青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

手水鉢 浮かぶ花色 路地ぶらり

2020年03月02日 09時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(天平の伝説の残る街@房前駅)

道の駅にクルマを止めて、房前の駅にやって来ました。天平元年(729年)の「長屋王の変」で政権に就いた藤原四天王のうちの一人に、藤原房前(ふじわらのふささき)という人物がおりましたが、父親の藤原不比等が讃岐国は志度の地を訪れた時に結ばれた海女との息子とされています。生まれてすぐに亡くなった母のルーツを辿って房前はこの地を訪れ、志度寺に母親の菩提を弔ったとの伝承があるそうで、そんな縁からこの土地に名前が残っています。ってか、「長屋王の変」について調べたのは大学受験の時に山川の赤本で勉強して以来だな。

さて、朝から志度線を撮り歩いて来ましたが、こっからは乗り鉄の旅。さっき八栗の駅で「ことでん一日フリーきっぷ」を購入して準備は万全であります。房前の駅は山側に1面1線のホームを持つ無人駅ですが、かつては交換駅だったようで向かい側にホームが残されています。使われなくなったホームには桜があって、春はいい雰囲気の桜の駅になるそうです。

房前から終点の志度へは、志度湾の海岸線を走って2駅。電車はものの5分程度で、あっという間に終点の琴電志度に到着しました。ちなみに、琴電志度の駅の手前で行政区分が高松市からさぬき市へ移りますが、志度は市役所も置かれたさぬき市の中心地。しかしどうでもいいが「さぬき市」なんて香川県内のどこに付けてもいいようなボンヤリした名前はやめていただきたい。さぬきのくせにコシが据わってない(笑)。

琴電志度駅。一応志度線の終点の駅ですが、ちんまりと慎ましやかな板張りの駅舎。失礼を承知で言わせていただければ、海の家っぽい(笑)。夏とか、軒先に「氷」ののぼり旗でもはためいていたら似合いそうだ。JR高徳本線の志度駅は国道を挟んで反対側にあって、特急「うずしお」も停車する立派な駅ですが、普通列車の本数で言えば高松方面へはことでんに分がある感じがします。

琴電志度駅。頭端式1面2線。2番線は夜間滞泊などに使われているようです。古瓦屋根の平屋の家屋の庭には梅が咲いていて、その脇のホームに瓦町行きの電車がちょこんと止まっています。瀬戸内の海辺の町らしく、駅の出口の軒続きには魚屋があったり。潮風に錆びたトタン板の貸衣装屋、結納熨斗の古看板。商売はとうに辞められているようですが、シゲヒサロクってなんやねん・・・と思ったのだがこれで「茂久録(もくろく)」と読むらしい。結納の目録の事を、西日本ではこう表記することがあるのだとか。

駅を離れて、近くの路地をふらりと歩いてみる。志度の街は、四国霊場第八十六番札所である志度寺を中心とした寺町で、目につくものも和テイストなものに溢れ、しっとりと落ち着いた空気があります。雰囲気に誘われて入ってみた路地裏の寺院は、思いのほか立派な作り。境内は掃き清められ落ち葉一つなく、手水鉢に浮かべられた寒椿が一輪。そのピンと張りつめたような美しい佇まいに、お参りに来た一見の旅の客は思わず手を漱ぎながら居ずまいを正してしまう。

路地の角を曲がると、「元屋醤油」という立派な大屋根のたいそう歴史のありそうな醤油蔵があった。地方に出掛けて行って、その土地土地の風土に根差した調味料の類を買って帰るのが好き。蔵の番をしていた奥さんから勧められた醤油を一ビンともろみ味噌を購入する。元屋醤油は1862年の創業で、150年の歴史を誇る老舗の醤油製造業者。創業家は、志度線の前身である東讃電気軌道の設立にも大きく関わった志度の篤志家だそうです。

路地を徘徊して志度の駅前に戻って来る。中小私鉄の終着駅としては、駅の横に地元のタクシー会社の営業所が入ってるとポイントが高いような気がする。残念ながら車庫はカラだったが、ここに古めのクラウンコンフォートか丸目のグロリアのタクシーが入ってたら優勝ですね(笑)。20分おきに電車が発車して行く琴電志度の駅は、電車が到着する時間になると毎回毎回駅務室から出て来ては駅長さんがホームの監視に入ります。黙々と所定の作業を恙なくこなす背中が凛々しいですね。

コメント
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