(優先席…ですか?@200型車内)
いやー、こうもツクツクとブログの記事をこしらえているんだが福井編、まだ1日目の半分くらいなんですよ(笑)。ここまで書き込んで果たして需要があるんかどうか良く分からないのだが、まあ当面ネタがなさそうなのでそれもいいかなと思ったりした次第。200型の車内に張られた優先席を示す窓のシールですが、長い間の太陽光線に当てられたせいかまー見事にヤレちゃって、ここまで来るともうそういう模様なんじゃないかと言う立派なシロモノになってしまっています。見事にひび割れてしまったそのフォルムは、何だかデスメタル系バンドのロゴみたいに見えなくもない。ちなみに「デスメタル ロゴ」で画像をググってみたのだがあながち間違った表現でもないと思う(笑)。おじいちゃん座り辛いでしょこんなシールじゃ。
さて、北府駅から再び200型に揺られて神明駅までやって参りました。ここで本日利用している「電車DE温泉券」の権利行使をしようと言う訳です。神明駅は低床化に伴ってかさ下げした島式のホームを上下線が使う形になっておるのですが、駅舎側には高床車時代のホームがそのまま残っていますね。この高低両方のホームってのは同じ駅に電車型車両の高床ホームと軌道線車両の低床ホームが併存していた一昔前の広島電鉄の宮島線を思い出します(現在は路面電車型に統一)。
「三六温泉 神明苑」は、福鉄神明駅を出て左に歩き、一本目の踏切を渡ってすぐ。駅から2分ダッシュで1分くらいのまさに至近距離にあり、見た目は公共施設っぽい。この「三六」と言うのは地名である鯖江市三六町から来ているのですが、元々はここに大日本帝国陸軍の歩兵第三十六連隊が駐屯していた事に由来しているらしいです。そもそもが福鉄自体も国鉄の鯖江駅からは少し離れていたこの部隊への兵員輸送や補給路としての役割を帯びて建設されたものだそうで、当時は神明駅も「兵営駅」と名乗っていたそうな。へえ~。町の名前と言うものはちょっとでも不思議だなあ変わってるなあと思ったら調べてみた方がいいと思いますよ(笑)。
平日昼間の温泉施設は見事にジイバアのパラダイスと化していたが、風呂だけは時間が外れているのか誰もおらず。正直街中の温泉なんでお湯には特徴がなく「ホントに温泉なんかいな?」と思わせるようなサラ湯でしたが、ひとまず汗を流してシャツも着替えてサッパリ出来たので良い。貸し切りだったし。湯上りのお食事はこれまたキップのランチ券で冷やしおろしそばとお握りに温泉たまご、こんくらい出てくれば十分だよな。食堂のおばちゃんがヒマなのか何度も冷たい麦茶のおかわりを持って来るのもまた良しw
湯上りにロビーに置いてあったマッサージチェアまで決め、リフレッシュして戻って来た神明駅。さっきは温泉へ急いでしまったのでよく見なかったのだが、平屋建て瓦葺きのコンパクトながら重厚感のある駅舎です。こういう端正な時代もんの駅舎を鑑賞する事も地方私鉄の愉しみですが、これもなかなかの優良物件。昔の小田急の地元の駅もこんな感じだったんよな。軒下に吊るされた風鈴がチリリと音を立てる神明駅の昼下がり、福井行きの電車は610型がやって来ました。
神明駅から二つ乗って、三十八社駅にて下車。三六温泉の神明駅から二つ、36+2=三十八社?と言う不思議な福鉄の数式ですが、一面の田んぼに囲まれたロケーションの良い駅。風呂とメシをしている間にさっきの200型が田原町から戻って来るので、この田園地帯で200型の走行シーンを押さえる事にしましょう。ちなみに三十八社と言う駅名の由来に関してはよくわかりません(笑)。
この辺りは福井市と鯖江市の市境にあたり、拡がる伸びやかな田園風景はほのかに稲穂も色付いて秋の気配。三六温泉に行ってる間に雨は止み、西の空からはうっすら日射しもこぼれるようになりました。田んぼの上をすいーっとアキアカネが飛んで行くと、三十八社駅の構内踏切が鳴り出して遠くから200型が姿を現した。出来ればもちっと光が差してくれればねえ…とは思いますが文句は言えませんか。
あらかたの撮影はしたのかなと言う気分で後続の美濃町880型で福井市街へ戻る事にします。そろそろ夕方のラッシュタイムも始まるからね…と思いつつフラリと降りたのは仁愛女子高校電停。その名の通りの女子高校の前にある電停なんで、午後も3時を回り夏休みでもなければ下校時間でごった返してるんでしょうが、それでも自分の学校の前の駅はしっかり管理しなきゃネ!とばかりに生徒がホームの掃除やプランターに水をやっている光景なんかもあって微笑ましい。駅の掃除当番なんかもクラスで決まっているのだろうか。
仁愛女子高校は、設立が明治31年と言う福井県内では伝統の女子高。主な卒業生には…おお、川本真琴がいるんですね。そういや彼女は福井出身だったなあ。あの独特の言語感覚とロリータフェイスのアヒル口から放たれるまくしたてるような歌唱が一時期大好きだったんで、デビュー曲の「愛の才能」のアコギのガシャガシャした感じとか最高にカッコよかったよねえ(遠い目)。って全然福井鉄道と関係ないやないかいw
仁愛女子高校からフェニックス通りを歩く。市内の建造物の中でひときわ目立つ風格のある建物は福井地方裁判所。さっき乗って来た880型の折り返しが裁判所前の交差点を行く。この福鉄が走る市内の目抜き通りを「フェニックス通り」と言うのですが、別に街路樹がフェニックスでもないし宮崎でもないし何でフェニックスなんだろうな?と不思議に思います。調べてみると、昭和20年の福井大空襲、そして昭和23年の福井地震で痛め付けられた福井の街の中心部を通るこの道に、「不死鳥のように蘇れ!」と言う思いを込めて付けられた名前なのだそうで…ああ、街路樹じゃなくて不死鳥のフェニックスなんだ!その発想はなかったなあ。
片側2車線に軌道部分が入り、規格としては非常に幅員の広いフェニックス通り。
空襲と震災で灰燼に帰した姿から、不死鳥のように蘇った福井の街に、今日も電車が走ります。
次回へ続く。