(北摂の名門校@横山駅)
公園都市線の乗換駅である横山駅までやって来ました。横山駅の駅前には、北摂の名門校である三田学園中学校・高等学校がありましてホームには学生の姿が目立ちます。三田学園と言えば甲子園に出場する事もたびたびの野球の名門校で、出身者の中にはプロ野球選手も多数。その中でも千葉ロッテマリーンズ終身名誉監督である山本功児氏を輩出した功績はつとに知られるところ…耳を澄ますと「二日も休んでるんだバカ野郎ッ!」と言うあの声が聞こえて来そうですw
他にも三田学園と言えば、昭和末期の近鉄で活躍した淡口憲治と羽田耕一ですかねえ。淡口は巨人からの移籍だったけど。淡口と言えばコンコルド打法とあの打席でケツをプリッと振る独特の打撃フォームだよな。アタクシと同い年くらいの人間なら、必ずカラーバット持って左打席に入ってあのマネをしたものと思われる。羽田耕一と言えばあの10.19の最後の打者、投手関清和(ロッテ)からセカンドゴロのダブルプレーで悲願の優勝を逃したあのシーンが思い出されるんでありますが、そんな羽田耕一は去年から母校・三田学園の野球部監督になっていたりするらしい。へえ~。
昭和末期のパ・リーグ話をしているとキリがないので話を神戸電鉄に戻す(笑)。横山駅で乗り換えるは三田から直通して来た2000系3連のウッディタウン中央行き。公園都市線は入線できるのが現状3連限定で、すべての電車が三田から直通して来ます。横山駅の西方で三田線と別れ、公園都市線は三田学園の校内の下をトンネルでくぐり、ウッディタウン方面へ向けて走って行きます。
神戸市北部から三田市西部に続くこの巨大なニュータウンは、神戸三田国際公園都市と呼ばれる兵庫県と住宅都市整備公団が開発した大規模ニュータウン。この開発のおかげで1987年から10年連続で三田市は人口増加日本一の自治体になったそうな。公園都市線はニュータウンの核となる交通機関として1991年(平成3年)に開業。ニュータウンの中心部にあるウッディタウン・フラワータウンの住民をJR三田駅まで誘導するアクセスルートとしての役目を持っています。線路の両側を挟むのは兵庫県道720号線で、その風景は北総鉄道の千葉ニュータウン中央辺りを彷彿させる光景でもある。
横山駅から、フラワータウン・南ウッディタウンを経て終点のウッディタウン中央駅。基本的にはニュータウン内の路盤は複線分を確保しているようで、将来のさらなる人口増を見越した計画であったものと思われる。ただ、前述の通り10年連続で人口増を果たした三田市も、最近の人口の伸びは鈍化しており、神鉄自身の財務状況とも併せてひとまず棚上げになっている模様。
鉄骨で組まれた立派な吹き抜けの空間を持つウッディタウン中央駅。駅前には広々とした北摂の丘陵地に見渡す限りの住宅街が広がっている。阪神地区有数のニュータウンそしてベッドタウンであるこの神戸三田国際公園都市は、JR福知山線を介して大阪方面への流動が大きいようです。ただウッディタウン中央駅から車で10分程度の場所にJR福知山線の新三田駅があり、直接新三田へ出る住民も多く、伸び悩む住民数に比例し意外に神鉄の利用は伸びていないようだ。お盆の昼下がりとは言え人っ子一人いない駅前は、ちょっと色々と心配になって来るほど(笑)。
ウッディタウン中央駅の発車時刻表。始発から終電まで基本約15分ヘッド。朝のラッシュ時間も日中も運転間隔変わんないのは、三田線と共用する三田~横山間にこれ以上電車が割り込めないからなんでしょうかねえ。対してお帰りは福知山線の三田駅に到着する最終電車の一本前まで接続を取るため、終電の時間は大都市圏並みに遅いのもベッドタウンの鉄道らしい特徴。ちなみにJR東西線の北新地駅(≒大阪梅田)を23時50分に出る新三田行きに乗れば、三田接続0時53分でウッディタウン中央駅に1時05分に到着するダイヤになっています。
昭和の時代の福知山線と言えば、宝塚以北はDD51が客車列車を引っ張る前近代的な未改良の路線でした。昭和61年の全線電化以降、複線区間の拡大と運行本数の増加、そしてJR東西線との直通を開始し片町線を経て京阪奈方面へ乗り入れるなど、関西アーバンネットワークの代表路線の一つとなりました。この神戸三田国際公園都市に代表されるニュータウン開発や、神鉄都市公園線からの乗客流入により福知山線の輸送人員は急増。慢性的な混雑路線の中で常態化した列車の遅延と過密ダイヤが、平成17年のあの大事故の原因の一つではあったかもしれません。
誰も事故を起こそうと思ってやった訳ではないと思うけど、やはりモノと人の大きく動く所にはどこかにひずみが出来るもの。時は過ぎ、ちょっと過剰な装備を持て余す現状の都市公園線を見るにつけ、都市計画におけるソフトとハードのバランスの取り方の難しさを感じてしまうのであります。