青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

童達 行く末いずこ 鰐の道。

2025年01月28日 23時00分00秒 | 弘南鉄道

(いつもの朝を、いつまでも@弘南鉄道大鰐線・鯖石駅)

「津軽」という土地の名前のイメージを、一般的にはどう想起するだろうか。それは、春の弘前の桜であったり、夏のねぶた祭だったり、秋を彩る実りのリンゴだったりもするのだろうけど、何と言っても冬の厳しさを想起する人が多いのではないかと思われる。去年の夏、津軽を旅して改めて思ったこと。勿論、夏は夏でその季節なりの良さがあったのだが、「津軽はやはり冬に行きたいよな」ということだった。去年の夏は暑さを求めて九州まで馳せ参じたが、冬は冬らしく凍てつく寒さを求めたい。そんな当たり前のことが、だんだんと季節感のなくなって行く四季の国ニッポンの正しい楽しみ方だと信じてやまない。折しも去年の暮れからJPCZ(日本海収束寒気団)の度重なる発生で津軽地方は災害級の大雪に見舞われていて、ニュースで伝えられるその自然の猛威にただ驚くばかり。当たり前だが、雪も降り過ぎては日々の生活に差し障るということだ。地球温暖化によって基本的には暖冬なのだろうが、その分海からの水蒸気の蒸発量が多く、ひとたび寒気が入ってくれば大雪になってしまうのだろう。正月過ぎから冬の津軽行きの算段を立てながら、降らなければつまらないし、降り過ぎたら身動きが取れないし・・・などと天気予報を見ながらにらめっこ。旅の人間は勝手なものだとひとりごちて、弘前行きの高速バスに乗り込んだ。

弘前の街から、平川・黒石、そして大鰐の街を結ぶ弘南鉄道が好きだ。目の前の景色をすべて剝ぎ取ってしまう地吹雪の中を走るストーブ列車のような、そういう「演歌的」かつ「太宰の物語」のような抒情的な世界観は津軽鉄道に譲るけれども、弘南鉄道は文教都市・弘前の街を支えるべく、弘南線も大鰐線も学生を中心とした地元密着輸送で長年頑張って来た。来た、という言葉を使ったのは、当然ながら昨年秋に発表された「2027年度を限りとした大鰐線の運転休止(廃止)」という非情な事実にほかならない。2010年ごろから苦境が伝えられていた大鰐線の経営は、とうとう3年間の経過措置を取った上での運転休止という形で結論が出た。すぐに廃止としなかったことは、同線の主力である通学輸送に影響が出ないように、十分に学生たちに時間的な猶予を与えたいという立派な判断であったと思われる。

月曜日の朝、駅へ続く雪道。構内踏切が鳴って、慌ててみんながホームへ駆け上がる。
卒業まで、電車で通える子がどのくらいいるのだろう。
鯖石の駅は、元気な子供たちの声で、いつものように始まった。


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