛けが可能なのです。ってな能書きは関西本線のDDマニアには常識も常識でしょうか…。ともあれ蟹江ICから東名阪道を四日市方面に向けて爆走するのですが、今回は近鉄富田の駅にクルマを停めて近鉄電車で塩浜に向かう事にしました。朝の名四国道で霞ヶ浦から四日市にかけての渋滞にハマるのがやきもきしますのでね。待っていた松阪行き急行が、団体専用列車「あおぞらⅡ」とすれ違い。


塩浜に着いたのは5263レ到着の20分前。いっつもクルマだとギリギリに飛び込む感じになるので、やっぱ電車速ええ。ですが、既に塩浜のシンボルであるアーチ橋の上や近鉄の跨線橋、そしてそこかしこに同じような目的の同業者の影がワラワラ…(笑)。アーチ橋の上は金網ゴニョゴニョのポイントであまり好きではないので、定番の塩浜到着正面撃ちの構図で。遠く陽炎の向こうから、ゆっくりと5263レが塩浜に到着です。


積み出し基地のある四日市界隈と、遥か信州・南松本へ鉄路で繋がる長いパイプライン。返空タキとはいえ、無事故で任務を全うしたハンドルを握る機関士さんの顔にもほっとしたような笑みが漏れます。いつもの操車さんに労をねぎらうように迎えられるDF200、それを遠く後ろから眺めているのがDD51。新旧の顔が入り混じった構図も、関西本線の貨物運用の過渡期として後で見れば思い出記録になるんじゃないのかな。


到着後、以前はここで操車さんとのタブレット収受が行われていたんですが…塩浜支線もCTC化が完了したようで、列車無線の授受だけに変わってしまいましたね。


威風堂々とした体躯のDF200。DD51が重連で担当するところを単機牽引してしまうのだからそのパワーはさすが平成生まれのハイテク機関車。DD51が重油を燃焼させてエンジンを稼働させる文字通りの液体式ディーゼル機関車であるのと対照的に、DF200は燃料こそ同じ重油を使っていますが、重油で車体に搭載された発電機を回し、電気の力で駆動する電気式ディーゼル機関車なのです。そのため、音に関してはDD51に比べると圧倒的に静かだな、と感じます。


名泗コンサルタントラッピングの近鉄2610系と。JR貨物の塩浜駅は、見た目で何となく近鉄の線路の一部のような雰囲気がある。塩浜は近鉄も検車区を設置しており側線が多いのでそう見えるのかもしれない。とはいえJRは狭軌単線非電化・近鉄は広軌複線電化とそのレギュレーションがあまりにも違うので、隣り合っていたとしても永遠に交わる事はないのでしょうけど。


DF200の入換風景。この時間の塩浜が、この日一番の青空だったな。相も変わらずたくさんのギャラリーがその機関車の一挙手一投足にレンズを向けていますが、DF初の本州運用ということで注目度の高さは相当なもんだ。紛れもなくこの機関車が、新時代の関西本線の顔となるカマなのでしょうしね。


あいつウワサの転校生。塩浜に、DF200がやって来た。
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水郷地帯のあさぼらけ

2018年02月19日 17時00分00秒 | 関西本線

(日光川の岸辺@蟹江~永和間)

永和で5263レを撮影した後は、後続の8271レを撮影しに日光川の土手に出て来ました。東海水郷とも言われる名古屋市西部から木曽三川にかけての地域は、大小さまざまな河川が複雑に絡み合って広い低湿地帯を形成しています。最近日の出る時間は若干早くなって来たかな…と思わせておいて、6時半を過ぎても海抜ゼロメートル地帯に太陽は昇りません。そう言えば名古屋は関東に比べればだいぶ西の街である事を思い出す。そりゃ日の出も遅いよね。鏡のように滑らかに流れる日光川、たまに水面に何か魚がバシャと跳ねて、水面の静寂をかき乱します。


一応「晴れ」の予想だったこの日の愛知県内。しかしながら北側の空からなんともジトーっとした黒い雲が広がって、とても(撮り鉄ベースで)晴れとは言えないビミョーなお天気。昇る朝日に輝く水面、そして重連で走るDDの独特な凸型をシルエット気味に捉えようとイメトレだけはバッチリ決めて意気揚々と川上に座を構えた…はずだったのですが。僅かな雲の隙間から辛うじて昇る朝日が見えたものの、DD通過時は雲隠れ…

関西本線名撮影地の一つ、日光川橋梁。
雲のフィルターを透過した鈍い朝焼けが水面に映るその上を、返空のDD重連が軽やかに駆け抜けて行くのでありました。
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終わりの始まり

2018年02月18日 09時07分08秒 | 関西本線

(西尾張、払暁の空@永和駅)

払暁の西尾張、関西本線永和駅。もうこの時期の恒例行事…とでも言いましょうか、関西本線にタンカートレインをまたまた追い掛けて来ました。本当だったら一泊くらいさせてもらって中央西線のEF64とセットで回らせてほしかったんだけど、先月の飯山線雪中ツアーに続いての遠征なのでそこまでの贅沢は言えず。そして連月の遠征ということで、高速代節約のために行き帰りとも下道とか使ってみた。まあR1の東京~名古屋間なんてバイパスが整備されてて深夜帯にでもなればみなし高速道路みたいなもんだしな。若いみぎりは下道で名古屋とか笠松まで競馬やりに行ってた訳だし、深夜の藤枝BPとか走りながらなんだか懐かしい気分になったねえ。


昨年の3月改正で一応(?)運用のスジが引かれた稲沢機関区のDF200は、改正後も運用には就かず、引き続きDD51の重連が代走と言う形でDFの運用を担当していました。いつ本格運用に入るのだろう?と稲沢のロコファンをやきもきさせていたのですけど、今月のアタマからいよいよ関西本線でのDF200の運用が開始されています。時間はAM6:20、まだ夜も明けきらない永和の中線に、ゆっくり進入して来た5263レ。こういうシチュエーションで活かせるかと思って、レンズのチョイスは先月購入した明るい単焦点で。こんな条件下でもSS稼げるのは安レンズでもF1.8の破壊力か。


関西本線の貨物は編成が長いせいでたいがいアタマ出しになってしまうので、構外に出てもうワンカット。地上設備がグサグサ刺さって来るのが若干目障りなんだけど致し方なし。愛知機関区で長年に亘り関西本線方面の主役であったDD51は既に今後全般検査を通さない事が決定しており、検切れにより順次廃車という道筋が付けられているのは周知の通り。それでもDF200が実際に本州運用を開始したというのは、いよいよDD51最後の楽園であった稲沢の「終わりの始まり」という感じがしますよね。

DDを追いやるDF。DDファンから見れば、ワルモノ扱いされかねないシチュエーションです。
ただ、永和の中線に堂々と進入して来たその姿を見て、DFはDFで魅力あるなあと思ったのも事実だったりする(笑)。
発車して行くDF200。西尾張の低湿地帯に、北海の赤熊の咆哮が轟きます。
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