青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

恍惚と陶酔のデーデー

2012年08月21日 22時42分20秒 | 三岐鉄道・北勢線

(画像:関西本線富田駅)

今回の三岐行でとにかく日焼けしちゃったんで帰ってから体がほてってほてってたまらんのだけど、ぼちぼちとレポを開始してみたいと思います。やる気のあるうちにやらないとやらなくなっちゃいそうなんで(笑)。始発で家を出て小田原から新幹線に乗って名古屋までやって来ましたが、お盆の最終日の下り&早朝のひかりって事で自由席もガラガラでしたねえ。小田原駅の乗換口で新幹線のキップ買おうとしたら窓口の姉ちゃん居眠りこいてたしw名古屋からは関西本線の区間快速で富田へ向かいましたが、区間快速とはいえ各駅で対向列車の交換待ちをするので実質各駅停車と変わらん(笑)。八田とか春田とかで対向待ちしている間に並走する近鉄電車がスイスイ抜いて行く。名古屋から弥富のあたりまで単線なのもツライなあ…まあ名古屋地区でも関西本線は一番テコ入れされてなくて、今でこそ電車になってるけどボロボロの気動車繋げてヨタヨタ走らせてた時代が長かったからねえ。四日市の間は近鉄が圧勝なのも分かる気がするわあ。


富田駅全景。三岐鉄道線は電車は近鉄富田に行くけれど、貨物はJRとの接続のために富田駅に入ります。元々は電車も国鉄の富田駅と接続してたんだけど、みんな名古屋だ四日市だ行くのに近鉄に乗り換えるもんだから結局三岐電車は近鉄富田駅までレールを引っ張ってそっちへ行ってしまうようになったらしい。どんだけ頼りにならないんだ関西本線(笑)。ちなみに両者の位置関係としてはこんな感じ。のんびり歩いて7~8分だったからJRの稲田堤から京王稲田堤へ乗り換えるくらいの感じか。写真の真ん中にあるホームが国鉄と接続してた時代の三岐線ホームの名残。


と言う訳で、そんな歴史の経緯もあり三岐鉄道の本社は当初の始発駅だったJR富田駅の東口にあります。つーか切符渡そうとしたら富田駅って無人駅なのね…それなりに利用者いそうなんだけど、そこまで合理化するかJR東海よ。まーこの駅の主要目的は今や三岐鉄道とJRの間の貨物の受け渡しなんだろうねえ。今日の目的の第一は乗り鉄もそうなんだけど三岐の貨物を見る事なんで、その辺りも踏まえてわざわざ関西本線でJR富田まで来た訳なんですがね。


事前に調べた時刻では、そろそろ三岐鉄道からセメント貨物(3712レ)がやって来てJR側との受け渡し作業をやるはず…と駅の周りをウロウロしていると、電気機関車の独特の吊り掛け音が聞こえて来た。ダッシュで跨線橋を上がり窓枠から身を乗り出してカメラを構える。おお~これがウワサの三岐の重連セメント専貨かあ!(感動)秩父でも専貨は見てるけどあちらの鉱石専貨とはまた違った迫力だあねえ!(興奮)黒タキの連なるズラズラ感って~の?これぞ編成美って感じでたまんないよねえ!(恍惚)隣のDD51がまさにリレー走者のごとくバトンを待ってるのがまたいいよねえ…(陶酔)とか心の中でひとりごちてたら、跨線橋を渡って来た若いねーちゃんが怪訝顔。今のひとりヲタ心を読まれたみたいに思えて、ちょいと恥ずかしかった。ナイーブヲタですいません(笑)。写真的には完全に架線設備が顔にかかって失敗作なのもすいませんw

 

セメント専貨はJR富田駅旧三岐ホームに到着するやいなや、素早く機関車を解放し引き上げ線へ。替わってここから四日市港のサイロまでセメタキをエスコートするのが愛知機関区のDD51、機回し側線から安全側線へ動かして地上の係員さんがポイント転換、クルリと回る転てつ機の矢羽根。デッキに掴まった誘導員さんが合図をするとデーデーが短笛をピョーと鳴らし、ズォォ~ンとエンジンを震わせてセメタキの元へ。



停止、発進、そろそろと…ガッチャン。


組成完了。
到着から機回し付け替えまで、ものの10分程度の極めてテキパキとした作業にまた感動(笑)。
冷静に考えればここで毎日何回もやってる事なんだからそんな感動して本気汁垂れ流さなくてもええやん兄ちゃん?と言われちゃいそうだけど、いや~今日び関東でこんな事日常でやってたらどんだけヲタ来るか分かんないレアな風景じゃないかなあと。10年くらい前なら鹿島貨物とか八高線の高麗川セメント専貨とかあったけど、こと東日本にはデーデーが貨物引くってシチュエーション自体もうありませんからねえ。東日本大震災絡みでデーデーのガソリン臨貨が磐越西線を走ったけど、あん時のヲタの集結っぷりを見ればそのレアぶりが分かろうと言うもんだ。まあ理由が理由だけに複雑な思いではあったけど、老雄デーデーが被災地へ燃料を届けに磐越西線で山越えの奮闘を繰り返すと言う姿は確かに胸に迫るものがあったねえ…そして一枚でも記録したいと言うヲタ心も分かるんでね。


ともあれ、DD51はカッコイイですよ。
ベンガラ色を基調とした大柄の図体に機関士が乗り込むセンターキャブ、動輪脇に付けられた空転防止用の砂箱、旧型電機を思わせるデッキに四角のライト、上から見ればジェットエンジンを思わせる巨大な冷却ファン。どれを撮っても非電化の王者らしい風格じゃござんせんか!組成が完了して地上部隊の作業員さんは撤退、おそらくクーラーはそんなに効かないであろうキャブに機関士が乗り込み、デーデーのアイドリング音が響いて来た。出発時刻が近付いてるようなので、出来れば一発どっかで走行中のお姿も収めたいところ。とはいえ本日は徒歩鉄なんで行動半径も限られる。とりあえず富田駅の東口から線路沿いに歩いてみると、四日市に向かって右カーブの先にちょっと良さげな踏切があったのでここで構えてみる事にする。


名古屋行きの普通列車をやり過ごし、DD51セメント専用貨物(5363レ)が富田を発車。踏切の右カーブをアウト側からやっつけてみる。このDD51・857号機は愛知機関区の標準的な塗色である裾がグレーのJR貨物更新色。贅沢を言えば国鉄時代からの原色デーデーが良かったんだけど、それでも轟音のようなグワァァァァ~!と言うディーゼルエンジンのエグゾーストノートを響かせ、紫煙をくゆらせながらガッションガッションとタキを引いて行くその姿や力強し!オトーサン正直この30分くらいでお腹一杯ですよまったくw

DD51とホキの姿が見えなくなるまで見送って、揚々と近鉄富田の駅に向かって歩く事にしましょう。
次回へ続く。
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ぼくのなつやすみ

2012年08月19日 21時32分28秒 | 三岐鉄道・北勢線

(3716列車・出発線入場@東藤原駅)

昨日嫁さんにフリーパスを貰ったあげく、どのように行動するか熟慮の末行き着いた結論は私鉄貨物の西の雄、三岐鉄道への訪問。始発で出て来て新幹線に乗って名古屋までひとっ飛び、帰りも最終のひかりでこれを書いてるんだけど、一日だからこそ濃密に濃密に遊んで参りました(笑)。

朝方は積乱雲に覆われて名古屋市内は強い雨が降ってたんで新幹線降りた時はどうかなあ~って思ったんだけど、三岐鉄道の始点である富田駅に到着した頃からはみるみる回復(笑)。晴れ男とも思わないけど、たまにゃこう言うツキもあってもよかんべって思ってたら最終的には終日ほぼピーカンのカンカン照り。一日で消費したペットボトル10本近く、飲んでも飲んでもダダ漏れに近い全身の汗。ひたすら照らされた体は恐ろしいくらい日焼けしてしまい、明日説明するのがめんどくさいレベルになっちまったwお盆休みは明けているとは言え日曜日、基本的には日曜でも貨物は動いているとの情報は手に入れていたものの、行ってウヤばっかだったらやだなあ…ってのが一番の危惧だったんだけど、なんてこたあない臨貨のスジまで動いていてセメント編成はほぼフル稼働。この路線の荷主であり親会社でもある太平洋セメント、何気に調子いいんかねえ?

拠点である東藤原駅構内では、広い側線を元気に動く貨物の姿をたっぷり堪能。
途中からは旧知の地元民(笑)の参戦もあり、旧交を暖めつつ周り回った三岐鉄道のお話は、またアホみたいに写真撮ってしまったんで整理しつつ明日以降順次。
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フリーパス発行

2012年08月18日 23時12分12秒 | 日常
お盆休みも残り一日となってしまったのだが、さしたるトピックスもなく…いや、子供が昨日から熱を出してしまってね。昼間はエアコン夜はムシムシじゃ体温調節を誤ったか。当然本日は子供の体調を横目に見ながら蟄居生活。幸いにして今日になって熱は下がったので、ああ終わってしまうぼくのなつやすみ!と無駄な焦燥感に駆られる夕飯時の俺。明日は一日フリーパス発行を嫁に取り付けた。思えば一日で飛行機乗って若松とか帯広行ってたじゃないか自分!と言う訳であの頃を思い出してやるだけやって来ます(何を?)。
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房総のガラパゴス

2012年08月16日 21時15分50秒 | 小湊鐡道

(日本一広いトイレ@飯給駅)

朝起きて、空を見たらそれなりに抜けの良い青空だったので家族を説得して出掛ける。世間的な盆休みは一応昨日までって事で、あまり混雑もなくアクアラインを抜けて久々に房総へ。最初はいすみまで行ってキハ52でも撮ってみよっかな~なんて思ってたんだけど、よく考えたらあれって休日しか走ってないんだよね(盆休みは走ってたらしいけど)。休んでると世間さまも休日だと思ってしまうのは有休慣れしてない悲しさか。

 

いすみまで行くのは諦めて、今日は小湊でちょこっと遊びと決め込んで手始めは上総川間。
房総は「ふさこがね」のブランドで知られる早場米の産地、お盆を過ぎて田園はほのかに黄金の色づき。
9月になる前には収穫しちゃうんで、こんな風景が見られるのもこの時期までだよね。


飯給の駅裏の田んぼにはかかしオールスターズ。
最近「日本一大きいトイレ」とかが出来ちゃったんだけど、余計な事はしないで欲しいw
そう言うネタっぽさなんか必要ないくらい、飯給の駅は四季の魅力があると思うんだけどね。


飯給の田んぼには赤トンボが舞って、暑いんだけど空を見るとちょっと秋っぽいよな~、と。


帰りにインター近くの下郡駅で久留里線をちょっと拝見。
もうすぐ見られなくなるキハ37・38系列の最後の活躍を。


しかし久留里線ってのも不思議な存在の路線だよな。
木更津から中途半端に房総の里山に分け入って、上総亀山で終点。
そんなに沿線住民がいる訳でもなく、観光地がある訳でもないローカル線。
使っているクルマは未だにキハ30と、その亜種であるキハ37・38と言う超希少種。
ワンマン化もされず最近までタブレットまで生き残っていたしねえ…
動労千葉のおかげで合理化の手が入らず、国鉄の風合いが保たれていたのでしょうけれど(笑)。


青空の下、最後の夏を往くキハ37の雄姿。原色系のカラーリングが映えます。
結局5両しか作られなかった珍種、丸っこいブラックフェイスは、ちょっと中央線の201系を思わせますな。
最後の夏ってのはまあこう言う事になってまして、とうとう房総のガラパゴスにもメスが入るようで。


1912年に千葉県営鉄道として開業した久留里線は、今年で100周年だそうな。
お盆明けの午後、車内は絶対に4連は必要ないと思われるほどガラガラだった(笑)。
紫煙を上げて走って行く、進化を止めた気動車たちの行く末や如何に。
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戦争と平和

2012年08月15日 23時00分00秒 | 日常
と言う訳で今日から遅めの盆休みなのだが、実家に帰って昼寝をしていたら一日が終わってしまったと言うアクティブさのかけらもない内容(笑)。ヘタレてるな~俺。盆休みに富山までなんて息まいてたのが夢のようですね。ってか行こうと思ってたんだが北陸方面は予報があまり良くないようで、折角行っても雨じゃあねえ…と萎えてしまったのもあるんだが。

一人の時は盆休みに突入したと同時に車の中に荷物一式ぶっ込んで出掛けている事が多く、終戦記念日の正午のサイレンはだいたい東北や九州の車の中、NHKラジオで聞く事が多かったような。そして今日、その正午のサイレンを聞いたのは自宅からほど近い海老名の駅だった。戦後67年と言われると「先の大戦」に思いを馳せてもリアルな体験をして来た世代は既に75歳以上くらいでしょうか。広島・長崎の原爆忌の扱いの小ささとかを見ると、「先の大戦」を知っていた世代も少なくなって来ているのは間違いないように思う。
自分らが小さい時って、いい悪いは別にして原爆忌とか終戦記念日ってもっと意味合いが大きかったような気がします。テレビでは戦争に関連した番組があふれ、街では共産党による「反戦・平和の夕べ」なんかが開かれてね。「はだしのゲン」の映画なんか流されるんだけど、アイスと綿菓子に釣られて見に行ったガキどもはその凄惨な映像にトラウマを残すと言う(笑)。今でもNHK-BSなんかはその手の番組多くて、夜中までつい見入ってしまう。イデオロギーとかいい悪いで切り捨てられちゃうにはもったいない良作が揃ってるんだよなあ。

国語の問題で「戦争」の反対語は「平和」と言うのが正解なのだそうだ。これに関しては小さい頃から「なんか違うんじゃね??」って思ってたのだけど、「先の大戦」の反省を踏まえて武装解除し、憲法を改正し、名目上の不戦の誓いを立てても、例年この時期になると中韓露の民族イデオロギーが日本に向かって来る。毎年の倣いではあるけれど、今年の内容は想像を絶するものがあり、戦後も70年近くになって来るとただ武器を捨てて勝手に平和を希求しているだけでは相手さんの問屋は何も卸してはくれないらしい。戦争じゃないから平和なのかと言う違和、そして、「先の大戦」と「戦後」が続いている限り「先の大戦でお前らはひどい事したよね」「所詮お前らは敗戦国なんだから何されても文句言えないよね」と言う中露の戦勝国カード(韓は戦勝国じゃないので除外)に蹂躙される今が平和なのかと言う違和。いつまでいじめられる側にも理由がある、みたいないじめっ子の論理に付き合わなきゃいけないんだ。いくつか前の首相が「戦後体制からの脱却」を標榜したけれど、事の次第はどうあれ考え方としては素晴らしいものだと思ったのだがなあ。どうしてもそこらへんに踏み込むとヒダリだミギだと言う論理に持ち込まれて破綻してしまうよね。そんな事で揉めてるうちにジワジワ領土が削られて行く現実に気付いて欲しいものだが。

そう言う意味で、そろそろいい意味で戦後を終わらせてもいいんじゃねーの?って思いますね。
絶対「先の大戦の反省がない」って言われて蒸し返されちゃうけどさw
いや、忘れちゃいけないけど、もう十分反省はしたっしょ!と思う戦争を知らない子供たちなのです。

なんか真面目だな今日はw
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