青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録その6 苦しみより生まれしマスコット

2015年08月20日 23時30分51秒 | 神戸電鉄

(神鉄北の玄関口@三田駅)

ウッディタウン中央駅から折り返しの電車に乗って、終点の三田駅にやって来ました。神戸湊川から32.0km、ひとまずは神鉄のメインルートである有馬・三田線を完乗。お疲れ様ですな。JR福知山線の駅横にあり独立している神鉄の三田駅ですが、JR三田駅から繋がる大きなペデストリアンデッキに隠されて昼間でも薄暗いです。日中でも大阪方面に向けてバンバン快速電車が出て行くJRに比べると、正直日陰の身ではありますが…

 

神鉄の三田駅全景。頭端式の1面2線のホームから、鈴蘭台・新開地方面の電車とウッディタウン中央方面の電車が交互に発着する。10分に2本の発車があるので結構折り返し時間は短いですね。ホーム先端部は柵で区切られていますが、これは以前5両編成の電車があった名残と思われます。現在は最大でも4両編成なのでね。


駅前のバスターミナル案内図。周辺のニュータウンに向かう路線バスの中に、「三ノ宮・神戸駅南口」行きの路線バス(神姫バス)があるのがお分かりいただけますでしょうか。三田駅を出てから三田市内のニュータウンを回り、イオンのショッピングモールを経由した後に六甲北道路~阪神高速を経由して神戸の繁華街・三ノ宮方面に直行するバスなんですが、所要時間は約1時間で700円。神鉄だと新開地乗換→阪急三宮まで1時間10分で780円、谷上乗換で北神急行新神戸→地下鉄三宮は50分ながら料金は高めの1,060円の現状を鑑みるに、この「三ノ宮まで乗換なし1時間・着席保障・700円」と言う神姫バスの路線の内容は魅力的に映るようで、三田方面からの神鉄の客をジワジワ奪っている様子。日中は時間1本程度ですが、朝の7時台は4本とかありますし、これは強力なライバルかと。


駅の全景を撮るために一回外に出てしまった。三田駅に戻るのも面倒なので、お隣の三田本町駅までは近いので歩いて行く事にする。三田~三田本町間に架かるのは武庫川の鉄橋、下流部ではそれなりの川幅を持つ武庫川も三田市内ではこの程度。先ほど三田の駅に停まっていた普通電車の新開地行き@5000系4連が川を渡って行きます。下枠交差型のパンタって関東ではあまり見ないから新鮮だなあ。


武庫川沿いの細道にある踏切から都市公園線に入線する1107+1204+1108の3連。順光側からガッツリ押さえてみました。前面幕の「ウッディタウン中央」の文字が詰め詰めです(笑)。この2ドア1100系は前パン以外にもウイングバネの古風な台車とか、自動連結器のテコだったり、前面下部にブレーキホースをチェーンで繋いでるところとか、とにかく面構えがいいねえ。

 

駅近くのセブンイレブンで飲み物と昼食代わりのサンドイッチを買って昼下がりの三田本町駅のベンチで一休み。薄曇りで日差しはそこまで強くないが、とんでもなく蒸し暑かったこの日。飲み物をいくら飲んでも喉が渇く…熱中症でぶっ倒れてもしょうがないので昼食くらい冷房の効いたレストランで…とも思ったのだけど、まだ神鉄の半分を乗っただけ。時間が押しているので、とりあえず昼食の時間をはしょりながら今度は粟生線に向かって移動を開始します。


武庫川の鉄橋を渡り、左カーブで三田本町の駅に滑り込むは普通電車の新開地行き。おっ、「HAPPY TRAIN」の5000系5001編成ですな。さっき鈴蘭台で撮った編成を、今度は逆側のエンドから。エンドごとに赤系統・黄色系統とデザインが違っているんですねえ。そしてやはり助手席側に乗っているぬいぐるみ(笑)。


編成の最後尾に陣取り、ちょっと失礼してぬいぐるみさんのバックショットを(笑)。車窓に流れて行く田園風景を見ながら何を思う。このマスコットは「しんちゃん」と申します。まあ由来は「神鉄」の「しんちゃん」なんでしょうが、近年乗客の減少著しい神戸電鉄粟生線のイメージキャラクターとして、「神戸電鉄粟生線活性化協議会」が地元の高校生からデザインを募集して選ばれたものなんだそうな。そして、これから私が向かうのがその粟生線でもあります。

 

涼しい車内を満喫し、鈴蘭台で1100系1119編成の急行粟生行きへ乗り換え。粟生線は「近年乗客の減少が著しい」と書きましたが、どんだけ厳しいかってーと上記の活性化協議会の資料によると粟生線ピークの平成4年には年間1,420万人を数えた利用者が、平成25年には672万人と僅か20年で半分以下に落ち込んでいるそうな。近年ではコンスタントに毎期10億円程度の赤字を計上しており、その累積もとうとう100億円を突破しようとしているらしい。神戸電鉄自身も色々と策を講じたりしているそうなのだが、沿線自治体の支援も財政が厳しい中で足並みが揃っているとは言えず、ここに来ていよいよその存廃問題も浮上しているとゆー非常に厳しい状況にあります。


1100系の車体に貼られた粟生線活性化協議会のステッカー。この「乗って残そう」的なスローガンってのは苦しくなった地方鉄道ではどこでも見ますけど、廃止されちゃった名鉄の末端区間や移管されちゃった近鉄のローカル線(伊賀線や養老線など)の末期ならいざ知らず、大都市圏神戸からそれほど離れていない神鉄で見るとは思わなんだ。少なくとも乗り込んだ急行粟生行きは鈴蘭台発車時点ではそれなりの乗客数なのだが、粟生線のこれほどまでの苦境にはどんな理由があるのだろうか。とにかく百聞は一見にしかず、乗ってみる事に致しましょう。
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お盆関西見聞録その5 ソフトとハードのバランス

2015年08月19日 05時58分14秒 | 神戸電鉄

(北摂の名門校@横山駅)

公園都市線の乗換駅である横山駅までやって来ました。横山駅の駅前には、北摂の名門校である三田学園中学校・高等学校がありましてホームには学生の姿が目立ちます。三田学園と言えば甲子園に出場する事もたびたびの野球の名門校で、出身者の中にはプロ野球選手も多数。その中でも千葉ロッテマリーンズ終身名誉監督である山本功児氏を輩出した功績はつとに知られるところ…耳を澄ますと「二日も休んでるんだバカ野郎ッ!」と言うあの声が聞こえて来そうですw


他にも三田学園と言えば、昭和末期の近鉄で活躍した淡口憲治と羽田耕一ですかねえ。淡口は巨人からの移籍だったけど。淡口と言えばコンコルド打法とあの打席でケツをプリッと振る独特の打撃フォームだよな。アタクシと同い年くらいの人間なら、必ずカラーバット持って左打席に入ってあのマネをしたものと思われる。羽田耕一と言えばあの10.19の最後の打者、投手関清和(ロッテ)からセカンドゴロのダブルプレーで悲願の優勝を逃したあのシーンが思い出されるんでありますが、そんな羽田耕一は去年から母校・三田学園の野球部監督になっていたりするらしい。へえ~。

  

昭和末期のパ・リーグ話をしているとキリがないので話を神戸電鉄に戻す(笑)。横山駅で乗り換えるは三田から直通して来た2000系3連のウッディタウン中央行き。公園都市線は入線できるのが現状3連限定で、すべての電車が三田から直通して来ます。横山駅の西方で三田線と別れ、公園都市線は三田学園の校内の下をトンネルでくぐり、ウッディタウン方面へ向けて走って行きます。

 

神戸市北部から三田市西部に続くこの巨大なニュータウンは、神戸三田国際公園都市と呼ばれる兵庫県と住宅都市整備公団が開発した大規模ニュータウン。この開発のおかげで1987年から10年連続で三田市は人口増加日本一の自治体になったそうな。公園都市線はニュータウンの核となる交通機関として1991年(平成3年)に開業。ニュータウンの中心部にあるウッディタウン・フラワータウンの住民をJR三田駅まで誘導するアクセスルートとしての役目を持っています。線路の両側を挟むのは兵庫県道720号線で、その風景は北総鉄道の千葉ニュータウン中央辺りを彷彿させる光景でもある。

  

横山駅から、フラワータウン・南ウッディタウンを経て終点のウッディタウン中央駅。基本的にはニュータウン内の路盤は複線分を確保しているようで、将来のさらなる人口増を見越した計画であったものと思われる。ただ、前述の通り10年連続で人口増を果たした三田市も、最近の人口の伸びは鈍化しており、神鉄自身の財務状況とも併せてひとまず棚上げになっている模様。

  

鉄骨で組まれた立派な吹き抜けの空間を持つウッディタウン中央駅。駅前には広々とした北摂の丘陵地に見渡す限りの住宅街が広がっている。阪神地区有数のニュータウンそしてベッドタウンであるこの神戸三田国際公園都市は、JR福知山線を介して大阪方面への流動が大きいようです。ただウッディタウン中央駅から車で10分程度の場所にJR福知山線の新三田駅があり、直接新三田へ出る住民も多く、伸び悩む住民数に比例し意外に神鉄の利用は伸びていないようだ。お盆の昼下がりとは言え人っ子一人いない駅前は、ちょっと色々と心配になって来るほど(笑)。


ウッディタウン中央駅の発車時刻表。始発から終電まで基本約15分ヘッド。朝のラッシュ時間も日中も運転間隔変わんないのは、三田線と共用する三田~横山間にこれ以上電車が割り込めないからなんでしょうかねえ。対してお帰りは福知山線の三田駅に到着する最終電車の一本前まで接続を取るため、終電の時間は大都市圏並みに遅いのもベッドタウンの鉄道らしい特徴。ちなみにJR東西線の北新地駅(≒大阪梅田)を23時50分に出る新三田行きに乗れば、三田接続0時53分でウッディタウン中央駅に1時05分に到着するダイヤになっています。

昭和の時代の福知山線と言えば、宝塚以北はDD51が客車列車を引っ張る前近代的な未改良の路線でした。昭和61年の全線電化以降、複線区間の拡大と運行本数の増加、そしてJR東西線との直通を開始し片町線を経て京阪奈方面へ乗り入れるなど、関西アーバンネットワークの代表路線の一つとなりました。この神戸三田国際公園都市に代表されるニュータウン開発や、神鉄都市公園線からの乗客流入により福知山線の輸送人員は急増。慢性的な混雑路線の中で常態化した列車の遅延と過密ダイヤが、平成17年のあの大事故の原因の一つではあったかもしれません。

誰も事故を起こそうと思ってやった訳ではないと思うけど、やはりモノと人の大きく動く所にはどこかにひずみが出来るもの。時は過ぎ、ちょっと過剰な装備を持て余す現状の都市公園線を見るにつけ、都市計画におけるソフトとハードのバランスの取り方の難しさを感じてしまうのであります。
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お盆関西見聞録その4 住宅街と里山と

2015年08月18日 22時20分44秒 | 神戸電鉄

(ドアの向こうのオーロラコース@神鉄/北神谷上駅)

有馬線谷上駅で接続する北神急行。六甲山系の真下を北神トンネルで貫き、新神戸へ直行します。新神戸からは神戸市営地下鉄へ乗り入れて神戸三宮へはわずか10分強。鈴蘭台から新開地を経由して三宮に向かうと、乗り換え含まなくても約40分程度を擁する神鉄回りとは太刀打ち出来ない速達性を裏六甲へもたらした革命的な路線であります。見ていると旅客流動なども谷上を頂点とした動きがあるようで、特に三田方面からの乗客は半数近くが北神急行へ乗り換えて行く。まさにドアの向こうはオーロラコース(@世界一周すごろくゲーム)と言った感じでしょうか。

 

さて、鈴蘭台を出た三田行きの電車は、湊川から間断なく続いた上り坂のサミットを北鈴蘭台で迎え、ここからは六甲山系の北麓を今度は下って行く形になります。周辺が開発された住宅地なのでさほど山深さは感じませんが、前面にかぶりついて見ていると勾配を緩和するために右へ左へカーブを取りながら50パーミルの急勾配を降りて行きます。そんな坂道の途中にある山の街駅。何となくその駅の名前のほのぼの感に惹かれて降りてみたのだが、望楼のような2階部分の印象的な木造の駅舎が渋い。


神鉄1070系1075の運転台を。ブレーキの圧力計が2つあって、速度計が独立しているのが急勾配路線の車両と言う感じ。そしてこの系列はその時代時代に伴って組み替えられて来たので、現在の編成の組成表が左側の運行表の下に記載されている。この編成は三田方から1075+1113+1207+1114と組まれているようですが、それぞれ2ドア+3ドア+3ドア+3ドア。同じ編成なのにドア数が違う車両が混結されているみたいですね。

 

谷上を出ると、電車は有馬街道に沿って花山・大池・神鉄六甲・唐櫃台と六甲山系の北側を東へ向かって走ります。有馬口で有馬温泉へ向かう有馬線と別れ三田線に入り、北に向きを変えます。有馬口からは単線になって五社を過ぎると田園地帯と住宅街が混在する岡場。岡場から再び複線になって田尾寺。…なんか電車の中は涼しいし、特に降りるような気持ちにならなかったのでボケーと車窓を眺めながら二郎駅。思わず「ニンニクマシマシ」とコールを入れたくなりますが、「じろう」ではなく「にろう」と読みますw


岡場から田尾寺の付近は開発された住宅街が広がるものの、二郎駅付近は武庫川の支流である有野川に沿ってのんびりとした田園地帯が続く。田尾寺からまた線路は単線になって、木製の架線柱が残っていたりローカルな雰囲気。農業倉庫をバックに坂を下りて来る3000系3017編成の普通三田行き。1991年に落成した3000系のラストナンバーでもあります。


二郎駅の北側にある有野川の鉄橋を渡って来た1350系4連。初めての訪問であんまり撮影地をよく知らない場合は、だいたい鉄橋に行けば手っ取り早いの法則(笑)。この駅で降りたのも、駅からすぐそばにこのプレートガーターの鉄橋が見えたからなんよね。


二郎から再び電車に乗り、道場南口を経て神鉄道場駅。鹿の子台と言う丘の上の住宅地の下にあり、駅前広場に出るには延々と階段を上がって行かなきゃならんのが難儀な駅である。「神鉄道場」って何やら厳しい修行が待ってそうな駅名ですな(笑)。延々と鵯越駅から鈴蘭台までの上り坂でシャトルランとかやらされそうな…。ってかこの駅前広場に出るのが既に修行と言う気も。


長い階段は心臓破りの如し、神鉄道場の厳しい洗礼を受けて駅前の高台に出ると、丘の下を真っ直ぐに走って行く神鉄電車の線路が見える。駅前はニュータウンっぽくても、駅を離れると農村の気配が残る北摂の田園風景。都市計画によって開発されたニュータウンと、未開発の里山が調整区域として混在する風景は、神戸電鉄全線に亘ってよく見られるような気がします。


田園地帯の4種踏切を走って来たのはさきほど運転台を覗いた1075+1113+1207+1114の4連。よく見ると三田側の1070系1075だけが3ドアの両運転台車で、1100系の3連に付け足される形で4連を組成している事が分かります。両運車の1070系は、乗客の増減に合わせた調整弁として様々な編成に組み替えられる便利な存在のようです。神鉄は周辺人口の増加に伴い3連+2連の最大5連で運行していた時代もあったようですが、近年沿線の人口増加は頭打ち。またライバルの交通事業者の増加で、近年は乗客減が目立ちます。特に三田線の有馬口~横山間は流動が少ない印象を受けました。決して沿線住民が少ない訳ではないんでしょうけど、ニュータウン化された結果この辺りは道がいいのでねえ。正直クルマで動く層が多いのかもしれません…

神鉄道場駅へ戻り、お隣の横山駅へ。
ここからは直接三田へは向かわず、神鉄の最新開業区間、公園都市線に乗ってみる事にしましょう。
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お盆関西見聞録その3 山上の要塞

2015年08月16日 07時53分30秒 | 神戸電鉄

(追憶の菊水山駅@鵯越~鈴蘭台間 車中より)

鵯越を出た電車は、いよいよ六甲山系の中心部を鳥原川の谷に沿って上って行きますが、電車が鵯越から2つ目のトンネルを出た場所に、2005年に休止となって久しい菊水山駅を見る事が出来ます。駅名票は取り外されてますが、駅の設備としては券売機と自改を設置すればすぐ復活出来そうですけどね…。まあもとより六甲山地のまん真ん中にあって周辺に民家はなく、駅への取り付け道路もロクにないようなすさまじい場所の駅だったんで日常的な利用者は皆無だったそうな。末期は神戸の中心部から15分で来れる「都会の秘境駅」として秘かなマニア人気を博していた駅でもあります。


電車は休止中の菊水山駅から、鳥原川に作られた石井ダムの脇を線内最長の菊水山トンネル(1184m)で抜け、鈴蘭台駅までやって来ました。電車は、ここで有馬温泉・三田方面の有馬・三田線と三木・小野・粟生方面の粟生線にY字型に分かれて行きます。

  

神戸の街を出て、ひたすら六甲を上り辿り着く鈴蘭台の駅は、神鉄の数ある駅の中でも一番の規模を誇る山上の要塞の趣。ホームは2面4線。その他粟生方面には引き上げ線と、駅の南側約500mには鈴蘭台車両基地があります。六甲山系の北側には神戸電鉄に沿って開発されたニュータウンが広がりますが、ここ鈴蘭台は行政上も人口22万人を擁する神戸市北区の中心地にて乗降客も多いです。区役所もあるしね。余談ですが神戸市北区の花は鈴蘭台にちなんだのか「すずらん」らしいです。きっと東急が開発したら「すずらん台」とひらがなにしてしまったんでしょうね(笑)。

 

駅南側の踏切から鈴蘭台駅を遠景で。駅の西口にあるダイエー鈴蘭台店の看板が見える。全国で店舗を激減させているダイエーですが、やはり創業の地神戸ではいまも健在ってところなのかねえ。ちょうど朝のラッシュ時間が終わり始めた頃だったんで、側線へ電車が引き上げられて来ました。駅から南側は上下線含め3線が引かれていて、そのうちの1本は車両基地への入出庫専用の線路となっておりますね。駅から車両基地に向かっては2つの踏切があり、出入庫線の関係で線路部分のスペースが広い事からどちらも見通しの良い撮影スポット。神戸電鉄は全線に亘ってカーブが多いし、架線柱も密に立っているので形式写真的にスッキリ抜くにはここが一番いいんでないかねえ。


と言う事でウルトラマン電車3005編成の普通三田行き。たまたまなんかもしれないけど3000系の塗装っておしなべて褪せてるか剥がれてるかなので、関係者の皆様には是非きれいにメンテいただきたく(笑)。昭和40年代からの沿線のニュータウン化に伴って、大量輸送の担い手として投入されたのがこの車両。自分の子供の頃、神戸電鉄と言えばこの車両が図鑑に載ってたものだ。


5000系の粟生線方面急行志染行き。気付きませんでしたがしっかり運転台上だけ急行灯が点いてるね。神鉄には準急・急行などの優等列車の上に朝のラッシュ時には粟生線に快速、有馬・三田線に特快速と言う種別もあったりする。残念ながら時間的に見られませんでしたけどね。


5000系トップナンバーの5001編成は準急三田行き。「HAPPY TRAIN」という愛称で、両端の先頭車には花柄のラッピングが施されています。「見ても幸せ、乗るともっと幸せ」がキャッチフレーズで、神鉄のHPにはご丁寧に運行時刻まで掲示されている。助手席側の窓際に置かれたマスコットは神鉄のキャラクター「しんちゃん」。このマスコットが生まれた経緯は色々とありまして…まあこの説明は今度に。


5003編成の普通新開地行きが坂を滑り降りて来る。この鈴蘭台南方の踏切は、両方向の電車が撮れるのでお得感があります。1991年に落成された2000系の車体を使い、1996年にVVVF化してデビューしたのが5000系で、現在は神鉄でNo.1の大所帯となった形式でもあります。あんまりマニア的には人気のない車両らしいですが、シンプルで嫌いじゃないっすよ。


神鉄最新鋭の6000系普通志染行きは6003編成。「しんちゃんてつくんミュージアム」のHM付き。車内がギャラリーになっていて、昔の神鉄電車や沿線の風景写真とかが掲示されています。長年の沿線住民の方には懐かしいのではないかな。こちらにも助手席側に「しんちゃん」のぬいぐるみが乗ってますね。この6003編成は6000系の第2編成で、現在の神鉄では一番新しい車両になるのですが、来年度には6000系の派生形式となる6500系の増備が決まっているようです。


一つ動いて駅寄りの踏切から。車庫への出入線を使って5015編成が試運転を行っていました。塗装がピカピカで新しいので車両工場に入場してたのかな。車体にマスキングテープとか貼りっぱなしだったからね。この鈴蘭台駅南方の坂道は短いながらも勾配が神鉄最大の50パーミルもあり、どうやらこの坂道を使ってブレーキ関係のチェックを行ってたみたいね。


1100系1121編成は普通粟生線方面志染行き。前パン3連が50パーミルの勾配を上って来る。架線柱横の勾配標と絡めて撮ってみました。やっぱこの形式が一番好きかな。結局この後も一日中1100形式とその派生形式を追っ掛けてしまったもんねえ。2ドアと、その間にズラリ並んだ2段窓が端正です。


続行でやって来た1300系1357編成準急三田行き。こちらは3ドア車。最初は2両のユニットで活躍してたらしいですが、色々と編成替えがあった結果現在は2両+2両の4連で固定化されています。この形式はどちらから見ても前パンにはなりません。前パンじゃないとちょっと大人しい印象で、貫通路上のブタ鼻2灯ライトといい、より小田急の2400系に似て見えます。


振り返ってもう1枚。ちょうど鈴蘭台の駅を出て来た3000系の新開地行きとすれ違い。引き上げ線に留置されていた3000系と新旧サンドイッチ。どの編成も赤の褪色が激しいのは気になりますが…(笑)。赤って難しいよね。自分が赤い色好きだから良く分かるけど。なんか塗装と言うよりもどの編成もワックスが効いてない感じがするんよね。被膜が剥げて焼けちゃってると言うかw


この踏切にいればいくらでも電車撮れてしまうのでキリがないからそろそろ先を急がねば。もうすぐ昼になろうとしているのにまだフリーきっぷも湊川~鈴蘭台までしか使ってないし(笑)。鈴蘭台駅北方を望むと、右に複線で出て行くのが有馬・三田線方面、左に単線で出て行くのが粟生線方面ですが、粟生線方面の勾配がエグいのが気になるw

鈴蘭台から乗り込みますは普通電車の三田行き@1100系。とりあえずは三田方面に向けて進んで参ります。
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お盆関西見聞録その2 鵯越の逆落とし

2015年08月15日 00時20分02秒 | 神戸電鉄

(鵯越駅駅名票@標高134m)

「鵯越」を「ひよどりごえ」と読むのは難しくても、大学受験で山川の歴史本なんか使って勉強したことのある人なら一回は目にした事のある地名かも知れない。時は平安時代、源氏と平氏がぶつかり合った源平合戦で、源氏方が平氏の陣地を崖上から急襲し戦果を挙げたと言われる「鵯越の逆落とし」の舞台となった場所がここ鵯越。まあ諸説あるらしい。そもそも逆落としなんて無理っしょ?そんな作戦自体なかったんじゃないか説もあるとかないとかw


湊川から3駅目のここ鵯越駅でまずは一回目の下車。歴史の真偽は専門家の方に譲るとして、実際に下車してみると確かに「そういう戦法を考えてもおかしくないよなあ」と思わせる場所にある。駅の裏は六甲山系の山が迫り、菊水山(標高458m)のハイキングコースへ向かうハイカーがストックを持って降りて行く。ちなみに画像では跨線橋が見えますが現在閉鎖されておりまして、それぞれのホームへはそれぞれの改札を通って行くので駅構内での行き来は出来ません。この駅の上り湊川方面ホームで駅撮りが出来るようなので、ちょっくらこの駅でしばらくやってみたいと思います。

 

まずはホームから湊川方面を。上り勾配のトンネルを抜けてくる電車が狙えそう。短いトンネルですけど勾配がきついのと、トンネルの向こうはカーブになっているらしくトンネル内から既にレールが見えません。トンネルから出たところを叩くのがいいのかな。そして鈴蘭台方面は50パーミルの長い坂道になっていて、湊川方面へ向かう電車にこの坂道はまさに平成の鵯越の逆落としと言った感じ。直線を挟んでS字になっているカーブをホームに滑り込んでくる構図か。これもなかなか楽しそう。


感覚を掴みながらの手持ちなんで構図がバラけっちゃってるのはご容赦(笑)。神鉄と言えばアルミ車体に赤のラインと言うその配色から「ウルトラマン」のニックネームでおなじみの3000系準急三田行きがトンネルを抜けて鵯越駅に進入。ちなみに準急電車は手前の丸山とここ鵯越には止まりません。


2000系の粟生線方面普通志染行き。「しぞめ」ではなく「しじみ」と読みます。結構最近まで「しぞめ」だと思っていた(笑)。左右非対称のマスクはこの2000系と5000系に共通のデザインですが、何となく名鉄感があるね。真っ赤に塗って新名古屋に入線してもあんまり違和感ないと言うかw


もういっちょ3000系の準急三田行き。ちなみにこの3000系はデビューが1973年ながら最終の増備車は1991年と何と18年に渡ってちょぼちょぼと8編成が作られたそうな。途中でデザイン変えたりとか新形式の導入とか考えなかったのかな。そしてこの3015編成は最終増備モデルの第4次車なのだがお顔がキチャナイ。アルミの下地からなんか剥がれが目立つんだけど、アルミだから何もしなくても良いってもんでもあるまいに。


そして今度は鈴蘭台方。2000系2011編成の普通新開地行き。50パーミルの坂道を慎重に下り込んで行きます。4両編成の2000系は2編成しかないのでマニア的には貴重っちゃ貴重な編成ですけど、見た目5000系と変わらないからあまりプレミアム感がないですw


そして神鉄の最新型車両6000系普通新開地行き。1994年の5000系から14年ぶりに製造された新形式。今までの神鉄のイメージとは全く異なる塗装とスタイルなので、これは山陽電車に走ってた方が違和感のない仕上がりになってるんじゃないかと(笑)。一応前面の種別表示はフルカラーLEDが入ってるらしいんだけど、種別が普通じゃそれが分からないねw


1100系3連の準急新開地行き。うん。いいね。前パンかざして長い坂道を下って行く姿はこれぞ神鉄トラディショナルと言う感じで収まりがいい。全長18mの2扉車って今や優等車両以外一般通勤型の2扉車って珍しいんじゃないかと思うのだけど、昔の神鉄はこれが当たり前だったんだって。さすがに3両で収容人数も少ないんで、鈴蘭台~新開地の短区間運用とか、有馬口~有馬温泉や3両限定の都市公園線の運用が中心のようですが。

まずは大掴みに神鉄の現役営業車両を学んでみたところで鵯越での撮影はひとまず終了。
今度は神鉄の主幹駅にて心臓部である鈴蘭台駅に行ってみる事にしましょう。
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