青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

専貨の灯火、またひとつ

2020年01月18日 10時00分00秒 | JR(貨物)

(万感の思い込めて@石炭貨物5764レ)

日本で鉄道による石炭の輸送が始まったのは、鉄道の歴史の黎明期である1882年(明治13年)。約130年前の事らしいのですが、現在国内唯一の鉄道貨物による石炭輸送となっていた扇町~熊谷貨物ターミナル~三ヶ尻間の貨物列車が3月のダイヤ改正をもって廃止されることとなりました。公式には先日プレスリリースがあったばかりですが、趣味者界隈の中では昨秋くらいからその手のニオイがあったこともありまして、個人的には年末くらいから撮影の機会を伺ってたんですよねえ。12月の上旬に一回扇町まで行ったんだけど、そん時はウヤ(運休)だったんで、あまり人がいないうちに再訪してみました。扇町の駅の側線に、DE11に牽かれてしずしずとやって来た大柄な貨物列車5764レ。ホキ10000というこの列車にしか使われない貨車の20両編成で運行されています。

到着して、地上の係員と入換の準備を開始する5764レ。熊谷からの返空列車は、朝5時に籠原の熊谷貨物ターミナルを出発し、高崎線・武蔵野線経由で新鶴見に朝7時に到着。機関車をディーゼルに付け替え、新鶴見から南武線の尻手回りで浜川崎を通ってここ扇町までやって来ます。少し前まではここまで電気機関車が牽いてきて、3線ある側線の真ん中で待ってた新鶴見のDE10が入換をする仕業だったのだけど、いつの間にか中線が切られていた。2機のカマが交錯しながら入れ替えを行うのが扇町の楽しみだったのだけど。

DE11が空車のホキ20両の後ろに回り込んで、荷役が行われる三井埠頭の積み込み線に貨車を押し込んでいきます。大きな黒いバケットの躯体が20車も連なっているところが、この専貨の魅力であると思いますが、石炭輸送がなくなったらホキ10000も使用する理由がなくなってしまうねえ。同じ荷主(太平洋セメント)の三岐なんかだと、中部国際空港向けの埋め立て土輸送に転用した実績もありますけど、どうなりますか。

空車のホキを押し込んで、転線したDEが今度は積載のホキを牽き出して行きます。石炭輸送に従事する操車の方々の動きもキビキビと淀みなく、最後は貨車の最後尾に赤い標識板をセットして準備完了。この列車で運搬されているのはセメント焼成用に使われる輸入炭で、川崎の三井埠頭で船から荷揚げされたものを秩父鉄道の三ヶ尻にある太平洋セメント熊谷工場へ運んでいるのですが、この列車の廃止に伴って秩父鉄道の熊谷タ〜三ヶ尻間を定期で走る貨物列車と、秩鉄とJR貨物間の連絡輸送も甲種輸送などの例外を除き終了となります。廃止前に一回くらいは三ヶ尻線にも行ってみたいとは思いますよね。今回の貨物列車の廃止の理由として「地球温暖化に対応すべく、熱源としての石炭使用を減少させる」という荷主側の環境へのコミットメントがあるようです。しかしながら、今後は石炭輸送をトラック転換すると聞いて何だかモヤモヤしなくもない。トラックで排ガス出してたらあんま変わんないんじゃないの?というね(笑)。

まあ一介の鉄道マニアでは与り知らないことが色々とあるのでしょうが、趣味目線から言えば多様性の部分で貴重な専貨の灯火がまた一つ消えてしまう事は間違いありません。これで定期的に扇町に発着する貨物列車は(おそらく)期間限定のリニア残土輸送列車くらいになってしまうのですねえ。セメント王こと浅野總一郎や安田善次郎が作り上げた川崎の京浜工業地帯。鶴見線のダイヤを見ても沿線の工場へ大量の工員を輸送していた頃の活気はなく、埋め立て地の中へ枝葉のように伸びていた工場への無数の専用線も叢に帰り始めており、日本の重厚長大産業の衰退と再編を感じてしまう扇町界隈です。


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