(ある夏の日に@えちぜん鉄道福井駅)
さて、壊れてたPCもHDD交換により復帰しましたので、ぼちぼちと福井のお話を続けていきたいと思いますが…もうそろそろ1ヶ月が経ってしまうのね。鮮度感は全くなくなってしまった感も拭い切れませんがしばしお付き合いいただきたく。そもそも今回の福井遠征は福井鉄道(200型)メインだったんで、えち鉄についてはサブ的感覚での訪問。まあ次に福井なんかいつ来るか分からないから訪問しておこうと言う感じではあります。
この日も結局朝からしばらくの間は福鉄で200型を追いかけてしまったので、福井駅に着いたのは午前も10時を回った頃合い。全長20km程度の福井鉄道とは違って、県都福井を中心に西は勝山市までの30km(勝山永平寺線)、北は三国港までの25km(三国芦原線)と合計60kmの総延長を持つえちぜん鉄道。夕方には福井を出ないと家に帰れないので、少々駆け足の訪問になってしまいそう。まずは勝山永平寺線の勝山行MC6101型6112。単行運転です。
10時過ぎの勝山行きは、夏休みということもあって勝山の恐竜博物館へ向かう親子連れでいっぱい。えち鉄も恐竜博物館とタイアップした一日フリー乗車券を発売しており、車内は立ち客も出る混雑ぶり。発車直前に駆け込んだ自分に余っている席があるはずもなく、そしてほぼ全員が終点の勝山まで乗り通すことが確定しているという何ともやるせない状況…だったのだが、えち鉄名物と言っても過言ではないアテンダントさんが結構若くてカワイかったので良しとするw
車窓風景は松岡までは福井市の郊外、志比堺が文字通りの境となって永平寺口からは九頭竜川に沿った谷あいの田園地帯に変わる。途中駅で降りてみようかな…とも思ったんだが、下手に降りると後半のタイムスケジュールが詰まるので結局勝山まで乗り通してしまった。降りるなら風格のある駅舎が魅力の永平寺口駅かと思ったんだが、どうも古い駅舎を解体して工事の真っ最中らしい。福井駅から乗り通して小一時間の勝山駅は、勝山市の中心街からは九頭竜川を挟んだ対岸にあって駅前にはわずかな商店があるのみ。一緒に降りてきた親子連れはほとんどが恐竜博物館行きのバスに乗って行ってしまった。
駅の横には大阪特殊合金の勝山工場ってのがあって異様に目立つ。なんだか勝山駅の主目的はこっからの貨物輸送だったのかな、と思わなくもない。現在では鉄製品の塑性加工を促進する添加剤みたいなものを作っている工場なのだが、古くは京都電燈という会社が作ったカーバイドの生産工場であったそうな。カーバイドってのは大正から昭和にかけてはアセチレンランプ(ガス灯)の主燃料として用いられてたものらしい。富山地鉄に行った時にも魚津には日本カーバイド工業と言う上場会社があったのを思い出します。
建て直されてきれいになった駅の横には、以前この路線で活躍していた電動貨車であるテキ6とト68の姿。京都電燈という会社は、明治初期に京都から北陸地区をカバーした電力会社で、琵琶湖疏水を使った発電で京都市街の電力化に貢献。その後、福井県の九頭竜川で発電所を作っていた日本水力と言う会社と提携をします。大きな電力ネットワークを持った京都電燈は、その有り余る電力を用いて京都で京都電燈叡山線(現在の叡山電鉄)、福井では越前電気鉄道(現在の勝山永平寺線)を開業しました。その後、嵐山電車軌道(現在の嵐山電鉄)を合併するなど鉄道事業も拡大しましたが、戦後の配電統制令によって京都電燈が解散。鉄道部門は電力会社から引き離され、京福電気鉄道と言う名前で京都市内と福井県内の離れた二地域で鉄道事業をするに至りました。子供の頃、京福電気鉄道と言う私鉄は同じ会社なのにずいぶん離れた場所で路線を持っているんだなあと不思議に思っていたんだけど、なるほどこういう理由があったんですね。
大阪特殊合金の勝山工場も現在のえちぜん鉄道も、ルーツを辿れば京都電燈に行き着くので、そりゃあ駅の横にドカンと工場があっても何の不思議もないと言う事になります。そして水利を生かした「水力発電による電力供給+カーバイド生産」と言う構図は殖産興業時代における北陸独特の工業発展のメソッドなのかなとも思ったり。
京福電鉄自体は京都と福井で戦後長らく鉄道事業を継続したものの、大半はモータリゼーションの波に押され経営は芳しいものではありませんでした。苦肉の策で叡山電鉄を分社化したりと合理化で生き残りを図りましたが、平成12年と13年に福井鉄道部の勝山本線で車両の老朽化やATSの未設置などを理由とした二度に亘る電車の正面衝突事故を起こしてしまい、お上から「安全対策するまで電車動かしちゃダメ(事業改善命令)」と言う厳しい処分を食らいます。しかしながら、京福側には安全対策を施すだけの資金の工面は難しく、結局「鉄道続けるのはムリです」って事になってしまって平成13年10月に京福電鉄は福井地区での鉄道営業からの撤退を表明。その後の紆余曲折によって結局こちらも福井県が主体となった第三セクター方式にて平成14年9月、現在の「えちぜん鉄道」として再起に至るわけであります。
なんか長々とヒストリーについて書いてしまったのだけど、鉄道ファンの方にはこのあたりの話はイロハのイなのかもしれませんのでご笑覧のほどを。ただ、やっぱりこの鉄道を知るには知っておきたいヒストリーかなって思うんで…ともあれこの日のアタクシは、勝山駅にてレンタサイクルを借り、しばし沿線の撮り歩きに出た事をご報告させていただきますw
次回へ続く。