(雪深き黒部谷に佇む@内山駅)
遥か北アルプスの山々から流れた土砂によって堆積し形成された黒部平野。そんな沃野を走って来た地鉄本線は、愛本から黒部谷に続く隘路を登って行きます。内山地域は、宇奈月に続く道の途中にある小さな集落で、地鉄の駅は県道を降りて消雪パイプの取り付けられた道を行った集落の一番奥にある。駅前広場とは言えない程度の小さな車寄せから十数段の階段を上がれば、少し大きめの待合室を持つトタンの駅舎が。平成初期は一日500人程度の利用があった駅ですが、現在は150人程度。黒部鉄道が通じて宇奈月に集落が形成されるまでは、この内山の集落が黒部谷の最後の集落であったそうで。現在は黒部市の一部分に取り込まれてはいますが、ここはかつての宇奈月町内山。黒部川沿いの街は、現在小学校・中学校があるのが浦山。以前は愛本に小学校、下立に中学校があったのだが、少子化によって統合されていて、そのために地鉄を使った通学需要が少なからずある。駅のトタンに掲げられた標語は、そんな子供達へのメッセージなのだろう。
土曜日の朝は、通学の子供たちの姿もなく静かなものだ。浦山、下立、愛本、内山と、一駅ごとに雪深くなっていく黒部谷。されど、暮らす人の足を守る地鉄の電車。広い待合室の窓の桟に引っ掛けられた傘の並び。ところどころ破れて使えないものもあったが、これも大事な地域の共有財産である。降り出した雪はいつの間にか激しさを増し、そんな中を傘を差した二人の妙齢の女性がやってきた。街へ出るのかなあ、と思ったのだが、意外や意外、山行きの電車に乗るらしい。折しも三連休の週末、お客様を迎える準備に向かう宇奈月温泉の宿の従業員さんだったりするのだろうか。
やって来た山行きの電車は京阪特急色の10030。西武からNRAが3連でやってきて以降、すっかり中間車にダブルデッカーを挟まなくなって久しい。華やかな観光列車の役割は後任に譲り渡して、今は静かに地域輸送に徹している。そもそも観光需要が戻り切っていない中で、特急の本数も縮減されたまま。車両の繰り回しにそう余裕のある訳ではない地鉄のこと、こういった形が現状のベターな選択なんでしょうが、折角京阪から持ってきたダブルデッカー車両の処遇は気になるところ。
降りしきる雪はなお激しく、山に向かう電車を包む。
雪に消えた列車のタイフォンが遠く山にこだまして、内山の駅に静寂が戻りました。