表題にもある通り、最近は80年代アイドルポップスにカブれている当ブログ。
じゃあ実際当時はどうだったのよ、と言う風に思い返してみると実際街にアイドルポップスが溢れていたのは小学生~中学生初期までだったんだよねえ。今になって思えば、もう少ししっかり見ていればと思うことしきりなんだけど(笑)。
アイドル全盛=ベストテンの全盛期と言うくくりでいいと思うんだけど、ベストテンが全盛(久米)爛熟(コニタン)衰退(松下)と世の中は流れ、それに比する形でアイドルは廃れ、中学生の半ばくらいから周りは「音楽の自分探し」の旅を始めたような感じがします。アイドルが廃れた後は「イカ天」に代表されるようなバンドブームだったんで、だいたいがそっち方面に流れてたような…ところで、「続いてはこのバンドだいっ!」の相原勇さん、お元気ですか。曙とはどうなったんでしょうか。まあどうもなってないと思うのだけど。会った人は「宮尾すすむと日本の社長」が生きてるかどうかは聞いておいて欲しいw
それこそおニャン子だ光GENJIだチェッカーズだと言ってた連中がいきなりBOØWYとかブルーハーツとかジュンスカとか聞き始めたと言うのも今思えば滑稽っちゃ滑稽(タモリ風に)ではあるんだけど、自分はその頃それほど音楽的なものに興味を示さず、専ら競馬に傾倒していったのであまり多くを語る資格はありません。「バンドやろうぜ」とか「PATI☆PATI」の中で競馬ブック読んでたんで。週末のロマンは月曜日に始まってるっちゅーの。
印象に残っているのは、まーったくそんな方面に縁のなさそうな友人がいきなり高校に入ると同時にエレキギターを担いで学校にやって来た事です(笑)。確かに「ヨットパーカーを着て、ギターをかついで登校」と言うのがある意味ファッションの一つでもあったかもしれないが、「お前高校デビューか」と罵った記憶が。ただ、そんな彼もしっかり高校の三年生になるといっぱしのギターキッズ(死語だな)になってまして、自分にいらないアコギを一本渡してくれて弾き方を教わったりもしてました。そのおかげで今でもすこーしだけギターが弾けたりするのですが。
高校になると周りは何故かHR/HMブームで、周りで広げられる雑誌も「YOUNG GUITAR」とか「BURRN!」に変わりました。個人的に「BURRN!」って世界で一番表紙の胸毛率が高い雑誌だと思うんですがどんなもんでしょ。閑話休題。それこそメガデスとかメタリカとかパンテラとかAC/DCだのガンズだのが教室で掛かりまくっていると言う中、彼は一人「AOR」と言うジャンルに傾倒しその良さをとくとくと語る横で相変わらず自分は競馬ブックを読んでいました。アメリカオンラインじゃないよ。それはAOLだ。
AORって何というのは説明がし辛いが、HR/HMがディストーション利きまくりのラウド&デス&シャウトなプレイだとするなら、AORはメロディアスでソフトな調子と言うか…フュージョンでもないと思うのだけどそんな感じです。高校生のオツムで聞くなら、HR/HMの例えばパンテラの「鎌首」とか言われると「何だか分からんが凄いな!」という感じに惹かれてしまうのは何となく分かるんだよね。インパクト勝負。それに引き換えAORって美しいのかもしれないけどナンパな感じしますし。うーん、説明になってねえなw書いててここの読者層と全く合致してないと思うしw
彼が大好きだったのがシカゴとTOTO。どちらも代表的なAORバンドで、今でこそ何となくそっち方面も分からんでもないが、当時は「スティーヴ・ルカサー奏法」にチャレンジして「できねえ~!」とか言われてもチンプンカンプンでしたねえ。マイク・ポーカロとか言われても「アブクマ・ポーロ?」って感じだったし。今思うと音楽的には相当渋い趣味だったんだね。一応自分も洋楽聴いてた時期はあったんだけど、一番いいなあと思ったのがヴァン・ヘイレンとジプシー・キングスだったんでw全然ジャンルが合わん。
先日惜しまれつつ解散したTOTOの「Africa」がFMで流れて来た。
聞いていて、サビの部分でそう言えばさんざっぱら彼に聞かされたのがこの曲だった事を思い出した。
このくらいの歳になって聞いてみて、やっとなかなかいい感じだなと思えるようになりましたけど。
今ではどこで何をしてるかさっぱり分からない友人に15年ほど遅れて、TOTOのCDでも買ってみようかなと思う今日この頃。
じゃあ実際当時はどうだったのよ、と言う風に思い返してみると実際街にアイドルポップスが溢れていたのは小学生~中学生初期までだったんだよねえ。今になって思えば、もう少ししっかり見ていればと思うことしきりなんだけど(笑)。
アイドル全盛=ベストテンの全盛期と言うくくりでいいと思うんだけど、ベストテンが全盛(久米)爛熟(コニタン)衰退(松下)と世の中は流れ、それに比する形でアイドルは廃れ、中学生の半ばくらいから周りは「音楽の自分探し」の旅を始めたような感じがします。アイドルが廃れた後は「イカ天」に代表されるようなバンドブームだったんで、だいたいがそっち方面に流れてたような…ところで、「続いてはこのバンドだいっ!」の相原勇さん、お元気ですか。曙とはどうなったんでしょうか。まあどうもなってないと思うのだけど。会った人は「宮尾すすむと日本の社長」が生きてるかどうかは聞いておいて欲しいw
それこそおニャン子だ光GENJIだチェッカーズだと言ってた連中がいきなりBOØWYとかブルーハーツとかジュンスカとか聞き始めたと言うのも今思えば滑稽っちゃ滑稽(タモリ風に)ではあるんだけど、自分はその頃それほど音楽的なものに興味を示さず、専ら競馬に傾倒していったのであまり多くを語る資格はありません。「バンドやろうぜ」とか「PATI☆PATI」の中で競馬ブック読んでたんで。週末のロマンは月曜日に始まってるっちゅーの。
印象に残っているのは、まーったくそんな方面に縁のなさそうな友人がいきなり高校に入ると同時にエレキギターを担いで学校にやって来た事です(笑)。確かに「ヨットパーカーを着て、ギターをかついで登校」と言うのがある意味ファッションの一つでもあったかもしれないが、「お前高校デビューか」と罵った記憶が。ただ、そんな彼もしっかり高校の三年生になるといっぱしのギターキッズ(死語だな)になってまして、自分にいらないアコギを一本渡してくれて弾き方を教わったりもしてました。そのおかげで今でもすこーしだけギターが弾けたりするのですが。
高校になると周りは何故かHR/HMブームで、周りで広げられる雑誌も「YOUNG GUITAR」とか「BURRN!」に変わりました。個人的に「BURRN!」って世界で一番表紙の胸毛率が高い雑誌だと思うんですがどんなもんでしょ。閑話休題。それこそメガデスとかメタリカとかパンテラとかAC/DCだのガンズだのが教室で掛かりまくっていると言う中、彼は一人「AOR」と言うジャンルに傾倒しその良さをとくとくと語る横で相変わらず自分は競馬ブックを読んでいました。アメリカオンラインじゃないよ。それはAOLだ。
AORって何というのは説明がし辛いが、HR/HMがディストーション利きまくりのラウド&デス&シャウトなプレイだとするなら、AORはメロディアスでソフトな調子と言うか…フュージョンでもないと思うのだけどそんな感じです。高校生のオツムで聞くなら、HR/HMの例えばパンテラの「鎌首」とか言われると「何だか分からんが凄いな!」という感じに惹かれてしまうのは何となく分かるんだよね。インパクト勝負。それに引き換えAORって美しいのかもしれないけどナンパな感じしますし。うーん、説明になってねえなw書いててここの読者層と全く合致してないと思うしw
彼が大好きだったのがシカゴとTOTO。どちらも代表的なAORバンドで、今でこそ何となくそっち方面も分からんでもないが、当時は「スティーヴ・ルカサー奏法」にチャレンジして「できねえ~!」とか言われてもチンプンカンプンでしたねえ。マイク・ポーカロとか言われても「アブクマ・ポーロ?」って感じだったし。今思うと音楽的には相当渋い趣味だったんだね。一応自分も洋楽聴いてた時期はあったんだけど、一番いいなあと思ったのがヴァン・ヘイレンとジプシー・キングスだったんでw全然ジャンルが合わん。
先日惜しまれつつ解散したTOTOの「Africa」がFMで流れて来た。
聞いていて、サビの部分でそう言えばさんざっぱら彼に聞かされたのがこの曲だった事を思い出した。
このくらいの歳になって聞いてみて、やっとなかなかいい感じだなと思えるようになりましたけど。
今ではどこで何をしてるかさっぱり分からない友人に15年ほど遅れて、TOTOのCDでも買ってみようかなと思う今日この頃。