青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

私的・いつまでも残したい鉄道風景

2017年08月28日 07時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(御在所岳を仰ぎ見て@湯の山温泉)

2日目の宿泊は湯の山温泉でした。湯の山温泉って名前だけはそこそこ有名ですけどどんなもんかいな、って感じでしたがまあ寂しいですね。ちょっとどころか結構寂しい。明確な「温泉街」というものが形成されてないのもあるけど、御在所岳から流れる川に沿って宿がポツンポツンとあるような感じで、浴衣着た湯客がそぞろ歩くような感じでもないし…宿の窓から山の頂上に向かう御在所ロープウェイが良く見えた。中間にある61mの白い大鉄塔は伊勢湾からも見えるという御在所のシンボルで、ロープウェイの支柱としては今でも日本一の高さを誇っています。


夜半の雨も上がり、いい天気になりそうな最終日。相も変わらず朝食前にそっと宿を抜ける。朝焼けの湯の山温泉駅には夜間滞泊の列車が2本、社員さんが始発列車の準備を始めていました。ちなみに湯の山温泉は山の中、湯の山温泉駅は山の下という位置関係にあり、温泉街と駅はだいぶ離れていてその間をサンコーバス(三重交通バス)が結んでいます。近鉄の湯の山線は大正時代に軽便鉄道として四日市鉄道が敷設した路線。現在でも軌間762mmのナローとして存続している内部線・八王子線(現四日市あすなろう鉄道)と同じ出自を持っていて、近鉄と合併する前は三重交通でした。御在所ロープウェイも三重交通が作ったもので、湯の山・御在所周辺の観光開発には三重交通もかなり力を入れていたようです。


さて、湯の山温泉から朝早く出て来て何を撮りに行ったかと言うと、いなべ市内を走る三岐鉄道の貨物です。が、基本的に日中の3往復はだいたい走っていますが朝晩のそれぞれ1往復はその時の出荷状況次第という運任せのダイヤ。んで、その運転されるかどうかわからない朝5時台のセメント便(3710レ)を狙いに行ったんですが、まずは中間駅の保々へ。交換する炭カル便の電気機関車がパン上げして待機していたので、これは東藤原からのセメント1便が走るのではないかという事で丹生川の陸橋へ急ぎます。保々から丹生川の陸橋までは大安の神戸製鋼の裏を通って15分くらいでしょうか。


通称ミルクロードと呼ばれている県道140号線の丹生川の陸橋、三岐鉄道と言えばここ!という随一の撮影地で、陸橋の上には既にファンの方の姿。おそらく地元氏とお見掛けしますが、地元氏が張っていると言う事は運転確定の赤ランプでしょう。太陽に薄雲噛んでいるのがやや残念ながら、藤原岳と竜ヶ岳の稜線はクリアな見晴らし。鈴鹿山脈をバックにした定番の構図で陸橋の上でアングルを決めて待つ事5分。遠くから鼻の詰まったような独特の吊り掛け音が聞こえると、やがてジャガイモ畑の中を一直線に、ゆっくりゆっくり3710レが姿を現しました。


陸橋の逆サイから後追いで。朝もやの空気の中を、16両のタキを連ねて貨物列車が富田へ向かいます。かつては「3S(石油・セメント・石灰石)」と呼ばれ鉄道貨物の中でも重要な位置を占めていたセメント輸送ですが、平成22年に秩父鉄道のセメント輸送が終了し、それ以降はこの三岐の東藤原~四日市港間の運行が日本最後のセメント輸送になってしまいました。

いかにも私鉄電機らしい40トン級のED45(重連)と、あくまで無骨なタキ1900の渋い組合せは、私的ではありますが「いつまでも残したい鉄道風景」の一つでもあります。
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Where is Summer?

2017年08月11日 14時00分36秒 | 三岐鉄道・北勢線

(いつかの夏の三岐鉄道@丹生川付近だと思う)

世間様と同様に今日からお盆休みなのですが、こと東日本は梅雨明け以降全くもって天気が悪い。天気図を見てもこの時期に頑張んなきゃいけない太平洋高気圧に今年は全くヤル気がなく、日本のはるか南東の海上を彷徨ったまま近付くそぶりも見せないという体たらく。逆にオホーツク海高気圧が強いので、オホーツク海高気圧の縁を回って来る北東気流の影響をまともに受ける東日本の太平洋岸は冷たい空気によって常時雲が湧く状態です。


今日の昼時点での天気図。日本列島どっぷり低気圧の通り道。太平洋高気圧がいないのをいい事に気流も流れないで低気圧がほぼ停滞する地獄。太平洋高気圧さんは天気図にも出て来ない所を見ると、日本の夏を持ってどこかへ逃げてしまったようです。気象庁が一か月予報を出しましたが、今年の夏はこんな感じで秋の長雨シーズンに突入してしまうようです。東日本の日照不足はそのままコメの作柄へも影響してくる可能性がありますので、農業従事者も心配だろうけど折角の夏休みにクソ天気で何も出来ないでいる自分も心配(笑)。ストレスたまるわあ。
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北勢不思議ワールド

2012年08月31日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(ねじり橋・めがね橋@楚原~麻生田間)

三岐鉄道訪問記、東藤原への往復の後は三重のゲスト氏に無理を言って北勢線の楚原付近まで車で送っていただきました。本当だったら伊勢治田から阿下喜まで歩いて楚原まで行こうと思ってたから助かったわあ。時刻は既に夕方、日帰り旅行に残された時間は少なく、ここからは北勢線の土木遺産を急いで見学する事に致します。楚原と麻生田の間の田園地帯に架かる二つの橋・明智川拱橋(きょうきょう)と六把野井水(ろっぱのゆすい)拱橋は、どちらも大正初期の北勢線開業当時に架橋されたコンクリートブロックの橋。まだ大正初期だとレンガ全盛期だと思うんだが、コンクリートブロック積みってのがやっぱお土地柄なのかねえ。あ、「きょうきょう」と言うのは「橋梁」と違うのかって話ですが、「拱橋」は橋の中でも主にアーチ型の橋を指す言葉らしい。


橋の近くまで氏に送っていただき、苦もなくアクセス。
日本の近代産業土木遺産フェチとしてはそれなりの経験を積んだつもりの私ではありますが、まあなんだね、地味だね(笑)。って言ったらミもフタもないんだけど、見て来た正直な感想なんだからしょうがない。下を流れる明智川は夏草に隠れ、夕日射す草叢の向こうにほんのかわいい三連アーチのコンクリート造りの橋。コンクリートアーチ橋の鉄道構造物では北海道のタウシュベツ川とか未完成に終わった根北線の第一幾品川橋梁なんかが有名ですが、あれをうんとミニチュアにしたと言うか。北勢線は言わずと知れた軌間762mmのナローゲージですから、北勢線のサイズに合ったかわいらしい橋と言えば言えるのかもしれない。


ガタゴトとミニチュアのようなナローの旅路は、この辺りからクライマックスなのかな。
員弁川の河岸段丘の縁をなぞるように、キイキイと車体をきしませてゆっくりゆっくりと列車が明智川のアーチ橋を渡って行きます。夕暮れ間近の夏の日差し、実りの秋を前にした田んぼを一足お先に黄金色に染め上げて行きます。夕日がレールとアーチ橋まで届かなかったのが残念だけど、確かに雰囲気はいいよね。


明智川の橋から100m程度楚原寄りにある六把野井水拱橋。
員弁川の水を上流から取り入れ、河岸段丘の上を灌漑し流れて行く六把野井水に架橋されたこのアーチ橋は、灌漑用水に対し斜めにかかっているその作りから「ねじりまんぽ」と呼ばれているそうな。


用水に対して斜めに架かってるから「ねじり」なのかと思いきや、橋自体の構造がねじれている(笑)。
これは明智川の三連アーチ橋の地味さ加減に比べると、分かりやすくすげえ!って思いますよ。
なんつーか、三次元を二次元で表記した場合の遠近感と言うか、規則性があるようでない幾何学的なそのブロック積みがねえ。時空が歪んでる感じがしてどうにも不思議ですねこれ。なんかでこう言うの見た事あるよなあ…と少し考えて思い当たるに、この不思議な感じは「クラインのつぼ」のようだなあ。一個一個の石を組み上げてねじった上で橋としての強度を出すってどういう技術なんだろ?と思って調べたら、レンガや石積みで斜めに橋をかける場合には一番力のかかるアーチの頂点を上部路と直交させる積み方にするため、裾からは頂点を直交積みにするため斜めにねじりながら積み上げて行くものなんだそうな。へえー。


見学を終えて六把野のねじりまんぽに繋がる草むした道を出ると、山並みの向こうに夕日が落ちて荘厳な眺め。
ねじりまんぽは、あたかも不思議空間へのタイムトンネルのように思えたりして…
まじまじと見過ぎて、楚原の駅に向かって歩く目の前の道が少し歪んで見えました(笑)。
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フラ・カ~ル

2012年08月28日 06時27分30秒 | 三岐鉄道・北勢線

(もう一つの貨物@JR富田駅)

さて、長々と三岐鉄道について申し述べて参りましたが、三岐の貨物にはもう一つ重要な品目の輸送がありまして、それがホキ1000による炭カル&フライアッシュ輸送なんでござーますね。趣味人もしくは建設屋でもなけりゃ炭カルもフライアッシュもよーわからん、とのたまう御仁にご説明させていただきますと、セメントっつーのは石灰石を砕けば出来る訳じゃあございません。石灰石を主成分に珪素だとかシリカとかの水を混ぜると固まる成分をブレンドして、高温度で焼成した上で乾燥粉末化したものがセメントなんですが、太平洋セメントではセメントの材料に火力発電所で石炭の燃焼ガラとして産出されるフライアッシュと言う焼却灰を使うのです。このフライアッシュつうのは粉塵に近い微粒子状の物体で、本来なら燃えカスとして産廃扱いにされていたらしいんですが、試しにセメントに混ぜてみたら練った時に水なじみが良く、乾いた後もカッチリと結着するなどいい事づくめ。そんならセメント材として活用しようじゃないかってんで、愛知県は碧南火力発電所からセメント材料としての石炭ガラ=フライアッシュを東藤原まで輸送する事になりました。このフライアッシュ便の感心する所は、東藤原から碧南火力には手ブラじゃなくて火力発電所の排煙の中から有害物を吸着するための石灰(炭カル)を持って行くって事ね。産廃の有効活用と排煙の有害物抑制と言う環境には二度美味しい循環サイクルがこのフライアッシュ便でして、発電所も三岐鉄道も太平洋セメントも三方いいトコ取りのこのシステムはとってもエコな取り組みやん?って事で表彰されたりもしています。パチパチ。


独特の形状のタンクとその色から「白ホキ」と言われているホキ1000。「炭酸カルシウム及びフライアッシュ専用」と用途が限定されてますが、これがいわゆる専貨と呼ばれる専用貨車。一昔前はセメントや石油や専門色の強い化学物質の輸送は鉄道が一手に引き受けてまして、色んな化学メーカーが貨車を作ってはやれアセトアルデヒドだラクトニトリルだ化成ソーダだと危険物質(笑)をいっぱい鉄道で輸送してました。今は高速コンテナ用のタンクが開発されて、コンテナの一つとしてコキに載せられちゃう時代ですから、メーカー私有の専用貨車ってのはほんと風前の灯なんですよね。


そんなフライアッシュ便を三里~丹生川で撮影。
日が陰る+編成短い+シャッター切り位置失敗とダメをこじらせたような一枚ですが、記録なんで恥を忍んで載せておきます(笑)。うーん、今回の三岐行は全体的には満足してるけど、唯一心残りなのはフライアッシュ便をきっちり撮れなかった事なんだよなあ。後で知ったけどフライアッシュ便は夜にデーデーに牽かれて富田へ着いた後、二編成に切り分けた上でまず先陣が保々まで運ばれ一泊し、次の日の朝一番のダイヤで東藤原へ向かうらしい。撮影した昼便は富田で切り分けられた余りの分だから、どうしても編成が短くなってしまうようです。長いの撮りたきゃ朝一で来いってか。

やっぱもう一回行かなきゃダメだなこれは(笑)。
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三岐四方山話

2012年08月26日 08時56分06秒 | 三岐鉄道・北勢線

(701系大集合@保々車庫)

富田から現状の終点の東藤原まで、一通り三岐鉄道を見て回りまして十分に満足したんでメールしておいた某地元のゲストをお呼び出ししつつ(笑)折り返します。三岐の貨物を見ると言う目的の8割方は達成したので、あとは途中で乗ったり降りたりしながら撮影に勤しむ事に致しましょうか。画像ははゲストの方とお待ち合わせした保々の車庫風景。昔は自車発注とか、小田急の2220系とかいたらしいですけど、最近の主力車両である西武701系がヒルネ中。701系が主力なのは…ここと総武流山線くらい?あっちは流星とか銀河とか菜の花とかいろんな色に塗られてしまってるけど、三岐カラーってたまたま西武線と同系統の明るいイエローを使ってるから、西武時代とそうイメージが変わらないのも西武電車のファンには嬉しいところじゃないでしょうか。


宇賀川橋梁(大安~三里間)を行くセメント専貨3716レ。あんなに晴れてたのに陰っちまった…
この宇賀川、上流に宇賀渓ってのがあって北勢地区住民の憩いの場であるらしい。この時期だとキャンプとかBBQとかね。
この三岐線の橋梁の周りも公園になってまして、家族連れが川遊びで一時の涼を求めております。


表面ぺったんこ、思い切った切妻型が特徴の101系は元・西武401系。正面の連続三枚窓とか、何だか国電の流れを組むデザインの車両です。三岐線で使われている中で唯一2連で運用に入り、富田側の車両が二丁パンタになってるのが特徴です。オレンジを裾にまとうイエローの三岐カラーって、90年代初頭の日本ハムファイターズっぽいな(笑)。津野とかブリューワとかいた時代ねw

 

某地元のゲスト氏と合流し、四方山話をしながら待つ朝明川築堤で返空3715レ。付き合わせてスンマセンw
久し振りの対面のような気がしたが、実際二年半ぶりらしい(笑)。
この朝明川橋梁、去年の台風でぶっ壊れて架橋し直したそうだ。どうりでガーター部分が新しいのな…


相変わらず二人でダベりながら三岐線で保々→再び東藤原。
午後の強い日差し降り注ぐ藤原岳と東藤原駅構内。氏は県民ながら三岐鉄道には初めて乗るらしい。「だって用事ないもん」と言われりゃそれまでなんだけど、四日市周辺は本州最後のDD51の天下だし、四日市港の開閉橋とか塩浜の貨物ターミナルとか三岐のセメントとか広い目で見れば鵜殿貨物とかむちゃくちゃ撮影対象に恵まれてるじゃないですか!(バンバン←机叩く音)宝の山と言っても過言ではないのだが、こちらは地元民の腑抜けた反応に怒り新党ですよwつか氏がお鉄じゃないのが一番の問題なのだろうが(笑)。

  

東藤原から隣の伊勢治田まで歩いてみる事に。
旧藤原町の風景は極めてのどかで、養老山地の低い連なりを遠くに田園地帯が広がる。東藤原に向けての最後の登り坂で伊勢治田の駅で抜いて来た返空3715レをもう一回。伊勢治田の駅、隣の駅だから近いかと思って歩いたら30分くらいかかりやんのw今調べてみたら2.3kmもあんのね。しかし今回は良く歩いたなあ。

 

某氏とヒイヒイで辿り着いた伊勢治田駅w
お隣の東藤原を補完するためなのか、若干の貨物用ヤードと貨物の退避線がある意外と敷地の大きな駅。側線には部品取り用の西武新101系と秩父鉄道から持って来られたデキ202・203が絶賛放置プレイ中。21世紀初頭における中京地区の好景気の要因となったモノと言えばトヨタの躍進・愛知万博・セントレアの開業でしたが、三岐鉄道も中部国際空港工事における埋め立て用土砂の発送と言う特需に沸いた時期がありました。一日で土砂配送の貨物便を10往復設定し、秩父からデキと輸送用の貨車をかき集め、隣の伊吹山でやはりセメント関連の貨物輸送をしていた住友大阪セメントから大井川鉄道へ移籍するはずだったいぶき501・502を緊急で借り上げるなどの設備投資を行い、東藤原→JR富田→四日市港から船積みで建設現場まで持って行ったらしい。現行のセメント輸送ダイヤにさらに貨物10往復設定ってかなり容量的には一杯だったんじゃないのかなあ。


秩父デキ近影。台車を良く見ると軸梁が下側に張られ、軸箱を支持するバネが横向きになっていると言うかなーりヘンテコな台車を履いてますね。これは軸箱に掛かる重量を下側の梁と横向きのバネで支持する事によって、台車がレール側に湾曲するように働きレールへの粘着を増す働きをするそうな。両手で定規を持って、真ん中に物を乗せて、両側から力を入れたら下向きに撓むでしょ。定規がバネで、真ん中の物が車重で、両側からの力がモーターの牽引力で、その下向きにしなる「たわみ」力が粘着力…たぶんそう言う考え方なんだと思うw

すっかり退色してしまって「いつかの時」を待っているだけのデキ。
その姿は、時ならぬ特需に沸いた10年前を物語る遺物と化しているようにも見えます。
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