と言う訳で、土日のダイジェストを。
雨の土曜日、新宿駅を「ムーンライトえちご」で出発。全車指定席売り切れとの事で騒がしかったらやだなあと思ってたんですが、「ながら」と違って案外と年齢層が高く、皆早々に休んでいたのは幸い。山屋の中高年と輪行グループが多かったかな。国鉄色485系の6両編成は古くなっても特急車。線路の揺れが適当に心地よく、ダイソーで買ったアイマスクをかけてさっさと眠る。途中高崎と長岡で時間調整を兼ねた停車があったんだけど、高崎駅では国鉄489系を使用した後発の急行「能登」とホームで並んで、なつかしの国鉄色の競演が見られました。
MLえちごを新津駅で下車。ちょうど大阪行きのトワイライトエクスプレスが入線して、朝から元気な厨房鉄ヲタが写真を撮ろうと走って行く。朝4:40にさすがにそこまでの元気はなく、駅前のヤマザキデイリーで食料を調達し駅の待合室で待機。勝手知ったる新津駅、だ(笑)。
羽越本線始発・6:15発普通列車酒田行はJR東日本のスタンダード気動車キハ110系。羽越本線は村上の先で直流/交流が入れ替わるんで、この区間を直通する列車は専ら気動車が使われてますね。交直流型電車を作るのは費用も掛かるし、そこまでしなくてもと言う事でしょうか。
さすがに寝不足気味でうつらうつらとしつつ列車は越後の穀倉地帯を爆走。昨夜からの雨は止む事無く降り続き車窓を濡らす。月岡と新発田でどっと部活へ向かう高校生に囲まれたのだが、車掌氏が曰く「この先の坂町で接続する7:12発米坂線米沢行きは運休になります…」。な、何だって~!(AA略)聞けばなんと車両故障との事で、坂町駅のホームにはノックアウトされたキハ52が留置されていた。
代行バスは出すがこの後の運行状況が良く分からないとの事だったので、とりあえずバスに乗ってしまうほかはない。朝もはよからJRにチャーターされた村上自動車の妙齢のバスガイド、「本日は車両故障との事で皆様には大変ご迷惑を…」いや、あんたのせいじゃないから!と思いつつも、輸送密度の低い辺境のローカル線は代行運転が多いのか、謝り慣れていると言った感じでしたw
バスは雨の降りしきる坂町駅を離れ、国道113号線に乗り一路米沢を目指す。一応米坂線の各駅前に近い場所で停車し、「越後片貝です、お降りの方いらっしゃいませんかあ」とバスガイドが問うのだが、誰も乗りもしなけりゃ降りもしない。小国まで行く僅かな地元客を除きほとんど18きっぱーだからなwそんなもんだろ。
バスは日本海に注ぐ荒川と米坂線を縫うように走る。濡れた緑と淀む川の色。赤芝峡と言う景勝地も、案外鉄道よりバスのほうが眺めは良かったかもな…と思いつつも、今回の目的って米坂線に乗るってのが8割くらいだったんですけど!と言う訳で小国の駅前に到着した時に思い切ってバスを捨ててしまった。無人駅だと運行状況を確認するすべはないが、さすがに小国なら駅員さんがいるだろうって読みもあったのでね。
駅で降りた4~5人にはほどなく迎えが来て、駅に残されたのは私一人。それでも駅員氏が構内放送で次の米沢行きが63分遅れで坂町駅を発車した事を私だけのために告げてくれた。待ちますとも。する事ないけど…構内の片隅に停められていた新型のラッセル車がここが豪雪地帯である事を物語ります。積雪は3m4mは当たり前の地域ですからね。雪による交通途絶の可能性があると言うのも米坂線が交通機関として存続している要因の一つではあるんだが。雨の中駅前を散策してみたのだが、目に付いたのは何一つ開いていない店と交差点の「自主規制」の交通標識。交差点で止まるのって自主規制なんすか?(笑)。
暇に押しつぶされそうになりながら待ちくたびれ、「米沢行きマダ~?(チンチン)」とやっていると、ようやく駅員氏から「米沢行きが来るからホームへ行け」と言うお達し。霞みたなびく飯豊山地の向こうから、オレンジとベージュの色に塗られた国鉄色キハがやって来ました。
米沢行きの先頭に立つキハ52型は、1957年から製造され全国のローカル線で活躍した国鉄キハ20系シリーズの最後の忘れ形見。2エンジンにパワーアップされ山登りに特化した性能を持っていると言う事で、勾配ローカル線区である磐越西線・米坂線・大糸線を担当する新津と糸魚川に最後までこの形式が残されていたんだけど、とうとう新津のキハ52には後継車が現れる事になり(キハE120系投入のお知らせ)…
後継車が現れれば、老雄は去るのみ。
今回の最大の目的は、最後の夏のキハ52に会う事でした。
続く。