青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

イブのヲタ旅ダイジェスト(Part5)

2008年01月03日 09時25分51秒 | 日常
そう言えば、先日このブログの読者から「鉄ヲタ度合いが酷すぎる」「非ヲタには何が凄いのかさっぱり分からん」みたいな事を言われたw。そんなに難解な文章を書いているつもりもないのだが…
自分はそれこそ結構小さい頃から鉄道に関する本を(ケイブンシャの大百科とか)読んでたから素養はあったにせよ、ここではヲタ以外を置き去りにして行くつもりはないので(笑)そこんトコは留意しつつ続けて行きたいと思います。

●新津(10:14発)~会津若松(13:31着)
SLは新津の市街を抜け、一路五泉に向かう。SLが通過するごと、子供を抱いた親子連れが沿道から、ガキンチョが家の2階の窓から、家の玄関前からオッサンが手を振る。枯れた田んぼの真ん中から農作業の手を休めて老夫婦が手を振る。踏み切りで通過を待つ郵便局のおっちゃんも手を振る。「おらが街」の象徴として復活したSLの人気は凄いなあ…。その声援に応えるようにC57は煙を上げ、ドレーンの蒸気を撒き散らしながら、力強く阿賀路を走る。五泉~猿和田間の早出川橋梁には大勢のSLファンがバズーカを持って出迎え(笑)。こちらもこちらで熱狂しとるなあw
温泉の町・咲花から阿賀野川の谷が狭まり、トンネルが増えて来るので車掌からは「窓を開けないように」と言うお達しが出る。五泉から乗って来た私の向かいのボックスに座っていたおじいちゃん、孫が窓を開けたがるのを強制シャットダウンw昔の汽車旅を知る人には常識なんだろうね。缶ビール片手に既に酔っ払っていますが。家族サービス乙。こちらも新津駅で購入した「越後もち豚角煮弁当」を開きつつ、車窓に広がる雨の阿賀野川を眺める。トロトロに煮込まれた豚バラ肉がご飯の上に乗っててなかなか美味。しまった、ビール買うの忘れたw

列車は阿賀野川を車窓左に眺めつつ津川駅に到着。駅の右手には名勝・麒麟山が見えます。ダートセンナナ。山頂には4年連続麒麟山特別参戦を称えて江田照男とレオシャトルの銅像が建てられているのでしょう(笑)。ここで給水と給炭および点検整備のために15分停車。放送で車掌さんが言うには、「新潟から会津若松までを走行するのに、3トンの石炭と2トンの水を必要とする」らしい(逆かもしれない)。車外に出て給炭作業を見学。スコップで石炭をテンダー車より降ろす機関助士。雨の中、結構重労働。私の生まれる直前に亡くなったじーさまもこんな仕事をやってたんだろうか。
蒸気機関車を効率良く動かすためには、燃焼室の中で均一に炎が燃え広がるよう石炭を無駄なく、ムラなく投入しないと蒸気が上がらないそうだ。これがいわゆる「釜焚き」のウデなんだそうだが、そんな蒸気機関車を動かす技術と言うものも、伝えて行くべき鉄道の産業遺産なんだろうねえ。蒸気機関車を動かすためには、動力車操縦免許とボイラー技士の資格を持ってなくてはいけないらしい。石炭の燃え殻をかき出し、山と詰まれた石炭をくべ直し、各所の弁を調整して、再度圧力を上げると、みるみるうちにモクモクと黒煙が立ち上り汽笛一声、列車は津川を発車。

津川を出て鹿瀬(阿賀野川水銀中毒・いわゆる第二水俣病の原因となった昭和電工がある)を過ぎると列車は阿賀野川を大きな橋で渡り、ほどなく線内最長(2006m)の平瀬(びょうのせ)トンネルに入る。磐越西線の開通前、東京と新潟の最短ルートは碓氷峠~長野~直江津だった時代、昭和7年に開通したこのトンネルにより新潟と東京は従来より3時間短縮される事になる(まだ清水トンネルは開通していなかった)。難工事を要したトンネルの坑口には当時の鉄道省総裁の後藤新平の碑文が掲げられているそうで、このトンネルにかけられたその当時の磐越西線への期待度が偲ばれるのであります。これだけ長いトンネルになると窓を閉めていてもさすがに車内に石炭の燃えるニオイと重油の燃えるニオイが充満して来て、今度は車掌より「窓を開けろ」との指令が出る(笑)。忙しいな。
日出谷から豊実にかけてはゆったりした流れの阿賀川は、徳沢からは「銚子の口」と言う風光明媚な渓谷となり、阿賀川を右に見たり左に見たりしながら山峡を走る。田園が開けて野沢、ここでトイ面のじいちゃん一家が降りた。列車の中は恒例のプレゼントを巡るジャンケン大会が始まった。西会津に入り天候も回復する中、車窓には荻野の漕艇場を見ながら山都駅に到着。ここで再び給炭&給水。ホームでは山都名物のそば弁当が売られているが、お腹は一杯なので却下。陽光に輝くC57、会津盆地まではもうすぐ。

山都駅を出ると、列車はこの磐越西線非電化区間のハイライトである「一の戸川橋梁」を渡る。この一の戸川橋梁は明治43年製の全長445m・高さ17mの橋で、石積みと細いトラスの優美なスタイルをしている。ここは磐越西線を走るSLの定番の撮影スポットとして有名で、当然の事ながら橋の下や土手の上、山の上までSL必死組(笑)がダンゴ虫のようにひしめいているのでありました。勝手な話ですまんが、SLって撮ってるor見てるほうは美しいかもしれんが、見られてるほうからするとこの風景は美しくないよねえwなんかちょっとムカ付いたので、沿線の必死組を撮影してみました(笑)。
山都から慶徳峠を越え、列車はゆるく右カーブをしながら会津盆地へ下って行く。盆地の冷たい風と、田んぼの横の身しらず柿が会津の風景かな。列車は喜多方に到着、ホームでは合唱団が賛美歌を歌ってお出迎え。ここでドドッと観光客が下車。こちらも喜多方で下車してラーメンでも食べたいところだが、ここで降りると後続との接続がえらく悪くなってしまうのでこのまま乗り続ける事にする。車窓左側に白く染まった磐梯山を見つつ、勾配と曲線から開放されたC57は会津若松に向かって最後の爆走。車掌が各車両に挨拶、ばんえつ物語号はこの日が今年のラストラン。来年も宜しくお願いしますとの声に車内からは拍手。ご苦労様でした。
列車はほぼ定刻に会津若松到着、「赤ベこ」こと仙台車両センター所属の485系・あいづライナーとご対面。ちなみにこの会津若松駅頭端式ホームにはライブカメラが設置されていて、家にいながらクリアな画像と音で様々に移り変わる会津若松駅の一日を楽しむ事が出来ます。ちなみに2chには実況スレまであり、毎日「終電に乗ってるのは何人か」とかアホな会話が繰り広げられているらしいw

●会津若松(13:52発)~磐梯熱海(14:41着)
会津若松駅はSLの到着でまたも蜂の巣大騒ぎ。私は乗り換えがあるので荷物を持ってホームを急ぐ。次の列車は磐越西線8214M列車・快速あいづライナー4号郡山行。しかし真っ赤な車両はとにかくド派手で、じっと見ていると目の裏に残像が焼き付くようだ(笑)。車体にプリントされた赤べこマークといい、何だかJR九州のデザインみたいだね。ちなみにこの列車では指定席なんぞを取ってみたが、国鉄型車両の割にシートピッチはゆったりしているし、なかなか快適だった事も付け加えておきますです。
列車は会津若松を発車、SLと比べると圧倒的な速さに驚き(笑)。ちょっとボケーッとしていると、どんどこ駅をすっ飛ばして行ってしまう。磐梯山の山麓を、右へ左へカーブしつつ登るたび、車窓の磐梯山も右へ左へ。猪苗代から雪になって、中山峠を通過。郡山盆地へ降りて来て、磐梯熱海駅到着。

●磐梯熱海温泉
磐梯熱海温泉は郡山の奥座敷として賑わった由緒ある温泉であるが、今は寂しいもの。駅前で一番目に付くのが倒産した酒屋と言うのがなんとも侘しい。どうもSLに乗ってたら煤煙で鼻の中が黒くなってしまったので、磐梯熱海温泉・元湯でスス払いを。駅前の道を左斜めに入って最初の路地を左、歩いて2分の好立地。湯銭は250円。
薄暗い皮膚病に効能があると言う30度程度の冷たい湯がなみなみと溢れている。この時期最初の一発目を入るのが厳しいが、一回入ってしまえば生暖かさが感じられる程度でそんなに辛くない。長く浸かっていると、湯上がりはほこほことするくらいだ。同浴の背中に絵が描いてあるオッサンも目を閉じてうっとり。つか、オッサンそれ皮膚病じゃありませんから(笑)。

●磐梯熱海(16:00発)~郡山(16:16着)
磐梯熱海からは磐越西線1234M列車・郡山行。郡山でクリスマスの夜を過ごそうとする若者wが多いな。寒冷地用の直流近郊型電車719系も、チビベこカラー。

●郡山(16:23発)~黒磯(17:42着)
郡山から東北本線2146M列車・黒磯行。701系のロングシートは実に味気ないものだ。須賀川を過ぎてからは外も暗くなって来たので、ひたすら寝る鉄で福島~栃木の県境を行く。

●黒磯(17:48発)~宇都宮(18:38着)
黒磯からは東北本線1582M列車・宇都宮行。シートがペナペナで座り心地が悪い。211系もだいぶガタが来ているなあ。そろそろハラが減って来た。

●宇都宮(19:26発)~横浜(21:44着)
腹が減ったので宇都宮駅で一旦改札を出る。餃子でも食おうかと駅ビルに入ってみたが、お目当ての店は長い行列が。おまいらクリスマスでも餃子なのかよ!(笑)。はいはい、そうやってずーっと正月も節分もひな祭りも餃子食べ続けて下さいねと何故か文面が椎名誠化しつつ地下の食料品街で焼きサバ弁当+ビール。つか2日間弁当と立ち食いそばしか食ってねえなw
宇都宮発の湘南新宿ライン1300Y列車・逗子行が事実上の最終ランナー。それにしてもまだここは宇都宮だと言うのに、「逗子行」とか言われてもピンと来ないんですけど(笑)。長津田の駅で南栗橋行きを見るようなモノか。「どこだよ!」みたいなw
帰りもスイカグリーンで2階席に陣取り、焼きサバ弁当をビールで流し込んで後は寝るだけ。大宮、川口、赤羽、池袋、新宿、渋谷とネオン瞬く大都会。車窓にクリスマスイブのイルミネーション。きれいですね。横浜まで2時間20分、快適でございました。

と言う訳で、イブのヲタ旅行は終わり。徹底的に鉄道にこだわってみた2日間を満喫。久々にやってみたが、何となく社会科見学のようでもあったな。鉄道の歴史に触れたと言うか…このルートは車で行けば日帰り圏内なんだけど、鉄道でゆったり回ってみるとまだ見落としてた事も多かったかなあと。

しかし、まだ手元には3回分の18切符が残っている。
さあ、どう使おう?(笑)。
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イブのヲタ旅ダイジェスト(Part4)

2008年01月02日 11時48分47秒 | 日常
年が変わってから「イブ」もクソもないのだろうけど、これを消化しないと先に進めないのでとっとと書いておくことにします。時間もあるし。つか、どこまで書いたっけかw

●新津の夜
駅でバルブ撮影を終えた後はホテルの部屋へ。メシでも食いに行こうかと思ったけど、めぼしい店はなさそう&面倒くさいので駅前のヤマザキデイリーで調達。ビジホの薄暗い部屋で一人食うコンビニメシ。貧しいw
寝る前に明日の食料を調達するついでに駅に入って急行きたぐに・大阪行を追加。過去は寝台特急ゆうづる・はくつる・なは・彗星などで東北・九州地区で運用に入っていた583系が定期運用で入る最後の列車。「急行・寝台列車・583系」と言ういつ廃止になってもおかしくないコンボですね…
寝しなに、「ピョウ!」と言う甲高い汽笛。時刻を調べると、寝台特急日本海の発車時刻。それを消灯の合図にして、寝る事にしましょう。

●新津(7:39発)~五泉(7:56着・8:34発)~新津(8:53着)
翌朝は7時過ぎに目が覚めたが、昨晩から下越地方は雨になっているようだ。SLの出発時刻は新津10:14なのだが、何にもないビジホの部屋でウダウダしててもしょうがないので、駅に行ってみる。ちょうど磐越西線2226D列車・馬下行が入線したので、これに乗車。窓の水滴越しに雨にけぶる新津の市街を眺め、越後の穀倉地帯を行く列車。左手の五頭連峰に雲が低く垂れ込めている。
途中の五泉駅で下車。別に何の用があるわけでもないが、ここ五泉からは以前蒲原鉄道と言う私鉄が信越本線の加茂まで伸びていた。最後に廃止された五泉~村松間の遺構は、今でも五泉駅の跨線橋から見る事が出来る。こんな鉄道が現在もあったら絶対乗ってたと思うのだが、それはもう叶わぬ夢。蒲原鉄道に関しては詳しいHPを見付けたのでこちらを。五泉からは馬下で折り返して来た磐越西線2229D列車・新潟行で新津へ。

●工場見学
それでもまだ新津で1時間程度の空き時間があるので、駅の南西にあるJR東日本新津車両製作所を見学に行ってみる事にする。元々は国鉄の車両の保守点検・整備を目的に作られた工場だが、1994年より東急車輛の技術供与を受け、製造部門がスタート。現在は首都圏の通勤型車両の製造を中心に、相鉄や小田急など大手私鉄の車両の一部の製造も手がけている。後発の利を生かし、場内は最新鋭の工作機械が揃っているハイテク工場だそうな。
新津工場を南側の陸橋から俯瞰。信越本線から右へ引込み線が伸びて、ここから新造車両が出場するようだ。引込み線の踏切から場内を。入口は特に用事がなければ門が閉ざされているようですが、架線は張られているので車両は自力で走行出来るみたいですね。
見学、とは言え場内に入らせて貰える訳でもないので、工場の外周に沿ってグルッと見学。電車の車両を製造している工場だけに建物は非常に大きいのだが、その中を覗う事は出来ず(当たり前)。ただのだだっ広い工場を見ても正直つまんねえな、と思いつつ歩いて行くと、工場の一番外側の側線に今まさに新造中のE233系が留置されていた。さすが出来立てホヤホヤだけにピカピカの車体で、床下なんかはまだ作りかけかな、と言う部分もある。後部車両の銘板には「平成20年製」と言う刻印が打たれ、おそらくこれは新春早々には落成の編成なんだろうね。
長い事中央線は201系の天下だったけど、今はE233系への置き換えが始まっており、新津では現在このタイプを一生懸命製造しているみたいです。既に「八トタ」の文字が刻まれ、八王子の豊田車両センター所属を表しておりますが、ぜひグモに遭わないように走っていただきたいものです(笑)。

●SL登場
ようやく車両工場らしい姿を見れたので満足し、新津駅に戻る。駅に戻る途中で雨が強くなりずぶ濡れになってしまった。SLの到着する新津駅1番線ホームは、「SLの町・新津」を存分にアピールする看板と、主役のお出ましを待つ子供連れと壮年のSLファンが目立つ。名物の駅弁売りも今日はサンタ仕様。カメラを向けたらポーズまでしてくれたので、御礼に(笑)駅弁を購入する事にする。会津若松まで約3時間の長旅だ。
さて、ホームには列車の到着を知らせる案内が流れ、新潟方面からゆっくりとした速度でいよいよ磐越西線8226列車・ばんえつクリスマストレイン会津若松行が到着。到着と同時にホームは特に先頭車両のC57-180を中心に蜂の巣をつついたような大騒ぎになって、老若男女がヤマダ電器も裸足で逃げ出す品揃えのデジタル機器で被写体にアタックする訳であります。ちなみに若いヲタより、壮年のSLファンが人は押すわ画角に入るわでタチが悪いw

●C57-180号って?
さて、平成11年より「復活蒸気」として磐越路の四季を彩るC57-180号機。運転室下部の銘板にあるように、生まれは戦後間もない1946年(昭和21年)、広島県は三菱重工三原製作所にて製造。引退まで新潟機関区に一貫して配属され、現役時代は東北から北陸までの日本海縦貫線の運用に充当されていましたが、昭和44年、羽越本線からの蒸気撤退により同機も引退。そんな中「鉄道の町・新津に蒸気を残したい」と言う新津機関区の職員の申し出を当時の新津市長が快諾。新津駅南東にある新津第一小学校の校庭へ磐越西線の線路から引込み線を敷くと言う荒業で移設し、保存される事になったそうです。
時は流れて平成。上越新幹線のルートからも外され、鉄道の要衝として栄えた「鉄都・新津」の復権のために同機の復活を求める市民運動が活発化。再度走行するための修繕費用2億円のうち、市民がオレンジカードなどのJRの商品を購入する事で1億円をかき集めると言う盛り上がりの末、とうとう大宮工場で同機は復活する事になる。なんともドラマチックな話だ。実際は学校の校庭で保存会の人々の手により丁寧に保存されていたため、費用は半分くらいしか掛からなかったらしいけどね。

C57-180号機を保存しようと思った事。
引退後30年が経過しているにも関わらずきれいに保存されていた事。
復活させようと市民が動き復活費用の1億円が集まった事。
それは、幸運もあったかもしれないが、やっぱり新津が「鉄道の町」だから。
現在同機は機関区のなくなった新津運輸区に籍を置いている唯一の機関車でもあり、同機を担当する機関士や機関助士もこの新津運輸区に所属しているそうだ。
そう思えば、この1台の蒸気機関車は、単なる観光用の一つのイベントツールなんかじゃなくて、鉄道に従事する職員や、旧・新津市民の鉄道に対する憧れ、執念、プライドの塊なんだろう。

この辺りのエピソードは新潟市秋葉区のHP「C57-180の保存と復活」に詳しいのだが、他のコンテンツも非常に専門的な知識とデータが紹介されていて、単なる新潟市内の区のHPにこれだけ鉄道の事が盛り込まれていると言うのがある意味凄いと思います(笑)。市の郊外に鉄道資料館もあるんだけど、日程の都合上行けなかったのが惜しまれる。駅から遠いのよ。

「ガッシャン」と言う客車列車特有の連結器の衝撃を受けて、列車はそぼ降る雨の新津を出発。
物語は続く。
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あけましておめでとうございます。

2008年01月01日 22時58分49秒 | 日常
(画像:年賀状)

無事に豪雪の鳴子より帰還。
新年一発目は、最近出してないので年賀状スタイルで(笑)。
画像は大晦日の陸羽東線・鳴子御殿湯駅にて、降りしきる雪にまみれながら撮影してみましたw

昨日は小学生以来で年が変わる前に寝落ちw
そんな訳で、何となく年末気分のしないままに年を越した感じ。
もう30回も年を越していれば今更の感慨はないし、年頭の誓いも立てる気はありませんが、今年もつれづれに気の向くままに。

楽しい事なら なんでもやりたい
笑える場所なら どこへでも行く
悲しい人とは 会いたくもない
涙の言葉で 濡れたくはない

青空 あの日の青空 ひとりきり
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