(歴戦のコックピット@10026運転台)
岩峅寺で、エンド交換のためドアを開けていた乗務員氏の作業の合間に、ちらりと見えた運転室の中を失敬。半世紀の歴史が積みあがった計器類、そして数多の運転士が握ったであろうマスコンハンドル。春夏秋冬の富山の四季を走り抜け、使い込まれて使い込まれたその末の、油濡れしたような機械独特の輝きが何だか見る方の心に染み込んで来るような気がします。だいたいが鉄道マニアなんて、引退の声を聞かなければその車両の魅力に気付かない鈍感な人種である。今更ノコノコと名残を惜しみに来るようでは遅いのは百も承知だけど、まあ一応地鉄の車両たちはボチボチと追い掛けてはいましたのでね。もうちっと走ってくれるものと半ば安心していたフシはあったけど。
岩峅寺での折り返し時間は7:13着→7:25発だから12分。ゆっくりと10020形の各パーツを眺めながらお名残りを惜しむヒマはあまりないのだけど、目の前で車掌さんがサクサクと折り返し準備を進めていく。前面の方向板はリバーシブル、ひっくり返せば電鉄富山行きの完成。私鉄でこの手の方向板を未だに使っているところって他にあまりないですよねえ。大井川の南海が最近になって丸板を使いだしたけど、あれも湘南2枚窓のデザインだったな。長電の2000とか福井の200もヘッドマークを付けていたのだけど、貫通路のない2枚窓の車両はお腹の部分になんかがハマってた方が収まりがいいのは間違いないようで。
車内でスマホに興じる高校生。乗っている車両が違うだけで、都会も地方も朝の通勤電車でやるこた同じである。富山地鉄の自社発注車は側面に社紋のエンブレムを挟んで両側に車番をデコレーションしているのが特徴。地鉄の社紋は真ん中のレールに8つの稲妻が集まって行く感じのデザインなのだけど、県内に群雄割拠していた鉄道会社を統合し、「一県一市街地」の理念の下で富山県の交通都合を成し遂げた創業者である佐伯宗義社長の理念が現われているように見える。違うのかも知らんけど。
一通り撮影を終えたところで、駅の先にあったそこそこ良さげなカーブで走行写真を狙う。北西から南東へ向かって伸びる不二越・上滝線は増結側しか順光になる場面がないのが難儀なところで、北側に付いている10025の顔を順光で撮影する事はほぼ無理。なので、上滝線の朝運用を撮影するにはあまりビカビカの光線にならない方が良いのかもしれない。定刻、岩峅寺を発車して行く折り返しの普通608レを面タテとサイドで二通り。架線柱が密に立っているのでパンタを抜くのもなかなか難しいのは地方鉄道にはよくある話ですね。
初老の運転士の挨拶代わりの(?)タイフォン一発。ゆるゆると体を揺らしながら、朝の輸送力列車が電鉄富山へ向かいます。
越中の国を、走って走って半世紀。あと半月余りの定期仕業。富山の若人たちを乗せて、最後の奉公の姿です。
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